5話 「かつてのあなたの輝きを思い出す」
フォンスの町を出て、アランたちの足が向かうのは、セネテーラ王国の最南領──ブランシェ領だ。
この国の特例貴族の持つ領地は、王の直轄領ということになっているが、実際は特例貴族が定めた王国の法とは別の法により支配された土地で、王国内でありながら外国のような立ち位置にある。
ブランシェ家はセネテーラ王国の最南に、ベルトラン家は最北に領地を持っている。南北から王国内の政治を監視し続け、時には政治に口を挟むこともあったらしい。だが、時代が進むにつれ、両家の存在は王やその地位に近い者たちにとって目障りなものとなった。そしてついに数代前の王の治世から、一年で直轄領に出入りする人間の数が定められた。直轄領以外に住む国民は、王国の法を守る他無い。こうして往来する人々が減り、領家は国の政治に口を挟む力も無くなった。かつて、幼いミレーヌはブランシェの屋敷がどこにあるか分からなかった。誰かに聞けばいいのではないかと言ったアランに、「ブランシェのお屋敷も、ベルトランのお屋敷も、普通の人は知らないの」と返したのは、こうした理由からである。そこから年月をかけ、アルノー王朝の王たちは両家を王国内から排除しようとした。それを覆したのが、十年前の革命である。革命軍に莫大な投資を行い、見事アルノー王朝の歴史は血を流して幕を閉じ、両家は排除されずに今もセネテーラ王国に残っている。
フォンスのある伯爵領は王国の南西に位置する。そこからブランシェ領に入るには、馬車で一日、そして休みが必要な人間の足では二日がかかった。
それは早朝のことだった。
「見えた!関所だ」
アランは自分で言って、達成感を覚える。身体は悲鳴を上げていた。
道が整備された石畳へと変わって少しが経っていた。石畳のずっと向こうには、関所と他領地との境界線の役割を果たす城壁がある。関所のところにはブランシェ領の人間が立ち、通行人の監視と徴税を行っていた。
他領地に行くには必ず関所を通り、平民は通行税を払わなければならない。伯爵領とブランシェ領が隣合っているおかげで、ここの往来にしか払わなくて良いのは、アランのまだ寂しい財布には有難かった。
「わざわざお金払うのも面倒ですよね〜。別のところから侵入できませんかねぇ?」
「そんなことしてみろ。バレたらブランシェの人たちに殺される」
「つまりバレなきゃ大丈夫なわけですね」
「マルの戯れ言は今に始まったことではありません。アラン様、その者の言葉にあまり耳を傾けない方がよろしいかと」
「えぇ〜っ、傷つきましたぁ」
マルが泣き真似をするのには目もくれず、エリエントはアランへと話し続けた。
「あそこの門番に聞けば、軍主のことも分かるかもしれません」
「そうだな。軍主が別のところから侵入さえしていなければ」
「アラン様は冗談もお上手なのですね……!」
エリエントのそれは皮肉ではなく本心のようである。マルは「差別ではないでしょうか!」と訴えたが、エリエントはやはり無視をしていた。
(こいつら、よくこれまで主従なんてやれたよな……)
アランはあまり二人の関係に触れないことにして、関所への足を速めた。
関所を守る門番は、ブランシェ家の私兵の格好をしていた。彼はやって来た三人の内、先頭を歩いていたエリエントの服装に目を奪われ、厳しい顔になった。
「王国軍人が何用で?」
ブランシェ領人にとって、排除されかかった過去があるため、自領とベルトラン領以外の人間はほぼ敵も同然だ。そして排除しようとした側の証である王国軍服を纏う者がいたら、警戒するのも当然だった。
「仕事です」
エリエントは表情も変えず返した。余程怪しい人間でなければ、門番は追い返す権限を持たない。だがこの門番は非常に警戒深く、腰の剣に手を添えながらエリエントを睨みつけている。
「何か書簡でも?生憎、そのような話は聞いておりませんもので」
「いいえ、私はこの方を護衛しているだけです」
ずっとエリエントの後ろでマルと共に傍観者になっていたアランが、彼の手に寄って前へと立たされた。
「あー、えーと……」
「ベルトランの方でしたか!」
さすがブランシェ家の私兵だ。アランの容姿を見て、すぐにベルトランと結び付けられたらしい。
門番は態度をころりと変え、アランに対し実に親しげになった。
「私兵ではなく王国軍人を?いやあ、珍しいですね」
「勝手に私兵は使えないだろ」
嘘は言っていない。アランは心の中で舌を出した。
「ははぁ、もしやお屋敷の方には黙ってですか?ベルトランの方は、そういう方が昔から多いですからね。私がここに配属になってすぐの頃は、身一つで遊びに来られる方もおりましたよ。しかし、王国軍人を護衛にする方は初めてですな」
「まあ、こいつは普通の王国軍人じゃないというか、信頼できるというか」
エリエントが目を輝かせてアランを見ている。門番は「なるほど」と何かに納得して頷いた。
「このままブランシェ家のお屋敷へ向かわれるおつもりですか?」
「そのつもり」
「馬車は手配致しますか?」
その手配は記録に残るに違いない。どんな些細なことが面倒ごとに繋がるかは分からないため、アランは断った。
「いや、歩いて行きたい。そういう気分なんだ」
エリエントが何か言いたそうにしたが、アランと門番の様子を見て口を固く閉じた。
「分かりました」
「その、ところで……」
アランは慎重に尋ねた。
「最近、ブランシェ家の屋敷に向かった領外の人間はいたか?」
門番は間を置き、「はい」と頷いた。
「やはり、それに関わることでいらっしゃったのですね」
いい具合に勘違いをしてくれた。これを利用しない手はない。
「そうなんだ。少しその人間について調べたくてな」
「私もそう多くは知りませんが……反乱軍の人間だという話です」
彼は徐々に声を潜めた。
「現王のアラン様が、非常に苦しいお立場になられているという話は、民の間でもよく聞く話です。あの御方を苦しめる者どもに粛清をと、動く者たちのようですな。アラン様はベルトランの方でしょう。ブランシェ家の方々にも協力を取り付けようってことなのかもしれません」
「……そうか」
相槌を打ちながら、アランは人々の妄想に苦みを感じていた。
(苦しい立場?それはリシャールの方だよ!なんだってみんなして俺にそんな幻想を見れるんだ?誰かが印象操作でもしてんのかよ!)
