孤高の審判者、あるいは崩壊する規律
「……無意味です。このような非論理的な修練、私の時間を浪費しているに過ぎません」
古民家の庭。りつは独り、祖母から命じられた「石を積む」という作業を前に立ち尽くしていた。 光都の秩序を愛し、不作法を斬る「刀」として生きてきたりつにとって、形も重さもバラバラな石を積み上げるという不確実な行為は、彼女の美学に対する屈辱でしかなかった。
「りつさん。その石は、あなたの『理性』そのものよ」 ゆいが、冷たい麦茶を持って隣に座った。
「……皮肉ですか、七瀬ゆい。私はあなたを監視するためにここにいる。あなたの理論が、この国の秩序を壊さないか見極めるために。私の家系は代々、規律の番人として生きてきたのです」
りつの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。一寸の狂いも許されない礼法の稽古。わずかな姿勢の乱れで父から放たれた「お前には価値がない」という冷徹な言葉。彼女にとって「型」とは自分を守る鎧であり、同時に自分を縛り付ける鎖でもあった。
「いいえ。あなたは、壊れるのが怖いだけよ。……型のない、剥き出しの自分自身が」
ゆいの言葉に、りつの指先が凍りついたように止まった。その時、彼女が必死に均衡を保とうとしていた石の塔が、風も吹いていないのに音を立てて崩れた。
「あ……」
絶望の表情を浮かべるりつに、ゆいの祖母が静かに声をかけた。 「お嬢さん。石が崩れたのは、あんたが『正しさ』だけで積もうとしたからだよ。石には石の、凹凸がある。それを無視して完璧な形を押し付ければ、自重で壊れるのは当たり前さ。崩れたら、また別の石で試せばいいだけのことだよ」
りつの瞳から、一筋の涙がこぼれた。 完璧でなければならない。正解を出し続けなければ、自分の居場所は消えてしまう――。そんな「禁呪」のように自分を縛り続けてきた規律が、この古い庭の静寂の前で、無残にも、しかし優しく解体されていく。
「……私は、ただ、誰かに『そのままの形』で認められたかったのかもしれません。いびつなままでも、ここにいていいのだと」
あずさが、崩れた石の一つを拾い、りつの手にそっと乗せた。 「りつさん。その石のデコボコ、私のノートの筆跡に似てます。……いびつだから、誰かの手と重なれるんですよ。完璧な円だったら、滑って手も繋げないじゃないですか」
その夜、りつが書いた監査報告書には、ただ一行だけ、震える文字で記されていた。 『理論は、規律を超えた。……ここには、人を救うための「誤差」がある。私は、彼女たちの不作法を支持する』
だが、りつのこの「寝返り」とも取れる報告は、光都で待機していた和先輩の逆鱗に触れることになる。 「……りつ、君までもか。やはり、あの古民家ごと『沈静化』させる必要がありそうだ」
闇の中から、光都大学の特殊監査チームが、静かに潮風の町へと向かい始めていた。




