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206 つめたい執事さん

 文化祭で真昼がスタッフとして給仕するにあたって一番不安だったのは、人目を惹く事ではない。

 見目のよさに交流を持とうと絡んでくる人間の存在でもない。


 人間の三大欲求の内の一つを、他人にぶつけようとしてくる人間が現れる事だ。


 お昼過ぎ、周達のシフトが終わる数十分前の事だった。


 入店当初から、女性スタッフを視線で追い続けているな、とは思っていた男性客が居たのだが、この喫茶店では見目麗しい女子達が相手をしているので珍しくはない。

 ただ、値踏みするような視線をしていたので少し気を付けなければならないな、という予感はしていたのだ。


 周が注文の品を運び終え、盆を片手に裏に戻ろうとした時……真昼に手が伸びたのが見えた。


 真昼もその男に品を運び終えたから後ろを向いた瞬間の出来事だった。当たり前ではあるが、後ろの事など見えない。


 スカートに覆われた腰部、いや手の向かい先的には臀部に触れようとしているのが見えて、周は一歩踏み出す。


 近くに居たからこそ、比較的ゆったりとした動作だったからこそ、周も手にしていたものを伸ばす事が出来た。


「お客様、当店のスタッフに不用意な接触をするのは控えていただけますか」


 掌が触れる前に盆を真昼と掌の間に滑り込ませた周は、あくまで温厚な風を装って静かに注意の言葉を口にする。

 表面上は穏やかに見えるが、内側では、ただでさえ可愛い彼女がナンパされている様を見せられてやや苛ついていたのに、性的接触を図ろうとされて、怒りに火が付いていた。


 声で振り返った真昼は何をされそうになっていたのか盆で留められた掌の位置で察したらしく、ひくりと頬を震わせて一歩後ずさった。

 そんな真昼を庇うように横にずれた周は、なるべく柔和な笑みを浮かべてみせる。


 気付けば店内が静かになっていた。視線を集めているのは感じたが、それが気にならないくらいに周は怒りを感じていた。


 しかし、同時に冷静でもある。


 今のは未遂であり、言い逃れはしようと思えば出来る。

 恐らく周囲の人間も気付いていたのか男の掌を凝視しているが、まだ何もしていない。たまたま、と言われたらこちらとしては引き下がるしかないだろう。


 ただ、真昼への接触を無罪にしようとも言い逃れ出来ない事が一つあると気付いた。


「ところでお客様、入校許可証はどちらに?」


 唐突な話題転換に、男の目が丸くなるのが見えた。


「ちなみにお伺いしますが……どうやってこの校内に入ったのでしょうね。入場許可証であるバンドがないのですけど」


 校内では、来場客は入校許可証として使い捨てではあるが丈夫なバンドを身に付ける事になっていた。


 近年物騒な事件が多いし盗難も発生しがちなので、人の出入りが激しいこの文化祭期間、生徒は名前こそ表示しないが学年ごとに色の違う紐で留められた名札入れを首からさげ、一般客はバンドを着用する。

 校内には部外者立ち入り禁止区域もあるので、そこに紛れ込まないようにさせるための措置でもあった。


 指摘に、しどろもどろに「そ、それは濡れて破けたから……」と口にする男性に、周はつい笑ってしまった。


「おかしいですね。汗がつく事も考えられて防水紙製なのですけど。それから、パンフレットにはなくしたら再発行が可能なので本部に届け出るように書かれている筈です。ちなみにあなたの入場許可証を申請した生徒は何年何組のどなたですか? 答えられますよね」

「そ、れは」

「……話にならないですね」


 笑みを収めた周は、様子を伺っていたスタッフ達に視線を滑らせる。


「悪いけど誰か生徒会役員か教員の誰か呼んできて。流石に呼んでもいない部外者がウロチョロしてたらまずいだろ」

「もう連絡してるし、見回りしてた担任がこっちに向かってるそうだよ」

「首尾がよろしいこった」


 門脇からの素早い返事と行動力に安堵を混ぜつつ肩を竦め、それから態度を改めて痴漢未遂の男性に微笑みかけた。

 もちろん、目が笑っていない事は自覚している。


「お客様。先程の行為云々ではなく、外部の人間が許可なく入校しているという事が問題ですので。申し訳ないですが本部の方で話を伺う事になると思います」


 淡々と今後の男性の予定を告げて、丁度担任がやって来て男性の元に近寄るので、周は側の真昼の手を引いて後ろに下がり、そっとため息をついた。


 恐らく痴漢未遂の事も報告されるので、普通に強制退去処分になるだろう。先程の男性は何のために事前申請制度になっているのか分かっていなさそうだったので、こればかりは呆れるしかない。


