理論の断片を拾う、あるいは誠実の編集
「……あずさ、そこの波形データを。みおの暴走と、私の『理性ガード』が干渉した瞬間の数値が必要よ」
部室の空気は、再び心地よい集中力で満たされていた。
ゆいはデスクいっぱいに広げられた「外界適応合宿」の記録――あずさの泥だらけのノートと、つむぎが解析した膨大なログ――を交互に見つめ、ペンを走らせる。
「はい、先輩。……ここです。私たちが森で手を繋いだ瞬間、データのノイズが消えて、一つの『青い波』になっている場所」
あずさが指差す箇所は、あの日、言葉を介さずに二人の心が通じ合った瞬間だった。
「つむぎ、この『青い波』、従来の数式では『誤差』として切り捨てられる部分よね?」
「ええ。これまでの学術界では、計測不能な感情の揺らぎは『不純物』でした。……でも、ゆい先輩の理論の中では、これこそがシステムを維持するための『弾性』として機能しています」
つむぎのタイピング音が、正確なリズムで部屋に響く。
ゆいは、かつて「ルナ」として独りで禁呪を描いていた時、なぜ自分が追い詰められたのかを今なら理解できた。
あの時は、自分一人の正しさを証明しようとしていた。けれど今は、仲間の「誤差」を拾い上げ、それを美しさに変えるための言葉を紡いでいる。
「……できたわ。第2部論文タイトル――『非定型環境における誠実の同期、及び弾性的同意の成立条件』」
ゆいが書き終えたとき、背後からりつが冷静な、しかし温かみのある声で告げた。
「その内容なら、学術当局も手出しはできません。これは単なる感情論ではなく、人類が忘れていた『本来の作法』の再定義ですから」
みおが窓辺で伸びをしながら、夕暮れの空を指差した。
「ねえ、ゆいっち先輩。この論文が完成したら、次は本当に行っちゃうの? 先輩の『ルーツ』の場所へ」
ゆいは窓の外を見つめた。
光都の完璧な夜景の向こう側。そこには、理論の「種」を自分に植え付けた祖母が待つ、古い家がある。
「ええ。この論文は、まだ『頭』で作ったものに過ぎない。次は……私たちの『身体』に、この理論を刻み込みに行くわ」
デスクに置かれたあずさのノートの余白には、ゆいが無意識に描いた「一輪の青い花」のスケッチがあった。
それは、次なる舞台、源流への旅への道標のように見えた。




