高校生、いつもの日々を恋しがる
電信柱の上に乗っかっている、ピンクの熊ぬいぐるみ型スマートスピーカー。
それはまるで生き物のように「とうっ」と軽くかけ声すら放つと空中で回転し、体操選手のようにぴたっと着地してみせた。
参太はそれをただ呆然と眺めているだけ。言葉もでず、あんぐりと口を開けたままだ。
「相も変わらず犯罪に手を染めるか。まったく教訓を活かしていないようだな」
ぬいぐるみは可愛らしい見た目に反して横柄な口調でしゃべる。まるで参太を見下しているかのような姿勢さえとっているが、せいぜいが長さ三〇センチほどしかないスマートスピーカーである。高校生男子を見下せるはずもない。
「教訓だ?」
「ああ。空き巣などやるとろくなことがないという大事な教訓だよ」
「余計なお世話だ」
参太はぬいぐるみの忠告をそのまま無視すると歩き出す。
ぬいぐるみは超絶的なスピード走行で懸命に参太についていく。
「盗みなど良くないぞ。お前さん、ドアノブのネジを集めているようだな」
「どうしてそれを?」
参太は一瞬、恐ろしくなる。誰にも見られていないはずの行為を言い当てられた。冷や汗が頬をつたう。
「スマートスピーカーとしての機能を悪用してな。監視カメラに不正アクセスして知った」
「俺と変わらねえレベルの犯罪じゃねえかそれ!」
「お前さんは勘違いしてる。お前さんは人間だから罪人になるが、俺はぬいぐるみだから人の罰は適用されない」
「屁理屈だろそりゃあ」
言いつつ参太はどこか納得しつつ、この鼻持ちならないぬいぐるみをどう処理するかを考える。こう秘密を握られればどこかへ幽閉した方がいいのではなかろうか。
「メゾン・アストロは国家機密レベルの重要研究施設だ。そうとわからず侵入したとは言え、そのドアノブを盗んでしまった罪は重いぞ。お前さんの想像以上にな」
「たかがネジだろ」
「たかがネジ一本と思うか? あの空間は反転して宇宙空間に変異することができるが、それはあの部屋に一切の欠けがないからこそ可能になる。現実空間が強固に作ってあるからこそ、その裏に宇宙空間などという超現実的な異空間をつくりあげることができる」
「つまり、なんだ。ネジ一本であっても、宇宙空間に変異できなくなる可能性があるってことか」
「ああ。まあ見たところ、お前さんがネジ一本盗んだところであの部屋の宇宙空間には何の支障もなかったようだがな」
「だったらいいじゃねえか」
「上層部はそう考えていない、とだけ伝えておこうか」
ぬいぐるみはそう告げると歩みを止めた。参太だけがひとりで歩いて行く。
「健闘を祈るよ。お前さんのことは嫌いじゃない」
「そうかよ」
参太はそこで一度振り向いた。
「ありがとうな」
ぬいぐるみが告げた事実はつまり、参太がドアノブのネジを盗んだことはすでに外部にバレているということだし、メゾン・アストロの管理者も知っているということだ。
ネジは自宅の部屋のデスクに隠してある。
瞬間、参太の脳裏に昼休みに会った長髪の男の怜悧な瞳がよみがえる。
不当な処刑、と不穏なことを口にしていた。
「まさか……いや、まさかな」
参太はいつものように自宅に戻る。
「まさか、かよ」
我が眼を疑った。参太の家の前には黒塗りの普通車が何台もとまっており、やはり黒い背広を着た男たちが出入りしていた。
母親が事情聴取に応じているのか、背広の男のひとりと緊張した面持ちで玄関先で話をしている。
危険を感じて引き返そうとしたが、母親と眼があった。
「あ、参太!」
背広の男たちが一斉に参太に視線を送った。
「あんたいったい、何したの!」
母の悲鳴が響くなか、参太は反射的に踵を返して逃げた。
「待て!」
「追え!」
男たちが一斉に走り出す。
(ここまできて、鬼ごっこかよ!)
参太はそう思うことにして気分を落ち着かせるが、鼓動は止まらない。
(く! ネジを保管していることまでバレてたなんてな)
我ながら間抜けだった。昼休みにあの男と会った段階で学校なんて早退して、逃げるべきだった。
「家族にまで、迷惑かけちまうなんてな」
情けなくてゲロが出そうだったが、いまは堪えた。
「待てよガキが!」
「クソガキ! 足止めろや!」
大人のドスのきいた声が鳴り響く度に鼓動が強まる気がした。運動部に所属しているわけでもない参太は足が速くはないし持続力もないが、しかし逃げないわけにもいかなかった。
捕まってしまったらすべてを奪われる気がした。少なくとも昨日と同じようないつもの毎日が過ごせなくなるだろう。
(肥だめって思ってたけど、いまは恋しいよ!)
参太は必死に走るが、目の前の景色を見て絶望する。
昼に会ったあの長髪の男が先回りして立っていたからだ。
「やあ。先手をとらせてもらったが、効果覿面だったようだね」
落ち着いていて動じないその声が響く。
「クソ!」
参太は走るのをやめた。
後ろから背広の男たちに肩を掴まれ、腕をとられて拘束される。
「俺がやったことは、そんなに重罪かよ!」
「罪で言えば、重くはない。だが、私たちにとっては非常に重かった。ただそれだけのことだ。不運だったな、参太くん。あのボロアパートにさえ手を出さなければ、君の毎日も、くだらない趣味も、全部いつも通りだったというのに」
男は高らかに告げると踵を返し、待機させていたリムジンに乗り込んだ。
参太は男たちに拘束され、黒塗りの普通車に押し込められる。たばこの臭いがした。
「俺はどこに連れて行かれるんです」
問いかけるようにぼやくが、誰も答えてはくれない。
無言の車内は参太をとある施設へと運ぶことになる。




