13話 「私は本当に正しかったのでしょうか」
それは過去の記憶だった。
アランはリリアンとともに、ベルトラン家の本邸へとやって来た。貴族の屋敷らしく大きく、庭は広い。高い壁に囲まれて、その内側には木々が植えられ、優美な花壇が作られている。花壇と花壇の間には小道が作られ、平らに整えられた芝生の広場へと続いている。広場の中心には人工的に作られた池があり、そのすぐそばには白い東屋があった。それだけ見れば上品だった。この敷地内に足を踏み入れた時から、アランは引き攣った顔を隠さなかった。
「ぎゃあああっ!!」
「うわぁぁぁっ!!」
「あははははー!!」
絶叫と笑い声が交差し合う貴族の本邸など聞いたことも無い。
一人の小柄な少女によって、同じくらいの背格好の子どもたちが男女関係無く池に放り込まれていた。絶叫も笑い声も、放り込まれている側が上げている。放り込んでいる側は「もーっ!」と大変ご立腹の様子だ。何が起きているのだろう。出来れば知りたくない。
「ああ、またやってる」
隣に立つリリアンは呑気にそう言った。
「また?」
「そう。あれは勉強をサボった罰。いるんだよね、サボる子って。あたしも一度やられたよ」
「リリアンもサボったのか……」
「座ってるだけじゃつまらないからね。でも、あれのおかげで水への抵抗感が無くなって、関所越えの時は川の流れに乗ればいいよねーって、みんななったよ。罰っていうか、あれも教育の一つかもね」
得意気に言うが、アランは何故そこで得意気になれるかが分からない話だった。
「まあ、あれはベルトラン家本邸の風物詩だと思ってよ」
「えぇぇ……」
リリアンは特にアランの反応も見ず、にこにこと笑いながら、池の方に手を振った。
「ネーレス様〜っ!リリアン、ただいま戻りましたぁっ!」
池に放り込んでいた少女が手を止めて振り返る。池の上にぷかぷかと浮いている子どもたちは、「リリアンだー!」と声を上げた。
アランは「あ」と声を出した。思い出した、あの少女はベルトランの始祖ネーレスだ。ブランシェ家の迎賓館で会ったことがある。
ネーレスは二人の方に駆けて来ると、その華奢な体躯のどこにそんな力があるのか、頭一つ分高いアランを抱えてクルクルと回った。
「わぁ、遅かったねぇ!待ってたんだよー!」
「わあああっ!離せ離せ離せ!」
「はははは!」
解放され、アランの足はフラつきながらも地面を踏みしめた。
(何だこの人……!改めて向かい合うと訳が分からない人過ぎる……!)
「アランだよね?ははは、一年ぶりくらいだよね?」
「そ、そうですね……」
「元気そうだねー?思ってたのと違うかも!あ、ちょっと待っててね」
ネーレスは池の方に向かって、「身体はちゃんと吹くんだよー!」と言うと、アランの手を取った。やはり彼女の手は暖かくて、どんな状況でもアランをホッとさせる効果があった。
「お部屋行こう!もうすぐ夕方だよ!」
空いている手で屋敷を指さす。そこにリリアンが声を掛ける。
「ネーレス様、あたしは?」
「リリアンもおいでー」
「はい!」
リリアンは母を前にした小さな子どものようにネーレスにくっついて歩き、アランはそのネーレスに引っ張られながら、屋敷の中へと入った。
屋敷の中は少し複雑で、歩けば歩くほど玄関への道が分からなくなる。角を曲がり、階段を登り、ようやく辿り着いた部屋は、物がいっぱいの賑やかな場所だった。
至る所にぬいぐるやクッションが置かれ、本や紙、ペンが転がっている。小さな丸いテーブルを囲むように三つの一人掛けのソファーが置かれているが、これにもクッションとぬいぐるみが必ず一つは置いてあって、アランはその内の一つに座らされた。ネーレスとリリアンも座り、ネーレスは足をバタバタとさせながらアランを見た。
「いやあ、本当に元気そうだね。嬉しいなぁ」
「はあ……」
「実はね、ずっと前からアランの様子を見たかったんだけど、さすがに今は危険だからって本邸に閉じ込められちゃっててさー。そしたら君がこっち来るって言うじゃん?だから迎賓館の方にはリリアンに行ってもらって、そのまま君をこっちに連れて来てもらったんだよ!」
ネーレスは足を止め、テーブルの上で両腕を組んだ。
「ネーレスはね、てっきり君がボロボロになってるとばかり思って凄く心配してたんだよ。でも、全然だね。嬉しいなぁ」
「ネーレス様、彼にはリシャールくんというお友達がいるんです」
(友達……?リシャールが?)
