18話 「あなたと二人きりの最後の時間」
南の離宮は、セネテーラ王国屈指のお化け屋敷として有名で、誰も近寄らない廃墟も同然の屋敷だ。離宮ではあるから、実際には定期的に人の手が入っており、廃墟ではないのだが、そこが語られる時はいつも怖い話がついてきた。
南の離宮は古い王の時代に政略結婚で嫌々娶った妃を隔離するために作られた。その妃は閉じ込められた憎しみから転生出来ず、夜な夜な歩き回り、憎しみに満ちた目と合えば呪われてしまう。作り話だと思っていても、実際にその屋敷を目にすると背筋が冷んやりとした。
森の中に佇む、古く色褪せた屋敷。城壁には蔦が絡まっているのに、門には一切絡まっていない。その門に鍵は掛かっていたが、二人は鍵を持っていない。エリエントが剣で壊し、二人は門の内側へと入った。
庭はさぞ殺風景か荒れ果てているだろうと思っていたが、全く荒れていなかった。丁寧に整備され、花壇には季節の花が植えられている。使えそうな井戸もあった。屋敷の中へ続く扉も鍵がかかっていたが、エリエントが壊した。やはり中も綺麗で、妃の幽霊がいそうな気配すら無い。今からでも住めるような状態だった。
(リシャールが、やったのか……)
定期的に人の手が入っているとはいえ、廃墟と語られるくらいの場所なのだ。それをここまで整えたのは全てリシャールの指示によるものに違いない。アランをここで幽閉するために。
「アラン様、一先ずは休みましょう」
「……うん」
屋敷は三階建てで、二階に寝室があった。寝具は整えられ、薄らと埃が積もっていたが、それらはエリエントの手によってすぐに払い落とされた。
「水を汲んで来ます。どうかここでお休みください」
「悪いな」
「当然のことです」
エリエントは寝室を出て行き、アランは疲弊した身体をベッドに横たえた。
本来ならば、アランはここで幽閉されていた。着く前に逃げ出してしまった場所に、今こうして居る。不思議な気持ちだった。
アランがうとうとしていると、エリエントが戻って来た。扉の開く音で目を覚まして上半身を起こす。入ってきたエリエントから水を貰う。井戸から汲んで来たものだろう。川の水とは違って、変な苦味も癖もほぼ無かった。飲み終わったアランはほっと息を吐く。じんわりと身体に広がる冷たさが心地良かった。アランは器をエリエントに返し、髪紐を解いた。眠った方が体力の回復も早い。靴とマントも脱ぎ、器を近くのテーブルに置くエリエントに言う。
「悪い、ちょっと眠る」
「どうぞお休みください。遠慮なさる必要はございません」
「お前も適当に休んどけよ……」
アランは欠伸を漏らして横になった。王城に居た時と似ている上等なベッドだ。すぐに睡魔が襲ってきた。エリエントはそばに立ち、アランの眠りを見守ろうとしていた。アランは眠さで温まった指を持ち上げ、エリエントの袖を握る。エリエントが息を飲む音が聞こえた。
「なあ、エリエント……」
「……はい」
聞きたいことがあった。本当にあの時の護送の兵士たちは死んだのか。本当に処刑の話なんてあったのか。本当は何をしたかったのか。だがどれも言えず、アランは眠気で霞む視界の中、息を潜めてこちらを見下ろすエリエントに笑みを向けた。
「着いて来てくれてありがとう」
それだけを言って、アランは夢の中に落ちていった。そばに誰かがいることに、エリエントがいることに安堵しながら。アランの手に力は無く、袖は自由だった。だがエリエントはその場から動けず、ただ空気を震わせて俯くことしか出来なかった。
次にアランが目覚めた時、世界は夕方となっていた。赤色が空を覆い、神秘的な時間だ。目を擦り、手櫛で乱れた髪を梳く。それだけでいつも通りに髪はすとんと落ち、それを一本に結う。エリエントに貰った白い髪紐がふわりと揺れた。
エリエントはどこにもいなかった。アランは服を整え、彼を探しに屋敷を彷徨いた。二階には居らず、硝子窓から庭を見ても居なかった。一階に降りると、奥から物音がした。向かってみると、少しずつ焦げた臭いもしてきて、早足になったアランは厨房に辿り着く。返事も聞かず入れば、エリエントが慣れない手つきで奮闘していた。焦げた臭いは背の低い暖炉の上に吊るされた鍋から漂って来ており、アランは慌てて近くの壁にかけられていた手袋をつけ、横から鍋を取り上げた。
「エリエント!焦げてる!」
「ア、アラン様!」
エリエントは突然現れたアランに驚きを隠せない様子だった。アランは石でできた作業台に鍋を置き、手袋を取って中身を見る。肉が入れられている。エリエントが携帯していたものだろう。だがそれはほとんど黒くなっており、どう見ても焦げていた。
アランの横から鍋を覗き込みながら、エリエントは言う。
「申し訳ございません。アラン様が起きるまでに食事を用意しようかと思ったのですが、お恥ずかしながら、野営時はともかくこういった場所での調理は初めてで……」
「なるほどな。まあ大丈夫だよ。そりゃ焦げてるけど、これくらいは食える」
アランはそう返し、改めて厨房の中を見渡す。半分地下になっている貯蔵庫への入口を見つけ、アランは迷わずそこに入った。後ろからエリエントも着いて来る。中には乾燥させた牛肉や鶏肉、樽が何個もある。樽の中身を見れば、塩漬けにされた野菜があり、アランはそれと鶏肉を少量手に取った。
「これとあの肉でスープを作ろう。エリエント、包丁は使える?」
「お任せください!」
