第四章 設計者
黒塗りのプレリュードが中国自動車道を西へ向かい走っていた
暗闇の中プレリュードのV‐TECは唸りを上げた
目的地は伸也の実家のある福岡だ
運転しているのは伸也の妹、和子の夫、孝一であった
途中三次のパーキングエリアに止まり休憩を取っていた
助手席には伸也が眠っているかのように座っていた
後部座席には和子と母親そして叔母、プレリュードは四人乗りのはずである
しかしこの時五人乗っていた
「大丈夫かな?」そう皆思っていたに違いない
伸也は、一週間も寝ていなかった
伸也はテレパシーが出来るんだと思い込み妄想ばかりを抱いていた
一番寒い季節二月の下旬、伸也は不眠症気味になり、疲れきっていた
セロクウェルという薬でプレリュードの中、眠っていた
セロクウェルは一般的に処方されている薬で、精神的苦痛を和らげる効果があった
伸也にはこの時の記憶は微微たるもので定かではない
伸也は今も孝一に申し訳ない気持ちでいっぱいであった
伸也の日記はこの日を境にある日まで途切れたのであったのだ
疲労困憊の伸也は、立ち直るのに有に二ヶ月を要した
この間、当然の事ながらEB装置の手入れは本田さんがせざるおえなかった
復職の日、知り合いの誰もが何事も無かったの様に接してくれていた
「私は、また同じことがしたいのですが?」
「ま、ゆっくりしなさい」GLの優しい一言であった
しかし伸也には「もう期待してないよ」と、テレパシーが聞こえたような気がした
結局プレリュードには五年乗り、次は日産セレナを買うことにした
セレナは青色で大人七人が充分に乗れ、ゆったりとした快適な空間が広がっていた
のんびりとした運転が出来ると伸也は思った
セレナはディーゼルで軽油で走る、燃費も悪くない、とても良い車だ
そして、セレナでは高速以外80㌔を越して走ったことは無い
プレリュードとは、大違いだ
伸也はトヨタNOAHにも乗っていた
ま、似たような車だ
これは研究所の車で、UL研と中研の間をウェハーの入った格納ケースを持ち行き来していた
「俺は運送屋してみようかな」
しかしながら、運送屋は生半可なことで出来るものではない
それに伸也には持病の腰痛があり、そのことを阻みかけた
「このプレリュードはどうするんですか?」
伸也は中古車屋さんに話しかけられた
「そうですね、廃車にしてください」
「勿体無いですね、それじゃあうちが引き取りますから」
「よろしくお願いします」
プレリュードとのお別れだった
プレリュードはエンジンの回しすぎで、エンジンの掛かりが悪くなっていたのだ
あとはほとんど無傷で、何処かへぶつけた事も無い
エンジンさえ取り替えれば良かったのだが、勿体無い話である
伸也はU棟の喫煙室でタバコをぷかりと吹かしながら考えた
「U棟クリーンルームに直描装置が入らないなら、転職だな」
「シーケンサーのプログラマーになろうかな?」もう伸也も30歳間近、これからシーケンサーの勉強を真剣にしなくてはいけない
はたして伸也に出来るのだろうか?
「無理かな」
1999年12月、翌年は2000年問題の年、零の雨が降ってくる恐怖の年
「VAエックスのサーバーは大丈夫かな?」そんなの「神山さんがいるから心配ないか」喫煙室で考えを廻らす伸也であった
「よう元気か?」中本GLの声がした。
「はい、あの~レベンソン本当に僕でいいんですか?」
「他に当てがいないからな」
「木村さんにさせてやって欲しいのですが?」伸也は木村を推した
「しかし木村はレジストもあるからな」
「そうですね、多分これが僕の研究所での最後の仕事になります」
「え、何言ってんの伊藤君」
「はい、シーケンサーのプログラマーになりたくて、だから設計部門のプログラマーに」
「ほう、ようゆうた、これから勉強か?」
「今、やり掛けています」
「じゃあ、しっかり頼むよレベンソン」中本GLはタバコを片手で持ち伸也の肩をポンポンとたたき揺すった
(レベンソンが直描でやっているレジストパターン形成するには必要なんだな、プログラムもすぐに出来るだろう)
U棟からNVL棟に行こうとした時、U棟入り口で木村に会った
「例のプログラム出来たよ~」
「えっ、もう?まだ一週間も経ってないよ」
「今日、試験的に設計データを変換してみる。データは中本さんが造ったんだって」
「あの人も若いころは、設計者志望だったからね」
「一緒に観て欲しいの」
「いいよ」
春は曙、朗らかな日和であった
「もう春なんだなあ」
なぜに俺がまたOHPを作製してるんだろう?
