101 天使様と抱き枕
(ほんとは入れようか悩んだお話)
目を開けたら、真昼のシャツが目の前にあった。
どうやらまた寝てしまっていたらしい。あまりの心地よさと幸福感に意識を飛ばしていたらしいが、どれだけ寝ていたのか分からないので正直内心ひやひやしている。
髪を梳く手は止まっていた。
恐る恐る体を起こすと、真昼はソファにもたれて寝息を立てている。
すぅ、すぅ、と穏やかな呼吸を繰り返している真昼に「無防備な」と呟きつつ時計を見て、頬をひきつらせた。
もうあと一時間すれば日付変更だ。膝枕してもらったのが諸々の後片付けを済ませた二十一時過ぎだったので、約二時間ほど膝枕してもらっていた事になる。
真昼が寝ているのも、時間的な問題と身動きのとれなさからだろう。
周を起こすのは忍びないとそのままにしてうっかり寝たに違いない。
男の家なのだからもう少し警戒してほしいが、そもそも膝で寝た自分にも責任がある。
どうしたものか、と真昼の寝顔を少し眺め、とりあえず先に風呂に入る事にした。
真昼は先に風呂に入ったらしいが、周は入っていない。
真昼を起こすにしても、今は寝かせておいて取り敢えず入浴すればいい。もしかしたら、風呂に入っている間に真昼が起きるかもしれない。
そう決めて、周はそそくさと部屋に戻って着替えを持ってくる事にした。
風呂から上がった周はリビングを確認して、そっとため息をつく。
相変わらず、真昼は眠りの海にどっぷりと浸かっているようで、ドライヤーの音にも起きなかったようだ。
「真昼、起きろ」
声をかけて軽く揺さぶってみるものの、起きる気配はない。本当に意識はないらしくずりずりと体が傾いでいくので、とりあえず真昼を支えておく。
ずっと膝枕させ続けて疲れたのかもしれないし、ただ眠くて寝たのかもしれない。とりあえず、彼女が起きそうにない事は分かった。
(なんか前もこんな事あったな)
確か年末だろう。うっかり寝た真昼に自分のベッドを貸し出した覚えがある。
今回もそのコースな気がした。
もう一度強く揺さぶって声をかけても、彼女は起きない。
小さく「ん」と甘い声が聞こえたが、これは声と言うよりは寝息に混じった喉の音に近い。
眠っている真昼が周を信頼して無防備な姿を見せるのは今に始まった事ではないのだが、それでいいのかと思わなくもなかった。
まったく、と悪態づきつつ真昼の頬をつつくが、やはり起きそうにもない。返ってくるのは滑らかな肌触りとふにふにとした感触だけだ。
しばらく真昼の頬を触って起きそうにないので、周はもうどうしようもなく真昼を抱える。
今は春なので、真昼に寝床を貸してその辺で寝ても体調を崩すほどでもないだろう。正直言えばそのまま真昼を抱えて寝たいが、翌日大変なので流石に実行には移せない。
自分でもへたれな男だと自覚しつつも嫌われたくはないので我慢するしかない周は、真昼を横抱きにしたまま自室のベッドに寝かせた。
真昼を横たえる前に先に寝床を整えていたので、あとは真昼に布団をかければそのまま寝る体勢になる。
「……明日は真面目に言い聞かせた方がいいかな。男の家で寝るなって」
周が後先考えない男なら、このまま襲ってなし崩しに関係を持つ事だって出来るのだ。
それをしないのは、真昼を大切にしたいのと襲うなどもっての他だという感覚があるからであり、安全性が保証されたものではない。理性が振り切れて手出しする、という可能性だってなきにしもあらずなのだ。
周の性格面による安全性と信頼だけでこんなにも無防備にするのは止めていただきたい所だった。
真昼は警戒心が高い分懐に入ると本当に甘い質なので、周には素の姿や無防備無警戒無邪気な面を見せる。理性的には何とかしてほしいものだ。
はぁ、とため息をつきつつ瞳を閉じる真昼の頬を撫でていると、もぞもぞと体が動いていた。
「……ん」
小さくか細い声が上がる。
繊細な睫毛に縁取られた瞼が重さを感じさせるゆったりとしたスピードで持ち上がり、カラメル色の瞳が焦点の合わないまま露になった。
