189 おやすみなさい
今日は12時に更新しているのでまだそちらを見ていない方は前話からどうぞ。
時刻が二十三時を回った所で、周は真昼を抱えて自室に戻った。
単純にそろそろ寝るべき時間が近付いていたので寝る準備に移っただけなのだが、運ばれる真昼としては緊張したらしい。腕の中でやや体を強張らせている。
心配しなくても何もしないのに、と囁きながらベッドに下ろせば、真っ赤な顔で見上げられた。
「は、運ぶ必要はなかったのでは」
「真昼、ちょっと眠そうだったし。そろそろ寝る時間だもんな」
「……そうですけど……その、毎度思うのですけど、重くないのですか」
「俺をどれだけ貧弱だと……」
一応筋トレやジョギングぐらいしているし見苦しくならないように鍛えているのだ。真昼くらい簡単に抱えられる。
もし、真昼と出会った時に抱え続けろ、と言われたなら少しきついが、それは真昼が重いのではなく周が非力なだけだろう。
「真昼を支えるんだから、簡単に折れる程柔じゃないよ」
「……はい」
流石に腕にぶら下げるとかは出来ないけどな、と茶化して笑えば、真昼も目を丸くした後小さく笑う。
緊張もほぐれたようなのでそっとベッドにあがって隣に座ると、真昼は少し頬を染めたもののうろたえはせず、むしろ自ら体を寄せてきた。
彼女なりに周を迎えようとしているのは分かるので淡く微笑みを浮かべ、優しく真昼の体を正面から包み込む。
「そういや、くまはよかったのか?」
お泊まりセットの中には、真昼にあげたぬいぐるみの姿はなかった。
毎日抱き締めて寝ているらしいので今日はどうしたのかとカラメル色の瞳を覗き込むと、恥ずかしげに瞳が伏せられる。
「……今日は、周くんが居るから、いいです。……それに、周くんが妬いちゃうでしょう?」
「そうだな。俺が居るのに他のものに目移りされても困るし。……こっちだけ見ていてくれ」
「……はい」
「……返事の割に、こっち見てないけど?」
視線が周の喉元辺りで止まっているので、見ている事にはならないだろう。
指摘に真昼は顔を上げた。
うっすらと上気している頬は瑞々しい果実を思わせ、ついかじりたくなる。
流石に噛み付いたら怒られそうなので内心に留めておきつつ、どこか揺らいでいるカラメル色の瞳を、まっすぐに覗き込む。
「……キスしてもいい?」
急にしたら腕の中でもがきそうなので先に許可を取ると、真昼は頬の淡い赤らみを一気に濃くして、視線を泳がせる。
ただ、リビングでのやり取りを思い出したのか、おずおずと頷いた。
元々キス自体は嫌いではないらしい真昼は、周にすべて任せるようにきゅっと瞳を閉じる。
ただ未だに慣れてはいないのか、少し体を強張らせている。
びくびくとした様子の真昼に小動物のような可愛らしさを感じて吐息に微かな笑みを乗せた周は、刺激しないようにゆっくりと閉じた唇に自分のものを重ねた。
真昼はどこもかしこも柔らかくて瑞々しい。
それは唇も同様で、きっちり保湿された唇はふにふにと柔らかく、自分のものよりも潤っていた。
その上ほんのりと甘さを感じるのは、真昼本体から滲み出る甘さなのかもしれない。
薄紅の唇を軽く啄みつつ、柔らかさをゆっくりゆっくり堪能していく。
周の唇が真昼の唇を撫でて食む度にびくびくと体が震えるが、逃げたり嫌がったりはしないので、受け入れてくれているのだろう。
(……かわい)
口付けながら真昼の顔を見れば、くすぐったそうにしたり心地良さそうにしたりと、悪くない反応が見える。
恥ずかしがりつつもキスは好きなようなので、周も心置きなく出来た。
流石に唇を舐めた時は分かりやすく体を揺らしたが、ねじ込まずにただ甘さを味わうだけに留める周に安心したのか、体から力が抜ける。
へにゃり、と体も表情もふやけた真昼が可愛らしくて、また唇を啄んだ。
たっぷりと真昼の唇を味わっていると、真昼がもう限界だと言わんばかりに掌で胸を叩く。
ストップがかけられたので素直に唇を離すと、真っ赤になった真昼が少し息を荒げながらこちらを睨んでくる。ただ、とろけたような瞳は直しきれなかったのか、眼光は鋭さの欠片もなかった。
「っな、ながい、です」
「……駄目?」
「だ、駄目、じゃ、ないですけど……っ」
むしろ気持ち良さそうに受け入れてくれていたので、調子に乗ったのだ。嫌そうならしていない。そもそも嫌なら真昼は逃げる。
つまり、真昼が受け入れた時点で嫌な訳がないのだ。
「……一言言っていいですか」
「何だ」
「ずるいです」
「何が」
「な、何でそんな……お、お上手に」
