調律される世界、あるいは弾性の勝利
学術交流会当日。大学の大講堂は、異様な緊張感に包まれていた。
演台に立つのは、七瀬ゆい。その後ろには、あずさ、みお、つむぎ、りつが並ぶ。
最前列では、和先輩が腕を組み、冷徹な審判の眼差しを向けていた。
「これより、性文化研究部による『究極マナー理論:β-Phase』の公開実証実験を行います」
ゆいの声は、かつての絶望を感じさせないほど澄んでいた。
会場の大型スクリーンには、つむぎが構築したリアルタイム波形モニターが映し出される。
「マナーとは、自分を縛る『檻』ではありません。また、他者を排除する『壁』でもない。それは、衝撃を吸収し、元の形に戻るための『弾性』です」
ゆいの合図で、5人が円陣を組む。
みおが爆発的なノイズ(情動)を放ち、りつが厳格なリズムを刻み、つむぎがそれを数値化する。その中心で、ゆいとあずさが静かに指先を絡めた。
「計測開始。……同期率、80、90……臨界点を超えます!」
つむぎの叫びと共に、モニターの波形が「青いクラゲ」の脈動のような、有機的で美しい曲線を描き始めた。
会場にいた学生たちの多くが、思わず息を呑んだ。
それは、言葉による説得ではなく、空気を伝わる「温度」による浸食だった。
「……バカな。これほど広範囲の『沈静化』を、たった5人で……!?」
和先輩が立ち上がった。彼の持っていたタブレット――大学の監視端末――の数値が、エラーを吐いて真っ白に染まる。
ゆいたちが放つ「誠実の温度」が、管理AIの無機質な秩序を、上書き(オーバーライド)していったのだ。
(ああ、見える……。これが、私が本当に描きたかった景色だ)
ゆいの視界の中で、かつて自分を焼き尽くした炎上の記憶が、穏やかな光の粒子へと変わっていく。
ガードは壊れていない。ただ、世界を受け入れるために、最大限までしなやかに広がっている。
「――終了」
ゆいが告げると、大講堂にこれまで経験したことのないような、深い、慈愛に満ちた沈黙が訪れた。
数秒の後、一人の学生が、そしてまた一人と、拍手が波のように広がっていく。
それは「管理」への称賛ではなく、一人の人間が別の人間へ「触れる」ことを肯定した、祝福の音だった。
和先輩は、無言で会場を後にした。その背中は、負けを認めたというより、見たこともない理論に「恐怖」すら抱いているように見えた。
「先輩……やりましたね」
あずさが、ゆいの肩を抱く。
ゆいは微笑み、メンバー全員を見渡した。
「ええ。でも、これはまだ始まりよ。私たちの理論は、まだ『外界』を知らないわ」
窓の外では、冬の終わりを告げる風が吹いていた。
第1部:『理性ガード編』、完。
物語は、より予測不能な「自然」と対峙する第2部『外界適応合宿編』へと続いていく。




