148 買い出しと雨
後書きにお知らせと注意があります。
「周くん、どこいくのですか?」
玄関で靴を履いていたら、周が出かける用意をしていた事に気付いた真昼が声をかけてくる。
もう午後三時も過ぎ出かけるにはやや遅めの時間だから声をかけたのだろう。
「ん? ああ、近所のスーパー。母さんにちょっと買い物頼まれた」
周とて出かけたくて出かける訳ではない。
先ほど周のスマホにメッセージが届いたのだ。今日は夫婦揃って帰宅が遅くなるから買い出しに行く時間がないので必要なものを買っておいてくれ、と。
別に暇していたのでいいのだが、それは朝に言って欲しかったところである。
周の言葉に納得したらしい真昼が「なるほど」と返し、それからスニーカーの紐を結んでいる周の隣に膝立ちになる。
髪が跳ねていたのかせっせと手櫛で整えてくれているのが、玄関の壁に置いてある鏡や感覚で分かる。
「買い出しなら私も行きましょうか?」
「いや、荷物は少ないし雲行き怪しいしちょっと急ぐから。たいした事はないし、一人で大丈夫だ」
天候的にあまり外を悠長にうろついていると降ってきそうであるし、幾ら日差しが陰りを見せているとはいえこんな暑い中うろつかせたくはない。
どうせ買い出しが終わればすぐ帰るのだから一人の方が早い、と思ってのお断りだったが、真昼が「……そうですか」と気落ちした様子を見せたので、周は慌てて真昼を見上げる。
「あ、いや行きたくないとかではなくてだな」
「わ、分かってます。ただ、一緒にお出かけしたかったな、と」
「……また今度デートするから、な?」
お出かけならまた二人でするつもりであるし、そもそも女性には外出は支度が必要なので今すぐ出かけられる訳ではないだろう。
そっと手を伸ばして頭をくしゃりと撫でると、真昼は軽く目を瞠った後小さな笑みを浮かべて「はい」と頷いた。
「じゃあ、帰り待ってますね」
「おう」
納得したようなので周も軽く頷き、鞄を持って玄関を出た。
結果として、真昼は連れて行かなくてよかった、と周は痛感していた。
「……はー、やっぱ降られた」
雲行きが怪しいとは思っていたが、案の定空から雨が次々と滴り落ちて、周の服は濡れて行きよりも一層濃い色になったし、重い。体に張り付く布地が煩わしくて、服をつまんで軽く空気を入れる。
幸い購入品は濡れても問題ないようなビニール包装のものだったので被害は周だけなのだが、家に着く頃にはすっかり濡れ鼠になってしまった。
「お帰りなさい周くん。雨、結構降っちゃいましたね」
ぱたぱたとスリッパの音をたてて小走りで玄関にやってきた真昼が周を見て目を丸くしている。
まさかここまで濡れているとは思わなかったのだろう。周も、まさかここまで雨足が強くなるとは思っていなかったのだ。
「ただいま。多分通り雨だとは思うけど思ったより強かった」
「帰るまで天候が保ってくれたらよかったんですけどね……。とにかく、一度お風呂に入った方がいいですよ。用意出来てますから」
「ん、ありがとな」
周の手から当然のように自然にスーパーの袋を受け取って微笑む真昼に、ほわっと胸が暖かくなる。
なごんだと言えばいいのか、幸福を感じたと言えばいいのか。当たり前のようにこうしてやり取りをしている事に、家族のような雰囲気を感じてくすぐったさも覚えた。
「……なんかいいなあ」
「え?」
「お風呂用意してこうして出迎えてくれるっていいなって」
両親は共働きなのでこういったシーンを見せる事は実はあまりなかったりするのだが、漫画やドラマでよくあるシーンであり、ひそかに羨ましいなと思っていた。
家庭を持った幸福を擬似的ながら味わえて、無性にこそばゆく、それでいて春の日差しのような暖かさが胸に染み渡ってくる。
生涯大切にしたい相手とのやり取りだからこそ、こんなにもえもいわれぬ幸福を覚えているのだろう。
微かに頬を赤らめてたじろぎつつ縮こまった真昼に小さく笑いかけ、「じゃあありがたくお風呂入ってくる」と声をかけて、横をすり抜ける。
柄にもない事を言ってしまったかもしれない、と思いながらも、上機嫌に緩む頬は止められなかった。
風呂から上がれば、真昼がリビングでソファにちょこんと座って待機していた。手にはドライヤーがある。
洗面所にもドライヤーはあるが、周がドライヤーをかけずに出てくる事を見越して用意周到さを見せたらしい。
「湯上がりの冷房ってたまらんなあ」
「涼しいですけど、冷えて風邪引きかねないのが難点ですね。……ほら、そこ座る」
「別にいいんだけどなあ」
「放っておくと風邪もそうですが髪も傷みますから」
つべこべ言わずに座る、と言われたので大人しく真昼の隣に座れば、真昼は入れ替わりのように立ち上がってソファの後ろに回り、ドライヤーのプラグを入れている。
そのまま周の後ろに立ってタオルで水分を取っているが、なんというか、やはりくすぐったい。感覚的というよりは精神的に。
