異聞録の女子高校生VS管理人
メゾン・アストロ1階、「1-B」号室。
来客を告げるチャイムが鳴り、甲斐崇尚は高校から帰ってパジャマ姿になっていたが、とりあえずベッドから飛び起きて玄関口に向かった。
「はーい!」
さっぱりした黒髪ショートカットの美少女は、天真爛漫な声を響かせてドアをあける。
視界に、長髪を後ろで束ねた妙齢の男性が映った。
管理人である。
「こんばんは。いかがお過ごしかな、甲斐さん」
その声は耳にやさしい重低音で、テノール歌手かと思うくらいに美しいと崇尚は思う。
だけど……いまはその声は、聞きたくなかった。
いまはまだ。
死ぬわけには、いかないのだから。
「どうして、ここに?」
わかりきったことを問いかけつつ、崇尚は一歩、後ろに下がる。
一歩ずつ、ゆっくりと管理人と距離をとる。
「どうして、か。そうだな」
管理人は微笑をたたえたダンディズムあふれた顔を向けつつ、堂々と声を響かせる。許可もなく靴を脱ぎ、その片足で一度、床面を踏みしめた。
「家賃のとりたて、とでも言っておこうか」
「おかしいな、滞納したこと一度もないんだけどな」
ははは、とわざとらしく笑いつつ、崇尚は後ろに下がって“鍵”のある場所へ近づいていく。
メゾン・アストロの建物全体に貼り付けられている宇宙空間と、現実空間とをつなぎとめスイッチひとつで反転させることができる機構、“鍵”。
ぬいぐるみに仕込んだり、シーリングライトのスイッチに組み込んだりと住民ごとに何を“鍵”とするかは異なるが、崇尚は事故死した父の形見である目覚まし時計のボタンを“鍵”として設定してある。
目覚まし時計はベッドサイドに置いてあって、そしてベッドルームは部屋のもっとも奥だ。
「私が与えたものを返すときがきた。申し訳ないが、君にはいまここで死んでもらう」
微笑を保ち、美しいテノールの声を震わせもせず、ごく自然に放たれたその殺人宣言。
崇尚は妙な噂を聞いていた。管理人が住民たちを殺している、と。
毎日住民たちがひとりずつ消息不明になっている、という噂もある。実際、友だちのように仲良く話していた住民が突然いなくなったことは崇尚も知っていた。
どちらの噂もきっと真実なんだろう。
そしていま、その真実が現実になったのだ。
たったそれだけのこと。
崇尚は自分に言い聞かせつつ管理人に背を向けて一気に走った。
廊下を駆け、リビングを通り越して一瞬でベッドルームへ。
ベッドの上には脱いだばかりの下着と制服が散乱させてあったが、そんなことは気にしていられない。
「まだ死なないってば、あたしは!」
崇尚は世界そのものに宣言するように声をあげると、生前、父が何度も押していた目覚まし時計のボタンをタッチした。
「話が早くて助かるよ」
管理人は必死な崇尚の姿をみて、にやとその口元を歪めていた。
ボタンが押された瞬間、“鍵”がその機能を解放する。
現実空間を形成していた部屋が、宇宙空間に反転する。
壁が崩れて床が溶け、天井が消失して星々が瞬く。
三六〇度、すべてが満天の星空だ。
酸素が充満し宇宙線がない奇妙な宇宙空間で、崇尚はパジャマ姿から一点、ビキニスタイルにしか見えない羽衣を身に纏っていた。
白地に赤の水玉模様が描かれている可愛らしいデザインの水着にしか見えないそれは、住民が宇宙空間で儀式を執り行うときや戦闘をするときの正装である。
男性用は海パンだが、女性用はビキニ仕様だ。
肌色を大きく露出させることになった崇尚だが、その表情には何の照れもなければ恥ずかしげもない。外敵を目の前にして防御姿勢をとる猛々しくも凜々しい女戦士の顔だった。
ふだんは可愛らしくぱっちり開いている二重の瞳も、いまは管理人の一挙手一投足を逃さず捉えるべく、やや細められている。
その手には小刀の形状をした宇宙兵装がひとつ、すでに握られていた。崇尚が自らの手で作り上げた専用武器である。
崇尚のスキルは攻撃型ではない。故に、人体を一撃で切り裂く強靱な刃が必要だった。
「考え直しては、いただけないんですね」
崇尚はいま一度、管理人に問いかける。
住民として闘争に参加してはいるが、正直みんなと仲良く一緒に暮らしたいのが本音だった。