二人で作業台と暖炉のところに戻り、アランは鍋の中に井戸水と骨がついたままの鶏肉を入れて火にかける。鶏肉を煮込む間にアランは野菜を、エリエントは肉を一口大に切る。エリエントの手つきはやや怖いものだったが、怪我は無かった。肉が焦げていたのはほとんど表面だけのようで、中はしっかり焼けている程度だった。切り分けた肉と野菜も鍋に入れ、あとは暗くなるまで放っておけば良い。
この厨房や貯蔵庫も、全てリシャールが用意したのだろう。彼はアランが料理を出来ることを知っていた。革命軍の時に何度か作ってあげた記憶もある。物資をそんなに使える訳ではなかったから、専ら豆のスープだったが。
厨房に置いてあった椅子を引っ張り、アランとエリエントは暖炉のそばで鍋の中身を見ながら完成を待つことにした。暖炉の中で揺らめく炎が、二人の身体を暖める。時間が穏やか過ぎて恐ろしかった。
「なあ、もうディランたちが来てるなんてことないのかな」
「無いでしょう。進軍速度を上げたとしても、フォンスから兄上たちの元へは時間がかかりますから」
「でも、マルは……」
「先行部隊がいたのかもしれませんが、マルなら大丈夫です。見た目こそ子どものように小さいマルですが、腕の力は人を倒せる分にはしっかり有ります。それに素早い。私でもあれには勝てません」
エリエントがわざとらしく肩を竦める。彼がそんな仕草を見せるのは初めてのことで、アランは距離が縮まったような感じがして顔を綻ばせた。けれど脳裏に引っかかるのは、眠る前に彼に聞けなかったことだ。今もどうしても聞けない。この穏やかな時間が終わってしまいそうだからだ。
「マルと戦ったことがあるのか?」
アランが聞けば、エリエントは頷いた。
「何度か手合わせはしました。でもどれも負けています。剣での勝負でしたら負けないのでしょうが、それではあれの実力が分からないですから」
「へぇ、いいな。俺も手合わせしたい」
「では、マルが戻ってきたら頼んではいかかですか」
「うん、そうする。あと、お前のマルの手合わせの様子も見てみたいな」
「私とマルのですか?お楽しみいただけるかどうか……」
「絶対楽しいって。強い奴らの手合わせを見るのは好きなんだ」
話しながら炎に両手をかざす。炎の向こうでは、思い出が輝いていた。
「小さい頃は、アレクシが傭兵団のみんなと手合わせしてるのをよく見てたんだ。基本的にアレクシが勝って気分が良くなって、よく高いお菓子とか買ってくれたってのも理由の一つだけど」
今回のことが終わったら、アレクシのところにも一度は戻らないといけない。あんな怖い見た目をしていてとても優しい人だから、心配をしているはずだ。彼の元に行くとなると、またあの旅芸団の人々とも顔を合わせることになるか。シェリンやジョージには色々と煩く言われそうだ。ベルタやユゴは小言は言うかもしれないが、アランの言葉を黙って聞いてくれるだろう。責任が無かったなら、あの旅芸団との旅を続けたかった。そうしたらきっと、毎日が騒がしいが、寂しさはそこには無い。
(俺の果たすべき責任は、この国に関わることだから、国外で旅なんて出来ないからなぁ……)
その責任をどう果たすか、これまでの罪をどう償うかは何も分からないが、国を出るのは違うということだけは分かっていた。
「アラン様は、暖かな思い出に溢れているのですね」
エリエントの言葉で意識を戻される。アランは首を傾げ、彼の言葉を反芻した。
「確かに……そうだな。この十年の中にも、案外あるものだし」
そのほぼ全てがリシャールのものではあるのだが、ごく稀に貴族の誰かに優しい言葉をかけられたり、使用人に身体を気遣われたりという思い出もあった。革命軍と反乱軍の時代でも、仲間たちとの暖かい思い出はある。酒場での騒がしさは今でも忘れられない。あの時、もっと話に乗っておくんだった。
十年よりさらに前ならばもっと多くある。姉のミレーヌと義父のアレクシ、アプリクスの人々。さらに遡れば、両親、両親が雇っていた針子たち、領都の人々。アランは多くの人に愛されて、暖かい思い出をもらった。
最近だって、エリエントをはじめとした色んな人に助けられ、思い出を共有した。炎が無くとも、今のアランの胸は暖かく、寒さを感じないだろう。指の先も、いつもより暖かい。血が通っていることが自分でもよく分かる。
アラン・ペリエはここで生きている。
「でも、ほとんど見えてなかった。忘れてたものもある。でもこうやって受け止められているのは、お前のおかげだよ」
不思議だった。エリエントにたくさんの「ありがとう」を伝えたくなる。それはきっと、心に余裕が出来て先が見えてきたからだろうとアランは考えた。
一方で、エリエントはずっと鼻の奥が痛かった。少しでも気を抜けば涙が出てしまいそうだが、涙を流してしまえばこの時間が終わってしまうから必死に耐えていた。この穏やかで、生を否定しないアランを、一秒でも長く目に焼き付けていたかった。
ぽつりぽつりと二人は話をした。いつかは忘れてしまうだろう、取り留めのないことばかりだ。そのうち屋敷の外は夜になって、厨房には良い匂いが立ち込めた。食堂にわざわざ持って行くのは面倒臭いとアランが言い、その場で火に当たりながらの夕食となった。二人で作ったスープは優しい味で、アランも少量ではあったが、昨日よりは食べることが出来た。