「……真昼の反応見てたら、いいか悪いかくらい分かるし」
周が余裕そうに見えたらしい真昼がやや眉をつり上げるが、周としては、余裕がある訳ではなかった。
そもそもキス自体数える程度しかしていないので、真昼の反応を窺いながらゆっくりと確かめていたのだ。結果的に確かめなくとも真昼は周にされるだけでへにゃへにゃととろけていたのだが、それでも注意しながら口付けていた。
ちゃんと気を付けながらしていた、という意味で言ったのだが、真昼は目を丸くして、それから火がついたように顔が赤くなる。
「き、キスしてる最中も観察してたのですか!?」
「え、うん。どんどんふやけて可愛かったし……こういう仕方だと気持ちいいんだなって分かって嬉しいし」
「……っ」
観察されていたのが恥ずかしかったのか、真昼はべしべしと強めに周の胸を叩く。
といってもびくともしないので、やはり本気ではなさそうだ。
「……そ、そういう事、言わないでください。ばか」
「気持ちよくなかった?」
「……し、幸せですけど、言わせないでください」
「言わないと分からない事もあるしなあ」
「か、からかってますね……もう、もうっ」
「いて、いてて」
ぽこぽこと叩かれるので、流石にこれ以上はからかえなかった。いや、からかったつもりは周にはないが、真昼はからかいに受け取っただろう。
「……意地悪しないでください」
「ごめん。……機嫌直してくれ」
頭を撫でると、真昼がほんのり恨みがましげに周を見上げる。
「撫でていたら機嫌を直してくれるという風に思ってませんか」
「直りませんか」
「……直りますけど、誤魔化されませんからね」
「そりゃ残念」
肩を竦めてみせる周に、真昼はむすーっと不機嫌そうな表情を浮かべて、周の胸にもたれる。
「……ぎゅっとしてくれないと、拗ねます」
「仰せのままに」
結局のところ、真昼は怒っているというよりは、優しく甘やかしてほしかったようだ。
うりうりと頭を押し付けてわざとらしく怒ってる「風」を演出しながら周に寄りかかる真昼に、周も望んでもない事だと真昼を抱き締めた。
今度は、優しく、包むように。
丁寧な手つきで真昼の背を撫でながら抱擁する周に、真昼は胸にしばらく顔を埋めた後、緩慢な動作で顔を上げる。
数分ぶりに見た顔は拗ねている訳ではなさそうだったので、少し安堵した。
「……周くんは、たまにいじわるです」
「いじわるというか……愛でたかっただけなんだけどな」
「普通に愛でてくださいよ」
仕方ないなあ、と言わんばかりの声で注意した真昼は、背筋を伸ばして周の首に腕を回す。
そのまま周に口付けた真昼は、固まった周に「私からもしないと不公平ですので」と囁く。
その悪戯っぽい笑みと声に、周は苦笑して真昼の首筋に顔を埋めた。
「真昼こそ、そういう時にほんと破壊力高いの理解してくれ」
「周くんばかりさせるのはずるいんですもん。……もう、くすぐったいですよ」
真昼からされると途端にうろたえてしまう自分が居て、それをどうにか誤魔化すために真昼の首筋に口付ける。
息を吸えば、何とも言えないほんのりとミルクのような香りがした。
ボディーソープは同じものを使ったので、この匂いは真昼本来のものだろう。
「……すごくいい匂い」
「保湿のためにボディーミルク塗ってますから、それでしょうか」
どうやらボディーミルクの香りだったようだが、真昼本来の香りもある気がする。
何もしなくてもふんわり甘い香りがする彼女は手入れに余念がないようで、肌の保湿までしっかりしているようだ。
「これ以上すべすべもちもちにしてどうするんだ」
「塗って他にも色々気を付けてるからすべすべもちもちが保てるのです」
「女の子って大変だなあ……よくそこまで頑張れるよな」
「……それはその、私のためですから」
「まあそうだな。自分磨き好きだよな、女の子はおしゃれするの好きだもんな」
真昼は元々おしゃれだし着飾るのは好きらしいので、周と付き合わずとも美に対する拘りが消える事はなかっただろう。
そもそも、周は女の子が男のためにおしゃれをするなんて幻想を抱いている訳ではない。自分のためにしているというのは理解しているので、真昼の言葉にも頷けた。
ただ、真昼はそれだけではないらしく「……それも、あります」と小さく返す。
「それも、って事は他にあるのか」
「……ですから、その。……触り心地がいい方が、いいでしょう?」
「まあそりゃ自分の体だからな」
自分の体に一番触れるのは自分なので、触り心地がいいに越した事はない。
