記憶の悪夢
ふと気がつくと、僕は見覚えのある西洋調の部屋の床に仰向けに倒れていた。戸惑いながらもぐるりと部屋を見渡すと、ひっくり返ったオルガンや天井から落ちて粉々に広がるシャンデリアの残骸、ぼろぼろのドレスを着て死体のように転がる人形などが目にとまった。
それらを見て、僕の心臓は輪郭がはっきりと分かるほどに動きを速めだす。とにかくこの部屋から出たかった。立ち上がり、物を避けながら出口を探す。
朽ちた青を基調とした神話の描かれた部屋の壁を伝って歩くと、洋箪笥の陰に僕の腰の高さにも満たない一つの小さな扉を見つけた。
腰を屈めてその扉をくぐると、そこは壁全体がガラス張りで、淑女たちがバレエを練習するために用意されたような部屋だった。ひび割れたり欠けたりしている四方のガラスに、黒い学生服を着た僕が写りこむ。悲壮な表情の僕が僕を見返していた。
突然背後で鏡が割れる音が響いた。慌てて後ろを振り返ると、僕一人が通れそうなほど大きくガラスが割れていた。割れた隙間から隣部屋が見える。誰かに導かれるように、僕はその隙間に身体をねじ入れて隣部屋へと移る。
隣部屋は畳が敷かれた古い日本家屋のようだった。部屋の真ん中には黒い椅子が置いてあり、誰かがそれに腰掛けていた。回り込んで座っている人物の顔を覗き込むと、僕は思わず後ずさった。座っていたのは僕と同じ学校の制服を着た女子だった。
「雛子……」
雛子は、僕に一方的に想いを寄せていた同じクラスの女の子だった。彼女は座ったまま眠っているようだった。雛子を起こさないようにそのまま後ずさりして逃げようとしたその時、雛子は閉じていた目を開き食虫植物のように僕に抱きついてきた。
恐怖で身動きを取ることができなかった。赦してほしかったが、畏れで噛み合わない僕の口は謝罪の言葉を紡ぐことさえできない。そして抱き返すこともできなかった。
しっかりと抱きつく雛子の背中越しに、僕は自分の両手を見る。そこで気づいたのだが、僕はいつの間にか右手に鮮やかな色の手毬を握っていた。
その手毬が水風船のようにばしゃりと割れて、中から赤い液体が零れた。手を伝う生温かさ。割れた手毬の中には誰かがいた。雛子に抱きつかれた僕はその誰かと目が合ってしまった。
その誰かは、紅く染まったおかっぱ頭で着物を着た小さな女の子だった。
無表情だった女の子は、僕をじっと見上げたままにやりと嗤った。すると僕の腕の中にいた雛子が煙を上げて溶けだした。煙を上げながら肉が溶け、骨となり、その骨も溶けて塵と霧へと帰っていく。
僕はどう足掻いてもそれを止めることができない。最後に残った雛子の着ていた制服も、溶けて無くなってしまった。
何も僕の手に残らなかった。
「あーあ、溶けてなくなっちゃった」と、手毬から生まれた女の子が僕を嘲る。
悪夢はそこまでだった。僕は、いや俺は夢から目が覚めた。嫌な汗にまみれながら俺は夢を反芻する。あの夢で見た部屋は、全て俺が過去に実際に訪れた事のある場所だった。
6年前……中学の修学旅行……突然の嵐……乗っていた船の沈没……無人島への上陸……廃墟同然の異人館……閉じ込められた何人かのクラスメイト……様々な部屋、部屋、部屋。
そして雛子の消失。過去から逃げきろうと足掻く俺を、悪夢は逃がさない。