186 一緒に入浴
「ごめんって」
周がもたれている浴槽の反対側に浸かっている真昼は、周の謝罪にむーっと口を閉ざして不服も露な表情を浮かべる。
あの後じっくりと背中を洗っていたら限界だったのか逃げられて、真昼が自分の頭を洗っている最中は口を利いてくれなかった。
最中どころかこうして洗うのを終えて湯に浸かった状態でも話してくれないので、些かやり過ぎたのだろう。
周から逃げるように反対側に三角座りで入浴している真昼は、持参したらしい湯船に浮かぶアヒルを周に向けて何匹も勢いをつけて送って軽くぶつけてくる。
いかにも機嫌が悪いですよ、というアピールをしてくる真昼に、周も頬をかいた。
「ごめん、本当にやり過ぎた」
「……優しくしてくれませんでした」
「反応が可愛くてつい背中を触りすぎました、申し訳ありません」
「耳を弄ばれました」
「それも可愛くてつい……って弄ばれたって人聞きの悪い」
「耳を食んでたでしょう。反省してください」
「それは反省してます」
流石に弱点の耳を弄られて、洗う最中はずっとびくびく震わせていたので、申し訳なさはある。上気した頬に涙目で見上げられると、どうしても止まれなかったのだ。
「……意地悪な人は、やです」
「申し訳ありません。その、とびきり優しくするので機嫌を直してくれませんか」
やり過ぎたので、残りの時間はたっぷり甘やかすと決意して告げると、真昼はまだ不本意そうに頬に空気を残していたが、おずおずと周の方に移動してくる。
どこにいこうか少し悩んだのか視線をさ迷わせたが、何かを決意したらしい真昼はそのまま周の足の間に腰を下ろした。
そのまま周の胸に背中を預けてわざとらしく唇を尖らせた姿を見せた真昼に、周は小さく笑う。
「椅子としてお使いくださいませ、お嬢様」
「よろしい。……周くんのばか」
最後に少しだけ拗ねたように囁いて、気を取り直したように周にもたれる。
「……私ばっかり意地悪されて不公平ですので、私から周くんに何かしてやります」
「何をするのかな」
「それが困るのです。周くんってあまり弱いところないですから」
「まあ、真昼みたいに全身弱点ってほどでもないし」
「そ、そんなに弱くないです。周くんが触るからあんな風になるだけで」
周だけに、という光栄な言葉を送られて、つい口許が緩む。
(可愛い事言ってる自覚がないんだよなあ)
自分にだけ弱みをさらして弱くあるというのは、信頼と愛情がなければない事だ。周だからこそ、というのは、非常に心地がいいものだった。
「……なんか、周くんは余裕そうでずるいです」
「別に余裕はないよ」
「本当ですか? 態度が余裕なのですけど」
体ごと振り返ってぺたりと胸に頬を寄せる真昼に、周は小さく笑う。
表情は取り繕っているし湯船に浸かっているが故の赤らみで誤魔化せているが、心音だけは誤魔化せないだろう。
平常よりも速い鼓動に、真昼はパチリと瞬いて顔を上げる。
「だから言っただろ。……余裕なんてない」
初めての彼女であり周の唯一と一緒に入浴しているのだ、何も思わない訳がない。触れたいと思うし、何なら覆いを剥ぎ取ってしまいたいとも思う。
しないのは、真昼を傷付けたくないし、将来的な事も考えて今すぐにするのは得策ではないからである。
それがへたれと樹に言われる由縁なのだろうが、慎重に慎重を重ねてゆっくりと着実に進みたいのは周の性格的なものなので、仕方ないだろう。
「……てっきり慣れて余裕が出来たものかと」
「出来るかよ。触りたいし色々したいけど我慢してるだけです」
「い、色々」
何を想像したのか、ぽっと顔を赤らめる真昼に苦笑して頭を撫でようとしたら、真昼はじいっと周を見つめる。
それから、また周の胸に背中を預ける形で腰を落として、浴槽の縁に置いてある周の腕で自らを包むように引っ張った。
