高校生、同棲(仮)
トントントントントン、トントン。
トントントン、トン。
音がする。まな板を包丁で叩く音だろう。
トントントントントン、トントントン。
ウーーー、ウーーー。
包丁の音がリズムを刻むその上に、どこかの工場で始業を告げるサイレンが鳴り響く。
さらに……。
トントントントントン、トン。
ウーーー、ウーーー。
ワシャシャシャシャ、ワシャシャシャシャ。
これは何の音だろう。まるでゴキブリが脚を動かすときの……
「ってわあ!」
参太はそこで盛大に目を覚ました。
文字通り飛び起きると、ぬいぐるみがにんまり笑ってゴキブリを掴んでいる。
「起きたか? まぬけ」
ぬいぐるみは寝起きの参太にゴキブリを投げつけた。
「きゃっ!」
まるで女の子のような悲鳴を上げて飛び退いたが、ここは狭いアパートの一室。ゴン、と背中から壁にぶつかって物理ダメージを負った他、直後に隣室から『うるせーぞ!』と壁ドンドンされて精神ダメージも負った。もう参太のライフポイントはゼロを振り切っている。
これ以上の追撃は不要と考えたのか、ぬいぐるみはやさしく言ってやった。
「よく見ろ、それ動いてないだろ」
「え? ……あ、確かに」
「そういうことだ」
「そういうこと、か。テメエ!」
参太は目をぱちくりさせて状況認識を終えた直後、思い切りぬいぐるみに飛びかかって押し倒した。
「俺はぬいぐるみだぞ、手加減せえ!」
「ぬいぐるみだからこそ思いっきりやるんだろうが!」
一人と一匹がじゃれあっているなか、まだ包丁とまな板の音が響いている。
「ちょっと、お子様たち。騒ぎすぎデース」
まるで子供たちを軽く叱る母親のように、水場に立つ女性が声を発した。
そこで参太は気づく。誰かが水場にいる。
(ん? どこかで聞いた声だな)
ぬいぐるみに一発ボディーブローをぶちかまし「くはっ!」と悲鳴をきいたのに満足し、参太は水場に視線を向けた。
裸エプロンの女性が立っていた。
参太はそっと目を背けた。
(なんだよこの展開!)
もう一度、おそるおそるのぞきをするような仕草で視線を戻せば、金髪の美女が細くしなやかな体躯を見せつけている。
背中とおしりが丸出しになっており、エプロンはつけているもののたわわな胸部が盛り上がりすぎていて横方向に隙丸出しだ。
参太はもう一度視線を外したまま言った。
「蘇るって、ほんとだったんだな」
「ええ。クマちゃんからお話は聞いてマース。このtop secretを知ってしまった貴方を、もうワタシは離しませーん」
シャルロット・カイゼルはそこで包丁の手を止め、それが悩殺ポーズになっていることも気づかず前屈みになって指をさしてきた。まるで女教師か口うるさい学級委員長というところか。
クスっと笑うと、シャルロットはまな板を持ち上げ、隣にある鍋に向かってカットした具材を滑り落とす。
「ワタシはいまお味噌汁を作っていまーす。ですから、その間に貴方にお願いがありまーす」
「ん?」
首をかしげる参太に、シャルロットは頬を染めて言う。
「ワタシ、お洋服がありませーん。さすがにクマちゃんには頼めませんから。please、この雑誌のコーデ通りに買ってきてくださーい」
参太はただ「お、おう」と言ってうなずいて差し出された雑誌を受け取った。。
「お金も消えたので、自腹でお願いしまーす」「もし逃げたらどうなるかわかっていますネ?」「一応クマちゃんを見張りにつけまーす」「冷めたお味噌をのませたくはありませーん、お早く行ってきてさーい」
(さすが読モしてるだけのことはあるな)
参太が受け取った雑誌には彼女が大写しになっており、道中それを読みながら歩いた。
『この夏は新作ワンピ☆ 大人の魅力でセレブデートを』
シャルロットがドヤ顔と言っていいくらいのキメ顔で一六〇〇〇円の新作ワンピとやらを纏っていた。
(アンドロイド、か)
参太は帰り道、新作ワンピのせいで壊滅的打撃を受けた財布を見ながらため息をついた。
買い物は往復三〇分程度で終了し、帰ってきたときには折りたたみテーブルにご飯と味噌汁が湯気を立たせて待っていた。
「ありがとうございまーした! これでワタシもお外に出られまーす!」
服屋の紙袋を受け取るなり、シャルロットは駆け足でバスルームに入ると、
「あ、いくら興味深いからってのぞきはダメでーすよ?」
言い置いて着替えた。
(裸エプロンで朝食つくってもらって、これ、食べていいのか)
さすがに気まずい。
同棲しているカップルならいざ知らず、空き巣に入って一晩明かそうとしただけの高校生と再生を果たした生体アンドロイドである。
冥界に入るときには冥界の物を食べてはいけないというが、いま目の前にあるものがまさに冥界の物ではないだろうか。
「ささ、お食べてくださーい!」
いつ着替えを済ませたのか、シャルロットがテーブルの反対側に座る。
テーブルの上には茶碗が二つに汁椀が二つ。まさに二人そろっての朝食だ。
(落ち着け、俺)
参太は何故か高鳴り始めた胸をおさえつつ、結局両手を合わせた。
「いただきます」
「うん、素直でよろしいでーす!」
ぶっちゃけ腹が減ってしょうがなかった。昨晩から水の一滴も飲んでいないし、その上で服屋にも行かされている。もうこうばしい匂いだけでも理性崩壊である。
一分も立たないうちにご飯を平らげると、しかし猫舌ゆえに味噌汁の攻略に五分の時間を要した。
「いかがでした?」
「大変おいしくいただきました」
「それはそれは、また素直でよろしいでーす!」
正直母親の飯よりうまかった。
そこで遊びは終わり、というようにシャルロットは真顔になる。
「さて。では作戦を言い渡しマース!」
不敵な笑みを浮かべたシャルロットは、そこで反逆の一手を宣言した。
逃れられない運命……参太は諦めることを覚えていた。