もちろん管理人とも戦いたくはない。
そんな淡く純真な心を、しかし管理人はあざ笑うかのように息を吐き出した。
「ふっ。笑わせるな、甲斐さん。私はけして嘘はつかないし、二言もない。それは君もよく知っているはずだ。そうだろう?」
「……はい」
崇尚はうなずくほかなかった。
多くの住民たちがそうであるように、崇尚もまた管理人に救われた。
父が突然の事故で他界し、母親が失踪。高校一年生のときに天涯孤独の境遇におかれた崇尚は、自殺しようとしていた。
しかし管理人に止められて、このメゾン・アストロで暮らすようになったのだ。
それから一年が経ち、いまでは高校二年生になった。自殺して終わらせようと思っていた人生のはずなのに、いまは大学受験を目指して我ながら真剣に勉強に取り組もうと努力している。
管理人がいなければ、自分はとっくに死んでいただろう。
その想いがあるからこそ、崇尚は噂をきいたときは信じられなかった。青天の霹靂だった。
そんなはずない。そうとばかり思っていた。
それなのに……。
崇尚は一歩踏み出し、小刀を突き出した。狙いは管理人のみぞおち。そのまま一刺しすればいい。
「甘い」
管理人は小刀の切っ先を体をずらして容易く避け、懐から虹色に輝くペンを取り出した。
直後、ペンは大きく引き延ばされて剣の形になる。
聖剣アゾノフ――光と物質の中間に位置する未知の素材で鋳造された、宇宙人の兵装。
その切っ先がまっすぐに崇尚の首に伸びていく。
単なる女子高校生でしかなく剣豪ではない崇尚に、その反撃を避けるのは不可能だった。
虹色の刃がいとも容易く崇尚の首を刎ね飛ばした。
血が噴き出し、生首が宇宙を漂う。
だが……。
「管理人さん、ごめんなさい」
崇尚の声が響く。
斬り飛ばされた生首がしゃべっているのだ。
「あたし、まだ。死にたくないから!」
スキル、“懺悔”。
それは死してなお、生き続ける力。
生首と四肢は直後、消えた。
そして管理人の背後に、新たなる崇尚の体が出現する。
「ごめんなさい!」
命の恩人を殺す。その申し訳なさに、正当防衛とはいえ崇尚は罪悪感をおぼえる。
スキル“懺悔”は復活した直後、大きく身体能力が強化される性質がある。筋力はもちろん、瞬発力や反射神経さえも強化され、動体視力も向上する。
死後三秒間しか持続しない強化状態だが、しかし超人レベルの肉体強化を施された崇尚には、反撃して敵を殺すのには三秒は長くもなく短くもない、絶妙な時間だった。
管理人は為す術もなく、その背中に小刀を差し込まれる。
その、直前。
崇尚は管理人を刺せなかった。
感情的な話ではない。
物理的に、現実的に。崇尚はただ管理人を刺すことができなかった。その体の動きをとることができなかった。
全身がまるで石になったかのように動かない。
「これは……」
崇尚はその力を知っていた。
「汰絵子の、スキル」
それはつい一週間ほど前までは仲良くしゃべっていた、友だちの名前だった。
渋木汰絵子は同い年の住民であり、同じ階の「1-D」号室に住んでいた女の子だ。
『はじめまして、新しい住民さん。ご挨拶に……って、何この何もない部屋!』
『わたしは渋木、渋木汰絵子。よろしくね!』
『えっと、あの。服もないの? あと食べ物も? ってまさか、お金も? 何にもないんだ!』
『そうか、そうなんだね。なら仕方ない! わたしがぜんっぶ、面倒みたげるよ』
『あの、その代わりなんだけど、さ。あの……わたしと友だちになって、くれない?』
対象を石に変える、単純にして凶悪なスキル。
森羅万象を一様に無機質な石に変化させるその力は、当然人間を石像に変えることも可能だった。
「君はいつも、渋木くんと仲良くしゃべっていたね」
体が石になっていくなか、崇尚は遠のいていく意識を必死につなぎとめ、管理人の声を耳元できいた。
「だからせめて、渋木くんの力で葬ってやろう」
それが崇尚のきいた最後の言葉だった。
ぜんぶ、みんな黙っていなくなる。
父も母もそうだった。
そして、汰絵子も。
でも最期に、汰絵子の力を感じられるのなら。
崇尚はそして、諦めた。




