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婚約破棄されたので、私は私の仕事をします

作者: 石川覚
掲載日:2026/02/28

その夜、私は――王太子に捨てられる予定だった。

リディア・エルヴァインは、王宮の大広間で静かに立っていた。


今夜は春の社交舞踏会。名目上、彼女は王太子アレクシスの婚約者であり、隣に立つべき立場にあるはずだった。

けれど実際、王太子の腕に寄り添っているのは別の少女だ。


淡い光をまとい、周囲から称賛の視線を一身に集める聖女候補――セレナ。


「さすが聖女様ね」

「やっぱり本物は違うわ」


囁き声は、リディアにもはっきり届いていた。

誰も彼女に声をかけない。視線すら、ほとんど向けられない。


(……慣れているわ)


そう思おうとしたが、胸の奥がわずかに軋んだ。

婚約者であるはずの王太子は、一度もこちらを振り返らない。まるで最初から、彼女が存在しないかのように。


――無能な令嬢。

――地味で取り柄がない。

――聖女様の引き立て役。


そんな評価を、リディアは幼い頃から受け入れてきた。自分はそういう存在なのだと、疑いもしなかった。


けれど、不思議なことがある。

舞踏会の準備段階で目にした予算書。

祭事用の魔力水晶の発注数。

警備配置と人員割り当て。


それらを見たとき、リディアの頭の中には自然と「過剰だ」「無駄が多い」「ここを削れる」という考えが浮かんでいた。


(……どうして、そんなことが分かるのかしら)


誰かに教わった覚えはない。

それなのに数字を見ると、胸の奥が落ち着く。


一方で、セレナの奇跡が行われるたび、リディアは言いようのない違和感を覚えていた。

確かに光は美しい。だが、何かが足りない。持続せず、再現性もない。


(聖女様って……こんなに不安定だったかしら)


その疑問を口に出すことはできなかった。

無能な婚約者の分際で、聖女を疑うなど許されない。


リディアはただ、視線を落とし、静かに息を整える。

自分は舞台の端に立つ飾り。そう思い込もうとした、そのとき――


王太子が、場の中央へと歩み出た。

嫌な予感が、胸を締めつけた。


王太子アレクシスが高らかに手を掲げると、大広間の音楽が止んだ。

ざわめきが波のように引き、視線が一斉に彼へ集まる。


「皆に、伝えたいことがある」


その声はよく通り、迷いがない。

リディアの胸の奥で、嫌な予感が確信に変わった。


アレクシスは隣に立つセレナへ、慈しむような視線を向ける。


「私は――真実の愛を見つけた」


会場がどよめいた。

誰もが次の言葉を待っている。


「よって、伯爵令嬢リディア・エルヴァインとの婚約を、ここに破棄する」


一瞬、音が消えたように感じた。


「君が何も出来なかったからだ。

聖女と比べるまでもない」


次の瞬間、囁き声とため息、そして興奮した気配が一斉に広がる。


「やはり、そうなるわよね」

「聖女様が選ばれるのは当然だわ」


誰かの同情の視線が、突き刺さるように向けられた。

別の誰かは、露骨に安堵した顔をしている。


アレクシスは、リディアを見た。

そこにあったのは、かつて婚約者に向けられていたはずの温度ではない。


「君は……王太子妃として相応しくなかった」

「才能もなく、民を導く力もない」


言葉は淡々としていた。

だからこそ、逃げ場がなかった。


セレナが一歩前に出て、震える声で言う。


「リディア様……ごめんなさい。私は、殿下を奪うつもりなんて……」


その姿に、貴族たちは一斉に同情のため息を漏らした。

誰もが、彼女を“善良な被害者”として見ている。


リディアは何も言わなかった。

弁明も、反論も、涙すら浮かばない。


(……そう)


自分は、不要になったのだ。

王太子にとっても、王国にとっても。


頭を下げると、視界が床の模様だけになる。

拍手が起こった。祝福の拍手だ。


その音を聞きながら、リディアは胸の奥に生じた、奇妙な感覚に気づいていた。


――納得できない。


悲しみでも、怒りでもない。

ただ、どこか計算の合わない帳簿を見たときのような、引っかかり。


聖女の奇跡。

王国の判断。

そして、自分が「無能」と断じられた理由。


(……本当に、そうなの?)


