198 試着
学園祭が二週間後に迫ってきた頃、頼んでいた衣装が届いたとの報があった。
「はーいこれが届いた衣装でーす。それぞれに配るからちょっと待っててね! 試着は指示するからそれも待ってねー」
笑顔でそれぞれに衣装を渡していく木戸は周のところにやってきて「はいどーぞ」と朗らかな笑みで手渡してくる。
「あ、藤宮くん、あとで一人で試着用に確保してる教室に行ってね」
「何で一人で」
「んー。特別措置?」
「どういう事なんだ?」
「椎名さんからのちょっとしたお願いというか、これくらいは叶えてあげたいなって。最初に見せるのは藤宮くんがいいって椎名さんが言うものだから……」
勿論他の子からの許可は取ってるからね、と心配しなくていいような情報もついでに与えられて、少し申し訳ないと思う反面、真昼がそこまでしてお願いしたという事に喜びを感じてしまう。
快く受け入れてくれた木戸を始めとする女子達に感謝しつつ、周は「ありがとう」と微笑むのであった。
そうして特別に与えられた時間、周は真昼が着替えているらしい教室の扉の前で待っていた。
当たり前ではあるがカーテンは閉ざされている。本来はそれぞれ更衣室で着替える予定だったらしいが、この後衣装を身に付けて給仕の練習をする関係上教室を借りたらしい。ふわふわしたスカートのメイド服で出歩くと目立つ上今廊下は物や塗料で溢れているので破いたり汚したりしかねない、という理由も大きそうだが。
(なんつーか、緊張する)
女の子がこの向こうで着替えている、と考えると何というか気まずさと緊張がある。彼女であり下着に近い姿も見た事があるが、それはそれとしてやはり落ち着かない。
扉に背を預けて無言で待っていると、教室の方から「もう入っていいですよ」とどことなく強張った声が聞こえた。
真昼も真昼なりに緊張しているのかもしれない、と小さく笑って促しに従って教室に入ると、扉から少し離れた所に真昼が立っていた。
後ろ手で扉を閉めつつ、前に立つ真昼を見つめる。
真昼が身に付けている給仕服は、長袖に足首まであるロングスカートのものだ。
ほどよく現代風を取り入れたクラシカルタイプであり、二の腕あたりが空気を含んだように膨らんだ長袖と長い丈の紺地ワンピースにエプロンという組み合わせだ。
ミニスカートタイプの時は下に膨らませる用のスカートを穿くと木戸は言っていたが、真昼が身に付けているのはロングスカートタイプなので、スカートのボリュームを抑えすっきりとしたシルエットにまとまっていた。
装飾としてエプロンにフリルはついているものの肌の露出はほぼなく、清楚且つ清潔感のある雰囲気を醸し出している。長いスカートの裾からは黒タイツに覆われた足首が見えた。
ちなみに黒タイツは真昼の私物である。学校ではみだりに肌を見せないようにと年中身に付けている真昼なので、今回も同様に履いている。
「どう、ですか?」
真昼が緩く首を傾げれば、残されていた横髪がさらりと揺れる。
接客であり食品を運ぶ役でもあるので、邪魔にならないように長い亜麻色の髪は後ろで一つに編まれている。
頭にはホワイトブリムが飾られており、それが如何にもメイドといった雰囲気を強めていた。
「……似合ってる、想像以上に」
「そうですか? よかったです。こういった仮装なんて初めてなので……」
お世辞抜きに称賛すれば、はにかみが返ってくる。
真昼の美貌があるからこその似合い方、というのはあるだろうが、何より真昼の雰囲気が予想以上にマッチしていた。
元々真昼本人が奉仕体質というのは言い方が悪いが世話焼き気質なので、尚更似合っているように見えるのだろう。
ふわりと笑う真昼に、他人に傅かせたくないな、と思ってしまうのは、仕方のない事だった。
「……周くん?」
「え、……ああ、ごめん。似合ってるから他人に見せて減らしたくないなって」