アランは彼のことを思い返した。子ども扱いしてきたり、副軍師として軍師とともに練った策をアランに得意気に披露してきたり、揶揄ったり……。
「おおっ!友達!」
リリアンから話を聞き、ネーレスの目は輝いた。
「友達がいると違うよねぇ。分かるよ。ネーレスの友達もね、ネーレスとレコットがいるからって、そりゃもう最期まで元気でいてくれてね。懐かしいな。やっぱり友達って大事だよね」──ネーレスは寂しげな目をしていたが、すぐに切り替わった。「そのリシャールって子は、今どこに?」
「リシャールは迎賓館にいます。本邸には、俺しか連れて行けないからって」
「ああ」
頷いて、ネーレスは少し静かになった。
「そうなんだよね。眷族の子たちは他の子たちと少し違うし、ネーレスたちもかなり違うから……。寂しい話だけどね」
リリアンが「ネーレス様……」と切なそうに呼んだ。
「あ、あの。じゃあ俺がここに来たのは、ネーレスさんが俺の様子を見るためだけってことですか?」
「うん。そうだよ。場合によってはここで強制養生だったんだけど」
「きょ、強制養生?」
「そう!」
ネーレスが近くの黒うさぎのぬいぐるみを引き寄せた。ぬいぐるみの手を持ち、わたわたと動かす。
「ネーレスと会った時、話したこと覚えてるかな?」
言われて、アランは約一年前のブランシェ家の迎賓館でのことを思い出そうと必死に頭を捻る。そして思い出したのが、『ネーレスたちは眷族ちゃんたちの感情を長時間弄れないの。君はこの後、また元の危ない状態に戻るだろうね。でも、本当の本当に危険な状態になるまでの時間稼ぎにはなったんだよ』という言葉だった。
「もしかして、感情を弄るとかっていう……?」
「おー、よく覚えてたね。そうだよ、それそれ」
ネーレスの手によって、ぬいぐるみが頭を抱える体勢になる。
「君は本当に危ない状態だった。あのままいけば、君はすぐに自死を選んでただろうね。でもその状態を、一度ネーレスはリセット……無に戻したってわけ。それがこの前会った時ね」
ぬいぐるみが両手を広げさせられた。リリアンが頬を緩ませてそれを見ていた。
「その後、君は反乱軍に入ったって聞いた。そのあと反乱軍は負けて……でも、君が軍主になって、革命軍へと姿を変えた。正直、もう限界だろうなって思ってたよ。いつ自死を選んでもおかしくはないって。でも、君はちゃんと生きているし、元気だ」
ぬいぐるみが小躍りさせられる。
「養生っていうのは、君を危険な状態にする環境から抜け出させて、ここで何も考えなくてもいいようにゆっくりさせるっていうこと。あの時のアランは離人症……いや、鬱になりかけていたのかもね」
知らない単語が出てきて、アランは説明を求めるようにリリアンを見たが、リリアンも分からないようだった。二人で首を傾げたあと、ネーレスへと向き直る。
「でも、そっか。友達がいたのか。その友達は一生ものだから、大事にするんだよ、アラン」
ぬいぐるみが両手を重ねさせられた。人間でいう握手を表現しているのかもしれない。そういえば、リシャールと初めて会った時、二人は固い握手をしたのだった。懐かしく感じて、アランの口角が緩む。
「でも俺、実はリシャールが友達だって意識したことありませんでした」
アランが言うと、リリアンとネーレスは揃って「えー!?」と声を上げた。
「あんなに仲良しだったのに?」
リリアンに聞かれ、アランは隠さず頷いた。
「だって、わざわざそんなこと聞いたりしなかったし、関係としては一応軍主と副軍師だし?」
「男の子ってそういうものなの?一緒にいて、色んなことを一緒に経験して、認め合っているなら、それはもう友達じゃないの?」
「性別は関係無いと思うけどー」──ネーレスはぬいぐるみを動かしながら言う。「でも、リリアンが友達だって思ってるほどなら、やっぱり友達なんだよ。この子、人間観察は得意だからね」
「はい!」
リリアンは元気よく頷いた。その傍ら、アランは膝の上で指を遊ばせ考える。確かにリシャールとのことを思い返せば、あれはもう友達といえるだろう。アプリクスの友人たちと、そんなに変わらない……と、思う。立場上少々過保護な面はあるものの、戦いの前線に出なければという条件付きではあるが好きにやらせてくれる。いや、友達というより年上の家族に近い気がする。
(そういや、本拠地の部屋もいつの間にか隣になってたんだよな……)
「……友達ってより兄っぽいかも」
「……ああ!」
少し考え込んだあと、リリアンが納得したように手を打った。
「確かにお兄様っぽいかもね。今日だってアランくんのことになるとうるさくて、あれはもう世間一般が想像するお兄様だね」
「でも、俺の方が二ヶ月は歳上だけどな」
「誤差だね」
その言葉にアランがムッとすると、リリアンは笑ってアランの頭を撫でた。