このまま話を聞いていては頭が痛くなりそうだ。アランは話を切り上げることにした。
「話を聞かせてくれてありがとう。そろそろ通ってもいいか?」
「はい!えー、通行税の方は、そちらの王国軍人……と、ああ、もう一人いたんですね」
エリエントの後ろにいるマルに気づいたようだ。門番は二人から通行税を徴収すると──エリエントからは多めに徴収していたように見えた──三人に道を譲った。
「さあ、どうぞ」
「ありがとう」
アランが初めにブランシェ領地へと足を踏み入れた。続いてエリエントとマルが入る。関所を背に、三人は舗装された道の上を行く。
同じ王国内だけあって、景色はそう変わらない。だが、ブランシェ領にいると、アランはつい緊張してしまう。
(……あの人は、今もここにいるんだもんな……)
関所からある程度離れると、マルが挙手をしてアランに尋ねた。
「アランさんって、ベルトラン家の人だったんですか〜?」
「……一応はそうなる、かな」
歯切れの悪い言い方に、マルは首を傾げた。
「マル、アラン様に不快な思いをさせるな」
「ええ?不快な思いさせちゃいました〜?」
「別にそうではないけど……ちょっとこの辺に関しては色々面倒っていうか……」
真実を語ったところで信じてもらえないだろう。エリエントの言葉は強いものだったが、アランには助け舟だった。
「……ブランシェ家に行くんだろ。多分、少しは分かるよ」
「分かりました〜」
マルはあっさり身を引く。少し意外だったが、それを言ってまた聞かれては嫌なので、アランは話を変えた。
「エリエントは軍主のことを知ってるのか?どんな人?」
「直接お会いしたことはありませんから、人柄は知りません。私が主に関わっていたのは、イネス様でしたから」
「じゃあ、特徴とかは知らない?マルは?お前、そういうの知ってそうじゃん」
「僕ですか〜?そりゃ少しは知ってますけど」
「アラン様、私も特徴くらいは知っています!」
マルの言葉に被せるようにして、エリエントが主張する。
「軍主の名前は、ディディエ。かつて黎明の傭兵団で団長を務めていた者です」
「え!?」
アランは驚いて足を止めた。目を見開いて、エリエントを見る。
「黎明の傭兵団のディディエ!?槍使いの!」
「はい」
「ご壮健だったのか!」
見るからにアランの機嫌が頗る良くなる。
黎明の傭兵団は、革命時には敵ではあったが、今も昔も変わらず名高い傭兵団である。本拠地を王都に置くことを認められ、他国から依頼が来ることもあり、フルスラント王国内の紛争を一夜で終わらせただの、東の大国の軍を三日で全滅させただの、嘘か誠か分からないが、伝説を幾つも打ち立てていた。特に革命前に団長を引退し隠居したと言われていたディディエは槍の名手で、アランが解放の英雄と呼ばれるまでは、今代の英雄と謳われていた。
アランは幼い頃から英雄譚が大好きだ。ディディエのことは、その存在を知った九つの頃から憧れていた。手を組み、夢を語る子どものように、彼は空を見上げて語り始める。
「彼の人が槍を持つだけで、周りを飛ぶ鳥たちが地面に落ちるとか、槍を掲げただけで雷鳴が轟き、敵に雷が落ちるとか!ディディエがひとたび現れれば、敵は逃げ出し、動物たちが平和を喜び集まってくるって!そんな伝説的な方が──は、反乱軍、に……?」
アランの興奮は困惑へと変わる。
「……な、なんで……?」
あの噂に名高い伝説のディディエが、自分に意味の分からない幻想を抱いて反乱軍に?──考えられない。アランは何かの間違いだろうと思った。むしろそうであってほしい。
「彼もアラン様に救われた方なのでしょう」
エリエントは自信を持ってそう言うが、益々信じられない。
(だって俺は、傭兵たちの仕事を奪ったようなもんだぞ?……まさか、それもリシャールのせいってことにされてる?)
