114 天使様と朝のひとこま
洗面所の鏡には、あまり見慣れない自分が映っている。
制服姿なのはいつもの事なのに、首から上がいつもの自分ではない。かといって全く見ないかと言えばそうでなく、時折真昼に見せる姿で、私服でない事に対して違和感があるという事だ。
視界に全くかからなくなった黒のカーテンをちょいちょいと指先で弄りながら調整する。
女子と違って化粧の必要がないのがいい事ではあるが、それでもこうして念入りに整えるのはあまり慣れなかった。
「……周くん」
背後から、声がかかる。
鏡越しに登校の準備を終えた真昼が洗面所に居る周を呼びにきたのが見えた。
振り返って彼女の顔を見れば、ほんのりと彼女の顔が曇っている。
「どうかしたか?」
「……嫌じゃないですか?」
「何がだよ」
「……その髪型」
「ああ、その事か」
ややためらいがちに切り出された言葉は、周を心配するものだった。
真昼には周がこの髪型で登校するのは拒否していた姿しか見せてこなかったから、こうして周が例の男と結び付くようになるのが不安だったようだ。
周としては、自分が望んだ事だし当然嫌ではない。
ためらいがないと言うのも嘘になるが、真昼の隣に堂々と立つ事を決めたのだから、真昼に恥をかかせない姿の方がいいだろう。
際立ってイケメンという訳ではないが、樹や門脇からは整っているとお墨付きなので問題ない程度。とりあえず真昼にセンスがないとか趣味悪いといった声は向けられないと思いたい。
「別に嫌じゃないよ。真昼は嫌か?」
「……嫌じゃないですけど、……ちょっとだけ、複雑です」
「複雑?」
「……独り占め出来なくなるなって」
もぞりと体を縮めていじらしい事を呟いた真昼が可愛らしくて仕方なく、小さく笑ってぼさぼさにならないように注意しながら真昼の頭を軽く撫でた。
「じゃあ今の内に独り占めしておくか?」
「……しておきます」
正直冗談のつもりだったのだが、真昼が素直に頷いて周の胸にくっついてくる。
まさか本当に頷くとは思わず、言い出したのは自分なものの多少たじろいでしまったが、それでも真昼の背中に手を回した。
頭一つ分は背が低いので胸板に顔を埋める事になった真昼は、周を離すまいとシャツの布地を掴んでいる。
ちらりとこちらを見上げてくる姿は、やはり心細そうな印象を抱かせた。
「……周くんはかっこいいから、他の女の子にたくさん話しかけられちゃいそうです。正当な評価は嬉しいですけど……」
「俺が真昼以外見るとでも?」
「それはないです。けど、心情的な問題です」
「やきもち?」
思わず聞いてしまうと、一気に頬を赤らめて、それでも素直に「はい」と肯定してぐりぐりと胸に額を押し付けてくる。
かなり照れているのか、亜麻色の髪から覗く耳まで赤く染まっていた。
「可愛いなあ」
「……ばか」
「大丈夫だよ。俺は真昼以外興味ないし」
やきもちをやかない理由にはならないだろうが、周にとって他の女性は恋愛対象として見ていない。ここに可愛いやきもちをやく最愛の女性が居るのに余所見する訳がないのだ。
そもそも、周は極親しい人間以外は極論どうでもいいし興味がないので、見向きすらしない自信がある。
見かけがよくなったからと急に接近してくるような女性は、周の親しい身内枠に入れる筈がない。
「……それは知ってます。だから、付け入る隙がないくらいに私が周くん大好きとアピールします」
「ほどほどにしてくれよ。他人にあんまり真昼の可愛い顔見せたくないし」
「……周くんはすぐそういう事を言う!」
何故かぷりぷりと怒り出してしまった真昼に慌てて頭を撫でて宥めるのだが、真昼は背中に回した手でぽこぽこと背中を叩いてくる。
「周くんはナチュラルにそういう事言うから駄目なのです」
「駄目って」
「心臓に悪いです」
「それは俺の台詞というか……真昼だって、ナチュラルに甘えてくるから時々俺死にそうなんだけど」
寧ろ真昼の方がスキンシップも相まって破壊力が高い。
柔らかい体つきを否応なしに感じさせられるわ甘い匂いが漂ってくるわ甘くとろけた笑みを惜しみなく見せてくるわで、いつも周の心臓は駆けているくらいに早く鼓動している。
今だって、真昼の可愛らしさに心臓がばくばくと音を立てているのだ。胸に顔を埋めている真昼も気付く筈である。
「……不意打ちの方が破壊力高いですもん」
小さくぼやいた真昼が、ぎゅっと頬を胸板に寄せる。
「……でも、周くんがすごくどきどきしてるので、今日のところは納得しておきます」
どうやら周が心臓を高鳴らせている事にご満悦のような真昼がそう囁いて、周の胸に頬擦りする。
その仕草がまた可愛らしくて呻きそうになりつつ、平常心平常心と言い聞かせて、自分の中に生まれつつある衝動をごまかすように真昼の頭を撫でた。
真昼が充電し終わったのは、五分後の事だった。
薄く色づいた頬に僅かに潤んだ瞳の真昼を直視するのは非常に心臓に悪いのだが、本人が満足したらしいので周の感じているもどかしさは胸の奥に留めておく。
「じゃ、行くか」
時間に余裕は持たせているので、朝に多少スキンシップをはかっていても遅刻する事はまずない。
それでもそろそろ家を出ておきたいと声をかければ、心なしか肌がつやつやしている真昼が「はい」と笑みを浮かべている。
(俺は朝から疲れてるけど)
嫌とかではなく、寧ろ嬉しいからこそ、我慢してぐったりしているのであった。休みならこのまま真昼にやり返してぐずぐずに溶けるくらいに甘やかしたかもしれないが、学校なのでそれもままならない。
真昼は周の疲弊に気付いた様子はなく、気力がみなぎっている。
朝から色々と悶えて微妙に疲れつつも、嫌な疲れではないので苦笑し、真昼と一緒に荷物を持って玄関を出る。
初めて彼女と制服を着て玄関を出た事に妙な感慨を抱きつつ鍵を閉めて真昼を見下ろせば、ややそわそわとした真昼が見える。
手が、おずおずと周のシャツの裾を掴んでいた。
「……手、つなぐか?」
「はいっ」
どうやら正解だったらしくはにかんだ真昼に「可愛いなくそ」と小さくぼやいて、周は真昼のほっそりとした指に自分のものを絡めた。
作者もまさか二話かけて家を出てすらないとは思わなかった……(˘ω˘)
レビューいただきました、ありがとうございます(´∀`*)





