想いを伝えて、高校生
盾伊は懐に差し込んだ手をゆっくりと引き抜いていく。
指の間に薄い電子機器の板を挟んで。
(なんだあれ? 電卓、じゃないだろうが)
参太は首をかしげた。
「反逆者は抹消する。それが道理だ」
薄いその機械はポケットベルだ。
盾伊はそのボタンを押す。
『P! P! P!』
場違いな電子音がむなしく響いた。
(何だ、いったい何だってんだよ)
参太は聖剣を握りながら、その手が汗ばんでいく錯覚を覚えた。全身を鎧に変えているから汗をかくことはないのだが、そう錯覚させるほど、今の状況は意味不明だ。
そもそもポケットベルの現物を参太は肉眼で見たことがなかった。フィーチャーフォンさえガラケーと言われて旧世紀の遺物とされている現在、ポケットベルは化石のような存在だった。参太はその存在自体を知らない。
未知の機器から、何かの信号らしい電子音が放出されている。不気味以外の何ものでもないが……程なくして参太は、その機器が通信機であることを知った。
カツ、カツ、カツ、と。靴底が床にふれあう音が鳴る。
操縦室の入り口から、ひとりの女性が現れた。
「……よりによって、参太くんとはね」
メゾン・アストロのOL風女子だ。ダークブラウンのジャケットとパンツ、白いブラウスのいつものスタイルだった。髪色は相変わらず茶色がかっており、真面目一辺倒になりがちな外見にアクセントをつけている。
「え?」
参太は絶句する。バイト初日に殺されかけた苦い記憶が蘇ってきたが、いまその顔を見るとやっぱり美しいと思った。感情が渦を巻いて、胸が締め付けられる。
好きなのかうんざりなのか、もうわからない。
しかしそんな参太の想いを踏みつけにするかのように、現実は残虐だった。
「奴隷として、命令する。あの子どもを殺せ」
「嫌だ……!」
OL風女子は口ではそう言いつつ、体はすでに戦闘態勢だった。
右腕を伸ばすと、スキル“武器召喚”を発動。瞬時に刀を一本、握っていた。
漆黒の刀身をもつ、ブラックダイヤを思わせる日本刀だ。
「子どもを殺し、聖剣を奪還しろ。侵略者を許すなよ、奴隷」
盾伊は冷酷に告げると、出口に向かって歩いて行く。通路の暗闇に彼の背中が消えたとき、決戦の火ぶたが切られた。
「なっ!」
参太はうめく。
OL風女子は瞬時に距離をつめ、刀を下から上にはね上げる。鞘はないから居合い斬りではないが、しかし居合いの達人さえ斬り殺せるほどに熟練した素早い一撃だった。
高解像スコープでなければ腹、胸、顔面を一度に縦一閃されていたところだ。
「危な」
い、という暇すらない。一歩下がって刃を紙一重でかわした直後、刀はすぐに振り下ろされる。
参太は聖剣でそれを防ぐ。
虹の光刃と漆黒の日本刀とがギリギリと押し合った。
刃ごしに、参太はOL風女子を見つめる。
「どうして、どうして戦っているんです? あんな奴のために!」
「うるさい!」
彼女の叫びが響いた。金切り声だった。
「黙って、私を殺せばいいのに」
涙さえ混ざっていそうなほど、その声は震えていた。
しかし彼女の表情は、刀を押してくる絶大な力は、そんな声とは真逆だった。表情は戦闘狂のように笑みに歪んでおり、漆黒の太刀は聖剣を押し返すほどだった。
力を少しでも緩めれば、聖剣ごと切り裂かれてしまうだろう。
(操られてるって、言わないのか)
彼女が操られていることはすでに透やハルから聞かされている。
だから参太は、助けて、と彼女が言ってくると思っていた。
しかし彼女の口から漏れる言葉は、どれも力強い。
「私を殺せないなら、せめて、逃げてよ!」
どこまでも気高く、弱音を吐かない。それが自分なんだと、そう世界に向かって叫んでいるかのような、覇気のある声。
誰にも助けを求めない、山上に咲く一輪の花のように。
参太の心はすでに射ぬかれていた。
漆黒の太刀がついに聖剣を押し込んでいく。虹の刃が参太の眼前に迫り、あと一ミリほどで顔に接触するところまで肉薄している。
「逃げもしないし、」
参太はしかし、力を込めて漆黒の太刀を押し返す。全身全霊を一瞬に凝縮し、弾丸のような瞬発力で聖剣を一気に押した。
漆黒の太刀ははね返されて、持ち主である彼女の胴が無防備になる。
「殺しもしない!」
決意を叫び、参太は虹の刃を引っ込めた。柄だけになった聖剣で、彼女の手首を思い切り叩く。
漆黒の太刀が彼女の手から落ちた。
「くっ!」
瞬時に彼女の体が刀を取りに行こうとするが、参太はその手を掴んだ。その時にはすでに参太は己の兵器化を解除する。
生身の平凡な高校生が、いまOL風女子の手首を掴んで対峙した。
「どういう、つもり?」
参太の手から逃れようとじたばたする彼女だったが、その口調は落ち着いていた。体の動きと口調が一致していない。
体は操られているが、精神までは侵されていないのだろう。
「俺は」
参太は、彼女の体を抱きしめた。
「あんたが」
ぎゅっと、力強く。
もがく彼女を、押さえつける。その全身で。
参太はしかし、言葉が続かなかった。
「ちょっと、セクハラだよ」
彼女はそう呟いたが、しかしそこにはどこか、暖かな色があった。まるでイタズラする子どもに呆れる母親のような、注意するべきなのに愛情を隠しきれないというような、そんな声音だった。
体のコントロールができないのだろう、彼女の体は全力で参太から離れようとしている。しかし、二人にとって今、そんなことはどうでもいい。
言葉で伝えられないなら、いっそ抱きしめる。
「違うから」
参太は弁解するように、暴れる彼女の体を押さえつけながら言う。
「殺したくないから、だからこうして動けなくすることが、最善の一手なんです」
好き。
そう言いたいけど、やはり参太にはその言葉を口にすることができなかった。怖かった、言い返されることが。
だから、言い訳じみたことしか口にできなかった。
「そう」
彼女はやはり暖かな息づかいで、ただ一言、そう返事をしてくれた。
(何が、そうなんだよ……俺は、こんなに)
まるで夢の中のようだった。
やっぱり好きだった。そんな人をいま、抱きしめている。無上の喜びだった。もう何も要らないなんて、そんな呆れるほどにばからしい言葉さえ浮かんでくる。
それが、幸せなのだと、参太は気づく。
伝えてしまいたかったが、それでも怖かった。
だから切なかった。彼女の反応は悪くない。セクハラとは言いつつ、嫌悪の叫びをあげているわけではないのだから。
だから……。
(伝えてみようか、いっそ)
彼女の心の扉を、ノックしてみようか。
それはこちらから言葉で伝えることでしか果たせない。
相手は助けて、なんて言わない人なのだから、絶対に向こうから想いを伝えもしないだろう。
だから参太は口を開く。いま、想いを伝えるために。
銃声が響いた。
彼女の背中に穴があく。
「なんだ?」
操縦室の入り口に、去ったはずの盾伊がいる。
彼が握る拳銃の暗い銃口から、紫煙が立ちのぼっていた。それは天に昇っていくかのように、静かに上へ上へと伸びていく。
ふっと、彼女の体の動きが止まった。じたばたしていた体が、人形の糸が切れたかのように、落ちた。
参太の腕の中から、彼女が消える。
参太は両手を眺めた。その手にこびりついた、鮮血を。