「リシャールくんがお兄様なんじゃなくて、君が弟っぽ過ぎるだけなのかもね」
「そうだねぇ」
ネーレスもリリアンに同意する。アランは何も言えなくなり、リリアンの気が済むまで頭を撫でられ続けた。
「お兄様ねぇ……」
リリアンの手が離れ、アランは呟いた。
「もしアランがリシャールって子をお兄様呼びしたら、うちの私兵を八割貸してあげるよ」
アランはぎょっと目を見開いた。
「そ、そんなことで!?八割も!?」
「うん!ネーレス、楽しいこと大好きなの!……っていうのは建前で」
ネーレスが真剣な表情になる。そこに笑みは無く、アランは思わず唾を飲み込んだ。彼女はそうしているだけで、圧倒的な存在感が放たれていた。
「中央の子たち、普通に許せないから」
もう彼女の手の中にぬいぐるみは無く、いつの間にか床に転がるクッションの上へと落とされていた。
「いきなり真剣なお話は怖がらせちゃうかなって思って明るくやってみたんだけど、心の準備はできたかな?」
心の準備など全く出来ていなかったが、アランはこくりと頷いた。いつの間にかリリアンも真剣な顔になっており、賑やかな内装と正反対の空気に背筋が震えるようだった。
「ああ、君の状態を心配していたのも、場合によって養生させるつもりだったのも本当だよ。それも本題の一つだったけど、こっちも本題」
ネーレスは首を緩く傾けた。彼女の長い髪が肩を滑り落ち、そこで初めて彼女が左耳に青い耳飾りをつけているのが見えた。
「中央の子たちはね、ベルトラン家もブランシェ家も邪魔みたいなの。この国があるのは誰のおかげか忘れちゃって、挙句の果てに排除だなんて。……始祖として、この国を預けられた者として、許せないんだよね」
ネーレスの目が細められる。穢らわしいものを、ここにはいない国の中央の人間を見るように。だがすぐに、その目は一度閉じられ、次に開けた時は澄んだものに変わっていた。
「この国の土地は、そもそもお墓なの」
「……おはか?」
アランの反復に、リリアンが答える。
「死んだ者の眠る場所を示す、目印だよ」
「ソリエール教には、そういうの無いもんね。でも、ネーレスたちはソリエール教徒じゃない。転生があるかどうかなんて千年近く生きてきたけど、分からない。でもね、だからお墓がある。ソリエールを崇めてきた君は、驚いてるだろうね」
「そ、それは、まあ」
「でも、これがネーレスたちだから。認めろなんて言わないけど、そういうものだって覚えておいて。否定はしないで。ただそういうものってだけ」
ネーレスは一度そこで区切り、テーブルの上で己の手を握り合わせた。
「聞いてるかな。この国の土地には……魔女、が眠ってるって」
「マエリスが、魔女の魂が眠ってるって……」
「そうだね。それと一緒に、身体も眠っている。どこに埋まっているかを知っているのは、ネーレスとレコット、そして昔のアルノー王家の人だけだった」
「……え?」
「君には信じられない話かもしれないけれど、ネーレスとレコットは、あの子の身体を燃やさずに丘に埋めた。あの子が最期にネーレスを呼び出した場所がそこで、ネーレスがあの子を眠りにつかせた場所でもあったから」
ネーレスの手が震えた。しかし彼女の手がより強く握り合わせられると、震えが止まった。そうやって震えを隠してきたのだろう。
「昔のアルノー王家の人達は良い人達でね、あの子にとても感謝してくれて、肖像画まで描いて、子々孫々語り継いでいくって豪語してたんだよ。あの子の眠る丘も聖なる地として保護していくって。でもね、人は歪んじゃう。語り継いでいくうちに、話は変わってしまう。あの子は確かに魔女と呼ばれたけど、当時は魔女は不思議な力を使える人ってだけだった。でもいつしか、魔女は良くない意味になって、あの子の存在は王家の中で悪の象徴にされちゃった。そしてあの子がこの王国のために残したネーレスとレコット、眷族ちゃんたちを悪く見始めて……そして今の特例貴族排除の動きに至るってわけだよ」
彼女の声はだんだんと低くなっていった。
「そして、今代のアルノー王家は、とんでもないことをやってくれた」
表情も無く、淡々と低い声が流れるのは恐ろしかった。
「あの子が眠る丘を、罪人の丘だなんて呼んで、そこに罪人を埋め始めた」
リリアンが苦しそうに俯いた。その目には涙が浮かんでいた。
「酷いよね。しかもこれ、全然教えてくれなかったの。知ったのは、この間……半年くらい前だよ。反乱軍の軍主が死んで、その死体を王国軍がお城に持って帰って来たんだってさ。槍に首を刺して遊んだらしいよ。そして罪人の丘に埋める時にかなり大々的にやったらしいんだよね。お祭りやったんだって。こんな状況下で」
アランは口を手で覆った。脳裏に浮かぶのは、シリルの姿だ。アランの弓の腕を褒め、気にかけてくれた。仲間たちを鼓舞し、最期まで勇敢に戦ったあの人の、その身体に、何ということを!
