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フェリロジカ  作者: 小林月春
物語外
20/24

ルージュ

 あたしは目が見えない。目が見えるってことがどんなことか分からないけど、他の人が知ってることを知らないってことは分かってた。見るってことが分からないくせに、見ることがちょっと怖かったから良いけどね。

 あたしは身体も弱かった。いつも風邪で寝込んでいて、元気ってものがよく分からなかった。でも、目とは違って、身体弱いことを良いとは全然思えなかった。

 目が見えないから、身体が弱いから、あたしは他の人より苦労しているらしい。壁伝いに歩くのも、誰かに支えてもらうのも、一度咳をしたら止まらないのも普通じゃないらしい。そしてこれは、他の人にも苦労をかけてるんだって。

 でも、誰もそれであたしを責めることはない。司祭様に、そういうお導きなんだって教えてもらった。目が見えないっていうのは、闇に包まれてるってことなんだって。身体が弱いのは、ただ魂が弱まってるだけで、ソリエールの光に還る日が近い、素晴らしいことなんだった。

 あたしに優しくするのは、みんながソリエールの御心を理解するために必要なことで、あたしが生まれてきたのはソリエールからみんなへの試練で、ありがたいことなんだって。これはみんなにとって素晴らしいことなんだって。

 それじゃあたしもソリエールに感謝しなくっちゃ。優しいみんなのところに、あたしを連れて来てくれてありがとう。みんなが優しいから、あたしも優しくいられる。

 ……こんな話を幼なじみにしたら、怒らせちゃった。ソリエールの導きも関係無く、優しくするのは普通なんだって怒ってくれた。もう一人の幼なじみは、あたしの話で泣いちゃって、慰めるのが大変だった。怒りん坊の子と一緒に泣き虫のその子を泣き止ませて、いつの間にか夕方になってて、そのままお家に帰ることになった。

 夕方は寒い。でも、みんなは綺麗で不思議で切ない時間だって言う。空は神秘の赤色っていうのになって、それが凄く綺麗で不思議で切ないんだって。よく分からないけど、でも、一度だけ。怒りん坊の子が、夕方の時間に「綺麗」って呟いたのは聞いたことがある。その時だけ、彼の見た「綺麗」を知りたいと思った。

 泣き虫の子の家はちょっと遠い。その子がいる方向に向かって手を振って、あたしは怒りん坊の子の腕に掴まって歩く。二十二日ぶりの外は楽しかった。また外に出たいな。でも胸あたりが痛くて、さっきから咳が出始めちゃってる。きっと明日はベッドの上だ。今度は何日ベッドの上にいるんだろう。お母さん、また啜り泣きしちゃうのかな。

 あたしと怒りん坊の子の家は隣同士。あたしのお父さんは鉱石採りをしてて、怒りん坊の子のお父さんがそれを加工してる。泣き虫の家の子のお父さんが、それをどこかに売ってる。あたしたちの住む街は、そういう街だった。

 お父さんが採って、怒りん坊の子のお父さんが加工した石は凄く綺麗らしい。宝石って言うんだって。お父さんが初めて採った石から、あたしの名前はつけられた。

 ルージュ。それがあたしの名前。あたしの耳飾りもルージュで出来てるんだって。あたしが生まれた時のお祝いに、怒りん坊の子のお父さんが加工してくれたって聞いた。怒りん坊の子も、いつかお父さんの後を継ぐのかな。そうしたら、その子の加工した宝石を身につけたい。見えなくても重さを感じることはできるから、ルージュじゃなくても、ただの石ころでも大丈夫。あたしは宝石が見えないから、確かな重さがあれば何だっていいの。

