高校生、欲情する暇もなく
少女の細い指が参太ののどを圧迫する。
嘔吐感が襲ってくるが、そもそも呼吸もできていない。
痛い以前に苦しい。
(これが、償いってことか)
参太はしかし現状にどこか納得してもいた。
つまらない学校生活が嫌で、部活もバイトもしていない自分が嫌だった。だから空き巣を趣味にした。誰にもできないことをやってやろうと、そう思ってばかりで、それがどんなに醜くて正義にもとることであったとしても、一度手に入れてしまった趣味を手放すこともできなかった。
参太は空き巣という行いに後ろめたさはあっても罪悪感など微塵もなかった。他人に迷惑をかけているとわかっても裁かれるほどのものでもないだろうと考えていた。なにせドアノブのネジだけを盗んでいる、臆病で堅実な犯罪者なのだから。いや犯罪者ですらない。それ以前のレベルの、イタズラ小僧だ。
しかしいくら自分がそう思っていても、他者からの評価は違ってくるだろう。もしも誰かが自分がしたことをけして許せないことなのだと考えて訴えてきたら……そのときは謝ろうと、参太は実は思ってもいた。
だから、参太は納得した。これが報いなのであれば、受けるべきなのだろう、と。
(それにしてもドアノブの対価が命だとは……正直、釣り合ってないレベルだと思うけど)
首の骨がダメージを受けている。もう離してくれないとまずいと、そう訴えている。神経がすりきれそうだ。
「くそ!」
そう叫んで、参太は直後、すべてから解放された。
「おえええええええ!」
盛大に空えずきした。よだれが口から垂れて床にどろどろ落ちる。
(生きて、る?)
首をかしげる。死ぬんじゃなかったのか。
「なんだ?」
独り言を呟いて顔を上げた刹那。
スーツ姿の女性と、下着姿の女子とが向かい合っていた。
「なぜ私の邪魔をするの? 世界創世の儀式の最中に、祭壇に侵入された。生かして帰すわけにはいかないの!」
「この男の子は部外者なの。信じられないかも知れないけど」
「へえ。知り合いってこと? ならいい機会。あんたも殺してあげるよ?」
「落ち着いて。私は戦いたいわけじゃない。ただ、あなたが無意味な殺しをしようとしてるから、止めてあげたいだけなの」
「その上から目線、ムカつく」
参太はどちらかがしゃべる度にそちらの方を向き視線を右往左往させている。
(女ってこええ)
両者の鋭い剣幕と毒気のある言葉の応酬に口を差し挟む余地もない。
自分には何もできない。確信した参太は己がどんな行動するべきか即座に判断する。
スーツ姿の女性は、昨日見た女性そのものだった。空き巣がバレたときは肝を冷やしたが、通報せずに放っておいてくれただけでなく、いまは死地からも救ってくれた。
命の恩人という言葉は彼女のためにあるのだろう。
名前も知らない。職業も年齢も本当に何も知らないのに、助けてくれた。
感謝しかない。
だから……参太は彼女の気持ちを無駄にしないよう、一歩、また一歩とすり足で後退する。何も言わずに距離をとる。
「逃げるが勝ちってな!」
参太はそしてタイミングを見計らい、猛ダッシュ!
