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フェリロジカ  作者: 小林月春
物語
12/24

12話 「あなたは私を受け入れてくれますか」

 昼も近い時間。ブランシェ家の馬車はソムニウムの城門を潜り、町へと入る。馬車は真っ直ぐ伸びた大通りを進み、ベルトラン家の迎賓館へと着いた。門のから少し離れたところで一度停まり、マルは御者席から降りて、馬車の窓を叩いた。

「アランさん〜。この門、開けちゃっても大丈夫なやつですか〜?」

 アランは窓を開けた。

「大丈夫なやつ。ここも開いてるよ」

「了解です〜」

 マルは門を開けると、御者に戻って馬車を動かした。門から敷地内へと入り、玄関の前に馬車を停めた。

「ふぃ〜、到着!尻が痛いです!僕の尻、ちゃんとついてますかね?」

「ついてるついてる」

 エリエントの手を借りながら馬車を降り、アランは適当に返した。

「適当〜っ!」

「マル、門と馬車」

「お坊っちゃんは僕への差別が凄い〜!」

 マルはわざとらしく「ひぃ〜ん!」と言いながら、門を閉め、馬車を片しに裏へまわって行った。

 アランとエリエントは並んで玄関の扉を見た。

「ブランシェ家の迎賓館と同様に、中に誰かいるのでしょうか」

「いると思う」

 アランが返すと、エリエントは彼の代わりにノッカーを叩いた。しばらくして、中から扉が開かれる。最初は薄らと、少しの間を置いて、勢い良く大きく開かれた。

 目を丸くしたのは、アランだけではなく、エリエントもだった。彼は狼狽して、「え」「どうして」「なぜ」と忙しくなく口を動かしている。対して、扉を開け放った人物も、全く同じように口を動かしていた。そして年の功というものなのか、その人物がエリエントに声をかけた。

「君が、何でこんなところに……!」

 それにエリエントも返す。

「私の台詞です……!何故ここにいるのですか、姉上!」

 中にいたのは、エリエントの姉であり、ベルトランの眷族でもあるリリアンだったのだ。アランが彼女に最後に会ったのは、革命成功の宴が執り行われた十年前だ。その時よりも人間の二歳分ほどの成長を重ねていたが、やはり見た目は若いままで、アランよりも幼く見えた。

「エリエントだけじゃない。なんでアランまでここに……!」

「姉上、ベルトラン家の本邸に居られるのでは……!?それに、そのお姿は!?」

 リリアンが鋭く息を飲んだ。

「最後にお会いした時とほとんど変わっておられないではないですか!三十は超えておられるはずでは──!」

「エリエント!」

 アランがエリエントを止める。リリアンはぶるぶると震え、青ざめた顔でエリエントを見ていた。

 そこに空気も読まずにやって来たのは、勿論マルだった。

「あれ〜、知り合いだったんですか〜?……っと」

 マルの足が不自然に止まる。リリアンがより恐ろしいものを見る目を彼に向けたからだ。

「ひっ、君……!」

 リリアンは明らかにマルに怯えていた。彼女は数歩後ろに下がった。手は武器を探すように後ろを動くが、何も掴めない。

「……えーと。すみません、僕、ちょっと町の方見てきますね。あ、ご安心ください。僕はもう何もしてないので」

 後半はリリアンに言うと、マルは風のように去って行った。リリアンは小さな身体を自分で抱き締めながら、マルの去った方角を見ていた。尋常では無い。

「リリアン、どうしたんだ。マルに何かされたのか?」

 アランは努めて静かに話し掛ける。リリアンはゆっくりと首を横に振った。

「ち、がう。あの人は、あたしには何もしていない。ただ、お、お母様の、お母様の……っ」

「姉上」

 落ち着きを取り戻し、エリエントが姉へと声を掛けた。

「母上はもうお亡くなりになりました。落ち着いてください」

「そ、そう、そうだけど……エリエント、何故君はそんなに落ち着いて彼をそばにおけるの!?彼は、お母様の、ぶ、部下でしょう!?」

 固まったのはアランだけだった。マルはエリエントの部下では無かったのか。それに彼女の母の部下ということは、最悪の想像をしてしまう。

 リリアンとエリエントの母ジョルジェットは、リリアンからの話で「嫉妬で人を何人も殺した」とアランは知っている。ここまでリリアンが怯える上、彼女は「何故君はそんなに落ち着いて彼をそばにおけるの!?」と言った。彼女だけでなく、エリエントも母の罪を知っており、マルが関与していると暗に言っているのではないか。