夕食を終え、お湯で濡らした布で身体を拭き、寝る準備を済ませる。エリエントは見張り番をするという。アランも起きていようと思ったが、エリエントに言いくるめられて寝室に戻って来てしまった。
ベッドに入り、アランは知らない天井を見上げる。明日にはきっと全てが終わる。だからこんなにも穏やかな時間はここまでだ。
目を瞑ると、優しい闇がアランを包み込む。そのまま身を委ねていれば、あっという間に意識が落ち、次に気がついた時には朝になっていた。
「アラン様、起きましたか」
すぐ横で声がして、アランは目を開けた。ベッドの横にエリエントが立ち、アランの顔を覗き込んでいる。アランは苦笑して、「起きたよ」と返した。
それから朝の支度を済ませる。髪はエリエントが結んだ。いつも通りの格好をして、昨日の残りのスープを二人で平らげ、気を引き締める。もうすぐだ。勘がそう言っていた。
そして、その勘は的中した。
玄関からすぐ近くの応接室に二人でいると、外から馬車の音が聞こえてきた。アランの身体が緊張で強張る。ついにリシャールと会うのだ。彼はアランを見て何を思うだろう。もう今までのようにどん底まで暗い気持ちにはならなかったが、やはり恐れはあった。
エリエントが言っていた通り、本当にリシャールがアランを処刑しようとしていたら──。
門の鍵が壊されていることに気づいたのだろう。外は騒がしくなった。御者と護衛二人とリシャールで、合わせて四人といったところか。アランは応接室の扉に向かった。それにエリエントも着いてくる。リシャールたちはすぐに玄関の鍵も壊されていることにも気づき、玄関は乱暴に開けられた。それはアランが扉を開けたのと同時で、玄関から飛び込んだリシャールの茶色の目と、応接室から出たアランの青色の目がぱちりと合わさった。
「あー……」
リシャールの白目は血走っていて、アランは思わず逸らしたくなる。だがそれは意地でも耐えた。リシャールは目を上下させながら、視線で何度もアランの全身を撫でる。
「リシャール……その……元気してた?」
元気だったとはとても思えない。聞いていた通り、彼は少々憔悴していて、いつも綺麗だった金髪はくすんでいるように見えた。玄関の扉のせいで見えないが、彼の後ろには護衛たちがいるのだろう、少し騒がしかった。だがアランとリシャールの間には沈黙だけがあって、その静けさがアランには痛かった。
リシャールが一歩、よろめくようにアランに近づく。アランは逃げず、彼に合わせて一歩前に出た。
「アラン……」
近づきながら伸ばされた手に、近づいて自分の手を伸ばす。アランはペンだこの硬い手を握った。近くで見たリシャールはやはり憔悴していたが、無事なアランを見て、その顔は安堵に満たされた。
「心配したよ。鍵が壊されていたんだから。何も無い?怪我は?……そもそもその髪は?自分で切ったのかい?服は?そんな服用意したはずは無いんだけど?君痩せたでしょ?ご飯は食べているのかい?そしてこの髪紐は何!?城で使っていたやつは!?はっ!アラン、腕輪は!?」
最初は握っていない方の手で髪や肩を触っていたリシャールだったが、今はアランの片手首を掴んで睨みつけている。アランは肩を縮こまらせ、小さな声で「ごめん」と言った。悪戯を咎められた子どものように。目だけで見上げ、リシャールの様子を窺う。
「……色々あって……手放しちゃった」
「色々って、何だい」
リシャールの目が怖い。だが、今が話す時だ。アランは唾を飲み込んだ。
「それも含めて、話したいことがあるんだ」
僅かな沈黙が降りる。リシャールはため息を一つ吐いて、頷いた。
「分かった。話を聞こう」
手がどちらともなく離れる。アランが振り返ると後ろにはエリエントがいて、彼は応接室の扉を開けた。そこでようやくリシャールはアラン以外にも人間がいたことに気づき、エリエントを胡乱な目で見た。エリエントは気にもとめていなかった。
テーブルと椅子と棚があるだけの部屋に、アラン、エリエント、リシャール、そしてリシャールの護衛二人が入る。御者は外の馬車にいるだろう。
アランがテーブルを挟む長椅子の片方に座ると、すぐ向かいにリシャールが座る。彼の後ろには護衛二人がつき、アランの後ろにはエリエントがついた。リシャールはエリエントの立ち位置に眉を顰めたが、すぐにそれを解き、アランへと視線を移した。アランは膝の上に手を置いて、自分の手に汗が滲んでいることに気づく。それを握りしめ、アランは慎重に口を開いた。
「まず、幽閉のことだけど」
リシャールはアランの様子を見て既に察しているだろう。
「俺はここに着く前に馬車から出て、昨日まで一度もここに寄ってない」
「……それは少し予想とは違ったな」
リシャールは小さく笑みを浮かべた。
「もしかして、鍵を壊したのは君?」
「俺っていうか……うん、俺たちだよ。鍵無かったし、お前に会うためにはここで待ってなきゃならなかった。俺が幽閉で住む予定だったんだから、俺が入っても問題無いよな?」
「無いね。でもおかしいな。ここの鍵の数は限られているけれど、君用は城のどこにも無い。盗まれた?」
「……どうせ何となく察しがついてんだろ。盗まれてはないけど、俺は受け取ってない。護送してくれてた兵士の誰かが持ってたと思う」
「へえ。まだ受け取ってなかったんだね」
アランは彼の反応を見て察し、口を閉じた。
(リシャールの手配通りなら、俺にすぐに鍵が渡されてたはずなのか……?)
