気持ちの吐露と不穏な影
公園から出て五分ほどが経過したころ。ここまで何も会話していない。
「夜町さん、どうしたの? さっきから元気がないみたいだけど」
僕の固く結ばれた口からようやく言葉が発せられた。何て言おうかと考えた末に結局無難な言葉を選択してしまった。
「・・・私、康太くんのことが大好きです」
「えっ」
再び告白された。前回と違い脈絡もなく告白されたので前回以上に戸惑ってしまう。何回言われても慣れるものではない。
「あ、ありがとう。うれしいよ」
嬉しいが、このタイミングで言われると何か他に意味があるのではと思ってしまう。
「康太くんも私のこと、好きですか?」
僕に同意を求めてくる夜町さん。その顔は心配を隠すことができないといった表情だ。夜町さんは今様々な考えを巡らせているのかな。
「もちろん、好きだよ」
詰まらずに言うことができてよかった。言い切ったはいいが、やっぱり恥ずかしいなぁ。自分の気持ちを臆面もなく前に出すことができる夜町さんは素直に凄いと思った。
「ありがとうございます。嬉しいです」
夜町さんが僕に笑いかけてくる。その笑顔は自然にできたものではなく、無理矢理作っているように僕の目には映った。
「私、心配なんです」
「何が心配なの?」
「康太くんが私と会ってくれなくなってしまうのではないかって。本当は菜々美さんが好きで、私のことを嫌がっているのではないかって」
「そ、そんなことないよ。夜町さんのことは当然好きだし、心から感謝をしているよ」
夜町さんがいつになく落ち込んでいる。ここは男として彼女の元気を取り戻さなければいけない。そんな使命感に押されて言葉を発する。
「夜町さんが僕を誘ってくれていなかったら、未だに僕はあの部屋に引きこもったままだった。それは間違いないと思う。まだ慣れていない人とは話せないどころか目線が怖くてしょうがないけど、それでも前よりは先に進めている。全部夜町さんのおかげだよ」
「康太くん・・・」
ここまで長い文章を話したのは本当に久しぶりだ。不思議と夜町さんの前ではそれが苦ではない。僕は随分と夜町さんに気を許しているようだ。
それもそうだろう。ここまで好意を前面に押し出している人に何も感じないようだ人間としてどこか壊れている。
僕自身全体的に壊れた人間だと思っていたが、まだ救いようはあるのかもしれない。
「ありがとうございます。でも私、そんなに凄いことしていないと思うんです。作戦も今のところ全部失敗してしまっているし・・・」
「結果より過程の方が重要だよ。僕が作戦に参加して行動できていること自体前の僕なら考えられないことだったよ」
決行した作戦二つはどちらもアクシデントにより失敗に終わっている。しかしそのアクシデントのおかげで菜々美と遭遇し、埋まることはないと思っていた溝が埋まりつつある。
このことを夜町さんに言うのは危険だと本能的な何かが告げてきたので黙っておくことにした。言ったら話が振り出しに戻ってしまいそうだ。
「康太くんは優しいですね。だから大好きです」
夜町さんから『大好き』という単語を聞くたびに心がざわめく。こんな風に自分の気持ちを真っ直ぐに相手に伝えることはなかなかできるものではないと思う。
それだけ素直で純粋ってことなんだろうなぁ。それゆえに他の色に染めることも容易ということか。そう考えると少し心配。
まぁ目の前にいる夜町さん以外に少し黒色が入った夜町さんも存在しているよいうだから、大丈夫か。
安心しているとテンポの良い音楽がどこかから聞こえてくる。何事かと思ったが夜町さんがポケットから取り出す物体を見て、その音楽は携帯電話から出ているものだと判明する。
「あ、すいません。ちょっと電話に出てもいいですか」
「どうぞそうぞ」
夜町さんは軽く会釈してから僕から少し離れて通話を開始する。何か重要な電話だろうか。
そういえば夜町さんって大きな会社のお嬢様だったなぁ。会社に方針に関する話って可能性もあるな。急に夜町さんがやり手のビジネスマンに見えてきたぞ。
電話が終わったらしく、夜町さんが僕の元へと戻ってくる。表情は先程と比べて少々曇っている。
「すいません。父に呼びだされてしまいました。何か会社のことについて話があるようです」
予想は見事に的中した。夜町さんも経営に関わっているとしたら凄いな。僕にはそんな能力はないから感心してしまう。
「今日はここでお別れです。また会いましょうね、康太くん」
「うん。じゃあね夜町さん」
夜町さんが僕に背を向けて歩いていく。名残惜しいが大事な用があるというのでは仕方ない。
