144 寝起きの爆弾
朝起きれば腕の中に真昼が居て、一瞬固まった。
すぐに昨日一緒に寝たと思い出して口から音をこぼす事はなかったが、それでも寝起きの心臓への負担は変わらない。どっ、どっ、と体の中で大きく音をたてる心臓に息苦しさを感じるが、真昼の安らかそうな寝顔を見ると心臓も少しずつ穏やかな拍動を取り戻していく。
深呼吸して落ち着きつつ、改めて真昼の寝顔を眺める。
周の二の腕に頭を乗せて規則正しい寝息を立てている真昼は、見とれそうなほどに可愛らしくてあどけない。
安心しきっているのか幸せそうに頬が緩んでいて、寝ているのに穏やかな笑みを浮かべているような印象を抱かせた。
(……ほんと、無防備で可愛い)
天使の寝顔と言っても過言ではない。天使の名に恥じない美しさと清楚さがあった。
本人に言ってしまえば恥ずかしがってしばらく拗ねそうなものだが、あくまで内心で留めているために好きに思える。今なら呟いても気づけないだろうが。
可愛いなあ、としみじみ思いながら眺めつつ、暇している片方の手で優しく真昼の頭を撫でる。
天使の輪を完備したキューティクルばっちりのサラサラした髪を優しく梳きつつ、若干痺れている枕代わりの腕を起こさないようにそっと動かして体勢を少しだけ変えておく。
この寝顔を鑑賞出来るなら、腕の痺れなんて安いものだろう。
起きる気配のない真昼に小さく笑いつつ、下ろされたまぶたにそっと口付けた。
微笑みにも似た寝顔をさらす真昼を飽きる事なく眺めていると、扉の方からノックの音がする。
「周、起きてるかい」
控えめにかけられた声は、父親のものだ。
(どうしたものか)
おそらく起こしにきたのだろうが、周がここで返事をすれば真昼が起きてしまいかねない。
折角こんなにも安らかに眠っているのに起こしてしまうのは可哀想であるし、周としてはもう少しこの寝顔を眺めていたい。
かといって、返事がなければ起こしに入って来るだろうから、どうするべきかと悩んでいたのだが――結論を出す前に、扉が開いた。
扉の向こうから見慣れた父親の姿が見えて頬をひきつらせる。
対して、修斗は周の居るベッドの方を見て、目を丸くした後に「おや」と小さな笑みが浮かんだ。
ああこれ志保子に伝わって後でからかわれるやつだな、と一瞬で悟った周は、諦めて頬をひきつらせながら人差し指を口の前に立てた。しー、と声を出さなくても、言いたい事は伝わるだろう。
理解力の高い修斗は周の仕草一つに頷きを見せ、それから微笑ましそうにこちらを眺めてひらひらと手を振って静かに部屋を出ていった。
僅かに扉が軋む音と控えめな足音が遠ざかるのを確認して、周は音をたてないようにため息をつく。
(勘違いされていなければいいんだけど)
恋人が二人ベッドで寝ていた、なんてあらぬ勘違いを招くだろう。全く手を出していないし触れるだけのキスだけという非常に健全な関係だが、両親はどこまで進んだのかなんて分かる筈がない。
いや、修斗なら情事の跡なんて全くないと分かるだろうからそこまでは邪推されないかもしれないが、それでもやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
後で追求されるのは覚悟しつつ真昼の髪を撫でていると、もぞりと腕の中で華奢な体が身じろぎする。
むしろ、元々規則正しい生活をしている真昼がここまで起きなかったのが珍しいかもしれない。
「……ん」
小さく喉を鳴らして温もりを求めるように周の胸に顔を埋め直している真昼に無性に愛しさを覚えつつも、流石に衝動のままに抱き締めたら完全に覚醒させてしまうので、頭を撫でるに留めておいた。
もう冷房は切れている筈なのだが、真昼は周から離れず頬を擦り寄せている。冷え性なのかと足先に自分の足先を触れさせれば周よりひんやりとした体温が伝わってきたので、やはり冷え性なのかもしれない。
それなら昨日の冷房は寒かったよな、と反省しながら真昼を温めるように足を絡めてそっと背中に手を回して温もりを直接伝える。
一緒の温もりを分かち合えたら幸せな気がして、柔らかな体を包み込んで優しく触れていたら、今度は大きく身じろぎをして、真昼がゆっくりと顔を周の方に向けた。
とろり、と音をたててしまいそうなくらいにとろみと湿り気を帯びたカラメル色の瞳は、周の顔を見てもまだぼんやりとしている。
表情もどこかふやけたような眠たげなもので、余計に幼さが強まっていた。
「ごめん、起こしたか?」
眠たげな真昼に微笑んでまた頭を撫でると、またふにゃりと瞳を閉じて、今度は心地良さそうにされるがままになっている。
完全に寝ぼけてるな、と思いつつ、それならそれでと半覚醒の真昼を可愛がるように頬を沿うように指を動かすと「んむぅ」となんとも可愛らしい声が漏れていた。
(……寝起きだと割と甘えん坊だよなあ真昼)