リシャールは敢えて情報を伏せ、あれだけの言葉で終わらせた。この場でこれ以上その話をすべきではないと踏んでいるのだ。何故だ。エリエントがいて、彼のことが信用ならないからだろうか。
(いや……でも……兵士たちがたまたま忘れただけかもしれない。着いてから渡そうとしたのかも)
「それで、君はどうして馬車から出たんだい?誰かに唆されでもしたの?それともやっぱり……嫌だった?」
リシャールの目は僅かに細められた。何かを耐えている時の顔だ。紙で指を切った時、いつもこういう表情をしていた。
「嫌だったかどうかは、今でも正直分からない。追放も幽閉も、しょうがないことだと思うし。でもあのままここに来て、中を見たら、ちょっと喜んだんじゃねぇかな。綺麗に整えられてるから」
「君を埃だらけの廃墟に住まわせるわけにはいかないだろう」
「一応王だったもんな」
「それもあるね」
「も」とは何だ。そう聞きたかったが、リシャールがアランに続きを促す。アランはリシャールのせいで逸れそうになっていた話を戻した。
「馬車から出たのは、エリエントが……後ろのこいつが、この先に行ったら危険だって教えてくれたからだよ」
リシャールはエリエントを睨みつけたが、すぐに元の目に戻ってアランへと視線を戻した。
「へえ。危険って?」
「……それは後で話す。で、俺は一人馬車から出て、近くの村に行った。腹減ってた俺に、そこの人たちが新年のお祝いの料理を分けてくれて、寝床も貸してくれた。そのお礼に腕輪を渡したんだよ。渡せるものがそれだけしかなかったんだ」
「なるほど。それならしょうがないね。あれも趣味が悪いものだったから、ちょうどいいだろう」
「趣味悪いって、あれ渡したのお前だろ」
「王族のものでマシなのがあれだったからね」
リシャールが両手を軽く挙げ、やれやれと首を振る。
「はあ、話戻すぞ。俺はそれからまた別の村に行って、そこで旅芸団に一時的に入って、服とかもそこで変えた。マントはエリエントから貰ったやつだけど」
リシャールの形の良い眉がぴくりと跳ねた。
「髪紐は?」
「エリエントにこの間買ってもらった」
目尻もぴくりと跳ねた。気に食わない気持ちが全身から溢れている。
「へ〜ぇ、そう。他には何も貰ってないね?」
「うん、物は」
「も、の、は?」
「話戻すけど、旅芸団で色々移動しているうちに、フォンスの町に辿り着いたんだ。伯爵領の」──何か言いたそうなリシャールを、アランはわざと無視をした。「そしたらそこでエリエントと再会した。エリエントのとこに仕えてるマルってやつも一緒で。それで俺は、エリエントたちからある話を聞いた」
「話ね」
「お前に関すること」
リシャールは口を閉じた。探る目でアランを見ている。
「俺たちの頃とはまた別の反乱軍が、お前の命を狙ってるって」
それを言うと、リシャールの目は探るものではなくなった。どこか安堵したようにも見える。
「ああ。あれね。聞いたんだ」
「お前、知ってたの?」
「まあね」
「フォンスの町に本拠地があることも?」
「それは知らなかったな。教えてくれてありがとう。近いうちに消しておこう」
「……ちゃんと探ってたのか?お前なら、すぐに分かったんじゃ……」
「本格的に探ってはいなかったよ。どうせすぐに消えると思ってたから。でも案外しぶといね」
自分の命がかかっているというのに、まるで他人事だ。アランは何が何でも止めなければならないと必死だったのに。だがリシャールらしいとも思う。彼は自分のことだといつもこうだ──だから、アランの悪評をいとも容易く被って見せたのだろう。
「反乱軍の軍主を止めるために、俺たちは色んなところを周った。それで、知ったんだ」
アランはリシャールに言葉を挟ませなかった。
「お前が俺の悪評を被ってるって」
リシャールの口から乾いた息が漏れ出た。
「おかしいと思ったんだ。どこに行っても俺のことを悪く言うやつはいない。反乱軍は俺じゃなくてお前を狙ってる。……まあ、反乱軍の軍主は……ちょっと他と違うみたいだけど。誰も俺に、英雄に幻滅してないなんておかしい。苦労してるのは俺じゃなくてお前なんだって、なんで誰も分からないんだって思ってたけど、当然だ。お前が全部俺の身代わりしてたんだもん」
話しながら、アランの声は涙混じりになっていた。
「なあ、何でそんなことやったんだよ。お前頭良いんだから、自分が悪評被るのが良くないことくらい分かんだろ。悪いのは俺なのに」
護衛二人は動きこそしなかったが、動揺しているのが分かった。彼らはリシャールを護衛し、アランと共にいることも多かった。彼らも悪評に関しては知っているのだろう。
リシャールは膝に片肘をつき、片手で顔を覆って俯いた。彼の震えに合わせて、髪が小刻みに揺れる。
「……違う」
喉が絞り出したような、掠れた声だった。
「違う、違う!僕が悪かったんだ。僕が間違えたッ!君を王にするべきではなかった……!するのなら、象徴としての王にするべきだった……!!リリアンさんの言った言葉の意味を理解するのが遅すぎた……!!」
もう片方の手で頭を覆う。
「僕はただ、君を王にすることに固執してしまった。気づいた時には遅かった……だから、あれは罪滅ぼしだった……君の人生を狂わせてしまったことへの……!」
彼の髪はぐしゃぐしゃで、きっと今は見えない顔も同じようになっている。リシャールのこんな姿を見るのは初めてだった。
罪滅ぼし。そんなこと頼んでないと言えたら楽だったが、それはアランだけで、リシャールは救われない。アランはただ彼の言葉を受け止めることしかできなかった。
リシャールが落ち着いたのを見計らって、アランは一つ尋ねた。
「じゃあ、幽閉ってのは?」
「君を守るためだった。もうあそこに居ちゃいけない……。君を象徴としての王にするまで、安全なところに居させたかったんだ。君は疲れ果てていたから……」
「それじゃあ、処刑なんて考えなかったんだ」
「処刑……?何故そんな話になるッ!?」
リシャールが顔を上げ、アランを見る。彼の目には、苦しげなアランの顔が映っているだろう。
(やっぱり、リシャールじゃなかったんだ)
安堵と、エリエントへの不信感が同時に湧く。エリエントにこんな感情を持ってしまうことが苦しかった。
「俺が馬車から出た理由は、幽閉とは見せかけで、本当は処刑されるんだってエリエントから聞いたからだよ」
リシャールは口を開けて呆然とした後、「まさか」と呟いた。
「……アラン、君の護送にいたのは誰だい」
「新兵に見えたな。名前は知らない。殺されたって聞いてる」
「ああ、そう、その時点でおかしいよ。僕が手配したのは君も顔くらい見たことあるような兵士のはずだった。彼らは買収でもされたかな。新兵ね、なるほど?」
リシャールは「最悪だ」と言って、乱れた髪をさらに掻いた。
「それじゃあ、そこのエリエントくんには感謝しなきゃいけないね」
呼ばれたエリエントは微動だにしなかった。アランが振り返ると、アランにのみ優しい顔を見せたが、それを見たリシャールは珍しく舌打ちをした。だが居住まいを正すと、リシャールはエリエントに対し、丁寧に頭を下げた。
「彼の臣下として、彼の親友として感謝する。アラン陛下を救ったのは、正しく君だ」
親友!──アランは目を見開いた。リシャールは、アランのことを今も親友だと思ってくれていたのだ!
