高校生、人の道を見つけたり
連れて行かれたのは「メゾン・アストロ」だった。
後ろ手を縛られた状態で背広の男たちに連れられ、参太はやがてボロアパートの一階のなかでおそらくもっとも小汚い部屋――「管理人室」のプレートを目の前にする。
「手はず道理だな。ご苦労」
ドアが開いて登場したのは、校庭に出現した長髪の男だった。
「あんた、管理人だったのかよ」
「いかにも。私はいつもここにいた」
背広の男が参太の手のロープをほどいてやると、長髪の男は参太に中に入るよう促す。
管理人室は意外と広く、そして手入れがされていた。壁紙も床も天井も白一色で、室内は蛍光灯の輝きに満ちている。デスクもワークチェアも白にそろえられ、そのなかで応接セットの一対のソファが黒い革張りで、純白のなかに落とされた墨のように際立って見える。
二つの革張りソファの間にはガラスのテーブルが置かれており、それは脚までもがガラスでできた透明なテーブルだった。テーブルの上の白いカップはガラスの上でまるで宙に浮いているようにも見える。ブラックコーヒーが注がれており、かぐわしい香りとともに湯気が立ちのぼっている。淹れてくれたばかりなのだろう。
「妙な虫が入ってきたとは思ったが。放っておいた」
長髪の男は先にソファに座ると目配せして参太にも着席するよう促す。
どかっと腰掛けると、これもまた視線でコーヒーに口をつけるよう指示されたので従うことにした。
苦い。
「もう来ないだろうと思っていたが、君は私の予想を上回る馬鹿だった。またも来たあげく、住民間の闘争の理由を偶然にもつくってしまった」
参太は思い起こす。確かに、自分があのときハルの部屋のドアをピッキングしなければシャルロットがあの部屋を盗むことはできなかった。
「おかげで皇女の異名を持つ優秀な住民を失った。もっとも、すでに世界をひとつ失敗させてしまったポンコツ皇女だったがな」
長髪の男はコーヒーカップをガラスにコツンと音をたてて置き、そこではじめて表情を変化させる。
怒りの眼差しだった。
「君が犯した罪は大きい。それだけはまず、覚えておいてもらいたい」
言いつつ男はクリアファイルを参太の前に差し出した。[入居規則]と表紙にある簡単な書類の束だった。
「書類に目を通してもらいたい。それと、これがルームキーだ」
ゴトっと音がしたかと思えば、男が鍵をクリアファイルの上に置いた。
淡々とした所作だった。
(俺が住むのはもう確定ってことかよ)
参太は舌打ちしたいのを堪えると、ルームキーにもクリアファイルにも触らず、ただコーヒーを一気に飲み干した。もう苦みは感じない。
おもむろに立ち上がる。
「俺は俺のしたいようにする。だから、ここには住まない」
「選択肢はないと、連行した課程で教えたつもりだったのだがな」
自宅の前に黒塗りの車が何台も停まっていた光景が脳裏に再生される。
いま帰ったとしても母親に詰問されるのは間違いなく、最悪、家を追い出されることもあるだろう。学校側から処分が下される可能性も考えなければならない。
ならいっそこのアパートに住んでしまえばいい……そんな誘惑に心が惹かれないでもなかった。
だが、参太にはそれが嫌だった。
合理的に考えれば、すべてをなげうってアパートに住む方が楽だろう。
だがしかし、そんな合理的思考などどうでもいい。
「こんなボロアパート、俺は住みたくねえ」
空き巣をしていたからよくわかる。
このアパートは内装は悪くないが、何より部屋の外が汚すぎる。管理人が仕事をさぼっているのかと思えるほどに汚い。
しかし先ほどその管理人本人が“いつもここにいた”などとついに宣言してしまった。仕事をさぼっていたどころの話ではない。管理人として管理人室に出勤していながら別のことに手をつけているふざけた男なのだ。
「俺は、帰る」
参太はドアノブに手をかけ、ぐるりと回した。
刹那……参太はもう見慣れてしまった光景を目の当たりにする。
ドアノブの形がぐにゃりと溶けた。ドアノブだけではない。壁やテーブル、ソファや天井が一様に形を崩して溶け、ぐるぐると螺旋を描いて崩壊したかと思えば、暗転。
闇に染まった空間にぽつぽつと星がまたたく。そこは宇宙空間だった。
「お前にかえるところナドないヲ」
全身から寒気がした。声が聞こえたのだが、それはもうさっきまでの男の声ではなくなっていた。いや、それはもう日本語ではあったが人間の声ではなかったのだ。
振り返れば、化けの皮をはがした宇宙人がそこにいた。
宇宙の真ん中に浮かび、人肌を脱ぎ去った全身緑色のエイリアンが両手を広げてそのワニのように裂けた口を開いた。
「此処がお前ノハカバト成」
宇宙人は緑色のぬめった右腕を前に差し出すと、人差し指をすっと伸ばした。
直後、参太の頭に衝撃が走った。
「つ!」
痛みではない。それは脳があげた悲鳴だった。処理しきれない情報が突如、注入された。感覚としては慌てふためいている時の混乱に似ている。
「体と心ノ繋がりさえ絶てば ヒト は転ブ」
宇宙人はさらに左腕も前に差し出し、同様に人差し指を伸ばした。
「ココデ御前は死二、又生れ変わル!」
参太は理解する。このアパートは集合住宅などではない。
(ここは、牢獄だ!)
異様に汚い通路、塗り替えられない汚れだらけの漆喰、掃き掃除もされていない階段、虫の死骸がそのままにしてある踊り場。
宇宙人に魂をいじられ操り人形とされた人間を収容する、檻。
(そんなとこに入れられて、たまるかよ!)
叫び、参太は直後に絶望する。
指先ひとつ、まともに動かない。
「無駄ダナ。もうお前の神経制御は完了シテイル。お前ハもう、ヒトではナイ」
自分の体さえ自由にできない人間は、確かに人間ではない。
(自分の意志で動けないなら、もうそれは人間じゃあねえ、か)
敵の言うことに納得する参太だったが、しかし今そんなことはどうでもいい。
(どうすれば、いい)
気づけば独り言をぼやくための唇さえ動かない。
まるで自分の体でさえないみたいだ。
「またここでも、非人道的な行いを!」
不意に女性の声がした。宇宙を切り裂くように鋭い、堂々とした叫びだった。
「この声……って、あれ?」
聞き覚えのある声がしたと思った瞬間、独り言を口にできるようになっていた。
体も動く。魔法が解けたみたいだった。
「あんたは、また」
参太は目の前に巨大な背中を見る。白銀の鎧を着た巨人の背中だった。
「貴方って本当に、世話の焼ける子だね」
OL風黒髪ショートヘアの女性だ。もう声がするだけで顔を思い浮かべることができた。
ありがとう、と言おうとしたができなかった。
白銀の巨人と宇宙人の戦闘が始まったからだ。
互いの姿はもう見えない。動きが速すぎて残像さえ捉えられず、白と緑の光の線が交錯している模様にしか見えなかった。
それは参太の目からみればまさに星と星とがぶつかりあっているような、人智を超えた存在同士のぶつかりあいだった。