そんな現実は正さなくてはならない。そのために自分が憧れの人によって殺されることになろうとも。想像をして、アランはこれまでとは違う自分に気がつく。殺されそうになる自分の横に、エリエントがいる。アランを必死に生かそうとしてきた彼がいる限り、アランは自分が死なないような気がした。自分でも、とても不思議だった。
「どうして反乱軍に、しかも軍主になっているかはさておき、その人に関する話が凄すぎませんかぁ……?」
マルは別の意味で困惑を見せていた。
「作り話過ぎますよ〜……」
これにはアランも反論せざるを得なかった。
「作り話じゃないかもしれないだろ!だってあのディディエだぞ。もっと凄い話があってもおかしくない!」
「槍を掲げただけで雷落ちるんじゃ、それはもう人じゃなくて化け物ですよ」
「見方を変えればそうかも……?でもそれは失礼過ぎるぞ」
「んん、アランさんにはこの手の話は振らない方が良いかもですねぇ」
「どういうことだよ。振れよ、英雄の話。ディディエ以外にも、かなり昔の英雄になるけど、ガスパールとかレアーヌとかも好きだぞ。悲劇だけどレティシアも好き。まあ、中でも一番好きな英雄は──」
「英雄フェリックス」
アランより先に、エリエントがその名を紡ぐ。アランは頬を紅潮させ、「そう!そうなんだよ!」とエリエントの肩を叩いた。エリエントの顔も見ず、声を弾ませる。
「エリエント、お前もセネテーラ王国民として、英雄譚は好きだろ?やっぱりフェリックスだよなぁ。今も昔もずっと彼の英雄譚が好きなんだ」
ラポルト家からペリエ家に向かう時に持ってきた英雄譚の本に書いてあるのが、英雄フェリックスの話だった。それほどまでに、英雄フェリックスはアランの中では特別で、彼によって人生が変わったと言っても過言では無い──良くも悪くも。
エリエントは笑みを浮かべ、「いいですね」と頷いた。それだけで、アランは彼への信頼度を上げたのだった。
ひとり話について行けないマルは首を傾げている。一緒にいる間に、彼にはアランの知る全ての英雄譚を教えなくてはならない。
「ブランシェ家の屋敷に向かうまで、まずは英雄フェリックスの話をしよう」
「え〜っ、いいですよぉ」
「いやいや。セネテーラ王国民は英雄譚を聞いて育つんだぞ?お前もセネテーラ王国にいるなら、少しは知っておいた方が周りと話しやすいと思う」
「んぐぐ、それは……でも……」
マルは口を噤んだ。きっと英雄譚を知らなくて話についていけないこともあったに違いない。
セネテーラ王国において、英雄譚は娯楽である前に、ソリエール教とはまた別の教えであり、指標である。特に英雄フェリックスの英雄譚は、善悪の規範として親から子へと必ず語られてきた。また、英雄たちの言葉は階級に関わらず、ここぞという時に引用される。小賢しい子どもは、英雄フェリックスの「失敗の無い成功は、失敗に劣る」という言葉を使って失敗を正当化することもあり、それはアランにも覚えがあった。
だが、今のアランからしたら、英雄フェリックスの言葉は眩しすぎて現実味がない。やはり本物の英雄は、自分と見ている世界が違うのだ。だからこそ、英雄に憧れてしまうのかもしれない。
「英雄フェリックスのどこから話す?やっぱり彼の英雄譚の最初から?」
「いいです!いらないです!なんか長くなりそう!」
「あれは今から遡ること364年前。セネテーラ王国が建国された頃──」
「いいですってぇ!!」
「マル、アラン様の話を遮るな」
マルの叫びは聞き届けられず、アランが満足するまで英雄フェリックスの話を聞かせられ続けた。
日は真上へと昇っていた。
「──そしてその時、敵の頭上から赤い雨が降った!彼らが見上げると、そこに雲はなく、斬られた敵大将が高い城壁から落ちてくるところだった……!」
「ま、まだ終わらないんですかぁ……?」
「ここから熱いんだって!この敵大将がまたカッコいいんだよ。実は部下を守るために──」
「アラン様、城壁です」
「そうそう、だからその城壁から……え、なに?」
アランが夢中になって話し続けること、どれほどか。もう誰も数えてはいられなかった。エリエントの言葉で、ようやくその話も終わりを告げた。アランはげっそりしたマルから道の先へと目を移すと、遠くには関所よりも低い、フォンスの町と同程度の城壁が広がっていた。
「お、町……ってことは、フォリアだな」
「アランさん、知ってるんですか?」
「来たことあるから。あそこはブランシェ領の玄関口だよ」
ブランシェ領はセネテーラ王国内でも標高が低い地域で、これまで緩やかな下り坂続きだった。フォリアの町の前ではより急になっていて、アランの足を勝手に速く進めた。