 エリエントは姉の言葉に静かに「そうですね」と頷きを返した。リリアンはさらに二歩下がる。

「ならどうして……!」

「姉上。今はそのような話をしている場合ではありません」

「き、君はどこかおかしくなっちゃったの!?あそこにいたから!」

 リリアンはよろめきながら下がり続ける。

「何で彼がいるの!?何で!?もしかしてお母様はまだ生きてるの!?」

「いいえ。母上はお亡くなりになられています。姉上、いつまで母上の影に取り憑かれているのですか」

 その言葉を聞いて、リリアンの喉から「ひゅっ」と音がした。

「それに今、彼は私の部下です」

「じゃあ君も──!!」

 リリアンはハッとアランを見た。すると凄い速さでアランに近づき、震える手で彼の腕を掴んだ。

「アランくん、この子から離れて!何をするか分からない!」

「この子って……エリエントから!?リリアン、エリエントだぞ?お前の弟の!それにマルは、悪いやつじゃ……!」

「話したでしょう!?お母様は、人を殺したの!!」

 エリエントがアランを見た。

「アラン様、お聞きになられたのですか」

「お願いアランくん、これは君のためだから。だからあの子たちから離れて!」

「アラン様」

「アランくん!」

 二人に挟まれて、アランの視線が揺れる。どちらについても悪いことになる気しかしない。

「と、とにかく、玄関じゃなくて部屋に行こう!」

 今のアランには、先延ばしすることしか出来なかった。

 アランは震えるリリアンを支えながら、エリエントも連れて記憶を頼りに応接室に向かった。以前来た時と変わらず、テーブルとそれを囲む二人掛けのソファーが四つある。リリアンをソファーに座らせ、アランはその向かい側に座る。エリエントは当然のようにアランの隣に座り、リリアンは変わらず青ざめた顔でそれを見ていた。

「……落ち着けは……しないよな」

 アランがリリアンに声を掛けた。

「……ううん。さっきよりは、マシかな。……うん」

 リリアンの口調は先程よりもはっきりとしていたが、震えは止まっていなかった。

「迎賓館にはリリアン一人?」

「後はみんなご飯を作ったり、買い出しに行ってる。……もう少し時間がズレていたら、あたしじゃなくて別の子が出てたよ」

「そっか。もう少し遅くに来れば良かったな」

 アランはとにかくリリアンの震えを止めようと、出来る限り優しい声を出した。リリアンは膝の上で手を強く握る。ドレスに皺が寄った。

「……アランくん、君は……どうしてエリエントといるの?君はあのリシャールくんに追放されたと聞いてるよ」

「あ……それは……」

 アランは隣のエリエントを見た。彼の視線を受け取って、エリエントが代わりに説明をする。

「アラン様は追放に見せかけて、その先でリシャール様に処刑されるところでした。それを私が途中で逃がし、後に合流し、共に行動しています。十年前のものとは違う反乱軍が、リシャール様の命を狙っていると知り、お優しいアラン様は、反乱軍を止めるために現在動いておられます。今回ここに来たのは、軍主がこちらに向かっているという情報を掴んだからです」

「ま、待って……リシャールくんが、アランくんを処刑?追放じゃなくて?」──リリアンは額に手をやった。「あのリシャールくんが?有り得ない……!」

「姉上。これは確かな情報です」

「……君の言葉を姉弟のよしみで信じたいけれど……さすがに疑わしいよ」

 リリアンは手を下ろし、アランに目を向けた。

「アランくん、君はその……処刑のことは、聞いているの?」

「エリエントから聞いた。……最初は驚いたけど、まあ、しょうがないのかなって。俺、酷い王様やってたし」

「酷い王様?……君が?」

 呆気に取られた表情だった。アランは苦虫を噛み潰したような顔で、「だって、そうだろ」と言った。

「俺、めちゃくちゃなことやってたじゃん。ウェントース皇国に攻め入って、領土は占領したけど……一時良くなった同盟関係も、あれで全部無くなって、傭兵たちの仕事も一時期全然無かっただろ」