喜ぶアランを他所に、エリエントは返答をし、リシャールとの会話を続けた。
「私は私のすべきことをしたまでです」
「そうだね。アランに仕える王国軍の者ならば当然のことだ。……と、言いたいところだけど。どうやらこちらはその王国軍の者に裏切られていたようだからね。君がどこで情報を掴んだかは後で聞くとして、やはり中央の貴族が動いていたか」
「はい。リシャール様が決定したアラン様の幽閉は、その貴族たちから逃がすためのものですね」
「そのつもりだったんだけどね……。ああ、やることが増えた。楽しくなるよ」
リシャールの浮かべた笑みは凶暴的だった。楽しいなどと決して思っていない顔だ。
「ここも安全ではない、か。しょうがない。アラン、君はベルトラン家に身を潜めるんだ。あそこなら君を受け入れるだろう」
「そりゃ無理だな。俺、責任取るって決めてるから」
アランが答えると、リシャールは低い声で言う。
「馬鹿なこと考えてないよね?」
「というか、どうすればいいか分からない感じかな。これまでの失策の責任を取りたい。だけど、どうしたら取れるのか分からない。エリエントはもう責任は取ったって言ってくれたけど、そんなことは絶対にない。俺はきっと死ぬまで責任を取り続けなきゃいけない。……なあ、リシャール。何か良い案は無いかな……?」
「……君は……」
深々と息を吐かれ、アランは眉を下げた。さすがに呆れられたか。しかしリシャールの答えはそうではなかった。彼は泣きそうな笑みを浮かべた。
「……君は、ようやく前を向いてくれるのか」
アランのこれまでの後ろ向きな思考は、リシャールも傷つけていたらしい。
「今まで、ごめんな」
「いいよ。……いい。一緒に考えよう。止められなかった僕にも責任があるんだから」
「そんなことないと思うけど」
「口答えはしないことだよ」
「どこが口答えだって!?」
「年下は年上の言うことを聞くものなんだから」
「俺の方が二ヶ月年上だっての!」
そう言って、アランは小さく噴き出した。リシャールとこうやって心が軽いまま話せたのはいつぶりだろう。追放の話が出てからは、こうして話せる日がまた来るとは思っていなかった。リシャールは両腕を組んで、そのアランの笑みを優しく見守っていた。
「それで、僕に話したいことって本当にそれだけじゃ──」
その時だった。外から御者の悲鳴が聞こえた。馬の鳴き声で騒がしい。アランとリシャールは立ち上がり、エリエントと護衛たちは剣を抜く。護衛の一人が扉の前に立ち、鍵をかけ、外の様子を窺う。そしてすぐさまアランたちの方を向くと首を振った。居るのだ、確実に、誰かが。エリエントがアランの前に立つ。護身用の剣を手にしたリシャールの前には護衛が立っている。誰かが剣を強く握り、カチャリと音が鳴った。
ドンと強い音がした。外から扉が体当たりされている。近くにいた護衛が扉から少し離れ、剣を突き刺す構えをする。扉は軋み、何度目か分からない体当たりの末、突き破られた。入ってきたのは巨体の男だった。男は正規の軍人よりも粗末な装備だったが、鍛え上げられた筋肉は敵ながら惚れ惚れするほどで、勢いそのままに、剣を構える護衛に突っ込んだ。剣が心臓を貫ければ良いが、当然ながら男は胸当てをしており、肩と二の腕を前にして突っ込んでいる。そのまま剣を突き刺したら、剣を抜けず攻撃の手が止まることは確実で、護衛は避けて男の側面を斬りつけようとした。だが彼を襲ったのは二人目の男で、その男は大斧で護衛の兜を見るも無惨な形に変えてしまった。その兜の中がどうなったかなど言うまでもない。アランの喉がひゅっと鳴った。巨体の男は剣を抜き、それをリシャールたちの方に振るう。残った護衛がそれを受け止める。大斧の男はエリエントの方に向かってきた。だが後ろにアランがいるのを見ると方向を変えて、リシャールを守る護衛の方に行ってしまう。このままでは確実に護衛は潰れ、リシャールが危ない。アランは剣を抜き取って、テーブルを踏み台にして巨体の男に掴みかかった。
「なんだ!?この──」
「おい、その方だけは殺っちゃいけねぇ!!」
大斧の男が巨体の男を止める。その隙に護衛が巨体の男の剣を持つ方の手首を斬りつけ剣を落とさせ、アランの剣が男の頑丈な首に刺さった。血が噴き出す寸前に、剣を持ち飛んで離れる。護衛が苦しむ巨体の男を蹴り飛ばし、大斧の男に向かう。エリエントが男の背後を取り、二対一で追い詰める。それほど時間もかからず大斧の男も血に染まった。護衛は利き腕に怪我を負ってしまい、血を流している。手当てをしなければと思った時、またしても人影が現れた。逃げてきたのかところどころ汚れ、装備らしい装備も無く、痩せた身体で剣を持つ五十半ばに見える男──ディランだ。
ディランは扉の近くで死んでいる護衛の身体を踏みつけて部屋の中へと入って来た。口角だけはいやに上がり、彼の目はアランにのみ向いている。恐ろしいほど真っ直ぐに、僅かのブレも無い。その目に浮かぶ感情は執着という言葉よりも重い気がする。アランは漏れ出そうになった悲鳴と、震えそうになる身体を抑えつけた。