吐き気がした。口の中に苦味と酸味が混ざり、気持ち悪かった。それでもネーレスの口は止まらなかった。
「おかげでこっちも、丘をそんな風にしてるって分かったわけだけど。道理でこの十数年、王都に特例貴族を入れなかったわけだよ。排除が酷くなったなって思ってたけど、その程度のものじゃなかった。まさかそんなことまでするなんて思わなかった。人間の善性なんて信じちゃダメだね。それであの子も苦しんだのにね」
だからさ。
ネーレスはアランの顔を覗き込んだ。
「何がなんでも、取り返して」
アランは青白い顔で頷いた。ネーレスは子どものような笑顔になると、「やったー!」と無邪気な声で笑った。
「本当はネーレスも戦場に行きたいし、王都に乗り込みたいんだけど、眷族ちゃんたちがダメってうるさくてさ!だからできる限り協力したくて、それまでいっぱいの眷族ちゃんたちを説得してまわったんだよー!時間かかっちゃったけど、これであいつらは終わるよね!」
「……はい、終わらせます」
迫り上がってくるものを飲み込み、アランはそう返した。ネーレスは嬉しそうに、ただただ笑うのだった。
それから本邸に一泊し、翌朝、迎賓館まで馬車で送ってもらった。リシャールたちに合流し、私兵を八割貸してもらえることになったと話せば、兵士たちは喜んだが、リシャールは信じられない様子だった。
本拠地に帰ったあと、彼はアランの部屋にやって来た。
「君……どんな話をしたら私兵を八割も貸してもらえることになるんだい?」
「……あそこの人って気まぐれだからさ」
「信じられないな」
「あのリリアンの親族だぞ?」
「…………」
リシャールの視線が痛い。アランは観念して、話せるところまで話すことにした。
「……王都に、あの人たちが大事にしてた丘があるらしい」
「丘?」
リシャールはすぐに思い至ったようだった。
「まさか、罪人の丘?」
アランは首肯した。
「あそこ、本当はあの人たちの大事な場所で、王家もそれが分かってたらしい。でも、セルジュ四世の代から、それが変わったって。罪人を埋める丘にさせられて、凄いご立腹でさ。あとは……特例貴族の排除が理由で」
「……なるほどね。それなら納得がいくよ。でも、何で誤魔化したんだい?」
「丘が大事って言っても信じてくれなさそうだったから?」
「そこまで頭固くないよ」
リシャールは「やれやれ」と首を横に振った。
「まあでも、私兵八割というのは大きいね。戦力はあればあるほど良い。王都まであと少しだからね」
王国軍の戦力もかなり削った。多くの貴族の強力を取り付け、それが出来なかった貴族の領地は反乱軍時代にいくつか落としていた。半年ぶりのガルニエ公爵領は、王都に続く道の終わりにあったようなものだ。
王都には黎明の傭兵団もいる。大丈夫だろうか。勝てるのだろうか。不安ばかりが募る。負けてしまったら、革命軍の人々だけでなく、ネーレスにも責められるのだろうか。あんな怒りを見てしまった以上、彼女を失望させたくない。これは彼女の眷族だからそう思うのだろうか。
「僕たちなら勝てるよ」
「……そうだな」
「何をそんなに静かになっているんだい?いつもの騒がしい君はどうした」
「そんなに騒がしくしてねぇだろ」
「してるよ」
リシャールの手がアランの頭に乗る。驚いて、アランは目を見開いた。
「リシャール……?」
「……不安なんだろ」
「ちげぇよ」
「そういうことにしとく。君がそう言うなら、僕も本当のことは言わないし」
「何だよ、言えよ。隠し事とかムカつく」
「なら君も言いなよ。本当はどうなんだい」
「手を退けたら言う」
「言わないと退けない」
アランが下から睨むと、リシャールは手をそのままにアランの髪を引っ張った。
「ぎゃっ」
「ほら、早く言いなよ。こうしているのも腕が疲れるんだから」
「なら先に退けろってば!」
「……」
「いたっ」
後ろで縛っているのに頭の上の髪を無理に引っ張られてぼさぼさだ。アランはリシャールがテコでも動かなそうだと見ると、渋々と、それはもう嫌々と口を開いた。
「……不安だよ。悪いか」
リシャールは「まさか」と返した。
「悪くないよ。君のその不安は間違っちゃいない。僕だって本当は不安だ。今も、シリルが死んだあの戦いのことを夢に見る」
「お前が?」
「僕を何だと思っているんだい。僕ってこれでも繊細なんだよ」
「有り得ねぇ……いたっ!」
また髪を引っ張られ、アランは涙目になった。
「俺、不安だってちゃんと言ったじゃん!手退けろよ!」
「いやあ、弟ってやっぱりこんな感じなのかなぁってね」
「ぎゃぁぁっ」
力任せに頭を撫でられ、アランは悲鳴を上げた。ようやくリシャールの手が離れる。
「何が弟だ!俺、同い歳!」
「それでいいよ」
「お前のその言い方がよくねぇよ!」
アランが騒ぐと、リシャールが「うん。いつもの君だね」と呟いて笑った。
「君はそれぐらいがちょうどいいよ。変に静かになられると、要らない心配をしそうだ」
「要らない心配ってなんだよ」
「落ちてたもの食べたのかな、とか?」
「俺は野良犬か!?」
「野良犬はこんなに大事にされないだろう。よしよし」
「また子ども扱いぃぃっ!」
次は頭の横を両手で掴むように撫でられ、アランは怒りで顔を赤くした。リシャールは声を上げて笑い、アランから手を離す。アランはぐしゃぐしゃになってしまった髪を直すため、髪紐を解く。手櫛で梳かし、ささっと髪を後ろで縛り直す。