ぼやー、とどこを見ているのか分からない眠たげな眼差しは、寝起き特有のものだろう。真昼は割と寝起き直後は思考が回っていないタイプなので、おそらく眠気で何が何だか分かっていなさそうである。
体を起こす事なくぼんやりと緩い表情を浮かべている真昼の顔を覗き込む。
「起きたか。俺が起きたらお前も寝てたからベッドに運んだけど、起きたなら家に帰れ。帰らないと、今晩の抱き枕にするぞ」
抱き枕にする程度で済ませる辺り自分でもへたれているな、とは思ったものの、襲うぞと言おうにも嫌がられて泣かれた時のショックを想像して到底言えそうにはないので仕方ない。
あと、若干願望が混ざっている。
寝ぼけている真昼を起こすように頬をぺちりとはたいて帰宅を促すのだが、真昼は相変わらずのぼんやりとした表情だ。
一瞬視線が周を通ったかと思えば、眠たげなのも隠そうとしない、というか寝る気満々に瞳を閉じて掛け布団に潜りだした。
「おいこら」
「……んー……」
普段の思考が回っている状態なら素直に聞いてくれただろうが、今の寝ぼけてお布団を求めている真昼には周の言葉も効果がなかったらしい。
周は頬をひきつらせつつ、危機感を煽るために同じ布団に入った。
彼女の隣に寝転んで布団の中で絶賛温もり享受中の真昼の頭を撫でる。覚醒を促すために強めに揺さぶれたらよかったのだろうが、眠そうな真昼を無理に起こせなかった。
「ほら、起きてくれ。マジで抱き枕にするぞ」
「……んぅ」
耳元で囁くと、いいともいやともつかない返事を返した真昼はそのまま身を周に寄せた。
突然の事に硬直する周なんて知った事かと言わんばかりにもぞもぞと身動きしていいポジションを探している。
しばらく芋虫の如くゆったりくねくねと移動した後、周の胸に顔を埋めた。
ここがちょうどよかったらしく、そのまま動きを止めて静かに寝始めている。
(何でこんな無防備なんだよ!)
本人は寝ぼけて分かっていないのかもしれないが、男の胸に顔を埋めるという事は簡単に腕に収まる距離と体勢だ。周が真昼に手を伸ばせば、周の宣言した通り抱き枕にする事も可能なのである。
心臓の音で起きてくれればよかったのだが、単に昂って脈が早い程度ではほぼ寝に入った真昼を起こす事はかなわなかったらしい。
すぅ、と小さな寝息が周の耳に届く。
「……勘弁してくれ……」
本当に襲われても文句の言えない無防備さに呻いて、くっついている真昼を見やる。
既に夢の中らしい真昼の穏やかな寝息に、もう笑うしかない。
(……本当に、こいつは)
無意識とはいえ、こんな風に周に全幅の信頼を寄せてくっついてきて、一緒に寝る事を許すなんて、普通ただ信じている男程度には許さないだろう。
ある程度の好意を持っている、というのは自覚していたが、もしかすれば周が望むような好意を多少なりと持っているのかもしれない――そう希望を抱いてしまう。
真実はどうなのか分からないが、現時点で少なくとも無意識であろうと周のベッドで寝る事に、周が居る事に、触れる事に、抵抗はない。
(都合のいい風に解釈してもいいのか)
内心で問いかけても、当然真昼から返事が返ってくる事はない。
ただ、穏やかに、幸せそうに眠る真昼の姿に、周はしばしの間葛藤して、そっと手を伸ばす。
身を寄せている真昼を更に密着させるように、背中に手を回して抱き寄せた。
「……宣言していたからな」
こぼした言葉は言い訳じみたものだったが、誰も咎めはしない。この場に居るのは、無防備極まりない子猫と、そんな子猫にやきもきする狼だけなのだから。
周は腕の中にある柔らかな体を堪能しつつ、躊躇いがちに前髪の上から額に唇を寄せた。
(……宿代と勉強代、という事で)
真昼の意識がない内にこんな真似をするのは卑怯だったかもしれないが、起きていたらこんな真似も出来ない。
好きな女性が何の防御もなく自分のベッドで寝ているのだから、むしろこれで我慢出来ている事を褒めて欲しいくらいだ。
変わらず静かに安心しきった風に寝ている真昼を眺めて、周は「このばか」と小さく呟いて瞳を閉じた。
レビューいただきました、ありがとうございます(´∀`*)
まひるんは寝起きゆるゆるです。