高校生とブラックホール
参太は目を見開く。
「えええーーーーーーー!」
叫んだ。いまが空き巣の最中で物音ひとつ許されない犯罪の現場なのだということも、完全に忘れた。
ぬいぐるみに話しかけられたことは、かつてなかった。
「そんなに驚くことかい? 俺をすんなり見つけ出したって事は、お前さんはただの物盗りじゃねえんだろ」
ぬいぐるみは手だけをにゅるにゅると動かして肩をすくめてみせる。胴体部分や可愛らしい短足もモゴモゴと蠢いているが、参太の掌中から逃げるだけの力はないようだ。
(気持ちわるっ!)
ぬいぐるみの布地の感触はそのままなのに生き物のように動くそれは、はっきり言っていますぐ手放したいどころか窓の底から投げてやりたかった。
だが……。
「ところでお前さん。シャワーは好きかな」
向こうから話しかけてくるものだからどうにも捨てられない。まるで人を相手にしているみたいだった。
人間味のありすぎる、ぬいぐるみ。ただ怖い。
「俺は大好きだし、皇女さまも大好きなんだ。お前さんはどうなんだ」
「嫌いじゃないけど。ところで皇女さまってのはご主人のことか?」
「愚問だな。答える必要はないだろう。シャルロット・カイゼル様のお名前にぴったりだ」
「なるほど。そう呼ばせるような奴なんだなお前のご主人様は」
「いや、俺が勝手に呼んでるだけだよ。人前で呼ぶと恥ずかしいって可愛らしく顔を真っ赤にして怒鳴ってくるものだから控えてるがね」
「じゃあちょっと黙ってろ」
参太は手元で蠢くぬいぐるみの感触はいっそ無視してリビングを引き返し通路へと向かう。五歩程度で玄関まで到達するごく短い通路だ。
すぐに通り抜ければそのまま外に出られる。
(ったく。なんだってこんなもの盗まなきゃいけないんだよ、ハル!)
悪態をつきつつ参太は与えられた使命を果たした後はハルにこのぬいぐるみを叩きつけてやると心に誓う。
一方ぬいぐるみは抵抗することもなく、暢気に話しかけてきた。
「ところでお前さん、シャワー、浴びたいか?」
「いいや」
「俺は好きなんだよ。シャワーが」
「好きにしろよ」
どうやらこのぬいぐるみはシャワー好きらしい。
(そんなに好きなのかよ。ぬいぐるみのくせに)
参太は首をかしげてそんな疑問をつい思ってしまう。
だから口にしてしまった。その敗着の一言を。
「ひょっとして“シャワー、浴びたい”のか?」
「ああ、もちろんだ」
「それはダメだな。残念」
参太としては軽く流すつもりの会話だった。だがそのぬぐるみは口角を不気味につり上げ、勝者の笑みを浮かべる。
「お前いま、確かにシャワー浴びたいって、言ったよな」
「は?」
直後、突然ぬいぐるみからピコーン! と電子音がなった。
[了解、マスター]
「はあ?」
電子音につづいて電子音声が鳴る。
作り物の声が静かな部屋に冷たく反響した。
[シャワー、起動します]
「んなっ!」
ぬいぐるみはスマートスピーカーだった。持ち主の声に応じて各種装置を起動させることができる制御端末であり、この部屋ではパソコンやスマートフォンにアクセスしたり、電気のスイッチ、お風呂の湯沸かし、シャワーの起動などあらゆる日用機器をコントロールできる。
そんなこととはつゆ知らず、参太はぬいぐるみにコマンドを言わされてしまった。
ひとりでに起動するシャワー。
そして突然、ぬいぐるみがモコモコ動き、突然参太の指から離れていった。
「なんだ突然! まさか、さっきまでの無抵抗は、手加減!?」
空中を回転して落下、アクロバットな着地を華麗に決めるとぬいぐるみはトテトテ走り、シャワーが起動している最中のバスルームのドアをジャンプして開けた。
参太は頭のなかが真っ白になる。
『自意識過剰なあのJDおばさん、のぞき魔を警戒して“シャワーが起動している間に風呂場のドアが開いたとき”っていうわけのわからないスイッチ事象設定しているから、それさえ気をつけてもらえれば大丈夫よ』
ハルの声が脳裏に再生される。
「ごめん、大丈夫じゃなかったわ」
参太は直後、部屋中が宇宙空間に変質していくのを目の当たりにする。
視界がぐるぐると回り、部屋を構成していたあらゆる存在が歪み、液体のように溶け、暗転。
周囲のすべてが暗闇に移り変わったかと思えば、ぽつりぽつりと星々の輝きがまたたきだす。
しかしそんな星々の輝きよりも参太を圧倒したのは、目の前に開いた巨大な眼だった。いやそれは眼などではない、時空間の渦巻きだ。だが、まるで巨大な眼のように見えるほどに禍々しい景色だった。
「ブラックホール、か?」
思いつくまま口にする。
ブラックホールは目に見えて拡大しており、宇宙の星々を飲み込んで肥大化していく。
この宇宙は疾うの昔にブラックホールに浸食されてしまったいわば失敗した世界だったのだ。