フォリアの町の城門は開いていた。町の中には穏やかな時間が流れていて、道の端では主婦たちが会話を繰り広げ、子どもたちは路地から路地へと駆け回っていた。道の全てに石畳が敷かれ、隙間には草一本も見当たらない。家々の外には花壇があり、季節の小さな花が風に吹かれて揺れていた。
「へえ、玄関口というのも納得です〜」
マルの感心した声が上がった。エリエントはアランの顔色を窺いつつ、彼に提案をする。
「アラン様、今日はこちらで宿を取りませんか?歩き続きで疲労も溜まっているはずです」
「ん?いや、まだ行けるだろ。携帯食が買えたらそれで十分」
「しかし……!」
「急がないと、ディディエに追いつかないだろ」
事はリシャールの命が掛かっているのだ。日はまだ高く、歩くことに問題は無い。野宿になっても構わなかった。次の町に少しでも早く近づきたいのだ。だが、エリエントは決して首を縦には振らなかった。
「アラン様。あなた様の気持ちは察することができます。しかし、休養も必要です。分かっておられるはずです」
「そうですよ〜。久しぶりにちゃんとしたベッドで眠るべきですよ〜」
「マルまで……」
「アラン様、どうか」
しかし、アランも決して首を縦には振らなかった。
「でも、俺は早く次の町に行きたいんだよ。次のところには、ブランシェ家の迎賓館があるんだ」
「迎賓館?」
マルが不思議そうに言った。
「じゃあ、次の町が領都?」
「領都はさらに遠いよ。ブランシェ家もベルトラン家も、迎賓館を領都から離れたところに持ってるんだ。ディディエがそのことを知っていたら、迎賓館のある町に真っ直ぐに向かってるはず」
「普通は本邸に向かうんじゃないですかね〜」
「ブランシェ家もベルトラン家も普通じゃないってこと」
特例貴族の両家は、来客への対応は全て迎賓館で行う。外から来る者を、決して本邸には近づけないのだ。そんな特異性が両家排除の原因の一つでもあると思うのだが、両家がそれを変えることはなかった。
「貴族の間では有名な話なんだ。だよな、エリエント?」
「はい。ディディエ様は王侯貴族とも関わりが深い方でしたから、ご存知の可能性が非常に高いですね」
「直轄領だからですかねぇ?」
「どうだかな」
アランはそう返すと、数歩先を歩いてくるりと体ごと振り返った。
「ってことで、強行軍続きでいいよな?」
「僕たちの体力が限界そうとは考えないんですか?」
アランは二人をつま先から頭のてっぺんまで見た。
「……いや、ないだろ。マルが息切れしてるのもなかったし、エリエントだって歩く速度は変わらなかった。お前らの体力、やば過ぎるよ」
エリエントがマルを見た。マルはそれだけで何をすべきか理解したようだった。
マルは長い袖に包まれた両手で顔を覆うと、「うぇーん」と言い始めた。
「疲れましたー」
「嘘つけ。しっかり棒読みじゃねぇか。俺でも分かるわ」
マルは間を置いてから、また「うぇーん」と言った。変わらず棒読みだった。
「マル、お前は演技もできないのか」
「うぇーん。太鼓なら叩けるんですけどね〜。うぇーん。あと飛び道具全般得意です」
「まじ?凄いなお前」
「一番得意なのは短剣投げです〜」
アランはマルの肩に手を乗せた。
「今度教えろよ、英雄譚教えたんだからさ」
「えー、どうしましょー。うぇーん」
マルはまだ酷い演技を続けており、エリエントがため息を一つ零して言う。
「マル、もういい。時間の無駄だった」
「僕の渾身の演技だったのに!僕ってめちゃくちゃ演技上手なのに!」
「アラン様、どうしてもお休みいただけないのですか?」
「うぇぇっ、無視ぃ!!」
彼の渾身の嘆きはエリエントに無視された。エリエントはアランの意見が意地でも変わらないと見ると、渋々と頷いた。
「分かりました。あなた様の望みならば。ただ、食事はここでしっかり摂りましょう」
「足りるかな、金」
「私が出しますので」
申し訳なくなったが、エリエントが「いいですよね」とやけに強い口調で言うので、アランもまた渋々と頷いた。
フォンスはブランシェ領の玄関口なだけあり、大通りに面する店は多い。歩いていると、アランたちの鼻を、焼いた肉の匂いが擽った。匂いを辿って進むと大衆食堂を見つけ、アランたちは互いに確認することもなく、入店した。
客は多く、テーブルはほとんど埋まっていた。賑やかな店内を歩き、ようやく見つけた壁際の席に着く。四角のテーブルを四脚の椅子が二手に分かれて挟んでいる。マルとアランが並んで座り、アランの向かいにエリエントが座った。アランにメニューを差し出して、エリエントは周りを見渡す。
「全てこの町の住人でしょうか」
「玄関口とは言っても、移動規制がかかっていた期間は長い。他のところからブランシェ領に来る人は、それほどいないんじゃないか」
