荷解きと荷造り、あるいは遠い潮騒
合宿の砂が混じった荷物を自室の床に広げながら、ゆいは深い溜息をついた。
たった数週間の出来事だったはずなのに、窓から見える光都大学の清潔すぎる夜景が、今はひどく遠い異郷のように感じられる。
「……外界の揺らぎを知った後だと、この静寂が逆に不自然に聞こえるわね」
ゆいはデスクに置かれた、第2部の成果である論文の束を指先でなぞった。
倫理審査委員会を突破し、理論は一応の市民権を得た。だが、ゆいの心にはまだ、説明のつかない「余白」が残っていた。それは森の老管理人が言った「混ざり合って生きる」という言葉の、本当の意味だ。
その時、あずさからメッセージが届く。
『先輩、荷造り終わりました。いつでも行けます』
あずさもまた、同じ予感に突き動かされていた。彼女の新しいノートには、もはや数値化された記録だけでなく、森で拾った枯葉や、ゆいと食べた食事のレシートといった、形のない「記憶の断片」が大切に綴じられている。
翌朝、部室に集まった5人は、いつになく軽装だった。
「つむぎ、精密測定器は?」
「今回は置いていきます。ゆい先輩が言った通り、次の場所には『数値』ではなく『感覚』を持ち込むべきだと判断しました」
「あはは! つむぎんも分かってきたじゃん! あたしなんて水着と筆記用具しか持ってきてないよ!」
みおがバックパックを叩いて笑う。
りつは、いつもの厳しい表情の裏に、どこか安堵したような色を浮かべていた。
「……伝統の守護者としてではなく、一人の研究者として同行します。七瀬ゆい、あなたのルーツに何があるのか、この目で見届けたい」
5人は駅のホームに立ち、光都を離れる列車を待っていた。
目的地は、海沿いの古い町にある、ゆいの祖母の古民家。
そこは「究極マナー」という冷徹な理論が、かつては「誰かを慈しむための作法」だった場所。
「……行きましょう。私たちの理論を、数式から身体へと溶かしに」
列車が滑り込んできた。
窓に映るゆいの瞳には、もはや「理性ガード」による拒絶の色はない。
ただ、これから出会うであろう「源流」への、静かな期待だけが宿っていた。
第2部:『外界適応合宿編』、完。
物語は、夏の沈静化セッションが始まる第3部『源流への旅編』へと加速する。