「ルージュ、家着いたぞ」

「ん?早いね」

 何だ、もう着いたんだ。残念だな。

「早く家入るぞ。お前、咳が酷くなってる」

 そんなことないよって言おうとしたら、咳が出た。嫌な咳だ。家の中まで聞こえたのか、お母さんの軽い足音が近づいて来た。

「ルージュッ!嗚呼、またそんなに咳をして。ほらおいで、ベッドに入ろう?」

「待って、まださよならしてない」

 引っ張るお母さんを止めて、あたしはあの子の方を向く。

「また明日ね!」

「寝とけ!」

 そう言うけど、絶対明日来てくれる。いつもそう。

 あたしはお母さんに引っ張られて家の中に入った。着替えさせられて、すぐにベッドに入れられて、お母さんは薬湯を用意してくるって行っちゃった。

 薬湯だって安くないのに、ありがたいな。お母さんもお父さんも幼なじみたちも街の人もみんな優しい。大好き。明日もそう思えたらいいな。死にたくないな。怖いな。咳が苦しい。止まらない。寒い。痛い。吐いても止まらない。今吐いたのは何?何だろう。分からないや。いつもそう。本当は凄く怖い。いつ死んでもおかしくない。ねえ、あたしちゃんと転生出来るのかな。次の人生でも優しい人に出会えるのかな。君に会えるのかな。君はその時、あたしを覚えているのかな。

 お母さんの悲鳴が聞こえる。今回のあたしは、相当酷いみたい。これ本当に咳?吐いてるだけじゃない?なんか鉄みたいな臭い。

 あ、これ、血だ。

 それからあたしはずっとベッドの上。お医者さんが来て、もう誰とも会っちゃいけないよなんて言った。外にはもう行けないらしい。幼なじみたちとも会えないらしい。お母さんの啜り泣く声がどこからでも聞こえる気がする。暇過ぎて、ずっと夢に逃げる。夢の中なら苦しくない。夢の中でも何も見えなくて、あたしはただ色んな音と温もりに出会う。だから最初、それは夢だと思った。

「ルージュ!」

 あれ、あの子の声だ。部屋には鍵が掛けられているはずで、居るはずないのに。夢か。ああ、良い夢見てるな。

「なんで……お前、どうして、こんな……痩せて……」

 手が暖かい。この手をあたしは知ってる。あの子の手。いつもこの手に導かれていた。

「わあ、凄く久しぶり。良い夢だなぁ」

「んなわけあるか!現実だクソ!!」

「え?え?そうなの!?わあ!どうやって入ったの?お母さんもお父さんも居ないはずなのに」

「そんなもん鍵を盗んで……んなことより!!」

 大きな声だなぁ。いつも元気で羨ましい。きっと今日も走って来たんだろうな。

 良いな、走れて。あたしは走ったことが無いから。

「お前……ただの風邪じゃ、ねぇ、のか……?」

「うん、そうみたい。だからあまり近づいちゃダメだよ。うつったら大変だもん」

「薬は?」

「あるけど、あまり意味無いね。何も変わらない。しょうがないよね、もう限界なんだよ。ほら、あたしって身体弱いし」

「んなこと言うなよッ!!」

 耳がビリビリと痛い。この子、また怒ってる。

「頼むから……死ぬな……」

 鼻を啜る音がする。お腹辺りに温もりがある。嗚呼、あたしのお腹の上で泣いてる。あたし女の子だから、そういうのやめてほしいんだけど、この子なら許しちゃう。大事な大事な、あたしの幼なじみだから。

「死ぬなよ、ルージュ……」

 うんって頷けなかった。あたし、もう分かってる。夢とこっちを行ったり来たりしながら、分かってしまったんだ。

 あたし、もうすぐ死ぬ。転生できるかは分からないけど、死ぬのは確定してる。健康じゃない人生だったからこそ、今の状態がぎりぎりの上にあることを、理解してる。

 もうすぐであたしは成人の十六歳になる──予定だった。その前にあたしは死ぬ。十六歳になったらそのお祝いに、この子が加工した宝石が欲しかったんだけどな。今から作ってもらったら間に合うかな。でも、死んだら身体は燃やされちゃって、持ってた物も一緒に燃やされるか捨てられちゃうんだよね。そうじゃないと、魂が未練を持っちゃって転生できないらしいから。それじゃあ宝石が勿体無い。折角この子が加工したのに……って、まだ加工を頼んでもいないんだけど。