「……君、まさかディラン?久しぶりだね」
リシャールが言う。ディランはようやくアランから目を逸らし、リシャールを恐ろしい目で見た。
「これはこれはリシャール。本当に久しぶりですね」
異様な静けさだった。
「まさか君が反乱軍の軍主だったりするのかな」
「聞きました?」
「ただの推測だよ」
「そうですか。君はいつもそうですね。事実に必ず辿り着く。正解を選び取る。私よりも先にッ!!掠め取るようにッ!!」
ディランの怒号が部屋中に響いた。彼は剣を持ち、リシャールへと襲いかかる。それを護衛が止めるが、彼は利き腕を怪我しており、理性を無くしたディランの攻撃に負かされ、地に伏せられてしまう。リシャールは冷静に、狂気に満ちた彼の剣を受け止めた。そのままニヤリと笑う。
「いいのかな。ここには僕以外にもいるんだけど」
そう言うや否や、エリエントの剣先とアランの剣先がディランの背後に当てられた。僅かでも動けば、まともな装備をつけていないディランはすぐに死ぬだろう。
「君の目的は、僕への見当違いな復讐とアランかな。どう?正解?」
ディランは長い無言の後、獣のように唸ると、力の限り握り締めていた剣を床に落とした。アランとエリエントの剣先も彼から離れる。
「またか……また私は奪われるのか……ッ!?」
そこから咆哮の如き泣き声を上げて崩れ落ちる。アランは目を開いていたが、リシャールとエリエントは冷めた目で彼を見ていた。
「あの二人ほど強くも無いし、策もこの程度。それで潔く自害する勇気も無しか。君って昔からそうだよね。僕の居場所は中央の貴族のどこかから内通されたのかな。困ったものだよね。ああ、ほら、聞いてあげるから恨み言でも言えばいいよ。どんな罪人にも、最後の言葉を言う権利は王国法で決められているんだ。無駄なことにね」
リシャールはディランに剣を向けたまま言う。彼の言葉は剣よりもディランの心を突き刺し、ディランは恨みがましい目でリシャールを見上げた。彼は何も答えるつもりがないのか、それとも言葉がまとまらないのか、何も言わず、荒い息だけを吐き出していた。エリエントはアランを自分の背後に移動させ、剣を突きつけながらディランに尋ねた。
「アンベール侯爵家の私兵たちが待ち構えていたはずですが、突破したんですか?」
「アンベール侯爵家の私兵ッ!?」
ディランの首がぐるりと向く。
「それ以上だった!さすがアンベール侯爵だ、協力の取り付けも早いものだ!まさかブランシェ家からも援軍があるとは!!」
「ブランシェ……!?」
思わずアランが反応すると、ディランがにぃっと笑った。あまりに恐ろしく、アランの肩が震えた。それを見て、さらにディランの笑みが深くなる。苛立ったように、エリエントの剣先がディランの服に触れた。あと少しでも動けば、その剣先は肌を血に染めるだろう。
「ええ、そうですとも。我が反乱軍は挟み撃ちにされ、私は命からがら逃げ出した。逃げるのに邪魔ですね、鎧というものは。着けておけば良かったですよ。そういえばどこのものか分からない傭兵隊もいましたね」
「それは私が手配しておいたものですね」
エリエントが言った。
「役に立ったようで良かったです」
ディランの口からまた荒い息が漏れ出る。その息が笑い声へと変わっていく。けたたましい笑い声で、アランの鼓膜は悲鳴を上げた。
「全てを賭けたのにッ!!結局はこうだッ!!アラン様、あなたは本当に人を魅せるのが上手いッ!!ブランシェ家もきっとあなたが動かしたのでしょうッ!!そしてこんな男すらも味方につけたのですかッ!!私をッ!!忘れてッ!!」
エリエントの剣がディランを貫いた。アランが鋭く息を飲む音は、ディランの笑い声で掻き消された。
「アラン様、何故私を忘れていたのですか……ッ!?私は軍師だった!!あなたを最初に導いた!!宰相でもあった!!そしてあなたが……最初に……ッ!!私に光を見せたのだ……ッ!!」
刺さる剣のことも気にせず、血を流しながらディランはアランの方へと向き、手を伸ばす。それをエリエントが容赦なく蹴り飛ばした。剣を背中から突き刺したまま、床に転がり、ディランはアランを見上げ続ける。
「アラン様……ッ!私が再びあなたを……ッ」
口から血が噴き出る。ディランの手がアランへと伸びたが、それをエリエントが踏み潰した。アランはエリエントの背中しか見えなかった。
「私の……光、で……」
その言葉を最後に、ディランは口を開けたまま息を止め、無言になった。アランは口を手で覆い、数歩後退ったあと床に崩れ落ちた。
「アラン!」
「アラン様!」
リシャールとエリエントが駆け寄り、左右からアランを支える。アランは俯き、吐きそうになるのを耐えていた。
(気持ち悪い……気持ち悪い……。でも、全部、お、俺のせい……?)