 申請の段階でどの生徒がどんな人を呼んだかは記録されているので、ある種身元がはっきりしている人間だけが呼ばれている、という事になる。羽目を外せば特定されるし、呼んだ生徒の方にも軽くお咎めがいくので、常識から外れたような行動をする人間は殆ど居ないのだ。

 まあナンパはギリギリセーフの分類に入るので、しつこくない限り注意される事はないが。


 彼がどうやって入ってきたのか、とは気になるが、本部で聞き取りが入るだろう。恐らく翌年、早ければ明日からは模擬店の入店前にバンドの提示を義務付けられるだろう。


 男性が何か言っていたが周には関係ないので無視をした。

 担任と共にクラスから去ったのを確認して、周は注目していた客に何事もなかったかのように笑顔を見せる。


「お客様、大変お騒がせいたしました。引き続きお茶をお楽しみください」


 優雅に一礼すればスタッフも空気を読んで礼をしたので、それで騒ぎはおしまいという風な空気が醸し出された。

 以前のように雑談が聞こえ始めたのを確かめた周は、無言で側に居る真昼の手をもう一度取って、裏の方に引っ張る。


「え、あ、周くん?」

「どうせもうすぐシフト交代だから先に休憩入っておいてくれ。裏で待っててくれたら俺も一緒に着替えに行くから」


 恐らく問題ないだろうと周囲のクラスメイトに視線を滑らせれば早く行けと言わんばかりに掌をひらひらと振られたので、軽く頭を下げて真昼を裏に連れていき、あった椅子に座らせる。

 未だに衝撃が抜けていないのかどこか呆けたような真昼の頭を撫でて、周は流石に交代間際とはいえ二人も抜ける訳にはいかないだろうともう一度表の方に向かった。




 交代時間になったので周が裏に向かうと、真昼はちょこんと椅子に座ったまま静かに待っていた。ちなみに手にはコーヒーの入った紙コップがあるので、おそらく気を効かせたクラスメイトが落ち着くようにと渡したのだろう。


 周が戻ってきた事に気付いた真昼が安堵したように眼差しを柔らかくするのを見て、周も同じように眼差しを柔らかいものにした。


「お帰りなさい」

「ただいま。落ち着いたか?」

「……別にみなさんが心配するほどではないのですけど」

「心配するだろ普通」


 あの時若干処理落ちしていた気がしたのでこちらに引っ張ってきたのだが、判断は間違っていなかったと思う。

 ちょっとだけ不服そうな真昼にもう一度頭を撫でてみせれば、恥じらいに瞳を伏せてごまかすようにコーヒーを飲んだ。


 紙コップの中身がなくなった事を確認して、周は裏においてあった私物のパーカーを真昼の膝に落とす。

 この学校は空調完備で常に適温に保たれているが、少しずつ寒くなってきているので、上着は持っている生徒が多い。今回は、真昼に着せようと思っていたから持ってきたのだが。


「ほら、これ上に羽織って。流石にその服のまま歩くと目立つからな」


 メイドのまま出歩けば注目を浴びるし、店内以外は撮影も一応オーケーにはなっているので、余計な騒ぎを起こさないために用意した。

 周と真昼の身長差なら腿の辺りまで隠してくれるので、エプロンとホワイトブリムを外せばそう目立つ事はないだろう。元々真昼自体が目立つので、容姿の美しさで人目を引くのは仕方ない。


 エプロンを脱ぎ素直に渡されたパーカーを着てきっちり前まで閉じた真昼は、何だか先程よりも機嫌が良さそうな気がする。

 一生懸命余った袖を捲りつつ、鼻を近付けてすんすんと鳴らしては口許を綻ばせているので、周としてはそれはやめてほしかった。へにゃりとした笑みが、心臓に悪い。


 その様子を見ていたらしく、午後のシフトに入っている樹がネクタイを整えながらにやにや笑っているので、思いきり眉を寄せれば更に笑われた。


 何だか負けたような気がして余計に不機嫌な顔になるのだが、真昼がぱちくりと瞬いた後また笑うので、仕方なしに彼らからの視線を受け入れる事にする。

 といっても受け続けたい訳ではないので、周は裏にある自分用のロッカーから制服の入った手提げを取り出した。先にジャケットとウェストコートを脱いでロッカーに入れておけば、廊下を歩いても目立たないだろう。

