110 笑顔で不機嫌な天使様
「どういう事だよ藤宮」
案の定、午前の部が終わって教室に帰ったらクラスの男子に詰め寄られる羽目になった。
高嶺の花であり憧れの存在である真昼が、衆目の中周を大切な人として借りてきたのだ。男子的には心中穏やかでないのも分かるが、一気に詰め寄られても周としては困るだけである。
「ど、どういう事と言われてもだな」
「なんでお前椎名さんと!? 大切な人って」
「つーかいつから!」
「全然接点なかったよな!? ご飯食べ始めたのもつい最近だろ!?」
「どこだ! 椎名さんはお前のどこがよかったんだ!」
「全く理解できん!」
矢継ぎ早に言われて、周は最早答えるのを諦めかけていた。
正直問い詰められるのは予想していたものの、想定以上に男子から質問攻めにされていて昼ご飯を食べる時間なんてないくらいだ。
当然男子だけが反応している訳ではなく、女子は質問には参戦しないが値踏みするような視線と愉快そうにしている視線、そしてどこか安堵したような視線を投げてくる。
おそらく、真昼という、女子にとって最大のライバルのような存在が周に好意を寄せている、という事によるものだろう。
値踏みするような視線は、あの真昼が想いを寄せる相手がどんな人間なのか、というものだ。
クラス中から視線を集めている周は早々にグロッキーな気分になっていた。
ちなみに樹と門脇は男子達の勢いに少し離れた位置で「あーあ」と苦笑しているし、千歳は微妙にわくわくした表情でこちらを見守っている。早く助けてほしかった。
「あんまり彼をいじめないでくださいね」
一番最初に助け船を出したのは、もう一人の渦中の人である真昼だった。
スポーツドリンクを買ってきていたからか教室に入るのが遅れたらしく、手にはやや暑くなってきた気温のせいで汗をかいたスポーツドリンクのペットボトルがある。
周と視線が合えば、柔らかく微笑まれる。
そのせいで男子から殺気が飛ばされるので、ストレスマッハだった。
「昼休憩なのにご飯が食べられなくて、周くんが困ってますよ?」
親しい人の間でしか使わなかった名前呼びをした、という事はもう隠すつもりもないという事だろう。
男女から視線を集めていても気にした様子のない真昼に痺れを切らしたらしい一人の男子……先程から周に強く詰め寄っていた男子が前に出て真昼に近付く。
彼が皆が聞きたい事を代弁しようとしているのを察した周囲が、彼に道を開けている。周への詰問も、今は止んでいた。
「椎名さん! 藤宮が大切な人って、」
「周くんは私の大切な人ですよ」
きっぱりと言い切った真昼は、相変わらずの微笑みを浮かべていた。
微塵も隙のない天使様の微笑を浮かべている真昼に一瞬たじろいだ男子だったが、周囲の視線の後押しもあったのか多少勢いは削げたが続ける。
「そ、それはその……こ、恋人という意味で」
「仮にそうだとして、あなたは私に何を言いたいのですか?」
「い、いやそれはその……その、もし、こ、恋人なら……なんで藤宮なんかと」
「藤宮なんか?」
「い、いや、その、ぱっとしない藤宮と椎名さんが付き合ってるとか、違和感あるなーって。もっといいやつとか居るし」
「そうですか」
これ真昼の地雷踏んだな、と周は遠い目をした。
真昼は周が自身を卑下する事を嫌っている。彼女曰く不当な評価をされるのは嫌だ、という事。
それはつまり、他人に卑下される事も嫌っている、という事なのだ。
周からすれば真昼から見えてる自分はともかく、素を見せない学校では大多数にパッとしない男と思われている事については否定しないし正当な評価だと思っている。
ただ、真昼がその評価を許容出来るのかといえば、別だ。
真昼が浮かべた笑みは変わらない。
ただ、まとう雰囲気がやや硬質なものになっている。
「いやあの」
「どこがパッとしないのですか?」
「え、その」
「具体的にどこがパッとしないのか述べてくれますか?」
「ふ、雰囲気とか、顔とか」
「あなたは好きな人を顔で選ぶのですか?」
「い、いやあの」
「今後長い付き合いをするかもしれない相手を、あなたは顔で選ぶのですか?」
ここまで、真昼は天使の笑顔を浮かべている。それなのに妙な圧力を感じてしまうのは、真昼が微妙に怒っているからだろう。
離れた位置に居る周がその圧力を感じているのだから、対峙した当人はもっと感じている筈だ。
流石に、真昼が微笑みながらも怒っている事を察してきたのだろう。
背中しか見えないが、若干身がすくんで居るのが分かる。
「そ、それは……」
「少しいじめすぎましたね。すみません」
圧力が消えて、困ったような柔らかい笑みになった。
ただ基本的に温厚でいつでもにこにこしている真昼を怒らせた、という事実に、対峙している彼は若干ふらついている。