「周くんはこういうずぼらなところは直らないですよね。たまに風呂上がりに上を着ずに出るし」
「暑いし……冬はちゃんと着てるから」
「そりゃあ寒いですからね。でも、暑いからと言って上を着ないのは湯冷めして風邪引く元になるから駄目です。私の目が黒いうちは許しませんよ」
真昼の瞳はカラメル色だ、とか、一生側に居てくれるつもりなんだな、とかいう内心は飲み込み、素直に「気を付けます」とだけ返してされるがままになっておく。
なんだかんだ、世話を焼かれるのは心地いい。真昼には申し訳ない気持ちになるが、それでも真昼にこうしてタオルで水分を拭き取ってもらうのはいい気分だった。
丁寧な手つきで粗方水分を吸いとった真昼は、しっかり用意していたドライヤーで周の髪を温風にさらす。
日頃から髪の手入れに気を付けている真昼の手つきはお世辞抜きに心地よかった。
あまり髪を触られるのは好きではない周としては、乾かされる事が気持ちいいと思うのは真昼が初めてだ。そもそも真昼に髪を触られるのは好きなので、単純に触られる人を選ぶという事なのかもしれないが。
「周くんって大した手入れしてなさそうなのにさらさらなのがずるいです」
ドライヤーの音に紛れるように、小さな呟きが聞こえた。
「そうか? まあ、真昼ほど丹念に手入れはしてないけど。真昼のは苦労してそうな分すげえさらさらでつやつやなんだよな」
真昼の絹のように艶やかで指通りのよい髪は、見るだけでさぞ手入れに手間がかけられているのだろうなと思う。
よく触るので分かるが、真昼の亜麻色の髪はまっすぐで柔らかくて細く、非常に触り心地がよい。
枝毛もない天使の輪を完備したキューティクルばっちりなストレートヘアーは誰もが羨むような美しさで、よく長いのに艶を保てているなと感心しきりである。
「長いので時間かかるのが厄介ですけどね」
「まあそれだけ長ければ時間もかかるよなあ」
「いっそ切ってしまいたいと思う事もありますけどね。……周くんは、短いのと長いの、どっちが好きですか」
「特に好みはないっつーか……どっちも可愛いと思うけど。真昼がおしゃれして楽しんでるのを見るのが好きだから、真昼が好きな長さで居てくれるのが嬉しいかな」
そもそも、女性は男性のために見た目を整えているとは限らないし、髪だって好きで伸ばしている女性が多い。
仮に周の一言で真昼の髪型が変わるというならば、好みに合わせようとしてくれて嬉しく思う反面、複雑だ。
周は真昼が好きにおしゃれをしている姿を見るのがいいと思うし、真昼ならどの長さでも可愛いので真昼が思うようにしてほしい。周の言葉でねじ曲げたいとは思わなかった。
「……そういうものですか」
「じゃあ、真昼的に俺はどんな髪型がいいとかあるのか」
「周くんならどんな髪型でも好きです」
「だろ。そういう事だ」
「……はい」
振り返りはしなかったが、後ろではにかむような気配と笑い声がした。
回答は間違っていなかったようだ。
嬉しそうに周の髪を乾かしていた真昼だが、ふと髪を梳くように乾かしていた指の動きが止まる。
「……でも」
「ん?」
「濡れた髪をかき上げた周くんは、すごく」
「すごく?」
「……色っぽいというか……かっこいいと、思いました」
こうしてほしいというのではなく単純に感想を洩らしただけだろうが、真昼の呟きに周は小さく唇に弧を描かせる。
「やろうか?」
「い、いいです! しんじゃいます」
冗談めかして提案すればぶんぶんと首を振っているらしく周の髪に触れた手にまで振動が伝わってくる。
きっと、今真昼の頬は赤らみをみせているだろう。
それが見れない事を残念に思いつつ、周は軽く笑って後ろで照れているらしい真昼の表情を想像するに留めておいた。
レビューいただきました、ありがとうございます(´ワ`*)
以前にもここの後書きでちょろっとふれさせていただきましたが、『腹ぺこな上司の胃をつかむ方法~左遷先は宮廷魔導師の専属シェフ~』の発売日が5月10日に迫っております。
男性主人公の一対一両片想いほのぼのラブコメファンタジーですので割と天使様がお好きな方は好みに合うんじゃないかなあと勝手に思ってますのでご興味があればご覧いただけたらと思います!
もう一つ。
Twitterで開催してますお隣の天使様応援コメントキャンペーンの締め切りが5月7日の午後十二時となっています。
天使様の帯にあなたの情熱的なコメントを掲載! のチャンスですので、よろしければご参加ください。
そして最後に。
あまり強くは言いたくないのですが、以前にも後書きで言った通り感想欄は作品の感想を書くところであって、感想で会話する場所ではありません。感想に感想で返すのは控えてください。これ以上続くようでしたらこちらで対処させていただきますのでご了承下さい。
いがみ合わずまったりしてほしいのが作者の本音です。まひるんのイラスト可愛いから見てなごもうぜ。
どうぞよろしくお願いいたします!