聖夜の余白、あるいは愛の誤差(シミュレーション)
学会を明日に控えたクリスマスイブ。
光都の街は、計算し尽くされたイルミネーションの輝きに満ちていた。
だが、ゆいは一人、あずさの部屋にいた。数式も、デバイスも、過去の亡霊もいない、ただの「七瀬ゆい」として。
「……あずさ、ごめんね。私、ずっとあなたのことを『理論の観測者』としてしか見ていなかったのかもしれない」
窓の外に降る雪を眺めながら、ゆいがぽつりと呟く。
あずさは、ゆいに温かいミルクを手渡し、隣に座った。
「いいんですよ、先輩。私は、先輩が理論に溺れて、自分を消そうとしている時でも、その奥で震えている『本当のゆい先輩』をずっと記録きましたから」
ゆいは、あずさの部屋の少し散らかった本棚や、使い込まれたクッションを眺めた。
そこには「究極マナー」なんて言葉では片付けられない、生活という名の、愛おしい「誤差」が溢れていた。
「私、怖かったの。完璧でいなきゃ、また誰かに石を投げられるって。でも、あずさの部屋にいると……少しだけ、間違えてもいいような気がしてくる」
「マナーって、自分を磨くことじゃなくて、相手と一緒に『不完全』を楽しむことなんですよね。……ねえ、先輩。一回だけ、理論を抜きにして、私に『甘えて』みませんか?」
あずさの言葉に、ゆいは驚いたように目を見開いた。
そして、ゆっくりと、折れそうなほど細い体をあずさに預けた。
誰にも見せなかった、弱くて、臆病で、不作法な姿。
その「誤差」を、あずさは優しく、完璧な弾性で包み込んだ。
「……温かいね。あずさ」
「はい。これが、数式には書けない『δ(デルタ)』の正体ですよ」
その頃、部室では、みお、りつ、つむぎが、明日の学会に備えて「最後のノイズ」を仕込んでいた。
「ゆい先輩が自分を取り戻した。……さあ、光都の連中に、本当の『情緒の調律』を見せつけてやりましょう!」
つむぎの瞳に、かつてない知性の光が宿る。
しかし、管制室の和先輩は、狂気に満ちた微笑を浮かべていた。
「愛? 誤差? 滑稽だね、ゆい。君が人間らしさを取り戻せば取り戻すほど、《ORACLE》は君の『心の綻び』を狙いやすくなるというのに」
光都の夜が更けていく。
明日の学会は、もはや単なる研究発表ではない。
ゆいの魂を賭けた、最後にして最大のセッションになる。




