13走れ(走るな)
ここは日本のとある都市部、そのマンションの一室。
部屋の中で一人の少女が、ペットらしき
グレーの猫に―――
床に額をこすりつけて懇願していた。
「ね、ね。もう1回サービスショットを
お願いします。
多分おそらく絶対に何もしないから―――」
「私を認識してから飛び掛かるまで
0.5秒も無かったクセにどう信用しろと」
「あ、あれは選択肢が悪かったんですよ!
1/3の確率に文句を言ってください!」
―――前回の三択―――
1:取り合えず肉体で話し合う。
2:ここまで頑張ったご褒美だと思って有難く頂く。
3:神への供物なので、義務だと思って迎え入れる。
「だから全部GOサインしか出てねえんだよ。
どれ選んだんだよ」
「そ、そもそもですね。
何であの時、人間の姿になっていたんですか?
お風呂?」
「まあ、そうです。
猫の姿のままお湯を浴びると、
毛皮を乾かすのが面倒なんですよ。
人間の姿であれば、体はさっと拭けますし、
頭の部分だけ乾くのを待てばいいだけですので」
「へぇ」
「あと人間の姿にまだ慣れていないのか、
上手くしゃべれないんです。
それで、あまり姿を変えたくなかったという
理由もあるのですが」
「なるほどそうだったんですか。
じゃあ頭はアタシがドライヤーしてあげますから
今からさっそく」
「だから都合の良い部分だけ抜き出して
進めるなダ女神。
そろそろ、本編入ります」
│ ■バクシア国・首都ブラン │
│ ■高級青果店『パッション』応接室 │
「ザック・ボガッドって―――
執拗にアルプを狙ってたエロオヤジじゃない!
私の屋敷にまで来て……!
やけにアルプにご執心だと思ってたら、
母子揃って自分の物にするつもりだったのね」
商売に対する疑いが晴れた時の空気とは、
全く異なる雰囲気が、部屋の中を支配していた。
「典型的な『枠外の者』だな。
この街の有力者の一人だ」
「彼女が、アルプを置いて再婚するなどあり得ません。
何か汚い手を使って―――」
「私もそう思う。だが―――
こういった男女関係は証明が難しいのだ。
奉公労働者という身分を嫌って、
結婚という手段を取る者もいるだろう。
彼女が望んだ事だと言い張られたら、
どうしようもない」
シオニムは、あくまでも冷静に客観的に事態を語る。
「では、税金を肩代わりした分を返済してから
離婚させては―――」
「それが、一番現実的ですわね……」
マルゴット、バートの次善策に、眉間にシワを寄せたまま
シオニムが答える。
「奉公労働者の身分を嫌って結婚して―――
その後すぐに離婚。
そんな噂が流れたら、バクシアで二度と
取り引き出来なくなるぞ。
フラールでは商売にならないから、
ここに来たのではないのか?」
シオニムの問いに、マルゴットは言葉を詰まらせる。
なおも解決策を見出すために頭脳をフル回転させ―――
「そ、そうですわ!
再婚したのを、一人息子のアルプに
知らせないというのは極めて不自然です!
その事実を持って、書類の不備などを突けば―――」
「隣国とはいえ他国。
何らかのトラブルで、書類が届かない事も
十分考えられる。
それに―――
母親が、知らせたくないと言ったので
彼女の意思を優先させた、と言われたらそれまでだ」
マルゴットの言う事は、シオニムが返す通り―――
そのどれもが、容易に言い訳出来るように思えた。
「じゃあどうしろって言うのよ!?
こんな事―――
とてもじゃないけど、アルプに言えないわ……!」
マルゴットはそのまま机に突っ伏して頭を抱えた。
「とにかく、冷静になる事だ。
カッカした頭では、守れるものも
守れなくなるぞ。
―――取り合えずここでの商売を終える事だ。
彼の稼ぎなら、相当な利益が見込めるだろう。
『枠外の者』に対抗するならば、いくらあっても
困る事は無いはずだ」
マルゴットの代わりというように、バートレットが
会話を引き継ぐ。
「……そう、ですね」
彼の言葉の後に、髪を振ってマルゴットは頭を上げた。
「お見苦しいところをお見せしました……
―――まずはフラールに戻ってから、
改めて奪還の手はずを考えます。
爺、持ってきた金貨500枚は、
すぐにこの街の奉公労働者の解放に使って。
調査に充てている人員も総動員してください」
「全て、ですか?」
「今のアルプなら、その程度すぐに稼げます。
それと―――
『女神、フィオナ様の眷属が救いに来た』
この言葉と共に、解放を。
あと、母親の事は―――
彼には黙っていてあげて」
「……承知いたしました」
「ではこれで、私は失礼する。
私も一応、伝手を使って書類の不備などを
調べてみるが……
期待はしないでくれ」
シオニムが退出すると、残されたフラール国の
3人は―――
沈鬱な表情で、テーブルの上の果実を眺めていた。
│ ■高級青果店『パッション』店内 │
「き、金貨ってこんなに重い物、だったん、ですね」
(300枚以上ありますね……
無理せず、シオンを呼んだ方がいいのでは)
仕事が終わり―――
チップの入った袋を担ぐようにして、
アルプはよろよろと店の奥へ向かっていた。
「でも、お手数をかけてしまいますし……
それに、お、驚かせたくて」
(フフ、こういうところは、まだまだ子供ですね)
優しく笑いながら、アルプのする事を肯定するフィオナ。
途中、応接室の前を通りかかると、中から
話し声が聞こえてきた。
「あれ? マルゴットさんとバートさん―――
まだいるのかな?」
扉を開けようと静かに金貨を入った袋を下す。
ドアノブに手をかけようとしたその時、
彼の動きは止まった。
「……から、アルプの母は、今―――」
「―――ボガッドの屋敷―――がだろ?
