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フェリロジカ  作者: 小林月春
物語外
22/24

エリエント

 その部屋の全ての木製の鎧戸は固く閉じられていた。二度と開かれないように、外側からは釘を打ち付けられている。明かり取りの窓だけが新たに取り付けられていたが、それは天井近くで人間の頭部よりも小さな姿を晒している。人間が出入りすることは不可能だ。唯一の出入口である扉もまた固く閉じられ、外から鍵がかけられていた。完全な密室だった。

 小さな窓から射し込む陽光は清々しい朝のものである。薄暗い部屋の壁には大きなベッド、書類整理用の机、本棚が置かれ、中心には食事用のテーブルと一脚のイスがあった。食事を終え、速やかに食器も片付けられたテーブルには水の入った瓶とコップのみが置かれ、イスには青白い顔色の青年が座るのみだ。

 彼の名前はエリエント。アンベール侯爵家の現当主の実弟であり、この国をたった十年で傾けたとされる王の処刑を阻止しようとした、新たなるこの国の秩序を破壊しようとした罪人だった。当主の人徳により、彼は処刑台に立たされるところを、ちょうどひと月前に監禁の刑に落ち着いた。長かった金髪は手入れ不要の立場となったため肩より上でばっさりと切り落とされ、それは着飾りもしない格好と憔悴しきった顔にそぐうものだった。身動ぎすらしないその姿は、よく出来た人形のようにも見えた。当然ながら、彼は人形ではなく生きた人間であり、身体は動かずとも、脳は動き続けていた。彼は日がな一日、思考実験を繰り広げているのである。

 あの時こう行動していたら、このように変わって、そしてこの結末に至るだろう──これを何十、何百、何千と繰り返す。己の望む、己の納得する結末に至るまで。だが彼は至れない。彼の思考実験の舞台はこの国であり、舞台装置は人である。納得出来ない現在という結末に至ってしまった原因にすら、彼一人では気づけない。人間一人の思考実験の限界など、たかが知れている。

 密室内で繰り返される思考実験。繰り返される虚しきこの日々に、風も音もなく、一人の女が現れた。最初からそこに居たかのように、彼女はエリエントの向かいに立っていた。思考実験に夢中のエリエントはすぐには気づかず、それに痺れを切らした女が、手に持っていたもので彼の頭を叩いた。

 エリエントは突然頭頂部に感じた痛みに顔を上げた。驚きのあまり、彼の喉からは乾いた音が出た。はくはくと口を動かした後、彼は久しぶりに声を出した。

「……あ、あなたは、どこか、ら……」

 喉に痛みが走る。利き手の右手が腰辺りを彷徨うが、そこにひと月前のように剣は無い。目は一瞬扉を映すが、開いてはいない。次に一瞬窓を映すが、やはり開いてはいない。警戒と驚愕を込めた目で女を見る。女は非常に背が高く、少し背伸びすれば天井に頭がつきそうだった。豊かな胸もとを大きく晒している以外の全身を黒い毛皮の服で包み、同じ素材と色の帽子にはカラスの二本の羽根と、その三倍ほど大きな黒い一本の羽根がささっている。手袋もはめているが、こちらもやはり黒い毛皮だ。その右手には細身の煙管があり、それで頭頂部を叩かれたのだと察せられた。髪は異常に赤く見え、唇を同じ色に染めて、目は明るい紫色だ。その紫には、何の感情も感じられない。エリエントをひたと見据えている。女の赤い唇が薄らと開くと、灰色の煙が吐き出された。

「ワタクシが如何にして現れたかは、アナタに対し説明不要よ」

 煙管を吸い、また灰色の煙を吐き出す。エリエントが咳き込むことに気遣うこともなく、女はただ話を続ける。

「ワタクシのその他の事柄に関しても、アナタに対し説明不要。要件のみ伝えるわ。アナタの思考実験の至る先をワタクシの顧客がお望みよ。よろしい?」

 エリエントは何も飲み込めていないというのに、女は「よろしいわね」と完結させた。その瞬間、エリエントの目の前のテーブルに、ペンと数えることも億劫なほどの羊皮紙の束が、女が現れた時のように一瞬にして置かれていた。