「ほんとお前ってやつは俺のことを何だと……ああ、言わなくていい。どうせ弟か子どもだろ。クソ、覚えとけよ、絶対ふん縛ってやるからな」
「はいはい」
「あームカつく、本当ムカつく!」
髪を縛り終え、アランは肩や首にかかっていた髪を払う。そしてぶつくさと呟く。
「こんなんが友達とか有り得ねぇわ」
「何だって?」
リシャールが聞き返した。アランはベルトラン家の本邸でのことを思い出しながら話す。
「リリアンに言われたんだよ。リシャールは俺の友達だって。でも友達じゃねぇわ、これ。あれだ、めんどくせぇ兄貴って感じ。扱いがもうそれだろ。こんな感じのこと言ったら兄ってとこで納得されたよ」
「そりゃあ君のことを弟扱いしたことは多々あるけど」
「ほらな!」
リシャールは金髪を揺らして首をゆるりと傾けた。
「でも僕、君のことは親友だと思ってたんだけど」
アランの思考が止まる。ぽかんとリシャールを見たまま、五秒程突っ立っていた。
「親友?」
「うん」
「俺と、お前が?」
「そうだよ。僕、他の友人にはこんな風にしないからね。喜びなよ、この僕の親友だよ」
アランはそこからまた三秒程置いてから叫んだ。
「はあああ!?」
アランとリシャールは親友らしい──などという話が革命軍内に流れるようになって少し。季節は秋へと変わっていた。
「ディラン殿、入口に妙な男が……!あ、ぐ、軍主様も居られましたか!」
アランがディランの部屋で今後の話を聞いていると、部屋の中に兵士が一人入って来た。彼はアランに頭を下げると、二人に詳細を話し始めた。
「つい先ほど大柄な男が来て中に入れろと騒ぎまして……。それも軍主様の知り合いだとか何とか言っております。捕えますか?」
「え、俺の知り合い?」
アランの知り合いで大柄。大雑把な特徴だが、当てはまる人物は一人だけいる。
「アラン様。捕らえてから顔を見に行きますか?」
ディランがアランに尋ねた。
(これで捕らえてあいつだったら、俺がどやされる……)
アランは首を横に振り、座っていた椅子から立ち上がった。まるで親に叱られる子どものように、時間をかけて。
「いや、捕らえなくていい。俺が直接会いに行く」
それを聞いてディランは兵士に命令する。
「君、アラン様の護衛としてついて行け」
「はっ!」
アランは兵士を引き連れて、本拠地の入り口──広い庭の先にある門へとやって来た。門番の二人と揉めている大柄な男の影がある。昼の陽光に反射して、男の両耳の耳飾りが赤く輝いた。
「……まじかよ」
「軍主様?」
アランは髪が乱れるのも構わず頭の横を掻いた。
(怒られる。絶対怒られる。だからアンベール侯爵領には近寄らなかったのに!そりゃ俺も知らせるべきだったとは思うけど!)
アンベール侯爵からの協力は、既に反乱軍時代にシリルが取り付けており、革命軍になったあとも継続されていることはディランが確認済みだ。だからアランは、わざわざ故郷のアンベール侯爵領には寄らなかった。その理由は、変わってしまった自分を見られるのが怖かった──そしてとにかく気まずかった。この二つに尽きる。
もう逃げることは出来ない。悟ったアランは、門へと近づいた。男と門番たちの会話が聞こえてくる。
「入れろ入れろ、俺はここの軍主様の家族だぞ」
「確認が取れなければ難しいと何度言えば!」
「だいたい、まったく似てないではないか!」
「だから、それは血が繋がってないからだと何回言えばいいんだよ」
「口だけなら誰でも言えるわ!」
「その人、本当に俺の家族だから通していいよ」
「そうだそうだ家族──え、軍主様!?」
アランが現れると、門番たちは驚いた顔でアランと男の顔を見比べた。男の方は、アランを見ると口角をにぃっと上げる。会わなくなって一年近くになるか。少し老けたように見える。
「よォ、アラン。お前、いつの間に革命軍の軍主なんてもんになりやがって。傭兵から大出世じゃねぇか」
「大出世かは知らないけど……久しぶり、アレクシ」
門番と揉めていた男は、アランの養父アレクシだった。彼はアランに名前を呼ばれると、「ふん」と鼻を鳴らした。
「泣きながら感謝しろ。俺がわざわざ出向いてやったんだからな」
「知らせなくて申し訳ないと思ってるって。ありがと」
「本当にな。積もる話もあんだ、お前の部屋かどっかに案内しろ」
「うん。ってことだから、みんなは持ち場に戻ってていいよ」
アランが周りに集まって来ていた兵士に言うと、彼らは揃って返事をし、アレクシを訝しがりながらも持ち場に戻って行った。それを見て、アレクシは短く口笛を吹く。
「それっぽいな」
「一応それっぽいことしないといけないから」──アランは踵を返し、城の方へ足を向ける。「俺の部屋に行こう。あそこなら自由だ」
「散らかってようが構わんから、気にすんなよ」
「誰が散らかすか!!」
アレクシの笑い声が本拠地内に響いた。
アランの部屋に辿り着くと、アレクシは中を見て「家より広いじゃねぇか」と呟いた。
「一応、昔の城を改装して使ってるからな。……ごめん、椅子が事務仕事用の一つしか無いんだ」
言いながら、アランはベッドの縁に腰掛け、シーツに手を乗せた。
「俺ここに座るから、アレクシは椅子座っていいよ」
「いや、立ったままでいい。……疲れてんのか」
「……少しだけ。最近あまり眠れてなくて」
昨日もなかなか寝付けなかった。不安が止まらなくて、白かった息が色を無くすまで、木窓を開けて夜空を見上げていた。
「……まあ、こんなとこに居ちゃそうなるか。眠れなくてもベッドには入っとけよ。お前はすぐに窓辺に行こうとするから、余計眠れなくなんだ」