図らずも包み込むように抱き締める体勢になって固まった周に、真昼は振り返って、恥じらいに満ちながらもどこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……少しなら、いいですよ」
「……左様で」
「足りないと?」
「いいや、充分すぎるよ。……それでは、失礼」
許可をもらったので、自ら力を込めて真昼を抱き締めた。
ほっそりとした肢体を腕や体で感じながら、ゆっくりと息を吐く。
すぐ側のつむじに顎を乗せれば「あまり体重かけないでくださいね」と小さな笑いと共に囁かれる。
分かってるよ、という返事の代わりに軽く細い肩をぽんぽんと叩くと、くすぐったそうな吐息がこぼれた。
「……あったかいですね」
「そうだな」
「周くんの懐は、落ち着きます」
「どきどきはしてくれないんだ」
「どきどきは前提で、ですよ」
「どきどきしてる?」
「してますよ、いつだって」
流石に触るのはまずいし、そもそも真昼が鼓動を早めているなんて、前から知っている。彼女は積極的になったかと思えばすぐに恥ずかしがって縮こまってしまう姿を見せてきているので、その度に心臓は跳ねているだろう。
素直に現状をこぼした真昼に笑って、密着するように少しだけ体を前に倒す。
真昼は逃げるでもなく、ただ少しだけ恥じらうように震えた。
「……こうしたら、もっとどきどきしてくれるかな」
「し、しますけど、その……」
「その?」
「……どうせなら、もっとぎゅっとしてほしいです」
耳まで真っ赤にしてか細く呟いた真昼は相当恥ずかしかったのか、俯いている。
あまりに可愛らしいおねだりに血液が一気に熱されたのを感じつつ、周は恋人のいじらしい願いを叶えるようにそっとお腹に手を回して更に密着するように体を寄せた。
びく、と真昼が震えた理由も分かるが、こればかりはどうしようもない。
「……これでいい?」
「……はい」
「今なら離してあげられるけど」
「いい、です。……周くんに包まれたいです」
何とも可愛い事を言ってのけた真昼は、鳩尾の辺りに回した周の腕にそっと触れる。
「その。……別にね、触られるのが嫌という訳ではないのです。むしろ、周くんに触られるのは、すき。かといって、積極的に……そういう事をしたいという訳では、ないのです。……矛盾してますか?」
「……いいや」
真昼の言いたい事は、何となく分かる。
彼女としては、仮に周に何をされようが受け入れるつもりだろう。ただ、それはそれとして自ら結ばれる事を望んでいる訳ではない。触れ合って互いの温もりや感触を味わいたいだけ。
周も、勿論欲求としてはあるが、こうして触れ合っているだけでも充分満たされる。
好きな相手と穏やかな時間を過ごせるだけで、存外幸せで一杯だった。
「……別に、俺だって積極的に何かしたい訳じゃないよ。こうして抱っこしてるだけでも充分」
「本当に?」
「……まあ、キスくらいはしたいけど」
これでもいいが生殺しには変わりないので、それくらいは許して欲しいものである。
ただ、真昼はキスという言葉に体を微妙に強張らせた。
「……それ、今じゃなきゃ、駄目ですか」
「嫌?」
「い、嫌じゃなくて……その、あ、周くんとここでしたら、のぼせそうで」
周くん最近キス長いじゃないですか、とこぼした真昼に、そんなに長くしてたかなと今までを思い出して考え込んでいると、真昼がぺしりと腕をはたく。
「……とにかく、あがったら、です」
「仰せのままに。今日はたっぷり甘やかせばいいんだろう?」
「甘やかすというかぐずぐずに溶かす気満々だと思うのですけどっ」
少し語気を強めた突っ込みに「ばれたか」と笑えば、不満げにぺちぺちと繰り返し腕をはたいてくる。
ただ、本当に怒っているというよりは拗ねたポーズのものなので、周は真昼にばれないようにひっそりと笑って真昼をもう一度抱き締め直した。
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