新たなる道のり
一週間後、僕は宣言どおり退院することとなった。完治はしていないが、自宅療養という結果に落ち着いた。
完治どころか半分も治っていない状況だが、病院の雰囲気がどうも苦手だったので早々に退院してしまった。自室に籠ることには何も感じないのに、何故か病院の個室だと息苦しさを感じてしまう。
自宅が一番落ち着くのはこの世に生きている大体の人間が思うことだろう。だから僕は正常だ。
「ただいま」
久しぶりの我が家の玄関をくぐると、元気な足音が聞こえてきた。
「おかえり、お兄ちゃん!」
「ただいま、綾里」
綾里の笑顔が僕を出迎えてくれる。綾里の様子からして、家で何か問題があったわけではないようだな。いやぁ、よかった。実は入院している間も家の様子をずっと心配していたんだ。これで肩の荷が一つ降りたな。
「康太!」
「あ、母さん。ただいまー」
そんなに焦った顔をしてどうしたんだろう。僕の入院費が足りなくなって借金をしてしまったとかか?
「心配したのよ! 夜出歩いて家に帰ってくると思ったら病院にいるんだから! どれだけ心配したと思っているの!」
母さんの顔を見ると目が赤くなっていることが分かる。まさかとは思うが泣いていたのか? こんな僕なんかのために?
「夜中を歩いていたら転んで尖った木に手を貫かれたって聞いたときには心臓が止まるかと思ったわよ!」
おい、誰だこんなデマを母さんに伝えたのは。
綾里は僕を見ながら苦笑している。やっぱりお前か。確かに事実は伝えないようにしようという取り決めをしたけどさ。もう少し現実味のある理由は思いつかなかったのか?
まぁ、母さんは信じちゃってるみたいだしいいけど。こんなことでは将来詐欺師に簡単に騙されてしまいそうで怖い。
しかし、母さんが僕のために泣いてくれるとは。僕のためとはまだ確定していないけど、可能性は高いよなぁ。
一年前に見放されているものだと思っていた。演技ってわけでもなさそうだ。そもそもこの場で演技をしてもメリットがない。
そう理解したとき、言い表せない不思議な感情が芽生えてきた。少なくとも悪い感情ではない。
あぁ、誰かに心配されるとこーゆう感情が芽生えるんだな。
病院にいたときから似たような感情はあったけど、今はっきりと分かった。
「心配させて、ごめん」
少し口ごもりながらもなんとか意思を母さんに伝えることができた。
「もういいの・・・あなたが無事ならそれで」
「ありがとう。でもちょっと疲れちゃったから、休ませてくれない?」
「あら、そうなの? ゆっくり休みなさいね。ところで晩御飯は何がいい? 退院祝いってことでいつもよりも豪勢な物にしようと思うんだけど」
「そうだなぁ・・・」
病院食は決して不味くはなかったけれど、どれも味が薄いものばかりだったから何か味付けが濃いものが食べたい気分だ。
「綾里は何か食べたいものあるのか?」
意見がまとまらなかったので綾里の意見を参考にすることにする。こんな家族っぽいことをするのは久しぶりだ。前とは何かが変わったっていう証拠かな。
「私はなんでもいいよー。お兄ちゃんの退院祝いなんだから、お兄ちゃんが決めるべきだよ」
それは一理あるなぁ。じゃあ今頭に思い浮かんだものを言っておくか。
「じゃあ肉じゃがで」
「なんだか随分と質素なものを所望するのねぇ。本当にそれでいいの」
「いいよそれで。なんだか肉じゃがってオフクロの味って感じがするし」
人によっては味噌汁だったり卵焼きだったりと色々と違うんだろうが、僕が想起するオフクロの味は肉じゃがだった。家であまり食べた経験がないにも関わらずに。
まぁ理由なんてどうだっていいのだ。今食べたいと思ったこの気持ちを大事にしたいのです。
「じゃあ今日は肉じゃがね。出来上がるまでしっかりと休んでおきなさい」
母さんはキッチンへ行き冷蔵庫から色々取り出し始めた。多分肉じゃがの材料を取り出しているのだろう。買いに行かなくても最初から肉じゃがの材料を備えてあるなんて準備がいいな。
「私は少しお母さんの手伝いでもしようかなーっと」
綾里もキッチンに行ってしまった。これだと僕が怠け者みたいじゃないか。事実か。
しかし僕が怪我をすることによって家族との距離が近くなった気がする。何かを得るためには代償を払わなければいけないというのは本当だったんだな。
怠け者は怠け者らしく、自室のベッドでゆっくりと休むとするか。久しぶりの自室に少しわくわく。
自分の部屋に戻るとベッドにダイブする前に携帯を確認した。実は母さんと話している間に携帯が震えていたのだけど、あの場で携帯を確認するほど空気が読めない奴じゃないぜ。
新着メールが一件あった。勿論送り主は夜町さんだ。夜町さん以外に僕のメルアド知ってるやついないし。
確認するとこんなことが書かれていた。
『これからもずっと、よろしくお願いしますね。康太くん』
内容はいたってシンプルだが、何度も読み返してしまった。このメールは保護することにしよう。僕が挫けたときに重宝することになりそうだ。
『こちらこそよろしくお願いします。今まで以上に世話をかけさせてしまうかもしれませんが、大目に見てください』
返信っと。やけに固い文章になってしまった。敬語で文を書くと何故か落ち着くんだよな。これって僕だけに限った話なのかね。
メールを送ってから数分後、ベッドで横になって幸せを噛みしめていたときに再び携帯が震えた。もう返信がきたのか。
『大丈夫です! むしろどんなことでも私に頼んでいいですから!』
夜町さんのテンションが上がっているのが文章からひしひしと伝わってくる。感情が分かりやすい人は付き合いやすい。
もう将来働かないで夜町さんに養ってもらおうかなー、なんて。流石に男としてそれはまずいかー。
返信しようかと思ったが眠気が一気に襲ってきたので携帯を近くの机に置いておく。メールに慣れていないから疲れたのかもしれない。
ベッドに横になって今後の自分を思い浮かべる。
全てがうまくいくとは思ってないけど、自分が納得できるくらいには頑張りたいです。作文にまとめたら素晴らしい文章になりそうだ。
さぁ、今日から自分革命の始まりだ。この先どうなるかは分からない。僕にできるのは前に進むことだけだ。
休憩しながらでもいい。遅くてもいいから前に進もう。後ろのことなど知ったことか。大体そんなものを見る余裕もないのだ。
これはハッピーエンドと言っていいのだろうか? 事実がどうであれ、自分がそう思うならそうだってことにしておくか。