「そ、そうじゃなくて……周くんが触った時」
そう思っていたからこそ、真昼の言葉に「へっ」と間抜けな声をあげてしまった。
「……周くんが触った時、カサカサで幻滅されるの、やですし……すべすべもちもちしてた方が、触ってる方もいいでしょう?」
「……そ、そう、だな」
まさか周に触られる前提があったとは思わず、分かりやすくうろたえてしまう。
真昼は真昼で真っ赤な顔になりつつも言葉を取り消すつもりはないのか、周に抱き付く力を強めつつぷるぷると震えていた。
「……か、勘違いしないでくださいね。周くんのためというか、自分のためというか……その、周くんにいっぱい触って欲しいのは、私の願いなので……」
周にいっぱい触って欲しい、という言葉に、周は反射的に真昼ごと倒れ込むようにベッドに転がった。
きゃ、と可愛らしい声がこぼれた唇を塞げば、微かな唸り声が隙間から滴り落ちる。
それも吸い取るように唇を割って内側に潜り込んでしまえば、声は掠れてか細く甘いものになった。
どうしていいのか分かっていないのか、ただされるがままの真昼は、すがり付くものを探して手を動かす。
もぞりと動く手のひらを手のひら同士合わせるように握れば、安堵したのか体の強張りをといた。
というよりは、周に翻弄されて訳が分からなくなってふやけた、といった方がいいのかもしれない。
どうしてかひどく甘く感じる真昼をたっぷりと味わってから、唇を離す。
はぁ、はぁ、と短く荒い呼吸を繰り返しながら呆然と、そして甘ったるくとろけきった眼差しで見上げてくる真昼を見下ろして、瞳を細めた。
「……寝床でそういう事を言うとどうなるか、そろそろご理解いただけませんかね」
こっちも余裕ないんだが、と愚痴とも注意ともとれる呟きを落とした周に、真昼はこれでもかと顔を真っ赤にして掌で顔を隠す。
「俺は真昼に優しくしたいし大切にしたいのは分かってくれるよな。時間をかけてゆっくり慣れていきたいのも、分かってくれるよな?」
周は真昼が好きで、真昼を大切にしたいし幸せにしたい。
そう思っているからこそ、手を出しても嫌がらないと分かっていても我慢していた。水着で密着しても理性は千切らなかった。寝床でいい雰囲気になっても押し倒さなかった。
それなのに、真昼のたった一言で、危うく全部忘れて真昼を自分で満たしてしまうところだった。
真昼が悪いというよりは周が堪え性がないのが悪いだろうが、スイッチを踏むような事をしてほしくない。
優しく、しかし抑えきれない熱をたっぷりと瞳や声に込めて言い聞かせると、真昼は掌で顔を覆ったままこくこくと頷いた。
「よろしい。……急にごめんな、怖かったろ」
「こ、怖い、というか、びっくりした、し、すごく、どきどきしました」
流石に、真昼も急なフレンチキスは驚いたらしい。未だに耳まで真っ赤であるし、顔を見せてくれそうにない。
「……周くん」
「うん」
「……つ、次からは、その、もう少し……激しくない方向で、お願いします」
嫌だとは言わず、むしろ次を受け入れるつもりらしい真昼に、周は無言で真昼の顔に張り付いた手のひらを剥がす。
案の定熟れた林檎のような頬をしている真昼に、もう一度唇を重ねた。
お望み通りに優しく、丁寧に真昼を可愛がる。
先程は衝動のままに深い口付けをしていたが、今回は奥で縮こまっている真昼を宥めるように優しく触れる。愛おしい、という気持ちをたくさん込めての口付けは、真昼を先程よりもずっととろけさせた。
ゆっくりと唇を離して見下ろせば、顔が緩んでふやけた真昼が息の荒さに涙を滲ませながらほんのり睨んでくる。
「……今しろって言ってません」
「……したかった、じゃ、駄目?」
「……いいですけど、自分でさっき気を付けて欲しいって」
「俺は気を付けてした」
「……もう」
ばか、と拗ねた声音が聞こえたが、照れ隠しなのも知っているので周は小さく笑って、真昼の横に転がった。
枕元にあったリモコンで照明を消してから密着すると、華奢な体が微かに震えたが、真昼は恥じらうだけでむしろ自分から周の胸に顔を寄せてくる。
「大切にしてくれて、ありがとうございます」
「……ん」
幸せを確かに滲ませた囁き声に、周も穏やかに微笑んで、改めて真昼を包み込む。
いつかはこの先に進むのかもしれないが、今日はこれだけでよかった。衝動よりも大切にしたいものが、腕の中にある。
「……おやすみ」
「……おやすみなさい」
お互いに優しい声音で告げて、周は真昼を抱き締めたまま瞳を閉じた。