「え……?」

「な、なんだよ……なんでそんな反応なんだ……?」

 思ってもみなかった事を言われたような反応に、アランも戸惑う。自分は何もおかしなことは言っていないのに。

 リリアンはアランの顔色を見つつ、おそるおそる口を開いた。

「だ、だって……それ全部、リシャールくんがやったことじゃないの?」

「は!?何でそうなってるんだ?むしろアイツは反対してた!革命軍から中央に入ったやつはみんな!ナタンとイネスはその前にはもう居なくなってたけど……」

「え?どういうこと?中央ではそうなの?」

「中央とかじゃなくて……待てよ、中央以外じゃ、リリアンが言うような認識になってんの!?」

 アランは両手をテーブルにつき、腰を浮かせて前のめりになった。リリアンは驚きを見せながら、「そうだよ」と頷いた。

「だって、リシャールくん直筆の記事での公表だったから……」

「は……?」

 アランはその体勢のまま、エリエントを見る。

「エリエント、お前、知ってた……?」

 彼は静かに頷いた。

「リシャール様のご提案で、それをアラン様が受け入れたと聞いています」

 全てに納得がいった。

 アランはソファーに沈み込んだ。

 だから皆アランに幻想を抱いていられたのだ。あの侵攻以外のことも、全てアランが決めたというのに、リシャールがやったことに、「リシャール自身」が変えたに違いない。

「……で、も。でも本当に、あれは、俺が提案して、俺が無理矢理に通したんだ。他の貴族たちも俺に賛同して……リシャールは、本当に必死に止めてて。でも俺は……俺はこれが正しいって思って……」

 あの時少しでも思考を働かせていたら、流されはしなかっただろう。あの時周りにいた貴族は、ウェントース皇国の貴族たちの血を引いていて、あの革命の時に倒そうとした王朝の残りカスだったのだから。あの時の自分を止められたら、どれだけ多くの人が幸せになり、リシャールの悪評が流されずに済んだのか。

(俺がリシャールを貶めた……?)

 あのリシャールでも、中央に蔓延る多くの貴族たちをどうにも出来なかった。そのせいでアランの提案は議会で可決され続けた。リシャールはアランを切り捨てることができたはずだ。しかし彼はそんなことをせず、むしろ自分が提案したと嘯いた。そんなことをすればどうなるかなど、彼は十分理解していただろうに。何故彼はそんなことをしたのか。

「アラン様、呼吸が浅くなっています」

 エリエントに肩を叩かれ、アランは自分の呼吸がおかしくなっていることを自覚した。深呼吸をして、呼吸を整える。エリエントに「ありがと」と言い、リリアンに向き直る。

「なあ、本当にリシャールの直筆だったのか?」

「そうだよ。彼の提案だっていうなら、あたしは何も言わなかった。あの時の約束通り、アランくんが無事ならまだ良いかなって。でもそれはあたしの怠慢だったね。君は追放されてしまった……エリエントによれば、それは見せかけで、本当は処刑だったようだけど」

 リリアンの震えは止まっていた。彼女は膝の上で手を重ね合わせた。

「……正直、城からの追放は、リシャールくんが君を想ってやったことだと思ってた」

「何故?」

 そう聞いたのはアランではなく、エリエントだった。彼は真顔で姉を見ていた。

「リシャールくんはアランくんをとても大事にしていたからね。あの時のあたしの忠告も効いて、アランくんを玉座なんていう狭いところから逃がしたのかなって思ってたんだよ。……だから、実は処刑でした、なんて信じられない」

「私はそう思いません」

 リリアンはエリエントを胡乱な目で見た。姉が弟を見る目とは思えないものだった。

「どうして?君はリシャールくんと知り合いなの?」

「直接的に知り合ったことはありません。ですが、アラン様を想うならば、そもそも追放などしないでしょう。自分の手が届かないところに逃がした先に、アラン様を利用し尽くした貴族共が手ぐすねを引いて待ち構えていたとしたら……!」

 その声は後半になるにつれ苦しげなものになった。彼はアランを大事に思うあまり、自分で話していてつらくなったのだろう。しかし、リリアンは彼がアランのことを大事に思っていることを知らない。今だリリアンは胡乱な目のままエリエントを見ている。

「アラン様、あなたは追放された時、周りに兵士たちがいましたね」

 突然話を振られ、完全に聞き役に徹していたアランは肩を揺らした。

「……そ、うだな。護送してくれていたから」

「見ない顔だったでしょう?」

「王国軍全員を把握はしてないから確かなことは言えないけど、あの感じだと新人だったとは思う。装備も新しい感じだった」

「もし、王国軍に成りすました、貴族の私兵だったとしたら?リシャール様が用意した兵士などでは無かったら?」

「……そんなこと考えもしなかったな」──アランは腕を組んだ。「でも、それでどうして貴族の私兵が?何でお前はさっきから貴族を敵視してるんだ?リシャールのことだって」

 エリエントは押し黙った。

(エリエントのやつ、どうしたんだ?昨夜も、今も……)