「ねえ、頼み事があるんだけど」

 咳をしながらあたしは言った。人生でとびきりのワガママを、あたしはこの子に言おうと思う。お母さんにもお父さんにも言ったことが無い、すっごく大きなワガママ。

「あたしを忘れないで」

 彼が息を飲んだ音がした後、肩をガッと掴まれて、「馬鹿野郎!!」って怒鳴られた。うわあ、唾飛んだ。後で拭こう。

「誰が忘れるか!そんなこと言われなくても忘れねぇよ!!」

「本当?じゃあ、別の頼み事にしよっと」

「は、はあ!?」

 じゃあ人生で二番目に大きいワガママを言おう。これもお母さんとお父さんには言ったことが無い。

「あたしの成人のお祝いに、耳飾りが欲しいの。このルージュと同じ耳飾り。……ううん、もっと重いのがいいな。君が加工してくれたことが分かるように、重いやつがいい」

 沈黙があった。彼は悩んでいるようだった。いや、悩んでるというより、言うべきか分からないって感じ?彼、悩むことってあまり無いし。

「……もう、あるって、言ったらどうする」

「え?それって、どういう……」

 あたしの右耳を、熱い手が掴んだ。ちょっと震えてる。彼の手だ。

「昨日の夜、ようやく完成したんだ。……これやるから、早く元気になれって、言いに来たんだよ」

「えっ、え!?本当にあるの!?わあ、わああっ!本当っ?」

「ほ、本当だから落ち着け!!また咳が……!!」

 あ、嬉しすぎて咳が止まらない。苦しい。でもそれ以上に嬉しかったから、あたしは笑ってた。神様!ソリエール様!これがお導きってことですか?あたし、こんなに嬉しいのは初めてかもしれない!

 咳がようやく落ち着いて、あたしは耳から離れてしまった彼の手を取る。

「君の手で着けて」

「……いいのか?」

「うん!」

 震える手が、あたしの小さな耳飾りを取る。その後に、ずっと重い耳飾りが着けられる。ああ、彼の加工した、世界に一つだけの宝物だ!

「どう、どう?君から見て似合う?」

「っそ、れは……うぐ……」

 似合う、っていうのは褒め言葉。それくらいあたしは知ってる。似合うってことがどういうことかは分からないままだけれど。でも。

「に、似合う……お、俺がお前のために加工したんだから、と、当然だろ!」

 彼が似合うって言うから、あたしは似合うって何なのか少し知りたくなった。

「ねえ、似合うってどういうことなのかな」

「はあっ!?」

「あたし、見えないからよく分からない」

「……それは……。に、似合うっていうのはだな……」

 悩む声が聞こえる。可愛い。あたしより一歳上のはずなのに。クスクス笑っちゃったけど、彼は怒らなかった。

「……誰よりも、き、綺麗ってこと、だよ」

「綺麗?」

 それは知ってる。心地良いってことだ。綺麗な音、の視覚版。あたしにとっての綺麗は、彼の声だ。

「へ、へへ……そ、そうなんだぁ。嬉しい」

「……ああクソ!こんな話をしに来たわけじゃねぇのにッ!ルージュ!早く治せよ!」

「頑張るね」

「うんって言えよ!」

 ごめんね。嘘は吐けないんだ。

 でもあたしは凄く嬉しかった。死ぬことも怖くない。だって、彼が覚えててくれるって。死ぬまで彼の耳飾りを着けたままでいられるって。彼にとっての綺麗が、あたしだって。

 嬉しくて、うわぁ、もう、嫌だな、涙出てる。泣きたいわけじゃないのに。

 そうだ。本当は死にたくない。ずっと彼のそばにいたい。忘れないで、なんて言わなくてもいいくらいそばにいたい。似合うって、綺麗だって、いっぱい言ってもらいたい。この耳飾りをおばあちゃんになるまで着けていたい。

