141 散歩と邂逅
「今日は二人でお出かけするのよね?」
朝四人で朝食の席についたところで、思い出したように志保子が口にする。
先に出かける事を伝えたのは失敗だったと、微笑ましそうにしている志保子と修斗の反応で思い知らされた。
ただ茶化すつもりはないらしく「家にこもりきりだと退屈でしょうし」とあっさりした態度だった。
「まあ、別にどこかに遊びに行くっていうよりは軽く散歩になるけど」
「まだ外出してなかったので楽しみです」
ここに来てから三日間、真昼は初日に修斗と買い出しに行った程度であとは家で過ごしていた。両親が構っていたというのもあるが、不馴れな地をうろつく訳にもいかないからだろう。
両親が連れ出すかと思いきや家でまったりする事を選んだので、案内くらいは周がしようと思ったのだ。
「ほんとにこの辺公園とかスーパーしかないぞ? 市街地に出れば別だけど出るか?」
「いえ、周くんとお散歩だけでもいいですよ。一緒に歩くだけで、幸せです」
「……そうか」
分かってはいたが、真昼は出かける場所を楽しみにしているのではなくて、お出かけする行為そのもの――もっといえば、周と過ごす時間を楽しみにしてくれているようで、胸がじわりと熱を滲ませた。
表情からも純粋に周と共に居るだけで満足だと伝わってくるので、嬉しいやら気恥ずかしいやらで視線が若干下辺りをさまよってしまう。
「なんというか、既に恋人通り越してるよねえ」
「私達の若い頃もあんな風だったわよね」
「いや、志保子さんは椎名さんみたいに落ち着いてなかったよ?」
「あら手厳しい」
「そんな志保子さんが可愛かったんだけどね」
「まあ」
照れる志保子とナチュラルに褒める修斗に、朝から熱いなあという感想を抱きつつ放置して、志保子作のオムレツを頬張る。
普通に美味しいが、やはり真昼の料理がいいと思ってしまうのは、料理の腕以上に真昼の料理だからであろう。真昼の料理にすっかり親しんでしまった周には、志保子の料理では少し物足りないと思ってしまうのだ。
また今度朝ご飯をお願いしよう、と考えつつ真昼を見てみたら、真昼は憧憬と羨望と爪の先ほどの羞恥を混ぜ込んだような眼差しで両親を見ている。
何を考えているのかは何となく分かって、少しだけ周も恥ずかしくなった。
(……流石にここまでは無理だけど)
それでも、仲の良い、真昼の思い描いているものになれたらいいし、なりたいと思っていた。まだ、本人には言えないが。
いつになっても仲睦まじい両親を改めて眺めて、周はいつかの未来を想像してひっそりと頬を赤くした。
「じゃあ行こうか」
両親が仕事に出てしばらくして、周はソファに座っていた真昼にそう切り出した。
まだ午前中ではあるが、そう遠出するつもりもなく、ゆったりと近所を散歩する程度なので昼前でも問題ないだろう。昼には家に帰って真昼がカルボナーラを作る予定であるし、そう長くは外に居ないのだ。
「はい。私は準備出来てますから」
「まあ準備っていっても散歩だから大して手荷物とか要らないんだよなあ。……市街地に出るのは、また今度のつもりだし」
「……で、デート、ですか?」
「デートデート。今日は息抜き」
流石にいきなり明日デートしようと言っても女性には準備があるだろうから、今日はあくまでただのお出かけのつもりだ。デートという言葉の意味的にはデートかもしれないが、互いに気合いが違う。
折角なら一日丸々出かけたいし、今日のはただ一緒に歩くだけにしておく。
また今度デートという事に真昼は喜びを隠しきれていない。ふにゃっとご満悦そうな笑みが浮かんでいる。
「デート、楽しみにしてます」
「ん。プラン考えておくからほどほどに楽しみにしておいてくれ」
「周くんと一緒ならどこでもいいって言いましたけどね」
「知ってるけど、折角ならもっと喜んでもらえるところがいいだろ」
真昼が一緒に居るだけで満足するというのは本人も言っているし表情からも窺えるが、それはそれとして喜ばせたいのが彼氏としての気持ちである。
「ま、来週の話だな。今は普通に散歩しようか」
「はい」
手を差し出せば当たり前のように握られる。
それが面映ゆくて、小さく笑って気恥ずかしさを誤魔化しつつ手を引いて家から出た。
一年ほど帰っていなかったとはいえ、そうそう自宅周辺が変わる訳でもなく、やや懐かしい気持ちになりつつ見慣れていた道を歩く。
その間も手を繋いでいるのだが、休みの学生と思わしき少年少女達が通りすがる度に羨ましそうに真昼を見るので、少しおかしくて笑ってしまう。