またあの暗い思考に戻っていく。目にじわりと涙が滲んだ。
「アラン様、あの男はただ自分勝手にした挙句、自滅しただけです。あなたに何の責任もありません」
「で、でも、お、俺……俺が、見せたって。光……?お、俺、見せたの?いつ……?」
「それは……彼も勝手に……」
エリエントは言葉を選ぶため、返事が遅くなる。そこにリシャールの言葉がするりと入り込んだ。
「勝手に君に光を見て、勝手にその光を君自身に押し付けていたんだよ。君と同じ光を見ようとしなかった奴だ。他の奴らと同じだね。あいつは他の奴らより執着が強かっただけ。あいつがまともだったら、反乱軍はここまでにはならなかったよ」
リシャールはアランの手を取り、冷え始まった指先を温める。
「君は心が弱いままだね。だから君は優しいし、あんなやつの言葉にこうやって反応して、責任まで感じ始める。早く忘れてやりなよ。それがあいつの転生のためだよ」
「う、うん……」
「君は君自身を否定しないことだ。どうしても否定するって言うなら、僕も久々に君を怒るからね」
「それはやだ……」
「だろう?」
アランの目尻にあった涙を指で拭う。
「……ごめん、ちょっと弱ってた」
「しょうがないよ。君、元からそういうところあるし」
「否定はしない」
「認められるようになっただけ成長したね。成長期だもんね」
「もう終わってるっての!」
リシャールとアランのじゃれ合いを、エリエントはただ黙って見ていたが、二人は彼を見なかった。リシャールはアランが気を取り直したのを確認して目もとを綻ばせ、アランはリシャールの揶揄いに目を釣り上げて、しかし確かに心が軽くなったことを実感していた。
「君も疲れただろう。別室で少し休みなよ」
熱を分け与えた手をゆっくりと離し、リシャールはアランに言った。彼は宰相になり少し経った頃から、アランが疲れを自覚する前にこう言っては無理矢理休ませていた。アランは久々のそれに感慨深い気持ちになって、稚く頷いた。
「エリエントも休もう」
アランに目を向けられ、エリエントは心の底から湧き上がる気持ちを表に出す以外を出来なかった。リシャールはエリエントを睨んでいたが、エリエントにそんなことは関係無く、アランからの眼差しに喜色満面だった。
「アラン様がそう仰るのならば」
「君、一応軍人だよね?ここの鍵は壊れているんだから、見張りで立っているべきじゃない?」
「でも昨日からエリエントは寝てないんだ。それこそ見張りをしてくれていたから。必要なら俺がやるし」
「君にやらせるわけないだろう」
リシャールはアランを立ち上がらせると、彼の肩を掴んでくるりと回し、扉の方へと身体を向けさせた。そしてそのまま肩を押しながら部屋を出る。
「とりあえず、君は休むこと。いいね」
「分かったから押すなって!でも見張り──」
「君は気にしなくていいから」
アランを寝室まで追いやると、リシャールはアランを「しっかり休まないと分かってるよね?」と脅し、扉を閉めた。アランは「別に疲れてるわけじゃ……」と呟きつつもベッドの端に腰を下ろした。座った途端、身体に重さが加わった気がした。
(……あれくらいで疲れるわけが……)
かつては戦場を駆け、弓を数え切れないほど連射し、後方で何時間も立ちっぱなしになるなど余裕でできたのに。
(でも軍主になった後半の方は、無理すると熱出すようになったっけ……。王としての仕事も、いつも休み休みで、部屋からあまり出る気力も無くて……)
アランはぼんやりと、現在に至るまでの自分の身体を思い出す。王城生活で身体が鈍っただけかと思っていたが、やはり今の自分の身体は酷いことになっているのではないか。そこに辿り着いて、アランはゾッとした。
(やっぱり、俺って何かの病気で、それかもう──)
それ以上考えるのが怖くて、アランは勢いよく頭を振ると、髪紐を解き、靴を脱いで、楽な格好になるとベッドに寝転がった。それだけでまた身体が重くなる。瞼もすぐに下がってしまった。
アランが寝息を立て始めた頃、エリエントとリシャールは死体の処理をしていた。護衛たちや御者は後で火に掛けてやるとして、ディランたちは屋敷の裏に野ざらしにした。そのうち野生動物や虫によって、長い時間をかけて消えるだろう。罪人への罰には丁度いい。魂は彷徨い続けるかもしれないが、この離宮の怪談話が一つ増えるだけだ。
エリエントは処理を終えて屋敷内に戻っていくリシャールの背を見た。リシャールのことを、エリエントは評価はしていた。
アランの存在を当時の軍師であるディランに話したのは彼であるし、エリエントでもそこはどうにも出来なかったから、アランの人徳とソリエールの導きのおかげかもしれないが、彼の存在あってこそのものでもあるときちんと理解していた。その後もアランを軍主にまで推薦し、アランの活躍を陰ながら支えてくれていたし、おかげでアランは解放の英雄の名を冠することとなった。だが、その後が問題だった。それは彼を玉座に座らせたことでも、悪評を被ったことでも無い。アランを一人、幽閉先に送ったことだ。アランが貴族たちに捕まった後も酷かった。彼は何も出来なかったのだから。エリエントに彼ほどの力があったのなら、必ずアランを牢から出し、その手を引いて逃げ出したのに。どうやらその時軟禁状態にあったらしいとは後で聞いたが、軟禁なら監禁よりも自由でやりようがあったはずだ。アランの処刑の日も、どうせ軟禁部屋にいたのだろう。アランが散り行く様を、それで歓声を上げる民衆を、下卑いた笑みを隠して立つ醜い貴族たちを、彼はアランの親友という立場にありながら拒絶したのだ。
(何故こんな男がアラン様の親友に?)