 でも、でも。それも全部無理だから。

 あたしの涙を、熱い手が拭う。

「泣くなよ……馬鹿……」

「泣くつもり無かったもん……」

 今度はあたしが鼻を啜る。昔は鼻風邪ばかり引いてたっけ。

「ねえ、ねえ。きっと怒るだろうけど、言ってもいい?」

「……なんだよ」

「もし、もしもね……あたしが……」

 あたしの涙は拭われる度に出てきた。

「あたしが転生したら……君が見つけてね」

「なに言って……」

「あたしも君を見つけるから、だから、見つけて。お願い」

「そんな、死ぬみたいなこと言うなよ!!死なないって言えよ!!」

「無理だよ!あたし死ぬの!だから、お願いを聞いて!!」

 あたしは彼の手を両手でキツく握り締めた。どっちの手も震えてた。

「あたしが転生しても、君は生きてるでしょ!?だから、あたしを見つけて!!」

 彼から離れたくない。彼から離れて生きていける自信なんて、あたしには無い。生まれた時から彼がいて、ずっと支えてくれていたから。

 本当は知ってる。みんなあたしのこと厄介に思ってる。優しいなんて嘘。みんなソリエールが見てるからしょうがないって、嫌々優しくしてるの。でも、最初から彼だけは違った。だから好きになるのは当然だった。あたしは彼の頭の中に常に存在していたかったし、彼が誰かと一緒にいるのを想像するのも嫌だった。

 あたしは生きていても死んでしまっても、彼をあたしという存在に縛り付けたかった。

 こんな醜い話を聞いても、彼はあたしを「ルージュ」が似合う女の子だって思ってくれるかな。綺麗だって思ってくれるかな。思うわけない。こんなあたしは綺麗じゃない。あたしは誰の宝石でも無かった。脆くて汚い、石ころだ。

「……じゃあ、約束しろ」

 泣きそうな声があたしに囁く。

「走って俺に会いに来い。いつも俺がお前のところに来てたんだ。来世くらい、お前の方から来いよ」

 その言葉があたしの胸に染み込む。こんな優しいことがあっていいのかな。あたしのお願いを、こんなにも叶えてくれるなんて。

 あたしは泣きながら頷いた。何度も何度も頷いた。転生して記憶を失っても、絶対に魂は彼の優しさを覚えている。絶対に彼のもとへ走って行く。

 だからそのためには、目が見えるようにならなくちゃ。幼い頃から、何かを見るという行為が怖かった。何も見たことなんて無いのに。見えるようになったら、君がいつか言っていた「綺麗」を見れるのかな。

 目が見えるようになるだけじゃダメ。走っても大丈夫な身体にならなくちゃ。そうしたらどこまでも君の背中を追って行ける。

「絶対会いに行く。走って行く」

「待ってるから。……どんだけ遅くなってもいいから」

 それはきっと、死ぬのを遅くしろって意味。幼なじみだから分かった。

「お前が来るまで、俺はじいさんになっても生き続けてやるから」

「へへへ。おじいちゃんに会いに行くのも面白いかもね」

「……だろ」

 でもごめんね。きっと君が若いうちに、あたしは君のもとへ走って行くと思う。

 涙を拭って、あたしは笑う。優しい人に出会えて良かった。この人生に悔いは無い。大好きな人生だった。

 それも全て、君という優しさがそこにあったから。

「アレクシは、優しいね」

 そう言ったら、ぎゅっと抱きしめられて、肩がずっと湿っぽかった。あたしは彼の背中をとんとんと叩いて、彼の肩を濡らした。

 それから一月後、あたしの意識はぷつりとどこかへ消えてしまった。

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