問いは声にならず、胸の奥へ沈んでいく。

けれど確かに、その違和感だけは消えなかった。


顔を上げたとき、アレクシスはもうこちらを見ていなかった。

彼の世界に、リディアの居場所はない。


――今は、まだ。


リディアは静かに踵を返し、大広間を後にした。

その背中に、誰も声をかける者はいなかった。


与えられた控え室に戻った瞬間、リディアは力を失ったように椅子へ腰を落とした。

扉を閉める音が、やけに遠く聞こえる。


胸が苦しい。

けれど涙は出なかった。


(泣く理由すら、もうないのね)


そう思ったとき――

視界が、ぐらりと揺れた。


頭の奥に、流れ込んでくる光景。

白い蛍光灯。

積み上がる書類。

赤字と書かれた資料。

「この予算では回りません」という、どこか疲れた自分の声。


「……え?」


次の瞬間、息が止まった。

自分は、知っている。

この感覚を。


数字を見て、構造を理解して、問題点を洗い出す――

それは、この世界で身につけたものではない。


頭を抱えた瞬間、記憶が一気に繋がった。


日本。

地方自治体。

企画課、財政調整、住民説明会。


(私……前は……)


リディアは、ゆっくりと呼吸を整える。

そして、理解した。


自分は転生者だ。

ここは前世で読んだ乙女ゲームの世界。

そして――自分は、物語の中で“選ばれない令嬢”。


王太子に婚約破棄され、聖女に全てを奪われる。

ただの踏み台。


(……だから、なのね)


帳簿を見たときに落ち着いた理由。

違和感を覚えた聖女の奇跡。


セレナの力は、確かに派手だ。

けれど、再現性がない。

数字に落とせない。

仕組みが見えない。


(奇跡じゃない……支援の誤認)


前世の知識が、冷静に答えを導き出す。


リディアは、静かに立ち上がった。

鏡に映る自分は、相変わらず地味で、か弱そうな令嬢だ。


けれど――


(ああ――私は、使われるために生まれたんじゃない。もう、舞台装置で終わるつもりはない)


復讐は望まない。

誰かを引きずり下ろす気もない。


ただ、自分の人生を、自分で選びたい。


王太子妃でなくてもいい。

聖女でなくてもいい。


役に立たないと言われるなら、

“別の形で役に立てばいい”。


胸の奥で、何かが静かに定まった。


明日、伯爵家に戻ろう。

領地の帳簿を確認しよう。

数字で、事実で、自分の居場所を作ろう。


リディアは窓の外を見た。

夜空に浮かぶ月は、変わらずそこにある。


「……大丈夫」


誰に向けた言葉でもない。

けれど確かに、それは“自分自身”への宣言だった。


伯爵家の領地に戻ったリディアを、出迎えた者は少なかった。

使用人たちは丁寧ではあるが、どこか戸惑った様子を隠せない。王太子の婚約者でなくなった令嬢を、どう扱えばいいのか分からないのだ。


「父は?」

「執務室に……おられますが、お疲れで」


その一言で、十分だった。

リディアは真っ直ぐ執務室へ向かい、許可を得て帳簿を開いた。


積み上げられた紙の束。

魔力水晶の購入記録。

祭事費、警備費、臨時支出。


(……ひどい)


