136 久し振りの実家
車を飛ばす事三十分、周達からすれば移動時間二時間程かけて、藤宮家にたどり着いた。
割と大きめの一軒家が、周達の目の前に建っている。広いのは書斎があったり広めのキッチンを備えていたり空き部屋があったりとするからなのだが、真昼的には思ったよりも広かったらしく目を丸くしている。
「大きいですね」
「あらありがとう。うち広めに作ってるのよねえ。ほんとは娘がほしくて部屋多めにしたんだけど、世の中ままならないものよね。……真昼ちゃんが来てくれてもいいのよ?」
「え、あの、その」
「母さん、真昼をからかうなよ、困ってるだろ」
「あらあら」
明るい笑顔を浮かべているが、真昼の反応ににやにやしている節がある。
真昼は恥ずかしそうに俯いているので、余計に志保子の楽しい妄想の糧になっている。周の本音としては、それは妄想で済ませるつもりがなかったりするのだが、流石に志保子には言えない。
「ほら、暑いんだからさっさと中に入ろう」
「はいはい。仕方ないわねえ」
「何が仕方ないんだよ……」
笑みが収まる気配がないのはもう諦めて志保子の背中を押すと、志保子が実に愉快そうに笑いながら家の鍵を開ける。
中から足音がするのは、志保子達が帰って来た事に修斗が気付いたからだろう。
「お帰り」
家に足を踏み入れれば、予想通り修斗が待っていた。
「ただいま修斗さん。真昼ちゃん連れてきたわよー」
「椎名さん久し振りだね」
「ご無沙汰してます。お元気そうで何よりです」
真昼も修斗とも会うのは半年強ぶりなので、やはり緊張している様子だった。志保子は真昼にフランク、フレンドリー、いや押せ押せで接しているためあまり距離を感じさせないのだろうが、修斗には距離を感じてしまうのだろう。
修斗は真昼がややかたい様子な事に気付いて気さくな笑みを浮かべている。
「こんなおじさんに畏まらなくても大丈夫だよ」
「いえそんな……」
「父さんの見かけだとおじさんに見えないのが問題なんだよなあ」
「おや嬉しい事を言ってくれるね」
実際、実年齢に見合わない容姿をしているのが自身の父親だ。
三十代後半とは思えない若々しい、言うなれば童顔の父親はまず初見で年齢を当てられる事はない。
「周も少し見ない内にいい顔になったね」
「たかが半年で変わるか?」
「うん。男らしくなったというか、自信がついたように見えるよ。格好も堂に入ってるしね」
真昼と歩くという事でよそ行きの格好をしているのだが、前はあまり自信がなかったように見えていたのだろう。実際自信がなかったので、今自信がついている状態がよく分かったらしい。
それを見抜かれるのは微妙に気恥ずかしく、唇を閉ざすと修斗がくすりと小さな笑みを浮かべる。
「じゃあ志保子さん、家の案内を任せてもいいかな。私はまだもてなしの準備があるから」
「はぁい。じゃああがってちょうだいな。狭いところだけどゆっくりしていってね」
「いえ、そんな事は……。お邪魔します」
ぺこ、と律儀に頭を下げて靴を脱いだ真昼に続いて、周も靴を脱ぎスリッパを履く。
周は勝手知ったる我が家なので案内は要らないが、志保子が真昼に余計な事を言ったりしたりしないか見張るためについていくつもりである。
修斗がダイニングに戻っていくのを見た志保子は「こっちよー」と階段の方に手招きをした。
寝室と客室は基本的に二階にあるのでそちらを案内するつもりだろう。
周も自室に行って届いている荷物を軽く開ける予定ではあるが、少し考えてみて客室がどこにあるのかを思い出して何とも言えない表情になる。
(……去年見た時物置になってない部屋って一つしかなかったんだが)
ベランダが繋がっているその部屋は、本来もう一人子供が生まれた時ように作られていたらしい。結局子供が授かる事はなかったので使われないままであるが、部屋の内装だけは整えられていて誰かが泊まれるようになっている。