メニューに書かれた文字を辿りながらアランは答えた。この店の定番メニューは肉と炒めた玉葱を挟んだパンらしい。払えない額ではないが、他領の店に比べるとやや高額だ。
「あ、コーヒー。カフェじゃなくてもあるんですね〜」
「みたいだな。でもかなり高いな……」
「王都だとこの半額ですからね。アラン様はどれになさいますか?」
エリエントに尋ねられ、アランは定番メニューを指さした。
「俺はこのパンにする。肉挟まってるし!マルは?」
「同じものでいいです〜。決めるの面倒ですし」
「なんだよそれ。エリエントは?」
「私もアラン様と同じものにします。アラン様、コーヒーはいかがですか?」
「いらない」
アランは即答した。マルが意外そうにアランを見上げる。エリエントはアランにそっと尋ねた。
「お嫌いでしたか?」
「……。いや、高いからだよ」
それもコーヒーを頼まない理由の一つではある。だが最大の理由はコーヒーの苦味だった。
アランは苦いのが嫌いだ。幼い頃は麦水すら苦くて飲めない時期もあった。麦水は麦を挽いて沸騰したお湯で溶かしたもので、麦そのものの苦味がとても強いし、かと言って水とお湯も苦味があることから、アランは山羊乳があれば必ずそれを選んで飲んでいた。
アランに断られたエリエントは、少し肩を落とした。アランのためなら散財も辞さない気持ちだったからだ。
「これくらいなら出しますが……」
「そんなに頼みたいなら自分で飲めよ。どうせお前の金なんだから」
「いえ、いりません」
間髪入れずの返事だった。マルはその間、ずっとメニューに載っている飲み物を見ていた。
「お、山羊乳はどこにでもありますね〜。嫌いじゃないけど、そんな気分じゃないから〜……。あ、お坊っちゃん、僕はコーヒーで」
「お前は麦水だ。アラン様、山羊乳はどうでしょう?水分は摂られた方がよろしいかと」
「ん、じゃあそれで」
「承知しました。マル、人を呼べ」
「はいはいはい〜」
適当な返事をすると、マルは近くの席の皿を下げていた女の店員を呼んだ。
「店員さ〜ん、注文したいです!」
「はいただいまー」
皿を片手に持ち、店員はアランたちのテーブルへとやって来た。店員はエリエントの顔を見ると頬を赤らめ、恥ずかしそうに半歩退いた。手が震えて、彼女の持つ皿がカタカタと音を立て、店内の賑やかさに溶けていく。
(おお、エリエントって女の子に好かれるのか)
チラリとエリエントの顔を見る。平民にはそうそういない顔立ちで、派手さが目立つ。誰が見ても整っていると評価するだろう。
「えっ、ええと、ご注文は?」
店員の上擦った声には何も触れず、エリエントは全員分の注文を伝える。店員は注文を覚えると、ぎくしゃくとした足取りで厨房に伝えに行った。アランは止められないニヤけ顔でエリエントに言う。
「エリエント〜。お前、モテてんじゃん。良かったな!」
「仰られている意味は分かりませんが、褒め言葉として受け取っておきます。ありがとうございます、アラン様」
「そう返されるともう何も言えねぇな……」
アランは肩を竦めた。既視感を覚えて、ふと思い出す。リシャールもこんな感じで、すぐ女に惚れられていた。エリエントに比べて派手さはないが、誠実そうな顔をしており、「今ので惚れさせたの何人目だよ」とアランが揶揄えば「君、それ言うの何回目?」と返され、「このやり取りも何回目だろうな」と肩を竦めたものだ。
(もう、ああいう会話は出来ないなぁ。結局何回あの会話をやったんだろう)
実はリシャールはちゃんと数えていたりして──そんなことを考えて、すぐに自分で否定した。
「麦水二杯と山羊乳です……!」
先程の店員が、飲み物をトレーに載せてにやって来る。テーブルの一箇所にまとめて置かれたその中から、エリエントが山羊乳を持ち上げて、アランの前へと置いた。その後に自分の分を手に取り、マルに「僕のは〜?」と聞かれ、「自分でやれ」と返していた。
「す、すぐに料理を持って来ます……!」
今度は早足に厨房へと戻って行った。彼女の奇妙な姿を見て、周りの客たちもこちらを興味深げに窺い始めた。彼らはエリエントの顔を見て納得し、その服装を見て一様に訝しげな表情をした。中にはアランの目の色を確認できた者がいて、彼らは一緒に来ていた人に何やら耳打ちをしている。居心地の悪さを感じ、誤魔化すように山羊乳に口をつけた。ほんのりとした甘さが、アランを慰めるように喉の中を伝っていった。
誰かが頼んだのか、どこからかコーヒーの匂いが漂って来る。重い香りは嫌いではないが、あの味を思い出して、アランの口がきゅっと結ばれる。逆にマルはテーブルに頬杖をついて、あのニコニコとした顔のまま口を開いた。
「あーあ。僕、コーヒー飲んでみたかったです〜」