寝起きだとゆるゆるな真昼が愛らしく、ついつい愛でるように眺めて触れていたのだが、流石に五分ほどすればまどろみから意識が引き上げられた瞳がぱちりと開く。
起きたな、と確信した周が「おはよう」とわざと頬にキスしてみると、面白いほどに硬直した真昼が見られる。
「……え、あまねく……? な、なんで」
「覚えてないのか? あんなに暑い夜を一緒に過ごしたっていうのに」
どうやら寝起きで頭が回りきっていないので、語弊のある言い方をしてみる。
ちなみに嘘はついていない。熱い夜ではなく気候的に暑い夜だが。実際は冷房で冷えていた、というのは言わないでおく。
夜を一緒に過ごした、という言葉に真昼は「え、えっ」と上ずった声で周を見て、それから自分の格好を確認していた。
多少服は着乱れているかもしれないが、いかがわしい事をした痕跡は全くないだろう。実際していないのだからあっても困るが。
「冗談だけどな。……してないよ、何も」
「は、はい……」
「まあ頬にキスくらいはしたけど。さっき」
おはようのキスくらいなら許容範囲だろう、と笑えば真昼は真っ赤になっている。小さく「朝から刺激が強すぎます」なんて呟きがこぼれていたので、ひっそりと笑った。
「……すっかり安心して寝てくれていたみたいだけど、よく眠れたか?」
ようやく頭が完全覚醒したらしい真昼を抱き起こしつつ問いかけると、真昼は周の腕の中で恥ずかしそうに瞳を伏せる。
「……その、周くんの腕の中が、落ち着いて」
「ドキドキはしてくれないのか?」
「そ、そりゃあしますけど……でも、落ち着きます」
今はドキドキしてますけど、と呟きつつ周の背中に手を回した真昼に、周は喉を鳴らして笑って真昼の顔を覗きこむ。
「そんなに落ち着くんなら、なんなら毎日一緒に寝るか?」
「そ、それは、そのっ」
「冗談だよ」
真昼がうろたえるのは知っていて言ってみたので、別に本気にしてもらわなくていい。
周としても、毎日一緒に寝る、なんて事になったら理性が死にそうだ。今でさえ割とギリギリの所で留まっているのに、毎日横で寝るようになったらその内手を出しそうで怖い。
冗談で収めておかないと身がもたない、と自分の理性を信用しきらないように自分自身に言い聞かせておくのだが、真昼が俯いている事に気づく。
からかいすぎたか、と真昼を宥めようと背中を軽く叩いた時に、彼女は周を見上げるように顔を上げた。
顔は、薔薇色に染まっている。
「……っ、た、たまに、なら」
そう小さく上ずった声で呟かれて、周は一瞬頭が真っ白になった。
たまになら。
つまり、お泊まり自体は嫌でない、という事だ。周の隣で寝るのは、いいという事。
「本気で言ってるのか?」
「こ、こいびと、なら、お泊まりくらいしても……いいのでは、ないですか」
「……そ、そうだけど、さ」
そう言われたら何も言い返せない。
高校生同士の恋人なんて、お泊まりは普通にするものだ。むしろ周達はかなりスローペースな方だろう。
樹達もよく千歳の家に泊まっているし、なんなら周達がまだまだ届かないような事までしている。
ただ、問題として、お泊まりと言われたらそういう事をちょっとでも期待してしまう。男のサガであり、彼氏としてある種当然の期待を抱いても仕方がない。
周が何を考えたのか察したらしい真昼があわあわと顔をこれでもかと真っ赤にしていて、若干涙目で周を見つめる。
「その、別に、そういう事を望むのではなくてですね。……周くんと一緒に居る時間が長くなるの、嬉しいから……」
「……おう」
「……いや、ですか」
「嫌な訳ないだろ。むしろ嬉しいというか」
不安げに見上げられたので強く否定したが、微妙に本音が漏れた。
恥ずかしそうに震える真昼に反省しつつ、内側からせりあがってくる欲求を飲み込んで、真昼の頭を撫でる。
「……ま、まあ、また今度、な」
「は、はい」
「ほら、そろそろ支度するか。真昼も着替えるだろうし」
「そ、そうですね」
とりあえずこの話題は一旦終わりにする事にした。これ以上考えてたら色々と活動に支障が出そうだ。
深呼吸して落ち着きを取り戻そうとしつつ真昼を離せば、真昼は羞恥からかそそくさとベッドから降りて、振り返る。
どうかしたのか、と思った瞬間に、一気に彼女の距離が詰まった。
ふわりと香る甘い匂いと、唇に触れた柔らかい感触。
どちらもすぐに離れて、代わりに柔らかくなびく亜麻色の髪が頬を擽った。
「さっき周くんがいっぱいからかったので、仕返しです」
そう、恥ずかしさをこらえた風な赤らんだ顔で告げて、髪を翻して足早に部屋を後にしていく。
周はそれを見届けて、そのままもう一度ベッドに寝転がった。
(落ち着くまで当分出られないんだが)
意外にも真昼が大胆な事を痛感しつつ、周は体から熱が引くまで天井を眺め続けた。
昨日はたくさん感想ありがとうございました(´∀`*)
書きたいシーンを書けたので満足してます。お砂糖は盛るもの。





