厳格な記録者、あるいは伝統という名の呪縛
「理性を語りながら、その実、放縦な接触を愉しんでいるだけではありませんか?」
部室の空気を切り裂くような、硬質な声。
そこに立っていたのは、背筋を定規のように伸ばし、古風な眼鏡をかけた少女――りつだった。
彼女は生徒会の監査委員であり、同時にこの大学でも稀有な「伝統礼法」の継承者でもある。
「りつ……。監査なら他を当たって。ここは今、極めてデリケートな理論の検証中よ」
ゆいは顔を上げ、迎え撃つ。
りつは、ゆいがかつて「禁呪」に近い理論をぶち上げて炎上した際、最後までその「不誠実さ」を糾弾し続けた、いわば宿敵とも呼べる存在だった。
「検証、ですか。私には、あなたがかつての失敗を、言葉遊びで塗り替えているようにしか見えません。真のマナーとは、数式ではなく、歴史が証明した『型』にこそ宿るものです」
りつは一歩踏み出し、ゆいのデスクに一冊の古い手帳を置いた。そこには、何世代にもわたって書き継がれた、厳格な行動規範が記されている。
「七瀬ゆい。あなたが提唱する『理性ガード』が、本物かどうか私が確かめます。私の提示する『型』に従い、一分の狂いもなく振る舞ってみせなさい」
実験の内容は、『伝統的応接作法による沈静化』。
りつが対面に座り、一挙手一投足に「正解」を求める。視線の角度、呼吸の間隔、指先の配置。
「呼吸が 0.5秒 早い。視線が 2ミリ 泳いだ。それは『ガード』ではなく、単なる『怯え』です」
りつの容赦ない指摘。つむぎのデバイスが、ゆいの焦燥を真っ赤なアラートとして映し出す。
みおが茶々を入れようとするが、りつの放つ威圧感がそれを許さない。
(苦しい……。この『型』は、まるであのアークラインの監視システムそのものだ……)
ゆいの脳裏に、かつて自分の描いた「青いクラゲ」が、伝統という名のテンプレートに押し潰され、黒く塗り潰されていく光景がフラッシュバックする。
理性の壁を高くすればするほど、内側の魂が窒息していく。
「……そこまでよ、りつ」
あずさが静かに、ゆいの背中に手を添えた。
その瞬間、真っ赤だった波形が、ふっと凪いだ。
「りつさんの言う『型』は、人を守るためのものかもしれませんが、今の先輩を縛り付けているだけです。それは、私たちが目指す『マナー』じゃありません」
「……何ですって?」
りつは不快そうに目を細めたが、あずさに触れられたゆいの表情が、氷が解けるように和らぐのを見て、言葉を失った。
「りつ……。あなたの『型』は完璧だわ。でも、今の私に必要なのは、型を完璧になぞることじゃない。型が壊れたときに、どう誠実であるか、なのよ」
ゆいは震える手で、りつの手帳の隣に自分のノートを並べた。
「監視してなさい、りつ。あなたが否定した私の『ノイズ』が、いつか最高の『音楽』に変わる瞬間を」
「……いいでしょう。この部が、単なる傷の舐め合いに堕ちないか、私が一番近くで記録し続けます」
こうして、5人のメンバーが出揃った。
伝統、技術、本能、共感。バラバラな要素が、ゆいという旋律を中心に、一つの巨大な「理論」へと収束し始める。
だが、ゆいはまだ気づいていなかった。
この「りつ」という重石が加わったことで、理論が現実を飲み込み、取り返しのつかない変容を始めることに。