「飲んだことねぇの?」
貴族のエリエントに仕え、それほど悪い関係では無さそうに見える。そうなると、給金もそれなりのものだろう。町に行けば必ずカフェが一軒はあるのだから、一度くらいは飲んでいるとアランは思っていた。
「無いですね〜。食堂なんて数年ぶりですし、カフェなんか一度も無いですよ。興味も無かったですし?でもコーヒーはとっても美味しいって知り合いに聞いたので、せっかくなら〜って」
「ふぅん。自分の金出して頼めば良かったのに」
マルが袖をぶんぶんと横に振る。
「いやいや!人にお金出してもらって飲んだらもっと美味しそうなので〜!」
「……お前ら、本当に主従?」
呆れた目で二人を見れば、揃って無言が返って来た。ある意味似た者同士なのかもしれない。
少し話をしていると、厨房から料理を手にしてあの店員がやって来る。全員同じ料理を頼んだので、一つの大きな木の皿に、三人分のパンが乗っていた。テーブルの中央に置かれる時、彼女はエリエントのことを気にするあまり、老人よりも危なっかしい手つきをしていた。震えながら置かれた皿の上では、パンから肉がはみ出しているものもあった。その肉が思っていたよりも分厚く、香ばしい匂いを立ち込めさせたので、アランは思わず唾を飲み込んだ。
「美味そう!」
そこでようやく店員はアランの存在に気づいたらしい。彼女は「あっ」と裏返った声を上げると、顔をさらに真っ赤にして吃り始めた。
「ベルトランの……!?あ、い、い、以上ですっ!わ、え、私……し、失礼しますぅ!」
ついにはシェリン以上の音を立てて厨房に逃げてしまった。兵士だけでなくとも、特例貴族の領民であれば、両家の色彩の意味を理解しているようだ。
(これはこれで気まずいな。フード被っておけば良かった)
今更後悔しても遅いが、食堂から出たらフードを被ることに決めた。
食事の前に祈りの手を組む。視界の端で袖を捲るマルの手が見えた。小さな手で形が崩れたパンを手に取ると、大きな口を開け、一口目を齧らんとした。
(いつの間に祈りを終わらせたんだ)
アランが見ている間にマルはパンを噛み切り、もぐもぐと口を動かす。大きな塊が喉を下っていき、マルはいつもよりさらに目を細くした。
「これ美味しいですよ〜!」
「みたいだな」
アランはそう返し、隣のマルから前へと向き直し、目を瞑る。アランも早くパンを食べたかった。向かいではちょうどエリエントも祈りの手を組み、目を瞑ったところだった。「ソリエールの慈悲に感謝します」──二人の声が合わさった。
「わあ、貴族的」
それだけ言って、マルは食事に戻る。目を開け、アランは「ははは」と乾いた笑い声を漏らした。
(イネスとナタンがこの辺は厳しかったからな)
革命軍時代にどれだけうるさく言われただろうか。アレクシと傭兵をやっていた頃は、朝夜の祈りで終わらせていたから、身につくまで少しの時間を要した。両親がいた頃は、敬虔な彼らのおかげでしっかりと身についていたというのに。
「アラン様、こちらの方が肉が厚いですよ」
エリエントが手のひらで柔らかくパンを示す。
「……まあ、確かに……そうかも?」
ほとんど誤差だろう。だがエリエントは肉が厚くない方を手に取って、肉が厚い方をアランのために皿に残し、皿ごとアランの前へと移動させた。
「お前がこっちでも良かったのに」
「そう変わりませんよ」
なら本当にこっちでも良かったのでは。
跳ね返すのも違う気がして、アランは大人しくパンを手に取った。パンはアランの両掌に乗るくらいの大きさで食べ切れるか少し不安はあった。真ん中に切れ目を入れ、そこに肉と炒めた玉葱が詰め込まれている。肉は干し肉を焼いたもので塩気があり、それがまたパンと玉葱とよく合った。
「エリエントの言う通りにして良かったよ」
アランは三口目を飲み込んで言った。エリエントの目はアランに向いている。
「急ぐとはいえ、飯はここで摂って正解だったな」
「アラン様……!」
エリエントの目が輝きが眩しい。彼のアランへの英雄視は、アラン自身がどれだけ言葉を尽くしても止められないのだろう。四口目が喉を通りにくいと感じるくらいには、その事実は重くアランへと押し掛かる。
悪い人間ではない。接していても問題は無い。しかし時折される特別扱いや、向けられる視線を、アランは素直に受け止めきれなかった。そしてそれを言ったところで、彼に受け入れられないことは短い旅の間でも察していた。
食事を終え、エリエントが代金を払う。マルの分は給金から引いておくらしい。マルは残念がっていた。大衆食堂を出ると、旅用の携帯食を買いに向かう。それ以外はだいたいマルが長い袖の中に持っていた。あの袖には魔法が掛けられているに違いない。仕掛けを尋ねたが、マルは笑顔で首を傾げただけだった。