「あなたの言葉を訂正させていただきますけど、周くんはかっこいいですし優しい人ですよ。物静かで温かい雰囲気も好きです。それに彼はすごく紳士的ですし、私を尊重してくれる素敵な人です。私が苦しい時は側で支えてくれる、思いやり深い人です。少なくとも、誰かの悪口を言ったり人の恋路を邪魔するような人ではありません」
付け足された言葉はとどめだろう。
つまり、絶対に目の前で周を悪し様に言ったあなたは好きになりえない、と宣言されたのだ。
「まだ何か言いたい事ありますか?」
可愛らしい笑顔で小さくこてんと首を傾げて続きを促す真昼に、もう限界だったらしい男子は「い、イエナイデス」と消え入りそうな大きさの片言で首を振り、ふらふらと真昼の前から退けた。
真昼の視線が、隔てるものなしに周に向く。
衆目の中ほぼ告白のような事を言われて顔を赤くすればいいのやら今後を考えて顔を青くすればいいのやらで戸惑う周に、真昼は今日一番の笑顔を浮かべる。
それは天使様の笑みとは全く違う、家で見せるような喜びに満ちた甘い笑顔だった。
「一緒にご飯食べましょうね、周くん」
「……おう」
もう、周に詰問するような男子は居なかった。
「とうとう言わせちゃったなあ」
「う」
午後の部開始から数競技後にある騎馬戦に向けて集まっていた周達だったが、門脇の呟きに周は言葉をつまらせる。
テントから離れた位置に居るのは、囲まれて向けられる視線が煩わしいからだ。
今でも向けられてはいるが、近場で向けられるものはこれの比ではないのでまだマシだろう。
門脇の言葉は、本来は「周から行くべきだったのでは?」という意味合いが込められているので、反論のしようがない。
「なんとなくは分かってたけど、そんなに椎名さんと藤宮って仲良かったの?」
どうやら薄々周と真昼の関係に変化を感づいていたらしい九重が不思議そうにしている。
「んー、少なくとも去年からよかったらしいけど」
「それ隠してきたんだね。まあ今日の昼の騒動見たら隠すのも頷けるよ」
やばかったもんね、と哀れみの視線を向けられる。
九重と柊も同じ教室に居たのだが、流石にあんなに囲まれて詰問されていたら到底近寄る事は出来なかったらしい。
まだ親交を深めきっていない二人なら正しい判断なのだが、樹と門脇は少しくらいこちらを助けてほしかったところだ。
「あれはすごかったな。見ていて女々しい男達だとは思ったが、椎名にバッサリ切られていたのでスッキリしたぞ」
「女々しいって言うかあいつらにとって衝撃的すぎただけだと思うけどな……」
「む、そうか? しかし、男なら好きな女子に正面切って告白すればよいだろう。それもせず追い縋ってあまつさえ藤宮を悪し様に言うのは女々しいだろうに。リスクを冒さずに欲しがるだけ欲しがり、手に入らないと見れば駄々をこねるのはもはや女々しいというより子供の所業だがな」
「うぐっ」
「一哉、一部が藤宮に刺さってる」
男なら正面切って告白しろ、というのは今の周にかなり突き刺さるものだった。
「まあ、俺から見ても藤宮はじれったいからなあ」
「あれは最早椎名さんからの意思表示だよね」
それくらい、分かっているのだ。
ここまでされれば、自分を誤魔化す事など出来ない。間違いなく好意を向けてくれていると断言出来る。
(……それくらい、分かってるんだ)
臆病で、もしも拒まれたらと脳裏をよぎるが故に目を逸らしていた、へたれな自分の事くらい、よく分かっている。
「藤宮は椎名が好きなのか?」
「一哉はそこからなんだ……」
「なら椎名に告白すればよいのではないか? あの態度なら椎名も藤宮を好いているように見えるが」
「……分かってるよ。あいつが踏み出したなら、俺も踏み出さなきゃいけないって事くらい」
ここまでさせておいて何もしないというのは男が廃るという事も分かっている。
真昼がまっすぐに好意をぶつけてくれたのだから、誠意を持って答えるべきという事も。答え自体はもうとっくの昔に出ているのだから、あとは伝え方の問題だった。
腹をくくった周に、柊の満足げな笑みが向けられる。
「うむ、その調子だ。とりあえず騎馬戦で相手を蹴散らす事からだな」
間違いなくこっちを狙ってくるぞ、と何故か嬉しそうに笑っている柊に苦笑する。
上に乗る側の九重はげんなりとした様子で「僕の負担大きくない?」とこぼしたが、本気で嫌がるというよりは仕方ないなといった声なので、少し安心した。
「藤宮も一哉を見習ったら? ちゃんと色々蹴散らしてよ?」
「善処する」
真昼に伸ばされる手を全部振り払って、彼女を自分だけのものにするくらいの男気を持つべきなのだ。
(とりあえず、家に帰ってからちゃんと言おう)
そのためにも、この午後の部を無事に乗りきらねば――と意気込む周に、三人は顔を見合わせて笑った。
夜に更新するかもしれないししないかもしれない。