「思考実験の至る先を事細かく書き記して。これより時は止まる。書き切るまで時は動き出さない。そしてアナタの思考実験の結末に、アナタ一人では至れない。そのため補助役をつけるわ」

 女の左右に男と少女が、またしても一瞬で現れた。男の方は女よりも低いが、一般的な人間よりも背が高く、月光が姿を取ったような美しい容姿をしていた。少女の方は、実のところ少女かは不明な中性的さがあり、だが愛らしさを感じる容貌をしていた。この少女の持つ色彩に、エリエントは目が離せなかった。この部屋に監禁されてから二度と見ないと思っていた黒髪と青い目は、彼の胸に強く焼き付けられているものだったからだ。

「補助役はそれぞれの全ての眷族の記憶を閲覧でき、それをアナタに開示でき、アナタの疑問にも応えられるわ。しかし双方に触れることは出来ず、一般の会話は出来ず、補助役に意思は無い。よろしい?」

「ま、待ってください!」

 再び勝手に完結される前に、エリエントは慌てて引き攣った声を上げた。

「意味が、わ、分からない。貴女は誰で、貴女は、わ、私に何を望んでいるんですか?この紙とペンの、い、意味も分からない。補助役?いったい、どういうことなんですか……!」

 女は斜め上に目を向けて、至近距離にある天井を、またはその向こうをじっと見た。少しの間があって、口が開かれる。

「……よろしい。顧客から許可が出たから、説明をするわ」

 煙管を吸い、灰色の煙が吐き出される。

「ワタクシはただの商売人。ワタクシがアナタに望むことは、顧客がアナタに望むことを、しかと叶えること。そうでなくては、ワタクシの商売人としての矜恃が悲惨なことになるでしょう」

「顧客……?」

「顧客が自身の望みを叶えるには、少しこの世界は作られ過ぎてしまったから、代わりにワタクシがこの世界に降り立って干渉をしているというわけよ。顧客の望みはただ一つ。アナタの思考実験の先にある、アナタが選び取った真に幸福な結末。その結末に至る過程を、アナタはただその紙に書き記せばよろしい。喜んで?どれだけ望もうとも、それを許されなかった者がいるのだから。そして、その紙は顧客の手へと渡るようにできている。過程への手助けとして、この補助役がいるわ」

 女──商売人が、棒立ちの二人を両手の平で指し示す。

「この補助役は、補助役としての機能のみを持つ思念の塊で、顧客の許しを得てようやく使えるようになったもの。故に先ほども言ったように、補助役はそれぞれの全ての眷族の記憶を閲覧でき、それをアナタに開示でき、アナタの疑問にも応えられるわ。しかし双方に触れることは出来ず、一般の会話は出来ず、補助役に意思は無い。よろしい?」

「……ある程度の理解は、しました。ただ、眷族?記憶の閲覧?それは分かりません……どういうことですか?それに、二人の持つ色が……」

 男の方は白い髪と黄色の目を持ち、少女の方は黒い髪と青色の目を持つ。この世界において、自然には発生しない色の組み合わせだった。ただし例外はいつだって存在するものである。

 商売人はまた天井の向こうへと目を向ける。少しして、ため息をひとつ吐き出した。商売人の開示欲は、今少しばかり飢えているらしい。

「顧客からの言葉を伝えると──前日譚は既に有るものの、これは嘘も偽りも装飾も無い、起点となるべき小話。それ故に、これから伝えることは紛れもない事実である」

 商売人は一つ間を置いた。

「──補助役は、こちらで始祖と呼ばれるものたちの限定的な模造品である。一人はブランシェ家の始祖レコット、もう一人はベルトラン家の始祖ネーレス。そして彼らもまた、商売人である私に依頼し、その次元に紛れ込ませたものであり、顧客の友人の限定的な模造品でもある。始祖らは人間の形をした自立型人形を生み出し、それが眷族と呼ばれる。眷族は人間と交配し子を生み、その血が濃ければその子も眷族となり、眷族を増やす。眷族の特徴は非常に単純明快で、生まれながらに始祖らと同じ色彩持っていること」