『レベンソンにおける設計データのデータ変換プログラムを使っての0.1μmのレジストパターンの形成技術開発について』
これが、二度目の応用物理学会の発表の表題である
「え~~レベンソンについては設計段階からのデータ製作が必要となり、そのシミュレーションを行ったところ・・・」
「・・・これによって、レベンソンを使ったレジストパターンの製作が可能となります」
伸也の二度目の応物学会での発表は東洋大学工学部で開催された
そこは都会の中の立派な校舎で、まるでビル街のようだ
「東京か」伸也は呟いた
『プログラマー』伊藤伸也が誕生する半年前のことでした
C棟セミナールーム横のトイレにて、伸也は下痢気味だった
「くそっ」
「昨日のカレーが中ったに違いない」
シャカシャカ、トイレットペーパーをくるくると手に巻いた
「おはよう」U棟の入り口で木村に会った
「お早くないわよ、今日の会議サボりなんだあ」
「えっ、知らんよ、あっ俺もう新リソグループじゃないんだ」
「なんでぇ、今日から?」
「そう、スーパー宙ぶらりんと呼んでくれ」
「もう、それより聞いたあ?藤本さん設計ですって」
「知ってるよ~あの人も凄いよね、働きながら博士号取ったんだから」
「私たちは見捨てられたのね」
「そんなんじゃないと思うけど」
伸也は先にプログラマーになりますと木村に言おうとしたが、忙しそうだったので其の時は止めた
U棟の机を伸也は片付けようとしていた
そこへ本田さんが現れ伸也に「お別れだね」と一言告げた
「本田さんと木村さんの結婚披露宴には呼んでくださいね」と伸也は呟いた
伸也は本田さんから旅行のおみあげに、ビードロを渡された
そのビードロは今でも大切に持っている
日記にはこう記した
(L直描Gの皆さん今まで有難う御座いました。短い間でしたが、お世話になりました。これからが大変でしょうが、皆さん頑張ってください)
翌日、C棟の計算機室を抜けその2階の奥の事務所へ向かった
「おはようございます」伸也は深々と頭を下げ、向かいの机に座っている人物へ挨拶をした
これが、設計室取りまとめ役の井本部長との出会いでした
井本さんは長身で眼鏡を掛け、何処と無く歳を取った『要潤』と言う感じの人であった
「短期出張や長期の出張があるが、大丈夫かね?」
「はい、行けます」いつもより少し大きめの声を伸也は出し返事した
制御盤や配電盤は、至る所にある
設計グループの設計第二課、主に制御盤を扱う部署に就くように言われた
とりあえず研修期間として、三ヶ月田本リーダーの下、修行ということになった
「一般的にシーケンサと呼ばれている物は、プログラマブルコントローラのことで、リレー回路の代替装置として開発された制御装置である」
田本さんは親切に教えてくれた
「シーケンサプログラマーは情報処理技術の分野というより、どちらかと言うと電気工事士などの電気技術者の領域である」
「プログラムはリレー回路を模した図に変換することが出来、その図をラダー図といいラダー論理によって作成される」
最近のシーケンサではフラッシュメモリーが使用されていることが多いらしい
伸也は、エレベーターのシーケンスプログラムを眺めた
「このスイッチがОNになると、この接点がОNになるんだ、で、ここが保持プログラムで~」
『ラダー論理』か、リレーの接点が五百も有るなんて
一週間後、伸也は制御盤製作工場にいた
「凄い数の制御盤ですね」伸也は田本さんに興奮したように話しかけた
「これは、大体納期が半年というところだ。今、丁度配線が終わりこのあと配線のチェックをするんだ」