シャルロットが自らの部屋を手放し、そしてハルの創った宇宙を狙ったのはこれが理由か。
しばらく圧倒されたまま、参太は呆然と言葉を失った。
その頃、「2-A」号室の前でも状況の変転が察知されていた。
シャルロット・カイゼルは金髪のロングヘアをさっとかきあげると、鋭い眼光を帯びたまま笑顔をつくった。
「ああら。どうやらワタシの部屋に、侵入者がいるようデース。ひょっとしてハルちゃん、ご存じで?」
ハルの頬を冷や汗が伝う。しかし弱気な表情はおくびにも出さない。なにひとつ顔色を変えないままハルは小鳥のように首をかしげて見せた。
「そんなゴミみたいなものとあたしが知り合いだなんて、喧嘩売ってるのかな。シャルちゃん」
「ごめんなさい。ちょっとタイミングが良すぎたものでして」
二人は笑顔をつくりながら瞳と瞳を重ね合わせるように視線を絡ませた。
ハルの心を射貫いて腹の底を探るようなシャルロットの眼光を前に、ハルは両手を握って耐え、笑顔をキープした。
「でもでも、喧嘩売ってるっというのは、間違いではありませーん」
シャルロットは笑顔をますます深くすると、ハルのつま先を蹴り上げてドアから離し、直後思い切り閉める。
内側から鍵をかけようとする音がするが、ハルは強引にドアノブを手前に引いてオープンした。
「喧嘩売ってんなら、逃げるなよ!」
ハルは声を張り上げると、開いたドアの向こうにかつて自分が創った宇宙空間が広がるのを感じた。
太陽の風が吹いて懐かしく頬をかすめる。
「これがあたしの部屋、あたしの宇宙……取り返してやる!」
ハルが叫ぶと同時、正面にシャルロットが浮かんでくるのが視界に映る。
彼女は最小限度の体の部位を覆う羽衣を着用していた。下着のような姿だが、世界創世の儀式に用いる正装である。
「そっちも本気ってわけね。いい度胸!」
ハルは叫びながら学生服を脱ぎ捨て、羽衣一枚の姿になる。
正装を着た者同士が向かい合い、しばらく互いの出方をうかがう。
シャルロットの瞳とハルの瞳が絡み合い、そして殺意の色を帯びる。
先に動いたのはシャルロットだった。
「死になさい!」
金髪のロングヘアよりも強く輝く、金色の光条が彼女の腕から放たれる。
それは六〇〇〇度――太陽表面と同じ温度をもつ破壊光線。鉄さえ溶かすその光線を前に、生身の人間であるハルが耐えられるはずもなく。
光線が通った刹那、ハルの体は消滅していた。
「ふ。ハルちゃんといえども、この威力の前には無力デース」
シャルロットはまるでガンマンが拳銃の筒先の煙をふっと吹き消すように息を吐いた。
「そうね。その通りだわ」
シャルロットの背後に影が忍び寄った。
「命中すれば、の話だけど」
影は直後、人の形となってハル本人となる。
ハルは思い切りシャルロットの背中を蹴飛ばした。
「痛いです!」
悲鳴が霧散し、ハルはまた消滅する。
そして吹き飛ばされて宇宙を流れているシャルロットの正面に影ができる。
直後、影はハルになる。
「これが、不法侵入の罪!」
ハルはシャルロットのくびれた腰にパンチを見舞う。
「そしてこれが、夢を奪おうとした罪!」
鉄拳がシャルロットの胸にぶちあたり、大きく揺らした。
「最後が、あたしの誇りを傷つけた罪だ!」
シャルロットの頬に拳が入る。
美人の顔が歪み、唇が切れる。
「く!」
シャルロットは腕を前に突き出し破壊光線を出す。
だが、消滅と出現を繰り返すハルにあたりはしない。
金色の熱線が虚空へと消え、シャルロットはついに背後から羽交い締めにされる。
「さあて、覚悟はいい? シャルちゃん!」
「な、何をするのです?」
「宇宙結合開始……部屋番号は、『7-G』!」
関節を固定されて身動きのとれないシャルロットの目の前に、突然、別の宇宙が出現した。
それはシャルロットにとっては見飽きるほど眺めてきた屈辱の宇宙空間だった。
「ワタシの部屋の!」
「うおおお! 助けてくれえええ-!」
シャルロットの悲鳴と、間抜けな男の悲鳴――参太の声が同時に響く。
ブラックホールと、それに吸い込まれそうになっている参太の姿が見える。
「やめてください……それだけは」
シャルロットは首を振って拒否を示すが、ハルの眼はサディスティックな光を帯びるばかりだった。
「じゃあね、シャルちゃん」
ハルはシャルロットの背中を突き飛ばし、ブラックホールへぶち込んだ。
「おい、あんた!」
ブラックホールの引力に抗うように宇宙を泳いでいる最中の参太は、横目に流れてくるシャルロットの泣き叫ぶ姿を捉えた。
シャルロットが流れてきた方向に眼を向ければ、下着姿のハルが高笑いしながら見下している。
「はははは! いい気味よ!」
「これは……これが、お前の計画だったのか。ハル!」
参太は問いかけるように叫ぶが、ハルの笑い声が収まることはなかった。




