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ヤンデレ彼女の社会復帰政策  作者: 羊羽 一
19/22

狂い咲く花々

 公園に到着する頃には多量の汗をかき、服が重くなってしまっていた。ここのところ続くランニングに日頃から運動するこが大事であると改めて認識した。


「待っていましたよ、康太くん! 私今大ピンチです!」


 僕既に疲労困憊している僕の姿を見つけて夜町さんが声をかけてくる。声の調子からしてあまりピンチであるようには思えないが、とりあえず夜町さんのことを信じることにしよう。


声の方向を向くと夜町さんの目の前にもう一人誰かがいることに気づく。


 ここからじゃよく見えないな。夜町さんの視力と僕の視力には大きな差があるらしい。


「よく来たね、お兄ちゃん。今からお兄ちゃんをたぶらかす悪い女を黙らしてあげる。」


「お兄ちゃん!?あなた康太くんの妹さんなんですか?」


 え、なに、どういうこと。なんで綾理がこんなとこにいるんだ。それに今物騒なことを口走っていなかったか。


 状況に付いていけず、自らの目で真相を確かめるために二人の下へと近づく。目の前の光景は幻想ではなく、現実のものだということに唖然とする。


 しかも綾理は右手に僕の家のものであろう包丁を手にしている。なんでそんなもの持っているんだ。今から夜町さんとクッキングでも始めるつもりなのか。綾理の雰囲気からしてどうクッキングの可能性は限りなく低い気がする。


「綾理、これは一体どういうことだ」


 綾理に状況の説明を求める。しかし返ってきた答えは僕の予想の斜め上をいくものだった。


「今まで家から出なかったお兄ちゃんをたぶらかして、自分の好きなように扱っている女はこいつでしょ? 今まで見てきたから私にも分かるよ」


 とんでもない誤解をしている気がする。それに今まで見てきたってなんだ。夜町さんと綾理は初対面じゃないのか。


「この女は嫌がるお兄ちゃんを無理矢理連れ出していたよね。お兄ちゃんが嫌がっていることくらい顔を見れば分かるよ。だって兄弟だもんね」


 僕が聞きたいのはそこではなく、何故僕と夜町さんが会っていることを知っているのかという点なんだけど、僕の思いは届いていないようだ。兄弟ならそれくらい分かってくれてもいいじゃないか。


 綾里が僕と夜町さんが会っていることを知っている理由。予想はついているけどあまり考えたくないなぁ。


 それでも兄として真相を知らねばなるまいと義務感を覚え、綾里に尋ねてみる。


「もしかしてさ・・・今まで僕と夜町さんが会うところをずっと見ていたのか? 」


「ストーカーみたいな言い方をしないで。私はお兄ちゃんを守る守護神みたいなものなんだからね」


 うわ、やっぱり後をつけていやがったか。ということは前に聞こえた声は幻聴などではなく綾里の声だったということか。うちの妹はあんな恐ろしい声を出せるようになっていたのか、成長したものだなぁ。


 しかし兄が見ていないうちに随分と積極的な子になったもんだ。素直に喜んでもいいことなのか判断に苦しむ。


「私と康太くんのラブラブな日常をこっそり見ていたなんて! 見るならもっと堂々と見るべきです!」


 ここまで黙っていた夜町さんがいきなり声を出したので少し驚く。色々と突っ込みたいところはあるが、一つだけ訂正させてもらうと僕と夜町さんの過ごした日々はどちらかといえば非日常だ。あくまで個人的な意見だが。


 ラブラブというところは訂正しなくてもよかろう。だって事実だしね!・・・事実だといいなぁ。


 しかし僕も人のこと言えない立場だと思うが、緊張感が欠片もないな。目の前の女の子は包丁を装備しているんですよ?