「覚えとく」
アランが返事をしたあと、沈黙が一度下りる。アレクシは口を開くのを躊躇っているようだった。だが意を決すると、彼は重々しく口を開く。
「アラン。……ミレーヌのことは、知ってるか」
硬い声だった。アランは顔を伏せ、シーツを強く握った。
「……知ってる。姉ちゃん、こ、殺されたんだ……俺が強くなかったから……」
「何があったんだ」
アレクシの声には焦りが混じっていた。アランはつっかえつっかえになりながら、あの日のこと、そして川に流されて助けられ今があることを話した。アレクシの顔は見れなかった。
「……お前、そんなことがあったのか」
話を聞き終わったあと、アレクシはアランに近づいた。そして、アランの横に座ると、華奢なままのアランの肩に腕を回した。
「ミレーヌのことは、お前は悪くねぇ。依頼したっていうガルニエ公爵のせいだ。ミレーヌがお前のせいだって思うわけないだろ」
「でもあの時、俺が剣を持ってたら、姉ちゃんは……」
「多勢に無勢だったんだろ。いい加減自分のせいだと思い込むのはやめろ。聞いてイライラするし、ミレーヌだってそうだろうさ。あいつ、このこと知ったら、転生してても殴りに来るぞ」
空いている手で髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられる。アランの目から涙が零れ落ちた。
「……アレクシは、な、なんで姉ちゃんのこと知ったの……?」
震えながら尋ねると、アレクシの身体も一度大きく震えた。彼の声が低くなる。
「……広場に、吊るされてたんだよ。ミレーヌの身体が」
想像して、アランの震えが強くなる。
「血は流れてるし頭も無ぇ。長い髪は切られたのか足もとに落ちてる。……最初に見つけたのは俺じゃなかった。その時俺は大工の手伝いの最中で、話を聞いたらしいおばちゃんに広場には行くなって理由も聞かされず言われてよ。他の奴らにも止められたけど、行ったんだ。そしたらあんな……。急いで家に帰ったらお前もいないし、町の奴らは誰もお前のことを見てねぇって言いやがるしよ。一晩待っても帰って来やしねぇ。家のことを他の奴らに頼んで、お前を探し回った」
アランの涙は止まらなかった。話を聞くほどに溢れてきた。
「だから、お前が軍主だなんて話を聞いたのも結構最近でよ。……手紙の一つくらい寄越せ、この馬鹿ッ!」
「ご、ごめ……っ!」
「無事で良かったよチクショウ!」
幼い頃のように抱きしめられ、アランの喉から嗚咽が漏れ出る。そして啜り泣きとなり、啜り泣きは子どものような泣き声となった。
「こんなガキが軍主だなんておかしいったら無ぇよ。アプリクスに帰って来い。こんなこと、大人に任せとけ」
アランは泣きながら首を横に振った。
「俺がやんなきゃいけない。頼まれたんだ。だからダメなんだ」
「そんなもんほっとけ!」
「……ダメだ」
アランはアレクシから身を離した。
「ダメなんだ。約束したから」
「そんなもん破れ!」
「無理だよ。……破りたくないんだ」
アランは涙も拭わずに言った。
「親友との約束だから」
それを聞くと、アレクシは口をはくはくと動かした。どうにかアランを連れて帰りたいようだったが、彼は「ああクソ!」と声を荒らげると、勢い良く立ち上がった。
「分かった、お前の好きにしろ!」
「アレクシ──」
「ただ!絶対に無茶はすんな。死ぬな。絶対に死ぬな。怪我ひとつつけるな!お前の養い親として、これだけは譲らん。」
「う、うん……」
アランは頷いた。
アレクシは大きなため息を吐き、舌打ちをした。
「本当は革命軍に入ってやりてぇが、生憎無理そうだ」
「なんで?アレクシがいたら心強いよ」
「軍主の義理とはいえ親が入んだぞ?規律が乱れる。こういうとこではな、それを乱しちゃ負けやすくなんだよ。そしたらお前、国家の反逆者として打ち首からの罪人の丘行き確定だぞ」
「……うん」
アレクシはアランの乱れた頭をぽんと叩くと、優しい声で言った。
「……俺はアプリクスにいっから、無理になったらいつでも帰って来い」
「うん」
涙はまだ止まらなかった。アレクシは「邪魔したな」とだけ言うと、部屋を出て行った。
一人になった部屋でアランは膝を抱えた。そこに悪い感情は無かった。ただ久しぶりに感じた家族の温もりを離したくなったのだ。
静かな部屋で、アランは優しい温もりを抱いていた。
静かな時はいつまでも続くものではない。これまでの人生のおかげで、アランはしっかり分かっていた。むしろ、和やかな時を挟むほど、その後は血の臭いが強くなる。
──セネテーラ王国、王都。黒い塵が舞うそこに、アランは仲間の革命軍たちに守られながら立っていた。既に王都は落ち、王城には多くの革命軍が入り込んでいる。前線に立たせてもらえないアランは、後方で声を響かせ、それに応えて人が動くのを、ただ報告で聞くのみだった。
目立つように着けられた長いマントが、布を多く使った袖が風に揺れる。
(……俺って必要なのかな)
リシャールもディランも、他の革命軍の人々も、アランを必要だと言う。アランは軍主という名の旗印で、アランがいることで人は集まるらしい。確かにアランが革命軍に引き込んだ者も多い。だが、それだけではないか?アランは他に何も出来ていない。アランはこの戦いに手を下せていない。
軍略はディランとリシャールが立てる。それに従って他の者が動く。アランは?アランは何をしている?