 彼が黙ると、彼を見るリリアンと考え込むアランも口を開かず、部屋は静かで、互いの息遣いが聞こえるようだった。沈黙は長く続き、破ったのはリリアンのため息だった。

「なんだか、エリエント、君は変わったね。……ううん、前からこうだったのかもね。もっと君と関わっていたら、すぐに気づけたかもしれない」

「どういう意味ですか」

「……今はお父様そっくりって意味だよ」

 その瞬間、エリエントが音を立てて立ち上がった。

「私のどこが父上そっくりだとッ!?」

 アランは彼が声を荒らげるのを見るのは初めてだった。彼はアランが目を丸くしていることにすら気づかず、姉に声を荒らげ続ける。

「私はあの人とは違う!!どこを見てそう言ったのですか姉上!!目がお曇りになられたのですか!?」

「君はあたしに、お母様の影に取り憑かれてるって言ったけど、君だってそうだよね。いつまでもお母様の言葉に取り憑かれ続けている。お父様にそっくりなのがそんなに嫌なんだね」

「姉上ッ!!」

「君は自分と向き合うべきだよ」

 リリアンはエリエントからアランへと目を逸らした。

「ねえ、アランくん」

 彼女が呼ぶと、エリエントもアランへと目を向け、ハッと息を飲んだ。肩で息をしながら、白い顔でエリエントはアランを見つめる。

「アラン様、も、申し訳ございません。あなた様の前で取り乱しました」

「いや……俺のことは気にしなくて大丈夫。……エリエント、大丈夫か?」

 アランはそっとエリエントの裾を引っ張り、座るよう促した。引っ張られるがまま、エリエントはソファーに座る。白い顔は変わらず、エリエントは「申し訳ございません」と繰り返した。そんな様子のエリエントに、リリアンは何の反応も示さなかった。

「アランくん、本当にその子と一緒に行動するの?」

「そのつもりだけど……」

「あたしはおすすめできない。君たちがマチルド様からの親書を届けに来た時の、リシャールくんよりもね」

 冷酷に言い放つ彼女に、アランは耐え切れずに尋ねる。

「……な、なあ。どうしてそうなんだ。エリエントは弟だろ。気にかけてやれよ」

「弟だよ。でもね、アランくん。あたしたちは普通の姉弟よりも短い時間しか共にしてないの。それにね……君には話したよね。あたしがずっと悔しくて堪らなくて、嫌で仕方がなかった時のこと」

 最初は何を指しているのか分からなかったが、初めて会った時にそのようなことを話してたことを思い出した。

『あたしだけが成長遅くて、弟にすら身長を抜かされて、悔しくて堪らなくて、自分が眷族だからって分かってても嫌で嫌で仕方なくてさ』

 彼女は眷族の特徴で成長が遅く、弟に成長を抜かされたことに苦しんでいた。その苦しみは、今も残っているのだ。

「君と君のお姉さんみたいな関係性だったら、違ったのかもしれないけれど」

「でも、少なくとも二人は、お互いの傷は知ってるんだろ」

 二人の目がアランを貫いた。

「二人の傷の共通点はお母さんじゃないかなって、思うんだけ、ど……」

 アランの声が次第に小さくなっていく。無作法に姉弟の傷に踏み込んでしまったことに、話しながら気づいたのだ。

「……ごめん、勝手に踏み込むようなこと言って」

「いいえ。アラン様が謝るようなことではございません」

 すかさずエリエントが返した。

「むしろ、さすがアラン様だと思いました」

「……この状況でもそれか」

 いつものエリエントが戻ってきた気がして、アランはそんなことを言いながらも肩から力を抜いた。

「そうです。私と姉は、傷を持っている。図星でした」

「あたしたちのお母様は……恐ろしい人だったから」

 それを聞き、エリエントは唇を噛んだ。姉は母を恐ろしい人と言うが、彼女は母に愛されていた。自分とは全く違う。

「そしてそのお母様の部下が、あの人だった」

 リリアンがマルのことを口にする。

「あたしはあの人も恐い……。お母様があの人を呼ぶのは、いつも金切り声を上げた時だった……」

「……マルは何をしてたんだ?アンベール侯爵家に拾われて、そこに仕えてたってのは本人から聞いてるけど」

 まさか本当に、ジョルジェットの殺人に加担していたのだろうか──アランの想像は、リリアンによって肯定されてしまった。

「あの人は、死体の処理をしていたの」

 リリアンがぶるりと震える。

「実家にいる時は何度も見たわ。あの人が来る前は私兵にやらせていたから、あたしはアンベール家の私兵も怖い……。ねえ、死体はどうなると思う?バラバラにされるの……!お母様はあたしを連れ歩いたから、見るしかなくて、あたしは、拒否権も無かった……!」