思わず、心の中で呟く。

赤字ではない。だが、持続しない。

“今さえ良ければいい”という支出の積み重ねだ。


「この水晶、三割は不要です」

「……は?」


側に控えていた老執事が目を瞬かせた。


「補助魔法の持続時間を調整すれば、消費量は抑えられます。質より量で誤魔化しているだけですから」


自分の口から出た言葉に、リディア自身が一瞬驚いた。

けれど、頭の中では既に計算が終わっている。


翌日から、彼女は動いた。

魔法師たちに協力を求め、補助魔法の発動条件を一つずつ検証する。


感覚ではなく、記録を取る。

成功率、持続時間、魔力量。


「数値化、ですか……?」

「ええ。再現できなければ、意味がありません」


地味な作業だった。

奇跡のような光も、喝采もない。

それでも、結果は確実に出た。


同じ効果を、半分以下の魔力で維持できる。

水晶の購入数は減り、余剰は医療やインフラに回せる。


「お嬢様……これは……」


会計担当の文官が、信じられないものを見る目で帳簿を見つめる。

リディアは、少しだけ視線を伏せた。


「私が得意なのは、奇跡じゃありません。仕組みを整えることです」


誰かの役に立っている。

それを、初めて実感した。


数週間後。

領地の収支は安定し、現場の混乱も減った。


その月、伯爵領の支出は、はっきりと黒字に転じた。


使用人たちの態度が、変わる。


「お嬢様、こちらの判断でよろしいでしょうか」

「助言を、いただけますか」


名前を呼ばれる。

必要とされる。


夜、一人で帳簿を閉じたとき、リディアは静かに息を吐いた。


(……私は、無能じゃなかった)


ただ、向いている場所が違っただけだ。

王宮では役に立たなかったとしても、

ここには、自分の居場所がある。


リディアは、次の資料を手に取った。

まだやるべきことは、山ほどあった。


同じ頃、王都では小さな綻びが、確実に広がっていた。

聖女セレナによる祝福の儀が、予定通りの成果を出せなかったのだ。


作物の成長は鈍く、治癒の奇跡は持続しない。


「おかしい……前回は、もっと……」


魔法師たちが首を傾げる中、原因は曖昧なまま先送りにされた。

水晶を追加で用意し、祈祷を増やす。

――その場しのぎの対応。


だが、数字は正直だった。


国庫の報告書を見た財務官が、顔色を変える。


「支出が……説明がつきません」

「祭事費が、前期の倍です」


王太子アレクシスは、苛立ちを隠さなかった。


「細かいことはいい。聖女のための必要経費だろう」


そう言い切ったものの、心の奥に不安が残る。

かつて、この手の報告書は、婚約者だったリディアが静かに整えていた。


(……いや、考える必要はない)


彼女は無能だった。

そう、決めたはずだ。


だが、問題は積み重なる。

補助魔法の持続時間が不安定になり、現場の混乱が増えた。

魔法師たちは疲弊し、責任の押し付け合いが始まる。


「以前は、こんなことは……」


誰かが口にしかけて、言葉を飲み込んだ。


そして、決定的な報告がもたらされる。


「伯爵領の支援体制が、模範事例として評価されています」


国王の前で、文官が淡々と告げた。


「魔力消費を抑え、安定した成果を出していると。担当は――リディア・エルヴァイン嬢です」


空気が、凍りついた。

アレクシスは、思わず立ち上がった。


「……彼女が?」


無能な令嬢。

王太子妃に相応しくないと切り捨てた存在。

だが、報告書に並ぶ数字は、嘘をつかなかった。


「国王陛下は、次回の政策会議に彼女を招くよう仰せです」


その言葉に、アレクシスの喉が鳴る。


(なぜだ……なぜ、今になって)


脳裏に浮かぶのは、婚約破棄の日。

何も言わず、静かに頭を下げた彼女の姿。

その沈黙が、今になって重くのしかかる。


「……連絡を」


絞り出すように命じる。


「リディアを、王都へ呼び戻せ」


その頃、伯爵領では。

リディアが新しい帳簿を閉じ、静かに息を吐いていた。


「王都から、使者が参りました」


そう告げられても、彼女の表情は変わらない。


(来るべき時が、来ただけ)


