212 喫茶店にて
一応多少の時間放置しても問題なさそうな差し入れを買った後、大輝に言った通り休憩がてら自クラスの方に足を向けると、ほかのクラスと比べて随分と受付に列が出来ていた。
自分達がシフトに入っている間もたまに外を見たりしていたが、やはり朝より盛況なのが窺える。評判が評判を呼ぶ、といった形なのだろう。
自クラスいえど客は客、素直に真昼と並んで受付に辿り着くと、クラスメイトが忙しそうに名簿に目を通していた。
「あれ藤宮とてん……椎名さん。まさか助っ人に」
「残念ながら違うな。客目線になっておこうかと思って。あと、樹と千歳の様子見」
「あーあいつらは元気にやってるよ。うん、まあ」
「なんだその歯切れの悪い言い方」
「どうしても樹がチャラくなってなあ」
「あいつのアイデンティティーみたいなもんだからな」
「ひでぇ」
樹が明るくひょうきんなのはいつもの事だし、それが全くなくなる事なんて恐らく余程の事がない限りは訪れない。こういった催し物なら、真面目にしつつも自分らしさを出していくのが樹なのだ。軽さは抜けないだろう。
樹の軽薄さがいい、という生徒も居たし、あれはあれで人気の執事だろう。まあ、学生の催し物なのでそこまで厳密に執事らしくしなくてもそれっぽければいい、という事でもある。
「んじゃ二人で受け付けていいんだよな? 多分もう少し待つ事になるけど」
「混んでるから仕方ないし覚悟の上だよ。……真昼は大丈夫か? 疲れてない?」
「平気ですよ。つ、疲れたのは、その、先程の出し物で精神的にですし……」
「強がって入ったからだろ」
「……強がっていません」
目をそらした真昼に、そういう風に見栄を張るからいじわるしたくなるんだよなあ、と思ってしまったものの、あまりいじわるし過ぎると拗ねてしまうためこれ以上の言及は避けておく。
代わりに小さく「ホラー映画、約束したからな」と囁くとほんのりと揺らめきを見せる瞳で睨まれたが、今度は周が知らんぷりをしておいた。
隣で見ていた受付の男子にまで「他のところでやってくれ」と睨まれたが、こればかりは仕方ないので彼からも目を逸らしておいた。
そうこうしている間に順番がやってきて、係員に促されて自クラスに入ったのだが……出迎えが見慣れた二人だったので、周はわざとらしく眉を寄せた。
確実に受付が伝えたから樹と千歳が案内役になっている。
練習の時よりもかしこまった態度で微笑みをたたえている樹と千歳は、周のほんのり嫌そうな顔に頬をひくひくと小刻みに震わせている。
いたずらが成功したような眼差しを向けられて、周まで頬と口許が震えそうになっていた。もちろん、ひきつりそうな意味で。
「お帰りなさいませ。旦那様、奥様」
「おいこら樹、マニュアルにない出迎え方すんな」
基本的にメイド執事喫茶風だろうがお客様で相手の呼び方は統一するようになっているが、わざと間違えて如何にもな呼び方をしてくる二人に我慢しきれなかった頬がひきつっている。
真昼は恥ずかしそうに瞳を伏せていた。恐らく奥様、という呼び方に照れたらしい。
「いやいやとんでもない。これは極秘にしていたマニュアルの君ら二人専用ページに載ってたから」
「捏造と記憶改竄をするんじゃない」
「まあまあ。席までご案内いたします」
特別扱いを客の前でするのは良くない、と視線で咎めても樹はどこ吹く風だった。
何を言っても無駄そうだったので渋々彼らに促されて席に着く。
樹に引いてもらった席にすんなりと腰かけた真昼の所作が堂に入っていた事につい気を取られていると、千歳はにこにこしながら「休憩楽しかった?」とマニュアルに従って周も完全に記憶しているメニューを差し出していた。
「ん、まあ楽しかったよ。まだ回りきってないからこの後も回るつもり」
「よかったよかった。まひるんが早く休憩来ないかなって楽しみにしてたからねえ」
「そんなに?」
「そりゃねえ。色んな所を見て回りたいって言ってたもん」
ちらりと真昼をみれば、ほんのりと赤らんだ頬で「Aセット一つ」と注文して話題を逸らしたがっている。
家ではあまり文化祭についてはしゃいだ様子は見せていなかったのだが、彼女なりに周と過ごす事を楽しみにしてくれていたらしい。
いじらしい真昼に小さく笑って、後で詳しく真昼に聞いてみようと誓いながら同じものを頼んでおく。考えていた事がばれたのかちょっぴり睨まれはしたものの、嫌という訳ではなさそうなので一安心した。
注文を聞いた千歳がにまにまとした笑みを隠そうともせず裏に注文を伝えに行ったところで、思い出したように膝に置いてあったドーナツの入った袋を樹に差し出す。
ドーナツは一口サイズで丸く揚げているものなので、手が空いた時に摘まみとして食べられる。これなら他のスタッフも食べやすいだろう。
「ああそうだ。これ他のクラスの出し物であったから差し入れ。裏方のやつらも休憩した時に食べてもらって」
「おっ、あざっす、あざーっす!」
「別に勝手にしてる事だから気にしなくていいけど、感謝するなら執事らしく感謝しろよ……」
「旦那様のご厚情賜りまして……」
「やっぱいいわ。あとそのネタもういいから」
昼食ったけどお腹空いてたんだよなあ、とほくほくしたご機嫌な顔の樹に笑って、それからこれから少しその気分を害してしまいそうな事を言うのが申し訳なくなった。
「なあ樹」
「ん?」
「大輝さんに会ったんだけどさ」
その言葉に少し体を強張らせたのが分かった。
なるべく千歳が居ないタイミングで報告しておきたかったので今言ったのだが、接客のモチベーションを下げてしまいそうでもあるから正直言いたくはなかった。
「ああ、別に千歳がどうとかは言ってなかったぞ。ここに入りにくいからってどっか行ったって報告だけ」
「あー……まあ、親父はこういうところ苦手だからなあ。来てもらっても、まあ、ちぃが困った顔するから、来なくてもよかったのかもしれないけどさ」
肩を竦めてみせた樹は、小さく「来るとは聞いてなかったんだけどなあ」と呟く。
「また帰ったら聞いてみるわ。どうせ、今日は会いに来ないだろうし」
何を考えているのか読ませない笑顔で、差し入れの袋を片手に裏に戻っていく樹に、周はそっとため息をつく。
(……なんとか上手くいけばいいんだけどなあ)
そう簡単にいかないとしても、ゆっくりでもいいからしこりをとかしてやれたらいいのに、と願うしかなかった。