「アラン様、いかがされました?」
町を出る直前、家の庭先で弓の弦の張替えをする青年を見かけた。猟師なのだろう。目を奪われたアランに、いち早くエリエントが気づく。
「あ、いや……別に」
「やはり、弓が?」
「旅には剣だって分かってるけど、弓の方が使いやすかったから」
傭兵時代、アランが弓を持てば戦況はすぐに変わった。国内での依頼で戦うことは野盗狩りくらいしかなかったが、国外の戦場の時と比べて風の読みも正確で、百発百中だった。しかも一発で致命傷だ──国内での必中率がどうしてあそこまで高かったのかを知ったのは、十年と少し前だったが──また、剣を持った時とは違う、弦とともに緊張が張り詰めていくあの空気が好きだった。ただ一点だけを見つめ、息を忘れるくらいの集中で放った弓矢が狙った場所に突き刺さる。どうしてあれを知って弓を持たないことができるのか。
「それに……」
アランはそこで一度息を吐く。息は少し震えていた。
弓には特別な思い出があった。アランに弓を教えたのはアレクシだったが、共に弓を教わった人物がいた。
「弓は姉ちゃんも得意で、よく一緒に鳥撃ちしてたから。忘れたくなくて」
ミレーヌはアランとほぼ互角で、ぎりぎりアランの方が上だったと思う。彼女はどんな小さな鳥でも射ることができて、近所の子どもたちに尊敬されていた。
「そうでしたか。しかし、やはり旅となりますと……」
そう言うエリエントは心苦しげだった。アランは「大丈夫、分かってる」と軽く手を振る。
「ただちょっと懐かしくて見ただけだ。さっさと進もう」
「ですね〜」
「承知しました」
日は傾いていたが、まだ明るい時間のうちに、アランたちはフォリアを出た。迎賓館のある町オルクスまでは、均された土の道が伸びている。オルクスまではまだ遠い。今晩は案の定野宿になった。
欠けた月の周りに、無数の星が散りばめられ、地上では火が一つ燃えている。三人は円になってそれを囲んでいた。マルは拾ってきた枝を折りながら、火の加減を見ている。アランは買ったばかりの携帯食の中から、乾燥させた人参とパンを選んで食べていた。腹には溜まるが、正直あまり美味しくはない。エリエントは既にパンを食べ終えていて、剣の手入れをしていた。王国軍で支給されたそれは、アランが新兵から奪ったものよりも装飾されていて、高価そうだった。
「やっぱり階級によって支給される剣って変わるんだな」
エリエントの手もとの剣を見ながら聞く。彼は油を染み込ませた布で剣身を撫でながら答えた。
「階級でも変わりますが、身分で変わることの方が多いですね。入隊した時から、私はこの剣ですから」
「何年くらいになる?」
「今年で十年目になります」
ということは、革命直前か、革命後に入隊したのか。
「ん?じゃあ、今何歳だ?確か王国軍って、十四歳から入隊できたよな」
「今年で二十六になります。ちょうど成人してすぐでしたね」
「え!同い年だったのかよ!」
「はい」
エリエントはくすりと笑って頷いた。リシャール以外の久しぶりの同年代であることとその笑みに親しみを感じて、アランは少しだけエリエントの方に寄った。
「俺、てっきり年上かと……」
「アラン様は若々しいままですからね」
「あー……ああ、まあ、そうかもしれないけど……いや、そうなんだけど……」
アランの歯切れは悪かった。
彼は若々しいというよりも、若いままなのだ。いつの頃からか外見と年齢に差が出始め、このまま五十歳を超えても平気で二十代だと詐称できるのではないかと思っている。
「若さの秘訣とかあるんですか〜?」
尋ねながらマルはぱきりと音を鳴らして枝を折った。
「ねぇよ、そんなもん」
アランは肩を竦めた。こればかりはアランでもどうしようもできないのだ。
「血筋の問題なんだよ」
「ベルトラン?」
マルの口から出た名前に、「まあ、そんなもん」と返した。
「俺だって、ちゃんと年相応に見られたいよ。この見た目で得したことはそりゃあるにはあったけど、舐められてる感じがしてさぁ。……だから、エリエントはいいよな。羨ましいよ。見た目だけじゃなくて、言動の差もあるかもだけど……」
「アラン様はそのままで十分素晴らしいと思います」
「あっそ。ありがと」
心の籠らない返事ではあったが、エリエントは喜んで受け取った。
「しかし、外見の問題については、私も身近に悩む者がいましたよ。やはりアラン様のように年相応に見られたいと」
「へえ!誰?」
エリエントは剣の手入れをする手を止めた。
「姉です」
「姉ぇ!?エリエント、お姉さんいたのか」
アランは驚く声を上げたが、彼に仕えているマルは動じなかった。
