兄として
食事を終え、自室に戻る。そしてすぐにパソコンの電源を起動した。
夜町さんの親が経営しているというナイトシティチャットにログインする。いつもやっていることだが、夜町さんが関与しているということを知ってからログインすると普段は感じない形容しにくいものを感じる。
ログインしてすぐに『まちこ』という名前を発見する。今日もログインしているんだな、夜町さん。
まちこ さんの発言>「つじたさん、いませんか。いるなら返事をしてください」
いきなり名指しで僕を呼んでいる。偽名ではあるけど妙な気分だ。
やっぱ怒っているってことかなー。そりゃそうだよな。僕だって急に逃げられたらいい気分ではないだろう。
つじた さんの発言>「いますよー」
穏便に事を進めるために少し砕けた口調で書き込む。逆効果にならなければいいのだが。
まちこ さんの発言>「今すぐ公園にきてください」
存在をアピールした途端にすぐに命令されてしまった。なんか怖い。
これはどうしたものだろうか。素直に公園に向かうのは昨日の事を考えると少し怖い。何か良くないことが起こる予感がする。
でもこのまま無視して日常に回帰してしまうともう二度とこんなイベントは起きない気がする。勇気を出してもう一度非日常に飛び込むべきか。
色々と考えてしまうが、分かりやすく考えると人と会うだけのことなのだ。たったこれだけのことに対して非日常などとのたまう人間はそうそういないだろう。
そう思うことによっていくらか気が軽くなった僕は夜町さんに返信する。
つじた さんの発言>「分かりました。今から準備をするので待っていてください」
まちこ さんの発言>「感激です。早く来てくださいね」
結局行くと返事してしまった。夜町さんの怒りが想像しているより和らいでいることを願うばかりだ。
二日連続で外出することになるなんて一昨日の僕には想像もつかなかったな。ひょっとすると無意識の内に僕は外に出たいという欲求を抱えて生活していたのかもしれない。
なら学校にももう行けるかな? いや、やっぱり怖いよなぁ。
自分の中にあるモヤモヤした心を晴らすきっかけになることを信じて玄関に向かった。
玄関に着くと先客がいた。綾里が幾つかの靴を見て悩んでいるようだ。
「どの靴を履いていこうかなぁ・・・」
この景色を見て察するに、綾里も僕と同じくどこかに出かけるつもりのようだ。友人の家にでも行くのだろうか。
綾里は僕と違って人生を謳歌しているからなぁ。毎日気ままに過ごしている僕も人によっては人生を謳歌していると思われるかもしれない。流石にありえないか。
「僕が靴を選んであげようか?」
「えっ、いいの?」
綾里の前を通って外出するのはなんとなく気まずかったのでとりあえず声をかけてみる。
言ってはみたものの、外の情報をほぼ知らない僕にはファッションセンスは皆無である。綾里もそれは承知しているはずだが、僕の発言に対して嬉しそうに反応してくれる。よくできた妹だと思う。それと同時に自分の不甲斐無さに少し罪悪感を覚えた。
「この二つのどっちかにしようと思っているんだけど、お兄ちゃんはどっちがいいと思う? 」
綾里が提示してきた靴は赤色が目立つ靴と黄色が目立つ靴の二つだった。靴に関する知識が無いのでこの程度の感想しか思いつかない。
どっちも似合うよ、なんて言うのもアリだと思うが、それだと決断力の無いダメ兄貴だと思われてしまう。実際ダメ兄貴なのだが、少しでも見栄を張るためにできるだけ早く選択する。
「赤がいいんじゃないか? なんとなく綾里っぽい」
「おー。私もどちらかというと赤よりの意見だったんだよねー。お兄ちゃんありがとうー」
素直に感謝された。悪い気分はしないな。
綾里は僕が選択した靴を履くと、玄関の取っ手を掴みながら僕の方を向いてくる。
「お兄ちゃんもどっか行くの?」
「学校に登校するためのリハビリを兼ねて、少し散歩でもしようかなと」
「今日は休日だから人がいっぱいいるよー。大丈夫?」
うぅ、それを言われるとなんだか急に外へ行くのが怖くなってきてしまった。でも夜町さんとの約束を破る方が後々のことを考えると怖い。
「まぁなんとか頑張るよ」
「そっか。お兄ちゃんファイトー」
そう言いながら綾里は今度こそ外出した。なんか応援なんて随分久しぶりにされた気がするなぁ。応援されるようなことを今までほとんどしてこなかったせいだろうか。
「うしっ」
声を出して心を落ち着かせ、目の前にあった靴を乱雑に履きながら外へ出る。まだ五月だが気温はなかなか高い。日射病には気をつけなければ。