「まさか、幼い頃から?」

 エリエントが尋ねる。彼も姉がそんなものを見せられていたとは知らなかったのだろう。リリアンはしゃくりを上げて頷いた。

「ええ。あたしの目の前で、お父様が連れて来た女の人はみんな殺されて、私兵や彼によってバラバラにされた……!だからあたし、もう見たくなくて、最後に実家に帰った時は、ずっと体調が悪いからって部屋に籠ってた。そうしたら、お母様、わざわざあたしの部屋まで来て、詳細を語り始めたの……!どうやって死んだか、最期はどんな顔をしてたかって!今でも忘れられない……お母様は、顔をめちゃくちゃにしてやったって笑って、嗚呼、笑って……!!」

 悲痛な叫びだった。リリアンは耳を塞ぐ。彼女には、過去の断末魔と母の声が聞こえているのかもしれなかった。

 彼女の傷は相当深い。ここからさらに時を経ようとも、母によって刻まれた傷は、彼女を苛み続けていくのだ。

「……姉上がそこまで捕らわれているとは、知りませんでした」

 エリエントがぽつりと呟いた。聞こえたのはアランだけだった。

「殺しも、死体の件も知ってはいましたが、姉上がその場にいたとは……」

「エリエントは、マルが関わっていたことは知ってた?」

「はい。それに彼は優秀で、母の覚えも良かったですから、他の雑用も任されていました。その雑用の一つが、私の監視でした」

「監視?」

「母は私を愛しませんでしたが、父のようになることを極端に恐れていました。母が亡くなるまで、マルは私を監視し続け、何かあればすぐに報告されましたよ。それが普通でしたから、今でも何とも思いませんが。ですから、マルは何か不都合なことがあると、報告しますよなどと脅しを掛けてくることもあるんです」

 アランは話を聞きながらふと考えた。初めてエステラと会った時、つまりアランが五歳の時、マルは一歳に近い歳だったはずだ。仮に一歳だったとしても、それから彼の家であるリョウエン旅芸団が全滅し、アンベール侯爵家に拾われた頃には十歳ほどでしかない。

「……もしかして、マルって拾われてすぐの頃から……?」

「正確には分かりませんが、私が成人する頃には既に母に従って行動していました」

 エリエントはアランと同い歳だ。そして、セネテーラ王国での成人は十六歳である。彼の話を真実とするならば、マルが十二歳前後の時には既に殺人の加担をしていたことになる。

「母は父の連れて来た女性には非常に厳しい人で、彼女たちに使う道具は、自分の鞭と剣以外ではマルのものだったという話を、使用人たちの噂で聞いたことがあります」

 アランの脳裏に、『僕、刃物いっぱい隠し持ってるんですよ』と言って袖をヒラヒラと振った、いつかのマルの姿が浮かんだ。

 マルとはまだ知り合って短いが、アランは彼のことを知っているつもりでいた。エステラの弟で、彼女をはじめとした家族に愛されて育ち、崖から落ちて家族である旅芸団が全滅し彼だけが生き残っても、思い出と笑顔を忘れず、空気をよく読み、時には和ませてくれる人間だと思っていた。しかし自分は傲っていたのだ。マルという人間の複雑さを知らなかった。そして、善き貴族だと称えられていた先代アンベール侯爵の裏側を知ってしまった。愛人を無残に殺されようと、何度も連れ帰って住まわせる男のどこが善き人間だというのか。その夫人であるジョルジェットに至っては、もう言葉にしようもないほど恐ろしい。この夫妻が不幸に落とした人間の数を数えるのは困難だろう。

(マルはどうして従ったんだ……拾われたから?幼すぎたから?……エステラが知ったら、どれだけ泣くだろう……)

 弟のことを守るのだと胸を張っていた彼女は、マルの状況を知ってちゃんと転生出来ているのだろうか。

 リリアンが呼吸を整え、深く息を吐く音がした。こうして見ると、白い顔をした彼女は、髪や目の色こそ違うものの、エリエントとよく似ているように見えた。

「ごめんね。取り乱しちゃった。アランくんもいるし、エリエントもいるからかな……」

「アラン様に責任転嫁はしないでいただきたい」

「エリエント!」

 せっかく落ち着いたリリアンに何を言うのかと、アランは慌ててエリエントの長い髪を引っ張ると、彼は少し驚いた顔をしたあと口を閉じた。

 アランはエリエントの髪から手を離すと、リリアンに謝った。

「俺があんなことを言ったからだ。俺こそ、ごめんな」

「……君は優しいままだね」

 リリアンは目尻の涙を拭った。

「でも正しく愛された過去がある君の言葉は、あたしみたいな人には、ちょっと痛いね」

 彼女はもう一度深呼吸をして、間を置いて空気を切り替えた。

「それで、何だったかな。反乱軍の軍主がここに来るって?」

「……うん。ブランシェ家の迎賓館に行って、そこのメイドにちゃんと確かめた。行き違いになったけど、確かに反乱軍の軍主が、色んな町に寄りつつここを目指してるって。だからブランシェ家の馬車を借りて、俺たちはここに来た」