最近は弓すらも引いていない。剣は飾りで持つだけだ。
(……シリルは最期まで戦っていたのに)
皆がアランを光だという。だが、これではただの誘蛾灯だ。集まってくるものが害虫では無いという違いがあるだけの。いや、王国側にとっては害虫か。アランは乾いた息を吐き出した。
(あの時、アレクシと帰ってたら違ったのかな……)
でも、リシャールとの約束を破りたくはなかった。この国を変えるという約束を。
踵を返し、城門の先にある天幕に向かう。兵士の一人が呼び止めたが、「軍師に話があるから」と言えば見逃してもらえた。天幕が見えたところで、アランは前方から声をかけられた。
「アラン」
アランが顔を上げると、そこには真剣な眼差しのリシャールがいた。遠くでは剣戟と怒号が聞こえ、風は血の臭いを運ぶばかりだった。このような場所に、彼は似合わない気がした。
「もうすぐ王城も落ちると報告があった。どうする、君は城に行くかい」
「……俺、行っていいの?」
「あそこに敵はほとんど残っていないからね。君が行くと言うのなら、僕はディランにそう進言する予定だ。僕にかかれば、君を連れて行くのは容易いことだからね」
「お前も行くの?」
「そのための副軍師だよ。軍師よりも身軽で、替えが効く」
アランが無言を返すと、リシャールは「冗談だよ」とおどけ、肩を竦めて見せた。
「正直なことを言おうか?」
「うん」
リシャールはおどけるのを止め、アランの目を見て言った。
「君は行くべきだ。この革命の立役者は、君となるのだから」
「……軍主だから?」
「それもある。……でもね、アラン。僕は革命の後のことを考えている。そこには君が必要なんだ。そのために、君には行ってほしいんだ。ただの軍主じゃない。革命の立役者になるんだ」
彼の目はアランを離さなかった。アランは腰に差すばかりで、握った回数も少ない剣の柄に触れた。晩秋の風に当てられ、冷たいそれに、ほのかに熱が集まる。
「君が望むように戦っていい。必要なら弓も持って来る」
「……うん」
「君は何か勘違いしているみたいだから言うけどね」
リシャールは息を吸い込んだ。
「この戦いは、君がいなければ成立しなかった!」
どこかで歓声が上がる。貴族の一人を殺したのだろう。
「君がいなければ、革命軍はそもそも無かった。反乱軍のまま散り散りになって、歴史の表舞台から消えたはずだ。でも、君が皆に光を見せた。そして、君の光は多くの人々を引き寄せた。君がいなければ、祭司ナタンは協力しなかった。君がいなければ、ベルトランの破格の協力は得られなかった。君がいなければ、僕はこの軍にこんなに長くいなかった!ソリエールのように、君は人々をここまで導いたんだ」
リシャールが、初めて会った時のように、アランの片手を両手で握り締める。
「そして君は、ソリエールに導かれてここにいる。アラン、君の望みは何だ。君が見る光は何だ。君が見る光は、僕とよく似た光だったはずだ」
「俺が見た光……?」
浮かぶのは、姉の顔だった。姉が望んだもの。それこそがこの国に必要なもの。死んでしまった姉が望んでいた国に、今もどこかで生きているはずのアレクシが平穏に暮らせる国に、誰も飢えない国に。誰の顔色も気にしない、誰も明日に怯えない、誰もが胸を張れる、セネテーラ王国民の国にする。
その光を、この革命で、多くの人に語ってきた。この光はもうすぐ掴める。ここまで導いてくれたのは、リシャールだ。アランが人を導いて、そのアランをリシャールが導いたのだ。
アランは知っている。ディランはもう軍師としてほとんど仕事をしていない。彼の背後で、リシャールがずっと軍略を立てていたことを。あんなにそばにいて、どうしてアランが気づかないと言うのか。
「君が何を悩んで、何を勘違いしているのか、少しくらいは予想がつく。前にベルトラン家の人にも、君を革命後も立たせ続けるのは良くないと言われた。でも、でも……」
初めて彼が言葉を詰まらせたところを見た。手を握る力が強くなるのを感じる。
「それでも、僕は……」
アランは空いている方の手を、リシャールの手の上へと乗せた。初めて会った時も、最後にはこうして両手で手を握り合った。
リシャールは苦しそうな顔をした。そして、彼はゆっくりと口を開いた。
「もう僕の見る光は、君無しじゃダメなんだ……」
彼は握ったままの手に縋るように崩れ落ちるように跪いた。貴き者にするように、頭を垂れて、アランからの言葉を待っている。
リシャールは、アランを必要としてくれている。初めて会った時から、いや、彼がアランを反乱軍の中に見つけた時から今日までずっと。
