変化する日常
しばらく走って口の中で血の味が広がり始めたところでようやく公園にたどり着く。
「ここまで来れば問題ないわね」
「お前が問題を作ったような気がするんだが」
「揚げ足をとらないで。そんなことより大事な話があるんだから」
事実を述べただけなのに軽くあしらわれてしまった。僕の言葉には重みがないってことなのか?
「とりあえず座ろうよ。久しぶりに走ってヘトヘトだ」
近くにあったベンチにとりあえず腰掛ける。それに続いて菜々美が特に不満も漏らさずに隣に腰掛ける。
それにしても何で逃げたんだろう? 別に逃げる必要性はあの場面では感じなかったぞ。幽霊とかでも見えたのかな。
「それで? 大事な話ってどんなことなんだよ」
さっさと話を聞いて家に帰りたい。一年もまともに人と会話していないのに、こんな試練が連続している。
これも夜町さんの僕を社会復帰させるための作戦とかだったりして。もしそうならこの夜町さんは大物だな。一般人じゃこんなことは思いつかないだろう。流石は夜町さん。
「・・・私は一年前のことを、康太に謝りたいだけなの」
「一年前って、僕が引きこもり始めたあの日のこと?」
「確認しなくても分かるでしょ」
「そんな怒らなくてもいいじゃないか」
最近の若者は怒りっぽいなぁ、全く。もっと世渡りがうまくならないと。
しかし菜々美が一年前のことを気にしているとは意外だ。てっきりそんなこと友達と話す際に話題がなくなったときに仕方なく話す程度の重要性しかないと思っていたのに。
「私はあの時のことを思い出すたびに苦い思いをしているわ。こんなことを感じてしまうなんて康太にとってはあまり気持ちのいい話ではないだろうけど」
「まぁ、僕もあの時は相当参ってしまったからね」
苦い思いなら僕の方が上だろう。基本的に常に自分に自信が無いのだがこれははっきりと言える。
「本当にごめんなさい」
「謝罪してくれる気持ちは嬉しいけど、何故僕を突き放すようなことを言ったの?」
こんな風に質問すると僕が凄く嫌な奴みたいだけど放っておいたらいつまでも心の中で燻ってしまう。ならば早いうちに聞いた方が賢い選択ってものだろう。
「それは・・・」
菜々美は言いにくいことがあるのか、それとも慎重に言葉を選んでいるのか。どちらにも取れる対応で僕を焦らす。まぁ気長に返答を待つとしよう。意外と待つのは得意なんです。
「そもそも私たちはいつからあまり話さない間柄になってしまったのかしら」
「え? 急にどうしたの?」
「答えを考えているうちにそんな疑問が発生してしまったのよ。何でだと思う?」
「何でって・・・」
なんとも答えにくい疑問だ。人間関係に関することを真面目に話すのはなんとなく恥ずかしいなぁ。
「中学校に入学してから少しずつ疎遠になっていった気がする」
「やっぱりそれくらいになるのね。私と同じ意見よ」
こんなことを聞いて一体どうしたいんだろうか? 過去のことをいくら話し合っても何も変わることはないのに。まぁこれで菜々美が一年前のことについて話す気になったのなら構わないか。
「そろそろ本題を話してよ」
待っても良かったが、過去の話は本題を話してからしても遅くはないだろう。菜々美の態度からして、疑問に思ったから話したというよりは時間稼ぎの為に無理矢理話題を作っている感じがするし。
「私は・・・好きなのよ。」
「誰のことが?」
「これ以上恥ずかしい思いをさせないでよ・・・。この話の流れから康太以外に人物が思いつく?」
え、なにこの流れ。一日に二人の女の子から告白されるとかこんなことありえるのか? こんなの小説とか漫画とかのフィクションでしか起こりえないことだろ。
もしかして今僕がいる世界はフィクションなのか? そんなわけねーか、ははは。
菜々美の顔を見て真相を読み取ることを試みてみる。菜々美の顔はほんのり赤く、よくみると震えている。言いたいことを言い切ったことの証拠になるのかこれは? だとしたら本当ってことか、これは。
「黙ってないでなんとか言ってよ」
菜々美が先程と比べて少々早口になっている。うわ、なんか凄く恥ずかしくなってきたぞ。
「ちょっと待って、だって菜々美は僕のことを・・・」
「辻本が夜町さんに告白したということを知って、何か黒い気持ちが私の中に生まれたの。あのときの気持ち悪さは今でも忘れない。その気持ちのままに辻本にあんなことを言ってしまった時は本当に後悔したわ」
あの時の菜々美がそんな状態にあったなんて全く検討もつかなかった。自分のことで精一杯だったあの時、自分以外に思いを馳せることが可能だったとは今でも思わない。