 アランが答えた。リリアンは考え込む様子を見せる。

「そう。反乱軍の軍主ね。噂には聞いているよ。全ては君と民のためらしいね」

「リシャールが俺の罪を背負う真似をしたから……本当に悪いのは俺なのに」

 言いながら顔を伏せてしまう。手が拳を作り、縋るものも無いのにぎゅうっと握り締めた。

「君が嘘を吐くとは思えない。本当にこの十年の政治が君の責任だったとして、その責任をリシャールくんが被るのは想像に容易いよ。リシャールくんでも君をどうにかできなかった……というよりは、君の周りを固めていた貴族をどうにもできなかったんだろうね。君が責任を感じるのは悪いことではないし、そのためにこうして動いているのは理解できたよ」

 「君の責任」という言葉と、「君の周りを固めていた貴族」という言葉を聞いて、エリエントの表情がさらに曇る。しかしアランに先ほど髪を引っ張られてまで止められたので、彼は何も言えなかった。

「アランくん。あたしが今日偶然この迎賓館に居たのは、もしかしたら、何らかの祝福なのかもしれないね」

 アランは顔を伏せたまま、リリアンの言葉を聞いていた。

「だとしたら、あたしは君たちを受け入れるしかない。祝福を拒めば、悲しむ方々がいらっしゃるからね」

 彼女の言う祝福とは間違いなく魔女の祝福のことで、悲しむ方々というのは始祖の二人だ。彼女も骨の髄まで眷族だった。アランはそうはなれなかった。化け物だと苦しむくらいならば、あそこまで染まってしまえば楽なのだろう。それができたら苦労は無い。

「エリエント、あたしは……姉として君の言葉を信じようと思う。君はここに来るまでアランくんに怪我を一つもつけていなかったみたいだし、アランくんを大事に想う気持ちに嘘偽りは無いみたいだからね」

「姉上……」

 リリアンは「でも」と続ける。

「あの人はダメだ。……あたしはあの人がいる間は、部屋から出ない。もう、あと五日はここで楽に過ごす予定だったのに、あーあ」

 わざとらしく頬を膨らませると、余計幼く見える。「よっ」と声を出し、彼女は弾みをつけて立ち上がった。

「部屋は用意しておくよ。外からのお客さん用の四人部屋はあるけど……どうする?アランくんは身内用の一人部屋にしとく?」

「いや、四人部屋でいいよ」

「おすすめしないけど」

「いいよ。そっちの方が楽だろ」

 アランが拒み続け、ようやくリリアンは「しょうがないな」と呟いた。

「分かった。メイドちゃんたちに伝えておくよ。ご飯もそこで摂ってね」

「うん。ありがとう」

「部屋の準備が終わったら、メイドちゃんが呼びに来るはずだから、それまでここにいてね」

「分かった」

 リリアンはアランのその言葉を聞いてから、エリエントへと視線を移す。エリエントもその視線に応えた。二人で無言で視線を合わせた後、リリアンはふいと顔を逸らし、扉へと向かい、出て行った。

 静かになった部屋で、エリエントがアランの方を向く。アランは小首を傾げて「どうした?」と尋ねた。

「アラン様……アラン様は……あの馬車から……」

「……エリエント?」

 彼が言う馬車とは、アランと彼が初めて出会った、アランが城から追放された時の馬車のことを言っているのだろう。

「馬車から、何?」

 聞き返すと、エリエントは睫毛を震わせた。

「あの馬車から、本当に逃げ出そうとは、思わなかったのですか?処刑されると分かっていたとしても。責任を一人感じたまま」

「……それは……」

 アランは言葉に悩んだ。何を言っても、アランの生を望む彼を傷つけてしまう気がした。だが、時間が流れるに連れて、彼の顔色は悪くなっていく。最悪の想定をしているのは間違いなかった。

「……言っても、傷つかないなら」

「傷つきません」

 絶対に嘘だ。彼はアランのこととなると繊細で大袈裟で、傷つくに決まっている。だが、彼は聞き出すまでアランから離れてはくれないだろう。アランは見つめてくる彼から視線を横にずらし、重々しい口を開いた。

「多分、最初は泣きながら嫌だって暴れたと思う。……お前に髪を切ってもらってさ、その……色々あって、俺が自暴自棄になって死のうとしたら、お前が力づくで止めてくれただろ?あの時それに気づいたんだ」