影から手を回すのではなく、自分も立場を手放して、反乱軍に入り、革命軍に成長するのを手伝い、アランのそばにいればきっとその座は自分のものだった。そうなれる自負がある。だって、こんな短時間ですぐにアランはエリエントに心を開き、弱い姿を晒してくれた。
(しかし、どれだけ納得出来なくとも、こいつはアラン様の親友の立場……私が手を下す訳にはいかない……)
エリエントはつい剣に伸びそうになる手を押さえつけ、リシャールに遅れて屋敷の中に入った。
「君さ」
前を歩いていたリシャールが足を止め、振り返った。長い廊下で、この国に多い茶色の目が、玄関を背に立つエリエントを睨んでいる。
「僕のこと、嫌いだろう。さっきからうるさいんだよね、視線」
エリエントは無言を返した。
「別に君に嫌われてようがどうでもいいよ。君のおかげでアランの命が助かったことや、これまで君がアランを守ってくれたことに感謝しているのは変わらない。でもさ、そこまで露骨にしないでほしいんだよね。アランは傷つきやすくて壊れやすいんだよ。そんな態度でいたら、アランが気づいて、傷つく」
「アラン様には気づかせません」
ようやく口を開いたエリエントに、リシャールの片眉が上がる。
「へえ、アランのことになると喋るんだ?いるんだよね、そういうやつ。城にもいたよ。アランのことを見かけただけのくせして、アランに幻想を抱いて、アランのことになると饒舌になるやつ」
「アラン様に幻想など抱いておりません。私は私の見たアラン様を信じているだけです。アラン様も受け入れてくださっている。ただ姿を見かけただけの者と一緒にしないでいただきたい」
「そうかな。アランとひと月も居たわけじゃないんだろう?そんなの、彼の本質を知るには短過ぎる。どうせアランの調子の悪い様子を見て、自分だけに見せてくれたと勘違いしてるだけだろう」
エリエントの睨みに、リシャールは決して怯まなかった。
(こんなやつがアラン様の親友……?未だに信じられない……!)
「そこはアランの悪いところでもあるね。彼、追い詰められるとすぐ様子を変えるんだ。だいたいその前に僕が何とかしてたけど……ディランは見ただろうな。他の何人かも見たね。アランが心の安定のために祈りを捧げてたのを、イネスも見てたっけ」
顎に手を当て、黙考した後、「やっぱり王にするんじゃなかったんだな」と自嘲する。許されるなら、彼をこの手で葬り去りたかった。しかしアランが居るこの屋敷でそれも出来ず、エリエントは感情に耐えるのみだった。
「……そうだ、大事なことを聞きたかったんだ」
リシャールは腕を組む。その目は冷えきっていて、エリエントに友好的な感情など元から無いことを知らせた。
「君、どこで幽閉の話と処刑の話を知ったの?」
エリエントは唇を噛んだ。本来ならば自分は知らなかったからだ。どうやって知ったかなど、一度辿ったからに過ぎない。
「言えないのか。怪しいな。君、貴族階級出身の軍人だろう?どこの家?まさか君の家が処刑の一派だったなんて言わないだろうね」
「それだけは有り得ません」
即答だった。アンベール侯爵である兄リュシアンは、処刑台を護る役目は仰せつかっていたものの、処刑には最後まで反対していた。その点だけで、兄を許せる。兄のせいであと一歩が届かなかったとしても。
「じゃあどこの家?」
「アンベール侯爵家です」
「……ああ、あそこか。まあ、アンベール侯爵を信じたとして、君を信じる理由にはならないけどね」
「私をアラン様の傍から排除するつもりですか?」
「今はしないよ。この場に人手は足りないわけだし」
(私も今はあなたを消さない。アラン様の存在があるからだ)
無言の睨み合いが続く。エリエントは最悪この場で殺さなくとも何とか黙らせようと、剣を意識した。マルが戻ってくれば、可能なことも多い。彼は必ず戻って来る。
その時、「ふっ」とリシャールが息を吐いた。緊張していた空気が僅かに緩む。
「建設的じゃないね。イライラして、君に当たった。申し訳ない」
エリエントは瞬きを一つして、「いえ」と短く返した。意識は剣から逸れていた。
「そういえば、僕何も食べてないんだよね」
「食材ならあります」
「……僕ね、料理出来ないんだよ」
リシャールが肩を竦める。
「アランが何か作ってない?彼なら絶対作ってると思うんだけど」
「作りました」
「やった」
「でも全部、私が、食べました」
あえて「私が」を強調すると、分かりやすくリシャールの口角がヒクつく。
「ああ、そう?」
「美味しかったです」
「だろうねぇ?」
リシャールは長い裾を翻すと、厨房の方へ勇み足で歩き出した。振り返らずに、エリエントに苛立ちを隠さない声で言う。
「君、もう休んだら?僕も君のこと嫌いだし、君も僕のこと嫌いなんだから、これ以上一緒にいるのは良くないよ」
「そうします。食材は無駄にしないでください」
「肉を齧るだけだから無駄になんかしないよ!」
エリエントは彼の言葉を聞く前に、アランの居る寝室のある二階へと歩き出していた。
階段を登り終え、廊下を歩き、寝室の扉の前に来る。ここにアランがいる。眠っているだろうと思い、扉を叩くことはせずにゆっくりと開けた。中を覗き込むと、ベッドの上ではやはり、アランが眠っていた。猫の子のように丸まって、胸をゆっくり上下させている。彼が息をしている。それだけで、エリエントは疲れが消えていくようだった。
ベッドのすぐそば、アランの顔が見えるところで跪き、アランに無音で語りかける。
(アラン様。あと少しで終わります。あなたを幸福へと導くことができる。もう胸の痛みなど消え去りました。今残るのは、ようやくあなたを救えるという喜びだけです)
だからどうか、私のことを覚えていてください。
こんな愚かな男もいたのだと。
悔いはもうありません。だから、ようやく、私は。