菜々美の気持ちを聞いて急激に恥ずかしくなってきた。僕の顔も赤く染まり始めているかもしれない。過去にも菜々美を異性として意識したことは何回かあったけど、自分には無理だと諦めて、いつの間にか他の人を好きになっていた。
しかし、それでも今の僕は夜町さんのことが好きだった。この気持ちは変わっていない。
「辻本はどうなの? 私のことをどう思っているの?」
菜々美が顔を赤くしながら答えを求めてくる。そんな顔で見られるとどうすればいいのか分からなくなってしまう。でも、ここは断らないと。
「僕は夜町さんのことが好きだ。その気持ちは今でも変わらない」
途中で噛みそうになりながらもなんとか自分の気持ちを伝えることができた。少し心が痛んだが仕方ない。
「やっぱりそうか・・・」
菜々美は僕の答えを予想していたのか、表面上はあまり感情に変化が見られないように見える。真実は菜々美しか知りえないことだ。僕が知る必要はない。
「じゃあ、僕は帰るね。菜々美も早く帰らないと。女子がこんな時間に出歩いていたら危ないよ」
こんな説教じみたことを言える立場ではないよな、と自虐してみる。こんなことを思わずにいられるようになるにはどれだけの時間を必要とするのか。
僕がベンチから立ち上がり、公園を出ようとすると菜々美が後ろから声をかけてくる。
「もう夜町さんとは会わないほうがいいよ」
予想外の言葉に振り向くと、菜々美はさっきまで赤面していたとは誰も思えないような真面目な顔を僕に向けていた。
「あの人と仲がいいわけじゃないから分からないけど、なんだか凄く危ない気がするの。これ以上近寄ってはダメ。嫌な予感がするの」
僕も今日一日で夜町さんがただの清純な美少女ではないということを薄々感じてはいたが、深く考えないようにしていた。なのに菜々美の言葉で一気に現実に引き戻された気分だ。
「これは夜町さんが憎くて言っているわけじゃないの。康太のことが心配で・・・」
菜々美は僕よりも一年分多く学校での夜町さんの情報を掴んでいる。学校でもあんな風に危ない一面を見せたりしているのかな。気にはなるけど、それが学校に再び行く動機となるには少し弱いらしく、結局行くのは怖いという意見に落ち着いた。
「ご忠告どうもありがとう。参考にするよ」
今後の夜町さんと会うかどうかも分からない状況だが、もしまた会うことになったら菜々美の言葉を思い出すことにしよう。
「それともう一つ言いたいことがあるの」
「いくらでもどうぞ」
「学校・・・無理しなくてもいいから、来られたらきてね。私、待ってるから」
ぐはぁ。今の言葉はかなり破壊力があったぞ。菜々美は今の言葉を大したことと思っていないようだが。ここは恥ずかしがる場面じゃないのか。
「じゃあね、康太。今度は学校で会えたらいいね」
そう言うと菜々美は僕とは反対方向に歩いていった。菜々美が再び後ろを振り向くことはなかった。
「さてと・・・」
僕も家に帰るとするかな。夜町さんのことが気がかりだが、今日はもうこれ以上イベントを起こす体力はない。それに今の夜町さんに会いに行くのは少々恐ろしい。
歩きながら今日一日、特に夜町さんに会ってからの数時間について振り返ってみる。
今までの人生でここまで様々なイベントが起こる日があっただろうか。そう思わせてしまうほど今日は色々あった気がする。
明日からまた引きこもり生活かなぁ。今日一日で社会復帰レベルは著しく上昇したように感じられるけど、まだ学校に行くのは気が引ける。
これだけ不登校を続けてしまうと、精神的に問題が無くなっていても、気まずくて行けないという人が沢山いるだろうなぁ。引きこもりあるあるってやつだ。
僕の精神は正常といえる段階に到達してないんだろうな。到達していたらさっきのコンビニでの買い物ももっとスムーズに行けるはずだ。
まぁ未来のことを考えても何も分からないか。今日はもう早く帰ってベッドに横になるとしよう。
昨日までの僕は明日も今日と同じ一日が続くと信じてやまなかった。しかし、今日は明らかに昨日と違う一日だ。
人生というのはなかなか自分の予想通りにはいかない。それを面白く感じる人もいれば、不満に思う人もいるだろう。
僕はどちらの思想なのかな。今日は最近の生活の中では一番出来事が多かったけど、それを不満には思わなかった。案外前者の考えに合致するのかもしれないなぁ。
自分の中で結論づけて、少し足を早める。僕はこんな変化をずっと待っていたのかもしれないな。