君ガ奏デル音ノ葉
こんなにも
こんなにも
人は愛しい
―歌が終わった。
最後の、これで本当に最後の歌。
ドラムやギターの音が止み、しっとりとした静寂が淋しさを濡らす。
光溢れるステージの真ん中に首を垂れて立ち尽くす彼の背中を
私は後ろで静かに見つめた。
ゆっくりと深く 深く
体を折り曲げて
何百、何千人いる観客に向かって頭を下げる。
"ありがとうございました"
叫ぶように声を張り上げた彼の顔を
私は知らない。
でも、マイクを通さないその声は
アーティストではなくて一人の人間だった。
観客席から様々な声が飛び交う中で、彼はくるりと振り返り、私たちの方を真っ直ぐ見た。
"今までありがとう。すげー楽しかった!!"
そう言って、また頭を下げる。
大きいと思っていた体が、脆く、崩れてしまいそうなくらい弱々しく思えた。
仲間たちが俯き、鼻を啜る音、
観客の声、
証明のヒカリ、
全てが重なり混じり合う。
そうやってできたこの時が、このまま止まってしまえばいいのに。
"…悪い。
歌、歌えなくなった。"
ここ一週間、体調不良で顔を見てなかった彼の口から、唐突にその言葉を聞かせられたのは
今から大体二ヶ月くらい前だ。彼の真っ直ぐな目が
嘘ではないことを証明していた。
だから私も、他の二人のメンバーも疑おうとはしなかった。
しかし、皆信じたくなかったと思う。若い彼の喉の病気は恐ろしいほど進行が速く、すぐに手術をしなければ命の危険があるほどで
声帯を取らなければいけなかった。
声帯を取れば、まず、今までのような声は出ないし、歌手としては二度と歌えなくなる。
それどころか、手術の成功率というのもさほど高いわけでもなかった。それにもかかわらず
彼は泣いたりなんかしなかった。
絶望しないはずはないのに。
"本当、悪い。
いきなりこんなことになって…ごめん。
早いうちに手術しないとやばいみたいなんだ。…でさ、我が儘かもしんないけど、一つ頼んでいい?"
三人は頷く。
それを見て、彼は頼りなさげに笑った。弱々しく"ありがと"と言って。
彼が望んだのは
最後、五日間のライブ。
喉の状態的にもそれが限界なのだと言う。
そういうことで、私たちはすぐさま準備に取り掛かった。
ホールの確保、
歌の設定、
ファンへの知らせ。
息のつく暇もないほど日々は忙しく過ぎ去ったのだけれど
私はそれが苦痛ではなかった。むしろ、もっとゆっくり時が流れればいいのにと思った。
明日なんかこなければいい。彼の最後の日が来ないように。
それでも時間は止まりっこなくて。残酷にも時を刻んで進む。
ライブ前日、一度だけ彼の弱音をきいた。"やっぱ、歌えなくなるのって怖いな"
リハーサルの休憩時、小さく小さく縮こまって座る背中がわずかに震えていたのを覚えてる。
低く哀しく、その声は空気中に溶けた。
メンバーの二人が無言で彼の肩に手を置いた。
彼がゆっくり頭を持ち上げ、二人に笑いかける。
何度も何度も
"ありがと"って。
笑ってるのに
笑ってなかったから、なんだかとっても悲しくなって
堪えなくちゃいけない涙も呆気なく零れ落ちてしまう。泣きたくなってるのは彼の方。
泣いてしまった私は弱虫だ。
"おーい!泣くなって奏っ"
今だってせう。泣きたいはずの彼の前で
私は溢れて止まらない涙を流し続けてる。
悔しい。
なぜ、彼の喉なんだろう。どうして私じゃなくて
こんなにも優しい人に運命は冷たいんだろう。顔がくしゃくしゃになったけど、止まらない。
拭っても拭っても溢れる。言葉も出ないくらいに熱く、苦しく。
いきなり彼の細い腕が
私を抱き寄せた。
"……んな!!?"
"バーカ!お前、俺が死ぬとでも思ってんの?
言っとくけど、これっぽっちも死ぬ気はありません。奇跡起こして
またココに帰ってくるし。だから私も音楽続けて
俺の場所とっとけよな。"
温かい心臓の音が
きこえる。
ココに存在している。……生きているんだ。
ゆっくりと腕をほどくと、ギター担当のメンバーを奪い、ステージ中央にあぐらをかいて座った。
客席がざわつく。
私たちメンバーも彼が何をするつもりなのかわからない。マイクも持たず、大声で叫んだ。
"これで本当に最後の歌です。
…って言っても、俺はまたココに帰ってくるから
最後じゃなくなるけど。
きいてください。"
初めて聞く音程。
静かになったホールで、彼がギターの弦を弾く音が
悲しみを一つ一つほどいていくように、優しい余韻を残しながら響く。いつ、この歌をつくる時間があったんだろう。
あんなに忙しかった日々のどこに。
ゆるやかなギターの前奏が終わり、声が重なってゆく。
透明で澄んでいて
優しいだけじゃない、真っ直ぐな声。
この声が、彼の歌が、
何人もの心を救ってきた。私も そうだったように。
形のない、やり場のない孤独に怯えていた人達に手を差し延べ、
"一緒に頑張ろう"と微笑んでくれた。
…忘れない。
絶対忘れない。
ステージの真ん中に座って、ギター一本で愛を奏でる姿を
目に、耳に、記憶に、
心に、 焼き付ける。
深く
優しく
一つ一つの音、
一言一言の言葉を
けっして聞き逃さぬよう、耳を澄まして聞き入る。
彼が歌っている間も
一瞬たりとも涙は止まらなかった。
けど、もう寂しくない。温かな気持ちで心は満たされたから。
"生きて…生きて生きて生き抜いてくれ。
たくさんの人を愛して
幸せになってくれ。
俺も生き抜く。
生き抜いてみせるから。"
周囲が歓声と拍手で包まれた。