今ではあまりこないが、従兄弟達が長期休暇に遊びにきた際使う部屋でもある。
別に何をする訳でもないが、異性を行き来出来る部屋に泊めていいものなのかと少し胃が痛くなった。
「じゃあ真昼ちゃん、部屋はここ使ってね」
案の定周の隣の部屋に案内されていて、そっとため息をつく。
「お部屋を用意していただいてありがとうございます」
「いいのよーそんなの。二階はお手洗いがそこで、真昼ちゃんの隣の部屋が周の部屋ね。ベランダ繋がっててごめんなさいね」
ベランダが繋がっている、という言葉にぱちりと瞬きした真昼に、ばつが悪くなって目をそらす。
「ちゃんとベランダの鍵は閉めとくからそっちも閉めとけよ」
「そ、それは心配してませんよ」
「あら、青少年としてそれでいいのかしら」
「俺を犯罪者にするつもりか」
「同意があればいいのよ?」
「しない」
周の返事に「あら残念」と冗談なんだか本気なんだか分からない感想をこぼして、小さく笑った。
「じゃあ私もお昼の準備してくるから、二人は荷物の確認をしていてね。真昼ちゃんのも、もう部屋に運んでるから」
「はい、ありがとうございます」
「いえいえ。じゃあまたあとでね」
微笑んで階段を降りていった志保子の背中が見えなくなるのを確認して、盛大にため息をついた。
「ごめん、この部屋しか空いてなかったんだと思う」
「い、いえ、大丈夫ですよ?」
「そりゃ付き合ってるからいいけど、付き合ってなかったらまずかったろ。母さんは知らない筈なのにさあ……ったく」
「大丈夫ですよ。それにその……ベランダ繋がってるなら、一緒に星を見られますし」
小さくはにかんだ真昼に、寝込みを襲われる心配はないんだなあと苦笑しつつ、一緒に夜を過ごしたいと願ってくれた事にじわじわと喜びが湧いてくる。
「……まあ、また都合のいい時にな。ほら、荷物片してこい」
「はい」
照れ隠しに告げた言葉に真昼は気付いているのかいないのか、くすくすと楽しそうに笑って宛がわれた部屋に入っていった。
二週間一緒の空間で過ごすという事を今更ながらに実感して、周は掌で顔を覆うように掴んで自室に足を踏み入れた。
お昼は真昼の歓迎という事で、修斗の手料理が振る舞われた。
修斗も真昼のように何でも作る事が出来るタイプで、志保子が食べたいという事で本日のメインはパエリアにしたらしい。
そういえば専用の鍋があったな、と思い出して我が家も割と調理器具があるという事を思い知った。
勿論パエリアだけではなくてビスクや魚介類のたっぷり入ったサラダやらが並んでいた。
どれも勿論おいしかったし真昼も純粋に喜んでいたので、真昼視点でも修斗の料理の腕前は高いようだった。
「うちの息子が迷惑かけてないかい?」
食べ終わって一息ついたところで、修斗が真昼に切り出す。
ちなみに志保子は後片付けを担当しておりこの場にはおらず、キッチンから響いてくる洗い物の音で存在を感じさせた。
修斗の言葉にぱちりとまばたきをした真昼は、すぐに首を振った。
「迷惑……いえ、そんな」
「そこは正直に世話させられてるって言ってもいいんだぞ」
「……周くんと過ごすのをいやとか迷惑だと思った事はありませんから。いつも楽しくさせてもらってますよ」
「そうかよ」
淀みなく言われてはそれ以上何も言えず、つい素っ気ない口調で返してしまう。
「周も照れてないで礼くらい言ったら良いのにね」
「……いつも感謝してる」
「はい、知ってますよ」
真昼にも照れ隠しは見抜かれているらしく鈴を転がすような声で笑っていた。
それがまた恥ずかしくて唇をもぞもぞと動かしては止めるの繰り返しをして、更に笑われるのだからどうしようもなかった。
後で覚えてろ、と真昼を見ても美しい笑みをたたえているだけで、言葉が効いた様子がなかった。