 真昼も着替えに行くと分かっているので、立ち上がって先にエプロンとホワイトブリムをロッカーにしまって制服を取り出す。


「じゃ、俺らは交代だから。後は頼んだぞ」

「あいよー。存分にいちゃついてこい」

「うるせえ。お前らは店内でいちゃつくなよ」


 軽く返されてまた眉が寄ったものの、真昼が手を握ってくるのでこれ以上しかめっ面をする訳にもいかず、周はなんとも言えない歪んだ顔で真昼と共に教室を後にした。


 廊下に出れば、やはりというか活気づいているのが見てとれる。事前申請制とはいえ一般客もかなりきているので、当然と言えば当然なのだが、普段はそこまでうるさくない廊下が賑やかで少しだけ違和感があった。


「すげー人」

「一般客の方が例年より多いみたいですからね」

「まあそれだけ居れば変なやつも受付の目をすり抜けて入ってくるよなあ」


 他の学校の文化祭よりお金がかかっているらしいので、規模も大きい。だからこそ入りたがる部外者も割と居るのだろう。


 変なやつ、の言葉に少し視線を落とした真昼に、失言だったと周は掌に入れる力を少しだけ強めた。


「……大丈夫か?」

「あ、は、はい。びっくりしましたけど、未遂ですから」


 心配した、と気付いたらしい真昼が慌てて首を振るが、本当に平気ならこんな顔はしないだろう。


「ごめん、もっと見てればよかった」

「周くんも忙しいですから。そもそも、私がしっかりしてなかったのが原因ですし……」

「しっかりしてようがしてなかろうが、ああいう輩はやるぞ。だから俺達が気を付けて抑止するべきだった」


 本人が気を付けていようともどうにもならない事があるし、そもそも痴漢はどうしようもないものがある。

 真昼は自分の迂闊さを責めているようだが、する人間は何をしてもするので真昼が悪いなんて事はないのだ。


「真昼は悪くないよ。顔がよくてスタイルがよかったら欲望の餌食にしていいだなんて、そんな戯言ぬかす方がおかしい。男女問わず、誰もが尊重されるべきだ」

「……うん」

「だから、自分が悪いみたいな言い方するなよ」


 優しく囁くと、真昼は少しだけ困ったように眉を下げて、周の腕にぴとりと身を寄せた。


「……周くんにもあんまり触られた事ないのに触られるのは、嫌です」


 小さく囁いた真昼は少し声を震わせていたので、元気付けるように掌を握り直す。

 歩きながらなので周囲の視線がうるさいが、校内中に天使様の交際は知れているので今更ではある。周自身、見られる事は心地よくはないが慣れてきていた。


「あんまり、というかほぼない気がするけど」

「たまに起こしにきた時に寝ぼけた周くんはぺたぺたしてますよ」

「それその場で注意してくれないか、俺が変態じゃないか」


 衝撃の事実発覚に思わず真昼を見れば、心なしか萎れていた顔に少し生気が戻ったようで、いたずらっぽい笑顔を浮かべている。


「彼女の体を触る事を変態だとは思いませんけど」

「それでもだなあ」

「気にしませんけど」

「俺に甘くしないでくれ。絶対触る」

「触りたいんじゃないですか」

「そりゃ俺も男だから色々と触りたいけど、まだ早いです」


 もちろん触れたいという欲はあるが、男の理性なんて脆いものだと周は分かっているので、必要以上には触れないようにしている。

 真昼が嫌がらない事は百も承知だ。彼女は、むしろ周に触れられる事を好んでいる。体温を共有する事が心地よいと言っているし、周に触れられると幸せになる、とも言っていた。


 ただ、本当に周が触れたいように触れるとエスカレートしそうなので、抑えざるをえないのだ。


 ぷいとそっぽを向いた周の心境を知ってか知らずか、真昼、くすくすと笑って腕にしっかりと抱き付いてくる。


「嫌じゃない、って事は、ちゃんと知ってくださいね」

「……よく知ってるよ」


 周が好きだからこその許しだという事は分かっていても、改めてそう言われると心臓には悪い。


 責任が取れるようになったら触り倒してやろう、とひっそり心に決めつつ、周は側で楽しそうに微笑む真昼の掌を擽るように撫でた。

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[一言] 三大欲求の一つを向ける……カニバリズム?
[良い点] いつも口から砂糖が溢れでてきます [一言] …さて、狙撃の準備をしておきますか
[良い点] 良いぞ、これを機に身体接触増えてけ [一言] それはそうと奴を許すわけにはいかん ≡ヽ(♯`Д´)ノコリャーッ
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