 状況を再認識すると大変危険な状況であるということを改めて思い知った。とにかく綾里の持っている物騒なブツをどうにかしなければ。


「綾里、とりあえずその手に持っている包丁を地面に置こう。料理がしたいなら今度ゆっくり教えてやるから。大丈夫、時間だけは山ほどあまっているんだ」


  料理なんてしたことはないので当然教えることなど不可能だが、今はこう言っておこう。まぁ本とか読めばなんとかなるだろ。


 そんな軽い気持ちで言ったことが綾里に見抜かれたせいか、綾里の返答は僕の期待を裏切るものだった。


「この包丁はね、料理をするために持ってきたわけじゃないの。非力な私がお兄ちゃんのことを守るために持ってきた私のお守りなの」


 物騒なお守りもあったもんだ。もしかして神社とかで普通に売っているのか。現実世界に疎い僕が知らないだけで、今どきの女の子は包丁を常備するものなのだろうか。


「さぁ、康太くん! 私は康太くんの妹さんに包丁でグサリと一突きにされてしまう大ピンチです! 見事にこの状況を打開することができたらきっと康太くんの社会復帰レベルはうなぎ昇りです!」


「夜町さん・・・本気?」


「もちろん本気です! 私の王子様、かっこいいところを見せてくださいな」


 王子様と言われるのは満更でもないが、この状況だとなぁ。


 夜町さんは満面の笑みで発言している。どうやら冗談の類ではないようだ。

 あまりにも現実離れした光景に感覚が追い付いていないのかも。実際、僕も予想だにしない光景を目の前にして不思議と恐怖はなかった。


 ゲームや映画のワンシーンを見ている気分に近い。仮に何かあってもやり直せる、そんな感覚。


 現実でそんなことはあり得ないなんて知っているのに。感覚を目覚めさせないといけないって分かっているのに。


 それでも目覚めないのは、普段の綾里と今の綾里を結びつけることができないからかな。


「さっきからあんたは何様のつもりなの? お兄ちゃんはあんたなんかの王子様じゃない。私の王子さまよ」


 綾里が夜町さんに反発してそんなことを言うが、それは違う気がするなぁ。だって僕達兄妹なんだぜ。


「お兄ちゃんのこと何も知らないくせに。出しゃばったことしないでよ!」


 綾里が声を荒げて夜町さんに反論する。その声に偽りはなく、心の底から想いを吐き出していた。


「確かに康太くんの全て知っているわけではありません・・・。それでも私は康太くんのことを誰よりも愛しています! 康太くんが仮に社会復帰に失敗してしまっても、私は康太くんのことを愛し続ける自信があります!」


 夜町さんも心の底から反論している様子。二人の言い争いを聞いていると自分の惨めさに泣きたくなってくる。


 夜町さんの言葉を聞いても綾里に怯んだ様子はない。それどころか夜町さんの言葉を鼻で笑っているかのように見える。


「お兄ちゃん、昔はもっと活発な人だった。確かに色々あって引きこもっちゃったったけど、それでも本質は変わらなかった。お兄ちゃんはどんな風になっても、私のお兄ちゃんだ」


 綾里の語りを夜町さんは黙って聞いている。僕も綾里の次の言葉を黙って待っていた。綾里の本音を僕は兄として、一字一句漏らさず聞き取る義務がある。


「お兄ちゃんは少し立ち止まっているだけ。もうちょっとしたらきっとまた普通の生活を送れる。それはちゃんと分かっていた。それでもお兄ちゃんが昔と比べて私とあまり話してくれなくなったのは悲しいことだった」


 初めて聞く綾里の本音。真面目に考えたことがなかった綾里の心情に僕自身が揺さぶられる。


「そんな時に現れた邪魔者があんた・・・。お兄ちゃんが本来行くはずだった方向から逸れてしまった。そんなことは誰も望んでいなかったのに。あんたが余計なことをするから! お兄ちゃんは前より構ってくれなくなったんだ! 私のお兄ちゃんを返せ!」


 後半から綾里の眼は血走り始めていた。綾里の言う通り、引きこもり始めてからはあまり綾里と関わることがなくなっていた。しかしそれは綾里がこんな出来損ないの兄を嫌っているのではないかと危惧していたからであって、決して夜町さんのせいではない。それは綾里本人も重々承知しているはずだ。