「ふふ、何を減らすのですか」
「俺の元気?」
「後でなでなでしてあげますから我慢してください。私だって、周くんの執事服姿を他の人に見せるの、嫌ですし……」
「俺目当てとか居ないから大丈夫だ」
「大丈夫じゃないですっ」
何故かムキになられたので素直に「すまん」と謝れば、真昼も強く言い過ぎたと思ったらしく「こちらこそごめんなさい」と小さな謝罪を口にした。
「……周くんは、イメージチェンジしてから取っつきやすくなりましたし、その、他の女の子からいいなって声も聞きます」
「本人としては全く聞き覚えないけどな」
「そりゃあ本人には言わないですよ、女子の中だけで話す事ですし……私が居ますから、大っぴらに言い寄るなんて事はないですよ」
女子の集まりで何を話されているのかと微妙に背筋が震えたが、真昼の言い方的には概ね好意的に見られているらしい。
ただ、好意を受けているとは思わない。精々生暖かい視線を受けているくらいだ。
そもそも、交際相手が居るのにも関わらず言い寄ってくる女性なんて受け入れ難い、というより断固拒否である。周視点そんな女子生徒は居ないので、真昼の言葉にも実感は湧かないが。
周が話半分に受け取っていた事を察したらしく、真昼はむぅと可愛らしく唇を尖らせている。
「あのですね、女の子達は同性だけだとかなり明け透けに話すのですよ? この男の人は女性関係がどうとか性格がどうとか、経験がどうとか、正直男性には聞かせられない話だってしています」
「うちの彼女何に巻き込まれてんの」
「女子トークはそんなものなのです。そこに建前とかはあまりなくて、正直な事を言ってます。……その正直な話で周くんが素敵な人だと言われているから、私はひやひやしているというか……不安で仕方ない、というか」
もじ、と言いにくそうにしている真昼はいじらしいメイドそのもので、何というか罪悪感と少しの嗜虐心が湧いてくる。
「ちなみにどういう風に言われてるんだ?」
「……その、優しそうとか、紳士的とか……あと女の子の扱いが下手そうなところが好感度高いとか」
「ほ、褒められてる気がしねえ……」
「……好きになったら自分だけを見てくれそうでいい、とも」
「まあ、それは確かかもな。真昼だけ見てるし」
相手だけ見てくれる、というのはそもそも当たり前の事だ。交際相手が居るのに別の異性を対象として見るなんて失礼であるし不誠実だろう。
そんな生半可な気持ちで真昼と付き合ってはいない。藤宮家は愛情深いし一途だとよく言われるが、事実、周も真昼以外見るつもりはなかった。
「それは真昼だっておんなじだろう? 他の男に秋波でも送る?」
「あり得ません!」
「だったら心配しなくていいよ。……俺の唯一は真昼だけだし、真昼しか見てないよ。ただ、それはそれとして真昼に性的な視線を送られるのは嫌だからその姿は見せたくないなって思ったかな」
ここで最初の話題に戻った周に、真昼は少しだけ眉を寄せた後、周の二の腕に頭突きするように額を何度か押し当てる。
「……お互いに、そこは我慢しましょう」
「うん」
「……それはそれとして、独占したかった、という事です」
「俺もだよ」
うりうりと額を押し付ける真昼にそっと背中を叩いてやると、顔を上げた真昼がじっと周を見つめる。
「……周くんの執事服も、早く見たいです」
「次は男子が部屋借りてお披露目なので待っててくれ」
今回は樹や千歳、木戸の厚意で特別に周だけ真昼の姿を先に見せてもらっているが、本来は一斉にお披露目である。
そろそろ男子達も借りた服を身に付ける時間だ。
「……大した事ないからな?」
「そんな事はないですよ、楽しみにしてます」
お世辞でなく本当にそう思っているという笑みを向けられて、周は何とも言えないむず痒さに頬を掻いて「あんま期待せずに待っててくれ」と返すしかなかった。
「どうだった?」