それだけ真昼が美人という証左なのでよい事ではあるのだが、惹き付けられている人の多さが面白かった。
「何で笑っているのですか」
「ん? 真昼は美人だからなあ。人目を惹くな、と」
「周くん以外に見惚れられてもどうしようもないですけど」
「俺が見惚れたら?」
「……好きなだけ見せてあげますよ?」
からかうように悪戯っぽく笑んだ真昼に「じゃあ家で存分に見ないとなあ」と周も笑い、手を引いて近くの公園に入る。
この公園は比較的広いし自然も多いので、近所の人間の憩いの場となっている。
大きめの砂場では子供達がきゃーきゃー高い声を上げて砂遊びをしているし、ジャングルジムに併設された滑り台では順番に滑って遊んでいた。親達は近くのベンチで見守っていたり、子供達と一緒になって遊んでいる。
何とも日常的で微笑ましい光景に、二人して小さく笑う。
「みんな元気ですね」
「俺らそんな元気ないからなあ。もうあんな風に走り回れないわ」
「周くんそもそも走るの好きじゃないでしょう」
「いや、走るのは普通だぞ。体育でペース決められて走らされるのが嫌いなだけだ」
体育が嫌いな人間あるあるだが、体を動かすのは嫌いでなくても人目があったり決められた動きを要求されるのが嫌いという人が居る。
周もそのタイプで、自分一人で好きなペースで運動するのは比較的好きだ。体育が嫌なだけで運動そのものはそこまで嫌いではない。
「じゃあ子供達に混ざって遊んできます?」
「不審者の出来上がりじゃねえか。それに、真昼置いていきはしないさ。真昼、スカートだから走れないししゃがめないだろ」
「そうですね。……でも、ちょっといいなあって思いますよ。私、小さい頃ああやって遊んだ事ないので……」
一人で庭で遊んでいたので、と小さく付け足した真昼に、周は小さな掌を改めて握る。
「……今は流石に遊べないけどさ。その、何だ。……いつか、遊ぶ機会が出来たらと思うよ」
「え? は、はい……?」
よく分かっていない風な真昼だが、周としては残念な反面まだ気付かなくてもいいと思っている。
また、高校を卒業する時にはちゃんと言うつもりなので、今は気付かないでもいい。ゆっくりと、真昼に家族について考えてもらえばいい。
おそらく、断られる事はない、と思う。
首を傾げた真昼に笑って誤魔化して、周は優しく手を引いて公園をゆっくりと歩く。
なるべく日陰をゆっくり歩きつつ、花壇に咲いた花を眺めたり、木々の隙間から通り抜ける爽やかな風を楽しんだり、非常にゆっくりな時間を過ごす。
大分歩いたので休憩がてら自動販売機で飲み物を買って、側の木の陰で落ち着く。
「そういえば、真昼はもうすっかりうちに慣れたよな」
スポーツ飲料を飲んで一息ついたところで真昼に聞いてみれば、唐突な話題にぱちりとカラメル色の瞳が瞬いて、それから緩んだ。
「そうですね、ありがたい限りです」
「むしろ俺より馴染んでる」
「そ、そうですか?」
「馴染んでる馴染んでる。最早実家レベル」
藤宮家に元々居たと言われてもしっくりくるくらいに真昼は藤宮家に馴染んでいるし可愛がられている。もちろん、家族三人がかりで可愛がっているのだが。
周を抜いても両親が目に入れても痛くないというレベルで可愛がっているので、真昼は安心して過ごしているようだ。
「うちに来て楽しんでるか?」
「はい。ふふ、ほんと藤宮家に来て楽しい事ばかりですよ。修斗さんも志保子さんも、よくしてくださいますし」
「俺より可愛がられてるからな」
「周くん、拗ねちゃ駄目ですよ」
「拗ねてない。真昼が居るし」
「……はい」
いずれは、藤宮家を構成する一部になってもらえたら、なんて思っている身としては、周の放置され具合はともかく真昼が快く受け入れられている状態は喜ばしいものだった。
そもそも、真昼が居たらそれでいいし、真昼が周の腕の中に戻ってくるのは見えているので、志保子達に構われようが問題はない。二人の時間が少なくなるのは、やや複雑ではあるが。
真昼は周の言葉に照れたようで周の二の腕に額をくっつけて顔を隠していて、そんなしぐさも可愛いなあと頭を撫でようとする。
「……藤宮?」
かけられた声に、撫でようとした手が止まる。
気付けば、近くに人の気配があった。二人で話す事に夢中になっていたから、人の接近に気が付かなかったのだ。
一度動きを止めた周が手を下ろして声のした方を向けば――ある意味で、懐かしさを感じさせる男の姿があった。