「その前にねじ閉めをしてもらいたい」
伸也にプラスドライバーが渡され、数百個のねじ締めを命じられた
これは大変重要な仕事で、これをしなければ安全性が保たれない
ねじ一個でも脱落したら大変なことになるのだ
「ねじ切ったらあかんで」
田本さんは配線チェックも伸也にさせようと思っていた
配線チェックは制御盤の図面が読めなくては出来ない、伸也は設計図面の勉強をしていた
ねじ一つでも粗末には扱えない、制御盤の命だ
リレー回路の仕組み、先ずはそこから出発することになった
「このスイッチを押すとこのリレーがОNになるのか」
伸也はブツブツと呟きながら図面を読んだ
読んでいるのは安川電機の下請けした神戸製鋼のある制御盤である
その制御盤は高さが210㎝横幅130㎝の大きさで、リレーが50個程つけてあり、あとはブレーカーが八つ
そして、シーケンサが下のほうに並んでいる制御盤だ
その他、必要な電気部品が中央部に並び、扉にはランプが三つ備え付けてあった
実際の制御盤は工場にあり出荷直前の新品だった
配線は綺麗にダクトにしまわれ、出荷の日を待っていた
「設計者か」伸也は呟いた
(設計者はいなくなっても、その製作した図面は残る。その図面を見て別の設計者が改造を加える、そして又次の未来の設計者が更に改造をする。図面だけは永遠に残るのだ)
八幡製鉄所、線材の制御盤にて
「井本さん来るんですか?」田本さんに聞いた
「二時くらいになるかな、昼飯にでもするか?」
二人は製鉄所の食堂へ足を運んだ
「ここのカレー美味しいですね」
「うん、そうだね」
線材の制御盤のある工場建屋に向かった
「井本さん来る前に、この制御盤の制御しているモーターの回転数を測ろう」
「はい」
グイングイン、激しい音を立て目的のモーターの回転が始まった
「それじゃあ、測ってくれ」インカムから田本さんの指示があった
「了解しました・・・」
シーケンサからの指令道理にモーターは回転していた
「じゃあ、井本さんを正門まで迎えに行ってくれる?」
「はい」
二課の別のグレーのライトバンが正門付近に到着した
「おお、お疲れ」
「お疲れ様です、井本さん」
「行こうか?」
線材の工場に着くや否や、計測器など、ドライバーその他工具の入ったケース、電源ケーブル等を工場内へ運び込んだ
準備は整い、井本さんはタバコを吸いながら片手に図面を持ち眺めた
そして、井本部長の華麗なる舞が始まるのであった
伸也は唖然として、呆然と部長の動きを4、5m離れて見守った
「凄い、これが設計者か」制御盤の有る敷地は薄暗く、ゴーッと扇外機の音がしていて
決して図面に集中できる環境ではなかった
そこで、制御盤から制御盤へ行ったり来たりしている
片手には図面を持っていた
そして、工場の作業員の人たちに指示をし、素早い動きで作業をしていた
『これが設計者なんだ』伸也は感動した
多分、交響曲弟九番を大音量で聞いて見てもこんなには感動しないだろう
伸也は井本さんの作業に感動のあまり涙した
「よし、これで改造終わり」部長は、タバコを吸いに制御盤の有る部屋から出ていった
その時、伸也は何故かプラスドライバーを持ったまま立ち竦んでいた
次の日、伸也は体調が思わしくなかった
「あんな凄いの見せられちゃあなぁ」ブツブツ呟いていた
日記にこう記した
(設計者への道のりは果てしなく長いものになるであろう。自分の実力を知ることも必要だ。
もっと楽に生きようか?それとも自分のしたい事を追及すべきなのか?設計することの重大さを改めて知ることになった)