「どうって……似合ってたけど」
男子の接客係も着替える事になったのだが、先に真昼のメイド服姿を見てきた周に男子達は興味津々といった様子だった。
周としてはどう、と言われても似合ってるとしか言いようがない。
周の淡泊な感想に見るからにがっかりしているクラスメイト達には呆れの視線を向ける。
「こうさあ、もっとあるだろ。感想がさあ」
「それ以外どう言えと……似合わない訳がないんだから」
「まあそうだよなあ。椎名さんだもんな」
「傅かせたい」
「笑顔でご主人様って言われたい……」
「絶対お前らには傅かないし仕えないけどな」
「大人げねえ……大人げねえ……夢くらい見せてくれたっていいだろ」
「叶いようのない夢なら砕いてやった方が身のためだ」
「辛辣ゥ」
けらけら笑うクラスメイト達(一部は本気で嘆いているが)と軽口を叩き合うくらいには、この準備期間で打ち解けた。たまにネタマシイ……という言葉と共に背中を叩かれてやり返すくらいには、他の男子達と会話するようになった。
わざと素っ気ない言葉を突きつけて軽いやり取りをしつつ、用意された服を着ていく。
男子達が身に付けるものは黒に近い紺のジャケットとスラックス、ダークグレーのウェストコートとシンプルにまとまっていた。スリムなデザインなので洗練された雰囲気をかもしだしている。
おまけで白の手袋を身につければそれっぽく見えるのだから不思議である。
勿論借りてきた所が同じなので女子のメイド服と雰囲気の統一性があり、並べば尚更使用人風に見えるだろう。
着た感じ動きにくいとか張った感じもないので、これなら問題はない。
「すげえ、樹がめっちゃチャラい執事に見える。漫画でよく見かけるへらへら系のやつだ」
「え、何でオレ貶されてんの?」
樹も着替え終わったらしく、他の男子にからかわれている。
ちらりと見てみれば、他の男子の評した通りよく言えば明るい、悪く言うならどことなく軽薄そうな雰囲気が漂う執事が出来上がっていた。
「うん、なんかチャラいな」
「周までひでえ! そういうお前は……やべえ椎名さんに見せられるように真面目スタイルだ」
「なにを当たり前の事を」
勿論周は真昼に見せるのであればときっちり着こなしている。髪型も一部を後ろに撫で付けていつもよりすっきりした印象を抱かせるようにしている。
流石にイラストでよく見かけるようなオールバックにするつもりはないが、これくらいなら周でも躊躇いなく出来た。
「本気だ……こいつ本気だ……」
「あれだけ気乗りしてなかったのにやる気出してる……」
「真昼から何故か期待されてるから、そりゃ真面目にやるさ」
「のろけだ……のろけやがった……」
「いやお前らだって彼女から期待されたらそりゃ頑張るだろ」
「やめろ藤宮、それは独身に効く」
「えっ……ごめん……」
「謝るなよ、惨めになる……」
そう言ってさりげなく脇腹を小突いてくるクラスメイトに今回ばかりは甘んじて受け入れつつ、チャラいと言われてちょっぴりへこみつつ笑っている樹に肩をすくめる。
「まあ、樹のそれに千歳は喜ぶだろ」
「そうだな。『いっくんチャラーい』と笑われるのもセットだけどな」
「違いない」
悪気なく言いそうな千歳を想像してひっそりと笑った周を見て今度は樹が脇腹小突いてきたので、お返しに背中を叩いて元気付けておく。
「しっかし、門脇に人気集中しそうだな」
「いや、女子達は『王子様タイプにもお調子者タイプにもクールタイプにもショタにも需要はあるのです』と言ってた」
「ショタと言われる九重が哀れすぎる。あとお調子者タイプ間違いなくお前だからな」
見目が整っているからと強制的に駆り出された九重は男子の中では小柄である意味異色だ。本人は普段から可愛い系と言われて不服そうにしているのだが、今回更に気が立ちそうである。