それにそろそろ外にいるのが辛くなってきたところだ。夜町さんがいる手前平静を装っていたが、内心厳しいところがあった。
まだ人の視線には慣れないなぁ。数日前よりはマシになっていると思うけど。
帰宅しようとすると、後ろから誰かが走ってくる音がする。なんとなく後ろを振り返ってみると、夜町さんだった。
「どうしたの? 何か言い忘れたこととか?」
宿題とか出されたらどうしよう。長い間経験していないから終わらせる自信がない。
「康太くん、携帯持っていますか?」
「携帯? 家に置いてあるよ」
宿題を出されるというのはどうやら杞憂のようだ。
僕の所有している携帯電話は現在自室の片隅で埃をかぶって鎮座している。電話をする相手もメールをする相手もおらず、使うとしたら文鎮として使うくらいしか用途がない無能な携帯だ。
まぁここまで無能な携帯に成り下がったのは僕が原因だろうけど。仕方ないよなぁ。
「メールアドレスと電話番号教えてくれませんか? 最初に言うべきことだったのにすっかり忘れてしまっていました」
「教えたいけど長いこと使っていないから忘れちゃった。ごめんね」
「じゃあ私のアドレスと番号を教えますから、康太くんかた私にメールなり電話なりをしてください。24時間いつでも待っていますから!」
そういうと夜町さんは所有していたメモ帳を一枚切り取りいそいそと自分の番号とアドレスを書き始めた。用意がいいなぁ、夜町さんは。
自分のアドレスと番号を携帯も見ずにすらすら書き込めることに驚嘆している僕だが、案外普通のことなのだろうか? 確かめる術は無いが、夜町さんが凄いということで進めることにした。
「はいどうぞ。ちゃんと連絡してくださいね」
夜町さんからアドレスと番号が書かれた紙を受け取る。遂に僕の携帯電話が活用される日がくるのか。もう永遠に来ないのではないかと思っていたけど。
家に帰ったら早速登録してみよう。使い方を忘れていなければいいけど。無駄に機能が多く備わっている携帯を購入した記憶があるから不安だ。
「じゃあ今度こそ帰りますね。これからも社会復帰できるように頑張りましょうね」
「ありがとう。どこまでできるか分からないけど、出来る限りの努力はするよ」
僕の言葉を聞いて笑顔になる夜町さん。あぁ、なんて眩しいんだろう。
そして夜町さんは今度こそ帰っていった。曲がり角に消えてしまう前に一度だけ振り返って手を振ってくれたのが少し嬉しかった。
さて、これ以上外にいても何もいいことはないので早々に帰宅することにしよう。そう思い夜町さんが帰っていった方向とは反対の方向に歩こうとすると、誰のか分からない少し高めの声が聞こえてきた。
「ゆるさない・・・」
心に直接呼びかけるようなゾッとする声に体が勝手に止まってしまう。聞こえたのは僕の背中の方からだ。
確認したいのに底知れぬ恐怖のせいで思うように体が動かない。今の言葉は本当に僕に向けられたものなのか? 僕とは全く関係のない誰かへの愚痴を勝手に僕のものへと思ってしまっているだけか?
そんな期待を胸に秘めることによって、なんとか体が動くようになった僕は早速声の主を探してみる。
しかし僕の周りには誰一人として存在していなかった。誰もいないというのは僕にとっては心が安らぐので嬉しいことなのだが、この状況だと逆効果だ。
幻聴を聞いただけだろうか? そうだとしてもなんら不思議はない。いつ幻聴を聞いてもおかしくないような狂った生活をしているから。
でも幻聴にしては随分はっきり聞こえたよなぁ。幻聴なんて聞いたことないからどんなものなのか想像がつかないが、ここまではっきり聞こえるものではないと思う。
やっぱり誰かの声・・・? それも僕への?
考えても仕方ない。今出来ることは帰宅して布団に潜って今のことを全て忘れるということだけだ。都合の悪いことを見てみぬふりするのは得意分野なので問題ない。
早足で家へと向かう。帰っている途中で夜町さんのことが心配になる。
先程の謎の言葉が僕に向けられたものだとしたら、解決するのは簡単だ。僕がほとぼりが冷めるまで家から出なければいいのだから。
ただしそれは僕へと向けられていた場合の話だ。僕が恐怖に駆られる直前に夜町さんと行動を共にしていたことを考えると、他の可能性も考えられる。
もしあの言葉が夜町さんに向けられていたものだとしたら。僕には何かできることがあるのだろうか。
湧き出てくる嫌な予感を振り払い、平静を保つ。夜町さんはあんなことを言われるようなことはしていないはずだ。そう信じることで何かが変わると信じて。
どうか僕だけの問題でありますように。そう願わずにはいられなかった。