彼には散々揶揄われてきた。ムカつくことばかりされたし、変な趣味まで押し付けてきた。だけど、彼から受ける扱いを嫌だと拒絶することは出来なかった。姉や両親、アレクシにしてもらったことを思い出すから。それは、アランが大事にされてきた記憶が、今も生きている証拠だった。それがある限り、戦いの中でもアランは人間でいられた。
アランはリシャールに合わせて、地面に膝をついた。リシャールが肩を揺らして顔を上げる。リシャールはアランを幼いと言うが、この時の驚いた顔は、いつもよりも幼く見えた。
「いいよ」
アランの髪を、血がこびりついた風が揺らしていく。もう随分と髪は伸びていた。
「俺が見た光に、お前は導いてくれたんだ。今度は俺を導いてよ、お前の光に」
リシャールの喉がひくりと動いた。
「……ああ……!」
頷いて、彼は泣きそうな笑顔になった。
「……まったく、膝をついちゃダメじゃないか。君はこの革命の立役者で、これから王になるんだから」
アランは目を丸くした。
「王……?俺が……?」
「そうだよ」
リシャールが立ち上がり、それに連られてアランも立ち上がった。
「君は王となり、僕がそれを支える。そしてやっと、セネテーラ王国民のための国が作られるんだ」
「でも、俺、できるのかな」
「僕がいるだろ」
手の握る力がさらに強くなった。
「君はベルトランの血筋だ。特例貴族はウェントース皇国の血を引かないし、ここから新しい国にするのなら、これほど最適な血筋も無い。それに何より、君だから」
アランはただ黙って聞いていた。
「君だから、皆が集まる。これからこの国はもっと良くなる。君の光に魅せられて、皆が良い国を作っていくんだ」
「……王になるために、俺は王城に行かなきゃいけないのか」
「古き王を、新しき王が倒す。この国には無い英雄譚だろう?」
その言葉にふわりと頬が緩む。彼はアランのことをよく知っている。緊張の解し方まで。
「そうだな。だって、古き王なんて今までいなかったから」
「そう。君が新しい英雄譚を作るんだ。ウェントース皇国の血から、セネテーラ王国を解放しよう」
「うん」
もう緊張も不安も無かった。ただ信じていた。リシャールという親友と、彼の語る光を。
どちらともなく手を離し、それぞれ腰に差した剣を抜く。
「行こう、リシャール。お前と一緒なら、俺はきっとどこまででも行ける」
「こちらの台詞だよ、アラン」
そして二人は王城へと向かい、私室で震えていた王を討ち取ったのだった。
そう、これは冬の気配強まる秋の頃の話。
「我々の勝利だ!!」
城下の広場に集まった人々の歓声で、地面が震えた。人々の喜びは熱気となり、それは今が夏なのかと錯覚するほどだった。処刑の見届け人のリシャールが手に持つ生首から血が落ちるたびに、人々の歓声は一段と高まっていった。勝利の証たる生首──前王セルジュ四世は、掲げられるがまま、その濁った目に広場を映した。広場の中心に作った処刑台の光景に目を背けるのは、血に濡れた剣を持つアランだった。
彼が、首を落としたのだ。
「前を向きなさい。アラン、君が主役なのよ」
王の処刑日に合わせてやって来たマエリスの黄色の目が、アランを厳しく見据える。それは彼にミレーヌを思い出させた。ミレーヌの最後の姿がアランを苦しめる。アランは血の気の失せた顔で、首を小さく振った。
「生首は苦手なんだ」
女性は少し目を見開いた。
「傭兵にしては珍しいこと」
君、本当に元傭兵なの?
その問いにアランは答える気力も無かった。
二人の短い会話は、歓声が勝利の歌に変わると同時に終わった。勝利の歌は狂気的なまでに高らかに響き渡り、それを神が聞き届けたように、分厚い雲の隙間から光が射し込んだ。その光に照らされたアランは、これから数々の失策で国を傾けていく。彼の周りには、リシャールですら手に負えない貴族たちが集まっていた。
彼の周りには彼に魅せられた人々が集まる。その中には、アランの光を利用したいだけの者もいる。そういう者ほど厄介な力を持っているものだ。
ナタンとイネスをはじめとした教会の者たちはアランのもとをすぐに去った。話を聞きつけてやって来たアレクシはアランを殴って去った。宰相の座をリシャールに明け渡し、ディランは去った。革命軍の仲間たちはアランに何も言わず去った。
そうしてアランは革命から十年目を迎える新年の日、親友リシャールの手によって、王城から追放された。
あなたのためにしたことは、本当に正しかったのでしょうか。今になって、「私」の正当性が揺らぎました。でも、優しいあなたなら、受け入れてくれますよね?