視線を九重に滑らせれば不服そうな顔できっちり身に付けている。よくも悪くも華奢で童顔気味なので、特定の需要は満たせそうではあった。
ちなみに彼と仲のよい柊は裏方である。理由は本人が割と大雑把且つ体つきが他の男子よりがっしりしているので、接客より力仕事をしてもらった方がいいとの判断だ。
「……一哉の裏切り者……くそったれ……」
可愛らしい顔から呪詛が聞こえてきたが聞かなかった事にしておいた。
「おお、いっくん似合ってるー! チャラいけど!」
教室にて接客担当が集まりお披露目の時間がやってきたが、案の定千歳はにこやかな笑顔でチャラいと評していた。
自分でも飄々としている自覚はあるらしい樹は否定する事はなかったが「そんなにか……」と若干遠い目をしていたが、普段の言動が言動なので仕方ない。
ちなみに千歳も接客側なので、メイド服を着ていた。
二パターンあったのか、彼女が身に付けているのは真昼のような落ち着いたものではなく可愛らしさと装飾性を重視した膝上数センチの丈のものである。
裾からはフリルが覗いており、すらりと伸びた足は白のニーソックスに覆われている。丈の短さやふりふりのエプロンも合わさって如何にも現代のメイドといった感じを体現していた。
「ちなみにどう? 似合ってる?」
「そりゃ勿論ちぃは何でも似合うからなあ」
「この前まひるんの服借りて着て見せたら笑い転げた癖によく言う」
「いやそりゃサイズが」
「いっくん」
「すみません」
チャラい(他称)の樹も、彼女にかかれば大人しくなる。コンプレックスを刺激した樹が悪いので、突っ込む事はしないでおいた。
千歳の他にも接客担当の女子達がメイド服を着ているのが見えて、自分達の催し物ながら中々にすごい事になったな、と感心してしまう。
仕切っていた木戸も真昼と同じタイプのメイド服を着ており、にこにこしながらこちらに歩み寄ってきた。
「あ、藤宮くんもばっちり決めたね。気合い入ってるぅ」
「真昼が期待してたからな」
「ふふ、よき彼氏さんですねえ。ほら椎名さん、彼氏さんの執事姿だよ?」
ほらほら、と朗らかな笑顔で手招きする木戸に、何故か真昼は近寄らない。嫌なのかと思ったが、顔を赤くしてもじもじしているのでそうではなさそうだ。
真昼の様子に木戸はにっこりと「楽しみにそわそわしてたんだよ、多分想像以上だったんだと思う」と告げて、真昼の元に戻る。
「ほーら椎名さん、近くで見ないと勿体ないよ? それにシフトは二人一緒なんだから、見慣れておかないと!」
樹達の計らいでシフトは真昼と一緒の時間帯になっている。彼女がセクハラ被害に遭わないかといった心配と、交代の際は二人で校内を見回れるようにとの気遣いだ。
木戸が真昼の背を押すと、躊躇いながらも真昼が近づいてくる。
「似合わない?」
「そっ、そんな事は! とっても素敵です、周くんじゃないみたい……」
「そんなにか。どう見えてるんだ」
「……いつもより、色っぽいというか」
「寧ろ普段より着込んでるんだけどな。こんなに着ないし家ではもっとラフだろ」
「着込む方が増す時もあるのです!」
何故か力強く力説されて戸惑うのだが、他の女子達もうんうんと何やら訳知り顔で頷いているので、とても否定出来る雰囲気ではなかった。
相変わらず真昼は頬を染めて上目遣いでもじもじしており、男子達がその可愛らしさにやられているのでそろそろ止めなくてはならない。
「……真昼、そういう顔は人に見せないようにな。死人が出る」
「周くんもです」
「はいはい」
「て、適当な……」
不服そうではあるが、顔については真昼の整い方と周の整い方とでは次元が違うので、真昼のような男女問わず魅了していくような事はまず無理だ。
なのでそういった点では心配要らないという意味でのスルーだったのだが、真昼はやっぱり納得がいかないように少しだけ周の二の腕をぺしぺしと小突くのであった。