準備は、すでに整っていた。


王城の会議室は、重苦しい空気に包まれていた。

国王、重臣、魔法局の責任者たちが席に着き、その中央にリディアは立っている。


かつて、王太子の婚約者として立つはずだった場所。

だが今、彼女は“報告者”として呼ばれていた。


「では、エルヴァイン嬢。伯爵領での取り組みを」


促され、リディアは一礼する。


「はい。私が行ったのは、新しい魔法の開発ではありません」


机の上に、整理された書類を置く。

数値、手順、比較表。


「補助魔法の効果を分解し、条件を揃え、再現可能な形にしただけです」


魔法師たちが、思わず前のめりになる。


「同じ効果を出すために必要な魔力量は、従来の六割以下」

「水晶の消費量も、半分に抑えられました」


ざわめきが起こる。

アレクシスは、言葉を失っていた。


そこにあるのは奇跡ではない。

だが、国を支えるには十分すぎる成果だった。


「……では、聖女の力は不要だと?」


誰かが、恐る恐る問いかける。


リディアは首を横に振った。


「いいえ。聖女の力は、触媒として有効です」

「ただし――単独では、持続しません」


その瞬間、セレナの顔色が変わった。


「そ、そんな……私は……!」


言葉を遮るように、魔法局長が資料をめくる。


「検証の結果、聖女の奇跡は、周囲の補助魔法が整って初めて成立していたと確認されています」


逃げ場はなかった。

セレナの魔力が、不安定に揺れる。

光が暴れ、制御を失う。


「やめ……て……!」


衛兵が前に出る。


沈黙の中、アレクシスが一歩踏み出した。


「リディア……戻ってきてくれ」

「君が必要だ。王太子妃として――」


その声は、かつての命令口調ではなかった。


だが、リディアは静かに首を振る。


「私は、誰かの立場を補うための存在ではありません」


視線をまっすぐ向ける。


「自分の仕事を、選びました」


その言葉に、会議室は静まり返った。


国王が、ゆっくりと口を開く。


「聖女セレナは、職務停止とする」

「王太子アレクシス……判断について、後日協議が必要だな」


「……私が、間違っていたのか」


裁きは、淡々と下された。


リディアは一礼し、踵を返す。

誰も、彼女を止めなかった。


それから一年後。

王国の政策文書の末尾には、新しい役職名が記されるようになっていた。


――支援魔法監査官。


補助魔法の運用を数値で管理し、再現性を担保するための職。

その初代任命者が、リディア・エルヴァインだった。


王城の一室で、彼女は今日も帳簿を閉じる。

机の上に並ぶのは、奇跡の報告書ではない。

成果と手順、改善点をまとめた実務の記録だ。


「助言を、お願いできますか」


声をかけてきたのは、文官の一人。

年上で、派手さはないが、仕事の確かさを尊ぶ人物だった。


「ええ、ここは――」


リディアは自然に言葉を返す。

かつて、自分の声が必要とされなかった日々が、遠く感じられた。


伯爵領は模範領地として知られ、

王都の支援体制も、徐々に安定を取り戻している。


元王太子アレクシスの名を、リディアが耳にすることはほとんどない。

意識する必要もなかった。


夕刻、城の回廊を歩きながら、彼女はふと立ち止まる。


かつて、自分は誰かの隣に立つことで価値を得ようとしていた。

けれど今は違う。


自分の名前で呼ばれ、

自分の判断で仕事をし、

その結果に責任を持っている。


月明かりの下、リディアは小さく息を吸った。


(私はもう、誰かの脇役じゃない)


肩書きでも、婚約でもない。

積み重ねた仕事が、彼女の居場所だった。


そして明日もまた、帳簿を開く。

それが、彼女が自分で選び取った人生だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


感情で殴るざまぁではなく、

**「仕事と事実で立場が逆転する話」**を書いてみました。


もし


主人公の在り方が好き


静かなざまぁが気持ちよかった


この先も少し見てみたい


と感じていただけたら、

★評価やご感想をいただけると励みになります。

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この手の話の「無能」って大体、「問題を起こした」とか「問題を起こすの兆候がある」というのではなく、「何もない(問題もない)」で使っているからよく疑問に思います。 この話の王太子のようにより良い(ように…
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