我慢出来ずにそっぽを向けば修斗にまで笑われた。
「素直じゃないねえ、本当に。そこが周の可愛いところなんだけどね」
「男に可愛いとか馬鹿にしてるのか」
「確かに周くんは可愛いですよ」
「真昼、後でじっくりお話ししような」
「はい。また後でお話ししましょうね」
にこやかに言われて、ぐうの音も出なかった。今日の真昼は地味に手強い。てっきり緊張しているかと思えば、もう打ち解けているように見えた。
単純に周とのやり取りだけこうして慣れた様子を見せているのかもしれないが。
周と真昼のやり取りを面白そうに眺めていた修斗だったが、なにかを思い出したように大きく瞬きをする。
「あ、そうだ椎名さん。よかったら一緒に買い物に行かないかい? 志保子さんから頼まれたものがあるんだ」
「何連れ出そうとしてるんだよ」
今回は真昼に掌の上で転がされているので不服そうな声になってしまった周に、修斗は変わらない笑顔を浮かべた。
「志保子さんみたいに連れまわしてきゃっきゃうふふみたいな真似はしないよ?」
「そりゃ知ってるけどさ」
「周はお留守番ね」
「何でだよ!?」
「そりゃあ昔話するのに本人居たら邪魔だからねえ」
「邪魔とか言いやがったな!?」
「うん」
さらりと頷かれて言葉に詰まった周をスルーして、修斗は真昼を見る。
「おじさんとお出かけするのはいやかな?」
「いえ、そんな事は。私でよければ」
「じゃあ行ってくれるかな。ついでに志保子さんのプレゼントも一緒に選んでほしいな」
承諾を得たとにっこり微笑んだ修斗の言葉に、真昼は困惑していた。
「ぷ、プレゼントですか。何か記念日でも……?」
「父さんよく母さんにプレゼントしてるから。何でもない日に」
修斗は非常に女性に優しくまめな男であり、特に愛する妻である志保子には特に何か記念がある訳でもない時にでも贈り物をこまめにしている。
日頃の感謝と愛情の証と志保子さんの喜ぶ顔が見たいから、というのが修斗の談で、実家に居た頃は周も買い物に付き合う事があった。
今回は女性視点からの物事を見るために真昼を誘ったのだろう。おそらく周の話をするというのが大きな目的ではあるだろうが。
「……周くんは修斗さんに似たんですね」
「俺はそこまでやってないけど」
「ぬいぐるみとか可愛い小物見つけたら買って渡してくるじゃないですか」
真昼が喜びそうだったり似合いそうなものはつい買ってしまうのだが、それは好きだからというのもあるし、真昼には日頃世話になっているお礼というのも兼ねている。
修斗に似ているといえばそうなのかもしれないが、頻度はそう高くないとは思う。
「いやまあ真昼には日頃から世話になってるし」
「……そういうところですよ?」
言い訳じみた声で返した周に真昼は呆れたような、それでいて嬉しそうな悪戯っぽい声で笑った。
修斗も微笑ましそうにこちらを見てくるので、周はやっていられないとばかりに雑な動作で立ち上がって後片付けをしている志保子の所に手伝う名目で逃げるように向かった。
「あら周、どうしたの」
「……手伝いに来た」
「あら、ありがとうね。でも真昼ちゃんと話してなくてよかったの?」
「真昼は今から父さんと一緒に買い出しに連れ出される予定だから」
ちらりとリビングを見れば、二人で笑いながら出かける用意をしている。
行動が早いのは、周が若干ふて腐れているのを見抜いた修斗が冷却期間を用意しようとしたからだろう。我が親ながら人の心の機微を見抜きすぎてたまに怖くなる。
「ああ、買い出しに行ってくれるのね。修斗さんも真昼ちゃんに聞きたい事とかあっただろうし、いいんじゃないのかしら」
「何聞くつもりなんだよ……」
「そりゃあ普段の様子とかじゃないの? 私は修斗さんの事全部知ってる訳じゃないしねえ」