 エリエントの頭の中で、硝子にヒビが入ったような甲高い音が鳴った。

 待て……人形?自立型……?だからそれは、人ではない?色彩……。嗚呼……嗚呼……!?──とでもいうようなことを、脳内で叫び散らかし、真実に恐れおののいたのか。エリエントは目をぐるぐると忙しなく動かしながら両手で頭を掻きむしった。

「に、人間では、ないッ!?あの方がッ!?」

「さて、アナタの言うあの方というのがアランという名の青年であるならば、そうでしょう」

 無慈悲にも商売人は明言する。

「この情報を思考実験の糧として。顧客を失望させないでちょうだいね。アナタの思考実験の結末は、アナタが望み、納得し、真に幸福と思えるものであること。それをその紙に書くこと。よろしい?」

 エリエントは応えなかったが、商売人は「よろしいわね」と完結させた。

「それでは、顧客から再び依頼があるその時まで」

 そう言うと、商売人は元からそこにいなかったかのように瞬き一つする間も無く消えてしまった。彼女の存在が幻ではない証拠は、羊皮紙の束とペン、補助役の二人──と複数あった。エリエントは咳き込むと、羊皮紙の束を掻き分けて瓶を持ち上げ、コップを使うこともなく瓶から直接水を飲んだ。ぽたぽたと零れた水が襟を濡らした。瓶を乱暴に元あった場所へと戻すと、エリエントの動きは長い間止まる。彼なりに考えをまとめているようだった。

「…………わけが、分からない……」

 ようやく出た言葉はそれだった。無意識に下げていた頭を上げて、彼は補助役を見やった。人形のように佇み、目も合わせない。

「……あの女が言った言葉が真実なら…………あの方の……アラン様の………………」

 本当に良いのか。商売人が言った言葉が真実で、アランが眷族で、その記憶をエリエントが知れるということは、本当に良いことなのか──などという疑問は、決して彼に浮かびはしない。エリエントの口角が綺麗に持ち上がる。商売人が現れるまで、それこそ人形のように微動だにせず座っていた人物とは思えない恍惚とした笑みを浮かべていた。

「あの方の望みを叶えるために、私はいくらでも何でもすることができた!あの方の望みは英雄になること以外に、何が……いいや、私のしたことに、何が足りなかったのか!それが分かるに違いない……!」

 喉奥から笑い声が漏れる。

「アラン様の記憶を、望みを!教えてください」

 補助役のネーレスの目がエリエントと合わさる。

「眷族アランの記憶を送信します」

 ネーレスがそう言うやいなや、エリエントは気を失った。椅子の上でぐったりと項垂れた彼は、夢の代わりに、アランの記憶を見始めた。

 アランの記憶は語る。

 英雄になどなりたくなかった。ただ家族と平穏に生きたかった。誰にも見放されたくなかった。自分という人間を認めてもらいたかった。──守られたままでいたかった。

 エリエントはこの記憶と、彼に関連する人々の記憶を見て、さらなる思考実験を繰り返すこととなる。そして彼がようやく至った結末は、彼が辿った現実とは大きくかけ離れた、彼自身は幸福になどなれはしない、彼自身の行いと想いと望みを否定するものであった。それは苦痛と共に、脚色抜きにして羊皮紙に綴られた。書き終わると羊皮紙もペンも、そして補助役も消え、時は再び動き出した。

 それからまたひと月と立たないうちに、当主は衰弱しきった実弟の亡き骸を炎の中に見送ることになる。これによりこの物語は閉じ、この物語を起点として別の物語が始まる。主人公は、エリエントが望んでいた人物。それは英雄にならずとも、せめて物語の中心であれと願い、呪った人物。

 あなたはどうして、あの時、笑ったのですか。

 どうすればあなたを救えましたか。

 羊皮紙を目にして、商売人の顧客は綴るだろう。顧客の愛する友人を模した始祖の、その眷族の人生を、裏から壊した愚か者を罰するために。そこに慈悲によって、僅かな救いを残す。

 それは、愚か者も愛し子も、永久に閉じ込める新たな物語。

 その始まりはこうである。

 ──冬の気配強まる秋の頃。

「我々の勝利だ!!」

 城下の広場に集まった人々の歓声で、地面が震えた。

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