 それでも夜町さんのせいにするのは、何か理由が欲しかったからだろう。僕が不甲斐ないせいで綾里に辛い思いをさせていた。そのことが僕に重くのしかかる。


 夜町さんは流石にこたえたのか、黙って俯いていた。肩を震わせているのでもしかしたら泣いているのかもしれない。


 これ以上黙って見ているだけでは何も解決しない。そう判断した僕は綾里に自分の想いをぶつけることにした。


「綾里。僕が人と関わらなくなったのは夜町さんのせいじゃない。全部僕のせいなんだ」


「お兄ちゃん、何を・・・」


「綾里が僕を心配してくれるのは嬉しい。でも夜町さんをこれ以上追い詰めないでやってくれるか?」


「康太くん・・・」


 僕の言葉に反応して顔を上げた夜町さんはやはり泣いていた。夜町さんは何も悪くないのに。


「僕が今、こうやって話せるのも夜町さんがこんな僕を見捨てないでいてくれたからなんだ。確かに夜町さんのやることは唐突なことばかりで振り回されることもあった。それでも僕は確かに成長していたんだ」


 僕と夜町さんのやってきたことは決して無駄なことではない。それだけは胸を張って言えることだった。


「ごめんな、綾里。僕が情けないせいで余計な心配をさせちゃって。だけど僕はもう大丈夫だ。これ以上綾里を心配させるわけにはいかないもんな」


 そうだ。これ以上人に迷惑をかけるわけにはいかない。過去に決別し、新たな未来を作り出さなければならない。自分の足で前へと進んでいかなければいけない。後ろに下がるのはもうこれまでだ。


「康太くん・・・学校にきてくれるんですか?」


 夜町さんが恐る恐る僕に質問してくる。


「夜町さんにも会いたいし、なんとか行けるようにしてみるよ」


 曖昧な答え方をしてしまったが、夜町さんはそれで充分らしく、歓喜している。

「やりました! ここまで頑張ってきたかいがありました!」


 綾里は下を向いて震えている。僕の前向きな発言に喜んでいるのかな。


 何はともあれ、これで丸く収まったはずだ。ここから先の未来は僕の努力次第。正直まだ人と話すことには多大な抵抗を感じるが、徐々に慣れていかなければ。

 僕がそう安堵していると、綾里が急に顔をあげ、声を荒げた。


「またあんたが私からお兄ちゃんを奪ったな! これ以上私からお兄ちゃんを奪うなあ!」


 綾里の激昂という予想外の展開にたじろぐ。僕の言葉では納得してくれなかったのか。


 右手で持っている包丁を前に構え、綾里が突進し始める。もう自分でも何をしているのか分からないのだろう。それほどまでに綾里は追い詰められているのか。


「夜町さん! 危ない!」


 綾里が向かう方向は夜町さんのほうだった。何故僕じゃないんだ。死ぬとしたら僕のほうが相応しいだろう。


 もっと早く綾里が追い詰められていることに気づいていればこんなことにはならなかったかもしれない。しかし、後悔しても時すでに遅し。綾里の突進による被害を防止することはできず、血が流れるという最悪の結末を防ぐことはできなかった。


 ただし、血が流れているのは僕だけど。


「え・・・?」


 どちらが言った言葉なのかは意識が飛びそうなほどの痛みに襲われている僕にはよく分からないけど、とりあえず驚かれているようだ。


 そりゃそうだよなー。僕自身も今の状況に大変驚いている。


 刺されたのは右手の掌。とっさに飛びだして右手を突き出した結果だ。急所を刺されなかっただけマシだと思うことにしよう。


 右手から血がドクドクと流れ落ち、地面に血の跡を残す。こんなに流血したのは恐らく人生初の体験だ。第二位でりんごの皮むき中に指をきったという事例がランクインするかな。