周に洗って火にかけて乾燥させたパエリア鍋を手渡すので、素直に調理器具が置かれている棚に戻しに行く。
その間に真昼と修斗がリビングを出ていたので、背中が消えていった扉をやや恨みがましげに見てから、洗い物を続けている志保子の所まで戻って洗った食器を拭いて同じく棚に戻す。
真昼ともよく協力してする作業なので手慣れていると自負するのだが、志保子は周の手際に目を丸くしていた。
「すっかり周も動きがこなれてきたわねえ」
「そりゃどうも」
「真昼ちゃんにさせてばっかりじゃなさそうで安心したわ」
「俺どんだけクソみたいな男なんだと思われてたんだよ……」
流石に真昼に全部させるほど厚顔無恥な男ではない。
真昼にさせてばっかりでは申し訳なさが先にたつ。
料理という重労働をしてもらっているのだから、周が出来るような事は周がするべきだし、気遣うべきだ。
手伝うなんて何を当たり前の事を、と瞳を細めて志保子を見れば、感心した様子のまま「……ねえ周」と呼び掛けてくる。
「なんだよ」
「真昼ちゃんとどこまで行ったの?」
「ぶっ」
まさか今その質問が飛んでくると思わず吹き出した周に、志保子は平然としながら皿を洗い終えた。
反射的に受け取ってタオルで水分を拭き取るものの、動揺は隠しきれず眉間が狭まっている。
「なんで動揺してるのよ。明らかにお付き合いしてるような感じの雰囲気醸し出してるじゃない。流石に隠しきれないわよ」
それを言われれば否定出来ない。
初詣の時とは、周と真昼の間で漂う雰囲気は違う。交際しているから当たり前ではあるが、なるべく両親の前では隠しているつもりだった。
結局のところ見抜かれているので、無意味だったのだが。
「……悪いのかよ」
「いいえ? むしろ娘としてきてほしいくらいだからウェルカムよ」
「……そうか」
「あんなに視線とか空気でいちゃついてるからてっきりもう全部済ませているのかと思ったけど」
「ばっ! んな訳あるか!」
とんでもない邪推に眉尻を吊り上げるが、志保子には悪びれた様子がなかった。
「……母さん、そういうの真昼に言うのはやめろよ」
「流石に真昼ちゃんには言わないけど。でも、私としては娘がほしいんですもの。期待しちゃうわ」
体の事情でもう子供を授かれない母が娘を欲しがる気持ちも分かるので責めきれず、口をもごもごと動かすだけに留める。
「……真昼にプレッシャーかけるなよ」
「分かってるわよ。だから周に引き留めておいてもらわなきゃねえ」
「俺が本当に欲しいものを離すと思うか?」
昔なら、真昼が幸せなら相手が自分でなくてもいいと離れるつもりではあったのだが、今はもうそんな事は言えない。
狭量になった、と言えばそうなのかもしれないが、真昼を大切にして離さない気持ちが強まったとも言える。真昼を幸せにしたいし、他の男なんて眼中に入らないくらいに惚れさせて大切にして離さないようにしたいと思っていた。
なので、真昼が目移りするような隙なんて与えるつもりはなかった。
きっぱりと言い切った周に志保子が一瞬呆気に取られて、それから愉快そうに喉を鳴らして笑う。
「ふふ、そういうところも修斗さんに似てるのよねえ。修斗さんは今も昔も変わらず愛してくれてるし」
「俺は父さんみたいに天然たらしな所は継いでないから」
「どうだか。真昼ちゃんに聞いてみましょうか」
「おいやめろ」
そんな事を真昼に聞いたら真昼は天然で恥ずかしいエピソードを漏らしそうなので、全力で阻止しなくてはならない。
やめろと睨んでみせるが志保子には効いた様子がなく、上機嫌に「真昼ちゃんが帰ってくるのが楽しみねえ」と実にのんびりした口調で告げる志保子に、周は更に眉を寄せるのだった。
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