でも―――だぜ?」
「―――の通りの、先―――
でもそこは―――て―――」
シモンの声も混じって聞こえてくる中―――
断片的にではあるが、アルプの耳は情報を把握していた。
母が、この街にいる事を。
そして、体は思うよりも先に走り出していた。
│ ■高級青果店『パッション』応接室 │
「―――わかった。この事はアルプには
言わねぇよ」
「帰りの馬車は、ボガッド家のお屋敷から
なるべく近いルートを通って帰ります。
それがせめてもの―――」
ガチャンッ!
その時、扉の外で金属音が触れ合う音が聞こえた。
「アルプか?」
シモンが扉を開けると、そこには誰もおらず―――
ただ、大量の金貨の入った袋がそこにあった。
「―――ッ!
まさか!?」
│ ■バクシア国・首都ブラン │
その頃、彼はひた走っていた。
時々、通りの人にボガッド家への道を聞き―――
さすがに街の有力者であるボガッド家を
知らない者はおらず、
目的地へと着実に近づいていた。
│ ■ボガッド家屋敷前 │
「ハァッ、ハァッ……
こ、ここに、お母さんが―――」
そして、15分後―――
アルプは正確に、目的地、母のいる屋敷へと
到着した。
│ ■バクシア国・首都ブラン │
│ ■高級青果店『パッション』応接室 │
「早くっ! まだ馬車は着かないの!?
あぁもうっ、だから直接走っていった方が―――」
「だから落ち着けって、お嬢!
アルプじゃなく俺たちがいきなり行ったって、
門前払いにされるだけだ」
「相手は仮にも有力商人です。
事前の連絡無しに行っても警戒されるだけでしょう。
まだ、馬車で仰仰しく行った方が、会ってくれる
可能性はあります」
「―――! あの音は……
来たぜ、お嬢!」
その声を合図にするかのように、3人は馬車へと
乗り込むために駆け出した。
│ ■バクシア国・首都ブラン │
│ ■グラノーラ家所有馬車 車中 │
全速力で走る馬車の中―――
マルゴットは祈りを捧げるように、両手を額の前で
組んでいた。
「(アルプ、お願い―――
まだお母さまには会わないで。
知ってはダメ―――
知らなくてもいい事もあるの。
フィオナ様―――
どうか、どうかあの子に事実を見せないで……!)」
│ ■ボガッド家屋敷前 │
「お、思わず勢いでここまで
来てしまいましたけど―――
本当にこのまま、母に会っても
大丈夫なのでしょうか……」
(自分のお母さんに会うのに、予約を取る人は
いないでしょう?
大丈夫。きっとお母さんは―――
アルプを迎え入れてくれます)
「……そういえば、マルゴットさんやバートさんは
知っていたみたい……
でも、それならどうして、すぐに僕にその事を
教えてくれなかったのでしょう?」
(きっと、仕事の邪魔にならないよう、
仕事が終わってから教えるつもりだったんじゃ
ないでしょうか。
でも、待ちきれなくてお母さんに会いに行っても、
怒るような人たちではないでしょう?)
「は、はいっ」
意を決したようにドアノッカーに手をかけると、
彼は力強く叩いた。
│ ■グラノーラ家所有馬車 車中 │
「(お願い、間に合って―――
お願い―――)
み、見えてきましたわ!」
│ ■ボガッド家屋敷前 │
ボガッド家の屋敷前に着くと、転がるようにして
3人は馬車を降り、ドアノッカーを叩く。
「―――だ、誰かいらっしゃいませんか?」
時間にして30秒ほどだろうか―――
10倍とも思える時間を体感した後、
品の良さを感じさせる老婆が、扉の向こうから
現れた。
「はいはい。どなたですか?
あらあら。今日はお客様が多い事で―――」
「あ、あのっ、ここに―――
アルプという少年が来ませんでしたか?」
「ああ、ああ。
あの子の知り合いですか?
どうぞ上がってください」
老婆のその明るい表情とは対照的に―――
3人の顔は沈んだ。
事実を知られた、という現実に―――
│ ■ボガッド家屋敷 │
「―――アルプっ!!」
食堂と思われる部屋に通された彼らが見たものは―――
ボガッド家の、今はアルプの母親の義父と思われる
老人と、彼が楽し気に話し―――
そして奥から、料理を持って母であるソニアが
笑顔で現れた。
「―――あっ。
ビューワー様に……グラノーラ様も」
「ご、ごめんなさいっ。
僕、待ちきれなくて……」
2人の表情、そして扱いに落ち着きを取り戻した3人は、
勧められるままに席につく。
気まずい沈黙が支配する中―――
耐えきれずに、マルゴットが口を開く。
「あ、あの―――ソニアさん。
再婚したって聞きましたけど……」
「そ、その事なのですが……」
話し辛そうにするソニア。
しかし、その表情には影は見られず、
困ったような、照れるような顔をする。
「いやあ、あのバカ息子め!
こんなに可愛い孫まで出来るとは―――
最後の最後に、本当に良い親孝行をしおったわい!」
「―――は?」
義父と思われる老人の言葉を理解出来ず、
客である彼らは全員が戸惑っていた。
「そういえば―――
夫であるザック・ボガッドさんの
姿が見えませんが。
まだお仕事でしょうか?」
「じ、実は―――」
バートレットの問いに、やや答えにくそうにしながらも
彼女は話し始めた。
―――ソニア説明中―――
「亡くなったあ!?」
ほぼ3人全員が同時に、驚きの声を上げた―――
カシャ☆
―――女神フィオナ信者数:現在290名―――
―――奉公労働者解放、150名―――
―――神の資格はく奪まで、残り90名―――