卒業の調律、あるいは余白の向こう側
世界を揺るがした「δ」の発表から数週間。
光都大学からは《ORACLE》による強制的な精神管理が撤廃され、学生たちは自らの意志で、時に悩み、時に衝突しながら、新しい「マナー」を模索し始めていた。
「……ここも、今日で最後ね」
ゆいは、荷物が片付けられた「性文化研究部」の部室を見渡した。
壁にはみおが残した色彩の跡があり、棚にはりつが整えた石が置かれ、デスクにはつむぎが使い古したケーブルが転がっている。
そこへ、一人の男が訪ねてきた。和先輩だった。
かつての冷徹な支配者の面影はなく、その瞳には、理論に敗北した者特有の、憑き物が落ちたような静けさがあった。
「ゆい。……ボクの負けだ。《ORACLE》は、君たちが持ち込んだ『誤差』を解析しようとして自壊した。……いや、自ら『沈黙』を選んだのかもしれないな」
「先輩。オレは先輩を倒したかったわけじゃない。ただ、完璧な正解なんてなくても、人は繋がれるってことを証明したかっただけよ」
和は微かに笑い、窓の外を見た。
「これからは、管理ではなく『対話』の時代か。……不便で、不作法で、最高に面倒な世界だ。だが、悪くない」
彼は短くそれだけ告げると、一度だけ深く頭を下げ、部室を去っていった。それは、彼なりの「誠実なマナー」の表明だった。
「先輩! 準備できましたよ!」
あずさの声が響く。
校庭の桜が舞い散る中、みお、りつ、つむぎの三人が、卒業証書を手に笑い合っている。
「行こう、あずさ。オレたちの研究は、ここからが本番なんだから」
ゆいは、あずさが差し出した手を握った。
かつて「ルナ」として炎上し、世界を拒絶した少女は、今、自分自身の「余白」を愛してくれる仲間と共に、光都の門をくぐる。
研究部のプレートを外し、扉を閉める。
カチリ、という小さな音は、一つの物語の終わりであり、同時に、名前のない「新しい日々」への調律の合図だった。