鋭い眼光を飛ばして互いを牽制していた二人はそんな参太を尻目にため息を吐き、喧嘩をやめてしまっていた。
思いの外、足をじたばたさせていた。
颯爽とダッシュしてみせるはずが、慌てふためいてよろけながら走るなんとも情けない逃亡者の図だ。
「最低ね」
背中で女性の声が聞こえたが、構うものか。
(あのアパートは危険すぎ。もう絶対、近づかねえわ)
もう二度と会うこともない人間相手に、わざわざ礼儀を通す必要もない。
家に帰ってベッドに体を放り込む。
「ああ、最低だな」
後味が悪すぎる。まだ首にまとわりついていた細い指の感触が残っていた。
思い出せば嘔吐感さえ襲ってくる。正直怖い。
(空き巣ってのは、裁かれるべき犯罪なんだな)
当然のことだが、そのことを痛感する。空き巣を趣味にしなければ今日は首を絞められることもなかった。であれば、今日のことは空き巣という罪が断罪されたと言える。参太にはそう思えた。そうとしか考えられなかった。
(俺はいつ、辞めるんだろう)
はじめて思う、辞めるという選択肢。
いまは辞めるつもりはない。だが、永遠に続けていられる趣味でもない。
「くそが」
ぼやいて体を起こすと、つまらない宿題に手をつける。
翌日。
いつも通り、高校に通う。
つまらない。
参太にとって学校は肥だめのような場所だった。
友だちはひとりもいない。かといっていじめられているわけでもない。
参太はただ、中学生のときにいじめで親友を失ったことがあった。仲が良かった男子のひとりがいじめのターゲットにされて、しかし参太は見て見ぬふりをした。
そいつは一週間で不登校になって、いまは何をしているのかさえわからない。
それからだった。学校が腐った奴らの集まりなんだって思うようになったのは。
「昨日の野球見た? いや熱かったよな」
「俺たち野球部もあんなホームラン打ちてえ」
「それよりもまずは地区大会優勝な」
「うるせえ」
教室に入ればクラスの奴らが毎日同じようなくだらない話題で盛り上がっている。
挨拶することもなく、参太は鞄を机のホルダーにかけ、席に座ってスマートフォンを起動させる。
参太は話す必要がなければ、クラスの誰とも会話することはない。
別に成績が悪いわけではない。むしろ参太は優秀な方で、期末テストでは常に学年ベスト10に入るくらいだ。かといって一位になったことは一度もないのだが。
ただ他の奴らのくだらない話題に合わせる気がないだけだ。
周りのことなど気にせず、スマートフォンでネット検索してみる。
「『メゾン・アストロ』っと」
つくづくばかげた名前のアパートだ。
(まるでいま野球の馬鹿話して笑ってやがるあいつらと同じくらい、アホなセンスだな)
頬杖をついて文字入力し、検索してみる。
検索がヒットして一覧が画面にでるが……瞬間、検索アプリがダウンした。強制的に閉じられる。
「んんん?」
盛大に首をかしげる参太。
もう一度試してみるが、何度やっても結果は同じだった。
検索できない物件、「メゾン・アストロ」。
「ただごとじゃねえな、こいつは」
思わずぼやく。誰も聞いてないのだからと、参太はよく独り言を口にする癖があった。
ただ今日は、例外だった。
「なあに、ただごとじゃねえことって?」
透徹としたソプラノが凜と響いた。
スマホから顔を離すと、前髪をパッツン気味にそろえている女の子がそこにいた。
「いや、独り言だったから。ごめん」
「みーつけたよ。参太くんって、いうんだね」
にやりと、まるで獅子が獲物をみつけたときのような不敵な笑みが見える。
(なんだ、こいつ)
参太は眉をひそめたが、同時に嫌な予感が頭をよぎった。
この女の子に既視感はないか?
いま一度、女の子の顔を見つめてみる。
予感はいつも悪いものが的中する。
「あたしの下着姿、刺激的だったでしょ?」
首に絡みついた、あの細い指の感触が蘇る。
「まさかまさかまさか! あんたはっ!」
「そのまさかよ。同じ学校に通っていたなんて、なんて偶然。これからもよろしくね」
そして女の子はそのまま一歩下がると、
「冬木春枝。ハルでも、ハルちゃんでもいいよ。じゃあまた放課後、ね?」
星が飛び出ていそうな圧倒的なウィンクを仕掛けて、その女の子――ハルは去って行った。
頭のなかが真っ白になってしばらく参太はフリーズした無能なコンピュータ同様、動けなくなる。
クラスの男子の視線が一斉に参太に集まっていて、学年随一の美人がなぜあのイケてない男に自ら話しかけるのか議論が交わされていたのだが、そんなことはどうでもいい。
(いやいやいや)
思わず、ええええーーーーー! と叫びそうになったが堪えた。
我慢して、それでも受け止めきれない現実に全身に悪寒がはしる。
(これからもよろしく、だって? 冗談じゃねえだろ)
いまにも家に帰りたくなったが、それも堪えた。
堪えて、放課後をどう生き延びるか……それだけを考えた。