「……最初は、と言うのは」

 やはりそこに引っかかるか。アランはさらに視線をずらす。

「……最後は、多分……受け入れたんじゃないかなって思う。どうしようもないなら。リシャールが、みんなが、それを望むって言うなら。……俺一人じゃ、どうにもできないだろ。一人じゃ逃げられないし。流されると思うよ、俺」

 流されるばかりの人生だった。何度か自分の力で抗ってみたことはあったけれど、その後は後悔ばかりだった。軍主になって、英雄扱いされて、王になって、失策ばかりだった。

「……なら、私が今回助けに入ったのは、間違いでは無かった……?」

 彼の言葉に少し違和感を持ったが、アランは「そうなんじゃねぇの」と返した。

「俺を生かすためってなら、間違っては無かったんじゃね」

 エリエントの顔が、水を見た旅人のようにじわじわと喜色に染まる。彼の目は潤み、少しでも動くと涙が零れ落ちそうなほどだった。外から差し込む光に彼の涙が反射して、彼自身がキラキラと輝いて見えた。

「……良かった……っ」

 喉から絞り出された、嗚咽混じりの声に、アランは苦しくなった。彼はこんなにも自分の生を望んでくれているのに、自分ときたらどうだ。彼の想いを蔑ろにするようなことばかりを言って、思って、彼を傷つけた。無意識の色々な言動に、それは溢れていたかもしれない。彼のことを思うと、申し訳なくてますます彼の目を見られなかった。

 部屋にはエリエントの啜り泣く声がひっそりと響いた。アランはただ縮こまって、それを聞いていた。

「ここですか〜?」

 空気も読まず、マルが入って来る。彼の背後からメイドが去ったのが見えた。

 マルは変わらぬニコニコとした顔で室内を見渡し、エリエントが泣いているのを見ても「わあ」と言っただけだった。

「今、部屋の準備してくれてるらしいですよ〜」

「みたいだな」

 アランは彼が自分たちのところに戻って来てくれてホッとした。この空気の中、二人きりは気まずいものがあった。ただ、そう思えたのも最初のうちだけで、マルの過去を勝手に知ってしまったことを思い出すと、また気まずくなった。

 マルはアラン側に近いソファーにぽすんと座った。背格好から子どもにしか見えないが、彼は死体の処理をしていて、殺人の道具を貸し出すこともある過去を持っている。

「何ですか〜、この空気〜」

「あー……まあ、色々あって……」

「もしかして、僕のお仕事のこと聞いちゃいました?」

 あまりに何でも無いことのように言うので、アランは間抜けな顔を晒してしまった。

「はっはは〜!なんですかその顔〜」

「いや、あの、だって……」

「まあ、いつかはバレると思っていましたので〜。これでもなかなか優秀だったんですよ〜!」

 幼い時からやっていたから飲み込みが早かったんです!

 そう彼は袖を揺らしながら言う。アランは見ていられなくなって、ついに俯いた。

「あ、でもでも、勘違いしないでくださいね」

 マルは変わらず続ける。

「僕だって、何も最初から志願したわけじゃないですから!報酬が良かったから頷いたんですよ〜。傭兵みたいなものです!ありますよね、殺し専門の傭兵団。それよりかはマシだと思いますよ〜」

「……そ、そう、だな……?」

 彼も傷ついて、どこか壊れてしまったのかもしれない。彼の貼り付けたようないつもの笑顔は、仮面なのかもしれなかった。これ以上この話をするのはまずいかもしれない──アランガそう思った時。

「マル、アラン様を混乱させるな」

 落ち着きを取り戻し、エリエントがマルに釘を刺す。マルは「え〜?」と不満気な声を上げる。

「お坊っちゃんが泣いてた時から、アランさんは混乱してるように見えましたけど〜?」

 エリエントが衝撃を受けた顔をして、慌ててアランに詰め寄って弁解を始めた。

「ア、アラン様。申し訳ございません。今日はどうにも感情の制御が……少々アラン様の前ですとどうも抑えが効かなくなる時が……!努力はしていますが、し、しかし、これは決してアラン様の責任などではなく、全て私の力量が不足しているからで……!」

 どんどんアランに寄ってくるので、アランは彼から身を離そうと身体を倒して、ついにソファーの肘掛けに後頭部を乗せた。

「あーあー、いいよ。別にいいから。いつものお前に戻ったな。うん。良かった良かった」

「アラン様……!」

「だから離れろ!」

「も、申し訳ございません……!」

 エリエントがさっと退いて居住まいを正す。アランも起き上がり、深々とソファーに座り直した。

 それからすぐに、メイドが部屋の準備が出来たと三人を呼びに来た。

 その夜のことだった。

 縦長の四人部屋で、片方の壁には等間隔に並ぶ四つのベッドが、もう片方の壁には長いテーブルと四つの椅子が並ぶ。マルは既に入口近くのベッドの中で寝息を立てていた。エリエントはリリアンの部屋に行っている。久しぶりの姉弟水入らずの時間を過ごすのだろう。その方がいい。姉弟は仲良くあるべきだ。アランは自分がそうだったから、そう思ってしまう。