これで、ここにいる三人は全員が姉持ちということが分かった。アランとマルの方は血は繋がっていないが、これは意外な共通点である。それに気づいて、アランは「変な導きだな」と小さく呟いた。
「姉の上には兄がいて、私は末子です。ご存知ありませんでしたか?」
エリエントに言われ、アランは首を傾げた。
「うん」
「……私も言いませんでしたからね」
エリエントは納得して、使っていた布を袋に仕舞う。
「姉は昔から背が低く、見た目も若々しいままでしたので、かなり悩んでいました。社交界に出るようになった辺りでしたか、化粧を覚えてからは表に悩みを出さなくなりましたが」
「化粧かぁ。悩んでいるとはいえ、さすがに化粧はなぁ」
「アラン様はそのままで十分素晴らしいと思います」
「おっ、二回目ですね〜」
マルの声には揶揄う響きがあったが、エリエントは耳に入れなかったようだ。微かな音を鳴らして剣を鞘に収めた。
少しの沈黙が下りる。アランが食事を終えたのを見計らったように、マルが口を開いた。
「僕、不思議なんですけど〜」
「ん?」
アランが彼の言葉を拾う。水筒を取り出して、麦水を口に含む。苦いが、まだ飲めないほどではない。
「アランさんって、王様だったわけじゃないですか?」
アランが噎せ、エリエントがすかさず背中を摩った。
エリエントに仕えるマルがアランの正体を知っているのはむしろ当然なことではあるが、これまで一度も彼に言われたことが無く驚いた。エリエントがマルの名前を呼んだが、マルは悪びれもなく、目を三日月型に細めた表情を変えずにいた。また枝を一本、火の中に放り込み、言葉を続ける。
「どうして今まで出会った誰も気づかないかなぁって。見た目が全然変わらないっていうなら、バレても良さそうなものじゃないですか〜」
アランは息を整えて、それに答えを返す。
「そりゃ、俺の顔を知ってるのなんて、城にいるような貴族連中くらいしかいないし」
麦水を一口飲む。苦味が増した気がした。
「肖像画も、俺の顔を彫った記念硬貨も、金の無駄だから作らなかった。俺とリシャールが言い出したことだったけど、案外すんなり通ったなぁ。謁見の時なんて、俺の見た目に威厳が無いからって紗幕越しにさせられてたよ。貴族のじいさんたちがそうさせたんだけど、今考えたら、そのおかげでここまで楽にできるんだよな。感謝しとくか。そうそう、威厳を少しでも出すためにって、髪型を何度も変えられたっけな。これはリシャールたちにだけど」
威厳は最後まで出さなかったみたいだけどな──心の中で独り言ちて、アランは苦笑した。
「革命軍にいた時は、上層部や軍主になる前によく一緒に戦ってたやつらが俺の顔を知ってたと思う」
口の中には、ずっと苦味が残っていた。アランが軍主になる前の革命軍でよく一緒にいた仲間は、皆あの戦いで散っていった。彼らが今のアランと国を見たら、どれほど怒ることだろう。聞こえてくる火の音の向こうに、在りし日の彼らの声が混ざった気がした。
「他の奴らは俺の顔を間近で見たことないと思うけど、容姿の特徴は知られてたんじゃねぇかな。俺の容姿の特徴はベルトラン家の人と一緒だから、特徴を知ってても……って感じだったと思うけど」
「アラン様はブランシェ家の方々と共に行動することが多かったと聞いております。特徴を知らずとも、革命軍の中には察した者は多かったと思いますよ」
その察した者は、今、どれだけ残っているだろうか。アランは目を瞑った。火の残像が焼き付いて離れない。
「そうかな。案外俺のことなんて気にしてるやつなんて、そんなにいなかったと思うけどな」
その言葉に、エリエントは首を横に振る。
「そんなことはありません。あなた様は人々の先頭に立っておられた。それに、あなた様を気にしない者ばかりであったなら、今回の反乱軍は生まれなかった」
エリエントの声が夜の世界に響く。
「アラン様は間違いなく、解放の英雄です」
まだ眠るには早い時間だった。だがアランは横になった。
「あっそ」
もう座っていられないほど、身体も瞼も重かった。エリエントが心配したようにアランの名前を呼ぶので、軽く手を挙げて「寝るから」とだけ言った。マルが「おやすみなさい〜」と言う。エリエントも遅れて「おやすみなさいませ」と言う。アランはもう何も言わなかった。
(今日も光のもとで過ごせたことを感謝します、か……)
眠る前の祈りの言葉を思い出す。
(……ソリエールが俺を照らしたところで──)
アランの言葉は胸の中で解け、誰にも届かない。アランは逃げるように夢の中に落ち、そして夢は、アランを逃がさぬように彼の過去を映し出した。
あなたが幼い頃から憧れていたものは何か。あなたの本来の性格は。それらを再び甦らせる必要がありました。ただあなたを生かすために。




