前半
耀狐は、檻に閉じ込められていた。
そこは「動物園」という場所らしい。耀狐の居心地がよいように、さまざまな工夫がされている。だが、どんなに丁重に扱われ、どんなに御馳走が並んでいても、耀狐が見世物になっていることには変わりがない。
神社のなかで過ごしていた耀狐が、「白い雌狐だ」「保護しよう」と、ここに入れられてから半年。
本来なら、正一位稲荷大明神として、村人から尊敬を集めているはずの耀狐であったが、村はいまは少子高齢化の波で信仰心というエネルギーを失い、得意の神通力もきかなかった。
でも、そろそろ、脱出の案を練ってもいいころである。
飼育員は隙を見せないが、なんとしてもここを出て、ふるさとの神社へ帰らなくちゃ。
耀狐は、ひそかに決意していたが。
その晩、この動物園で殺人事件が起こるとは、さすがの耀狐も知らなかった……
「突拍子もない設定だな。動物園で殺人事件? しかもメスの狐が主人公? あり得ないね」
居酒屋で原稿を見ていた親友の中島は、冒頭を一読するなり文句を付けた。
「そうかなぁ。いいアイデアだと思ったんだけど」
言われて荒木は、あれほど身体中にみなぎっていた自信が、急速に失せてくるのを感じた。
「もっと普通の話を書けないのか。両親の離婚に傷つく子どもたちとか、高校生の初恋とか、学生生活とか」
「―――イマドキの高校生は、あまり知らないんだよ」
荒木は、ため息を吐いた。
「ファンタジーだったら、時代を超えられると思ってさ」
「それにしたって、狐の女子なんてね。おれは可愛い人間の女子のほうが可愛いと思うぜ」
ビールを飲んでいた中島は、小説を突っ返した。
「きちんと読める小説に、書き直してくれ」
がっくりと荒木は肩を落として中島の分の勘定まで払い、二人は店のまえで別れた。荒木穣は、小説家志望のフリーターである。同い年で二十三の中島 清は昔高校のクラスメイトだったが、いまは銀行の営業回りをしているそうだ。そんなコチコチ頭なヤツでもほかに批評をしてくれるひとがいないので、お願いして読んでもらっている。そして酷評されている。
そんなにおれの小説は悪いのか? 推理作家である赤川次郎の作品なんて吸血鬼が殺人事件を解決したりしている。白狐が殺人事件を解決、という着眼点はいいはずだ。
夜の動物園で殺人事件。それを白狐が解決する。いい案だ、ミステリーファンタジーだと浮かれていた自分は、甘かった。世界観が練られていなかった。何で俺は、こんなにダメなストーリーしか書けないのか。
自己嫌悪と絶望感にうちひしがれ、荒木は夜の町を自宅の方向へ向かって歩き始める。暗い夜道を眺める。リアリティに欠けている設定を、もうちょっと練らなければ、面白い小説は書けない。
ひとりで道を歩いていると、呼びかけてくる声があった。
「もしもし、荒木さん。こっちです」
振り返ると、街灯の下にでかい狐が立っていた。しかも、白狐だった。
「こんにちわ。あたしよ、耀狐」
そいつは、なれなれしく近づいてきて、彼の腕をとった。
「さあ、殺人事件を解決しましょう」
なんだ、こいつは。
荒木は、狐をじろじろと眺めた。どうみても着ぐるみとしか思えないが、この腕の感触はまちがいなく柔らかく、本物っぽい。
「殺人事件? おまえはだれだ? おれとなんの関係があるんだ」
「話をつくりかけといて、それはないでしょ。動物園に放り込まれてやっと脱出できたのよ。そんなあたしをつくっておいてどうよ」
狐は、すねたように言った。
―――おれは酔っている。飲み過ぎだ。
荒木は、ひとりでうなずいた。
―――物語の登場人物が現実社会に現れるなんて。ありがちなライノベだもんな。
「ありがちなライノベだと思ってるでしょう」
耀狐と名乗った狐は、彼の心を言い当てた。ギョッとして腕をふりほどこうとすると、
「あなた、命が危ないのよ。あなたは危険にさらされてるの」
「どういうことだ」
荒木は、薄気味悪いのを通り超えて、少し恐怖を感じ始めている。
「あなたは作家志望なんでしょ」
「―――それと殺人事件と、どう関係があるんだ」
ますます薄気味悪く思い、脱出口をさがして左見右見する荒木。
「おおありよ。あなたたちの作品のせいで、ひどいことになってるんだから。責任とってよ」
狐は、だだをこねる子供のようだった。
身をふりほどこうとしたが、鋼の手錠みたいにはずれない。狐から解放されるには、その言い分を聞かなければならないようだ。
「―――わかったよ。言うとおりにするよ。頼むからその腕を放してくれ」
「よかったわ、すぐ動物園へ行きましょう。現場検証よ」
気は進まなかったが、ほかに選択肢はないようだ。荒木と狐は、動物園へ向かった。