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一話 放課後の斜陽、答えのない問い。

 放課後の校舎。

 しおりともりは、校舎の喧騒を離れ、ひっそりと静まり返った廊下を歩いていた。窓から差し込む夕陽が、二人の足元に長い影を落としている。


「……どうしたの。なんか今日、元気なくない?」


 隣を歩く灯が、不意に栞の顔を覗き込んだ。図書室を出てからというもの、栞の視線はずっと、現実ではないどこか遠くを彷徨っているように見えたからだ。


「そんなことないよ。ごめんごめん、ちょっと考え事してただけ」


 栞は慌てて取り繕うように笑ったが、脳裏には昨日の職員室での出来事が焼き付いて離れない。


「そんなことより、灯。部活入るって言ってたけど、どんな部活にするか決めたの?」


 話題を逸らすように問いかけると、灯はスマホの画面をタップしながら、事もなげに言った。


「まだ決まってないんだよね。今からどこかに所属するのもなって思うし、いっそ自分で作っちゃおうかなって」


「いいじゃん。私も一緒に所属しちゃおうかな」


「ほんと? しおと一緒の部活なら、今日みたいに遅くなっても一緒に帰れるし嬉しい」


 灯の迷いのない言葉に、栞の心も少しだけ軽くなる。


「でも、新しく始めるって言っても、何かやりたいこととかあるの? 場所も確保しなきゃいけないだろうし」


 昔からそうだが、灯は計画的に物事を進めるタイプではない。直感で走り出し、最終的に自分が巻き込まれて帳尻を合わせる、それがいつものパターンだ。今回も、肝心の中身は「これから」なのだろう。そんな灯の危なっかしさに呆れつつも、どこか頼りにされている心地よさを感じながら、栞は小さく息をついた。


「とりあえず、場所だけ先に探しちゃおうかなって。ほら、あっち行ってみようよ」


 灯に促されるまま、二人は現校舎から切り離された旧校舎へと続く連絡通路に足を踏み入れた。

 旧校舎は今、部活動の部室棟として利用されているが、放課後のこの時間は驚くほど静まり返っている。埃っぽい空気と、歩くたびに低く軋む床の音。その中の一室、古びた扉の前に立ったときだった。


「…………ない」


 扉の向こうから、押し殺したような、けれど鋭い声が漏れ聞こえてきた。


「ない……ない、どこ……っ!? なんで……っ!」


 ただならぬ気配に、二人は顔を見合わせた。何事かと思い、恐る恐る扉を少しだけ押し開ける。

 そこには、斜陽が差し込む教室の中で、床に膝をつき、山積みの段ボールを狂ったようにかき回している女子生徒がいた。自分たちの赤いリボンとは違う、青いリボン。一つ上の、二年生の先輩だ。

 彼女の周りには、整理されていたはずの備品が無残に散らばっている。結い上げた髪は乱れ、鼻先までずり落ちた眼鏡の奥で、その瞳はひどく充血していた。指先を段ボールの底に潜り込ませ、必死に、何かを手探りするその姿。

 

「…………っ、あ」


 その、今にも糸が切れて泣き出してしまいそうな横顔に、栞は思わず息を呑んだ。

 なりふり構わず、ただひたすらに何かを求める姿は、見るに堪えないほどの悲壮感に満ちている。けれど同時に、その背中からは「誰もこちらへ来ないで」と叫んでいるような、触れることを許さない拒絶の気配が痛いほどに溢れ出していた。


 あまりの熱量に、栞は金縛りにあったように動けなくなる。扉の隙間から漏れ出す冷えた空気が、肌を刺すようだった。

 ――けれど、その震える背中が、今にも夕陽に溶けて消えてしまいそうなほど、ひどく脆いものに見えたのだ。


(……このまま、放っておけない)


 隣で同じように固まっている灯の袖を、無意識にぎゅっと握りしめる。

 そして、喉の奥に張り付いた言葉を絞り出すようにして、栞は静寂を破った。


「……あの、どうしたんですか?」


 栞がおそるおそる声をかけると、先輩の肩がびくりと跳ねた。

 一瞬だけ、すべてを投げ出したような無防備な顔を見せた彼女だったが、すぐに二人が一年生だと気づくと、慌てて眼鏡を直し、氷のような仮面をかぶり直した。


「……誰? 今、取り込んでいるの。部外者は立ち入らないでもらえるかしら」


 手櫛で乱れた髪を整え、眼鏡の端をクイと直しながら先輩は言う。冷たく突き放すような口調だが、その指先はまだ微かに震えていた。


「あ、すみません……。外まで声が聞こえてきたので、何かあったのかと思って……」


 栞が申し訳なさそうに答えると、先輩はふっと力なく、自嘲気味な笑みを浮かべた。


「そう。……申し訳なかったわね。気にしないで。ただの掃除よ」


 先輩の視線の先には、埃をかぶった机や、放置された備品が、夕闇に沈んでいくのを待っていた。

 彼女は、自分がさっきまで何をしていたかを隠すように、最後の手荷物を乱暴に抱え込む。その細い背中は、沈みゆく夕陽を浴びて、今にも崩れそうなほどに寂しげだった。


「何ぼさっと突っ立ってるの。早く出ていってくれないかしら。あなたたちが出ていってくれないと、私、帰れないんだけど」


 それ以上、何も言うことを許さない冷たい拒絶。


 栞と灯は何も言えず、その場をあとにするしかなかった。

 残されたのは、夕日に照らされ埃が舞う、主を失った空き教室。


 栞は、先輩が去っていった廊下の先をじっと見つめていた。

(……あんなに、必死だったのに)


 一体、何があったんだろう。

 答えの出ない問いが胸の中に小さく沈んでいく。

 音を失った廊下で、自分の鼓動の音だけが、やけにうるさく脈打っていた。

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