「嘘・・・? なんでお兄ちゃんが? え? なんで? どうして?」


 綾里は現状起きていることを信じられないかのように狼狽えている。まるでこの世の終わりを目前にしているかのような表情で。


 それに対して僕は不思議と冷静でいられた。あまりにも現実離れしたことが起こると痛みも麻痺するのかな。今の僕には好都合だ。


「綾里・・今まであまり構ってやれなくてごめんな」


 謝罪の言葉を口にすると、綾里は慌てて右手に刺さったままの包丁を引き抜く。かなり痛かったがここは我慢だ。喚いたら兄の威厳が失われてしまう恐れがある。


「僕はお前を置いてどこかへ行ったりなんかしないよ・・・何年たってもお前の兄であることには変わりないんだ。だから心配するな」


 僕の精一杯の言葉を綾里は静かに耳を傾けている。今度こそ僕の言葉が通じているといいな。


「お兄ちゃん・・・。ごめんなさい。ごめんね、お兄ちゃん・・・」


 抑えきれなくなったのか、綾里は僕の胸に顔を埋めて泣き出した。その際綾里の顔に右手から今も流れ続けている血が付かないように細心の注意をはらい、左手でなでてやる。


 綾里は真面目な子だ。僕と血が繋がっているとは思えないほどに。真面目すぎる故に少し道を踏み外してしまった。


 綾里には二度とこんな思いをさせたくない。これ以上綾里を悲しませるようでは兄失格だ。


 そう強く思っていると後ろから怒号が聞こえてくる。


「貴様! よくも康太くんを傷つけたな! 絶対に許さない! 許してたまるものか! 」


 夜町さんから発せられている言葉とは思えないほどの汚い言葉が僕の耳に侵入してくる。


「いかなる理由があろうとも康太くんを傷つける奴は私が制裁してやる!」


 僕は大した傷じゃないのに。夜町さんは大層お怒りだ。どうしよう。このままじゃまた誰かの血が流れてしまってもおかしくないかも。


「夜町さん、僕は大丈夫。右手を刺されただけで命に別状はないよ。だから安心して」


「嘘だ! 康太くんは嘘をついている! 康太くんは誰よりも優しいから、誰も傷つけないように嘘をついているんだ!」


 まぁ確かに激痛は続いているから嘘と言われればそうかもしれないが。


 綾里は豹変した夜町さんに怯え、今にも逃げ出しそうだ。怖がりなところは変わっていないな。


「夜町さん・・・」


 未だ感情を鎮めることをできていない夜町さんに対してどうすればいいか分からなくなった僕は考えた末に、一つの行動をとることにした。


 夜町さんの元へと歩いていく。夜町さんはその間も血走った目で僕を見つめている。


 夜町さんの目の前に立った僕は、両手を広げて夜町さんに抱き付いた。


「え・・・?」


 夜町さんが混乱しているのがよく分かる。初めてこんなことしたけど恥ずかしいなー。女性との付き合いがろくに無いからなぁ、僕。あったとしてもこんなことをする勇気はないだろう。緊急事態を除いて。


「僕は大丈夫だから。夜町さんも落ち着いて」


 なんか今の僕ひょっとするとかっこいいことしてるんじゃないだろうか。ナルシストでは無いはずだが、そう思ってしまう。


「夜町さん・・・大好きだよ」


 何か考えていたわけではないのに、言葉が勝手に口から流れていく。言ってすぐに赤面していることが自分でも分かった。


「康太くん、私嬉しいです。ありがとうございます」


 ようやく冷静さを取り戻したのか夜町さんが先程までの状態に戻っていた。いやぁよかった。これでハッピーエン・・・ド?


「康太くん!」


「お兄ちゃん!」


 僕の周りに綾里と夜町さんが駆け寄ってくる。なんか二人とも身長が高くなっていないか?


 しばらくして自分の身に何が起こったのかようやく理解する。

 そうか。僕は今地面に倒れこんでいるんだな。


「しっかりしてください、康太くん!」


 夜町さんの声が何故か遠くに聞こえる。さっきからなんだかふらふらするなぁと思っていたらいつの間にか倒れてしまっていた。血を流しすぎたのだろうか。


 あーやばい。思考すらもぐちゃぐちゃになってきたかも。夜町さんと綾里をこれ以上心配させるわけにはいかないから、ここは一つ男らしいところを見せねば。


「二人とも・・・僕は大丈夫だ。なんたって無敵だからね」


「そんなわけないでしょう! 救急車を呼ばないと」


「お兄ちゃんこんな時に冗談を言わないでよ!」


 二人を心配させないように言ったのに効果は真逆だったようだ。これは予想外。

 救急車なんて呼ばなくてもいいよー。なんて言おうと思ったのに上手く口が動かない。というか非常に眠い。普段から飽きるほど寝ているのに。


 まぁ今日は頑張ったし、少しくらい寝てもいいか。


「康太くんしっかりして!」


 今日の僕はいつもよりはかっこよかったよなー。気のせいじゃないはずだー。


 ということで、おやすみなさい、二人とも。目覚める頃には全てがうまくいっていますように。なんて無責任なことを考えながら僕の意識は薄れていった。

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