 不安なことがあると、アランはいつも眠れない。そういう時は星を見た。星はどんな時も変わらず輝き、広すぎる空からアランを見下ろすだけで何もしない。かつてソリエールは泣く闇のために自身を砕き、寄り添った。そして、アランも誰かに寄り添ってもらいたい──一度は薄れた信仰心は、こういう夜に顔を出した。

(今日はたくさんのことを知った日だったな)

 カーテンを開け、それを握ったまま、硝子窓から星と月を見上げる。慈悲の光は変わらず今日も降り注いでいた。

 もう寝る準備は済ませ、髪は下ろしたままだ。少し首を動かしただけで、髪が鬱陶しくて仕方なかった。

 夜空を見ながら、アランはふと思い出す。

(……あの馬車、か)

 エリエントと初めて会った時に乗っていた馬車。あのまま進んでいたら、自分はここにはいない。色んなことを知らないまま、自暴自棄を晒し、最後には抵抗を止めて死んでいた。あの馬車から逃げた今と、逃げなかった「もしも」のどちらが良かったなど、考えるまでもない。

(でも……エリエントが言うには、リシャールはそのもしもの方を望んだ……。俺の責任を被って、悪評に耐え切れなくなったから?)

 カーテンを握る手が震える。リシャールを救いたい。彼のものではない悪評を消し去りたい。そして、リシャールに聞きたい。

(お前はどうして俺の責任を被ったんだ……?貴族たちがそう仕向けたのか……?それとも、本当に俺のことを想ってくれていたのか……?)

 ──俺のことを親友だと、今でも思っているか?

 アランは胸中に浮かんだ言葉に頭を振る。なんて自分勝手な。身の程知らずめ。

 マルの寝息だけが聞こえる部屋に、キィィッと小さく高い音が響いた。振り向くと、エリエントが部屋に入ってきたところだった。彼は後ろ手に扉を閉めると、すぐにアランの元へ歩いて来た。

「アラン様、窓辺に居てはお風邪を召されます」

 アランから二歩離れたところで彼は言う。それが彼らしくて、アランはこの旅の期間に少し柔らかくなった顔を彼に見せた。

「大丈夫だよ。風邪なんて引かない」

「万が一ということがありますから。靴も履かずに、裸足だなんて……」

「煩わしくて」

「アラン様……」

 エリエントのため息が聞こえた。アランは窓に背を向けて、エリエントと向かい合った。

「リリアンとは話出来たか?」

「はい。……過去のことを共有しました。話せば、少しは変わるものですね」

 エリエントの表情も柔らかい。アランは「良かった」と呟いた。

「アラン様。私はずっと姉に……いえ、姉と兄に劣等感を抱いていたのです」

 アランはただ相槌を打った。彼が話したいならば話せばいい。今日はきっと、彼の心を整理する日なのだ。ソリエール教の信徒はそれを導きと言い、眷族の者たちは祝福だと言うのだろう。

 マルの寝息が聞こえなくなった。

「兄はご存知の通り剣聖として名高く、人格者で、今は爵位を継いで誰からも慕われています。両親は当然、兄を愛しました。姉は母と同じ色を持った女子で、私や兄が決して連れて行ってはもらえない母の生家に何度も連れて行ってもらえるほど、母に愛されていました。彼女にはそれが重かったと、今日知りましたが。でも、私にはそれでさえ羨ましかったのです。私は両親に愛されなかったから」

 一呼吸挟み、彼は続けた。

「私は出来損ないでした。兄のように剣は扱えず、頭も良く無く、いつも泣いてばかりで、その上……父によく似てしまったから。母が私に話しかけるのは、いつも父のようになるなと金切り声を上げる時だけでした。そういう時は決まって、母の手からは血の匂いがしていました。父は私に当たり障りなく接してはくれましたが、それだけです。兄に対するようには接してくれず、母からの監視を止めてもくれず、私への使用人の態度も口だけで咎めて終わりでした」

 彼の独白は悲しいものだった。このエリエントは出来損ないなどとは思えないが、彼がそう卑下してしまうほど、彼の置かれた環境は彼を傷つけてしまったのだ。だから、聞いているとアランは悲しくなって、エリエントがまだ幼い子どもだったら、アランは迷わず彼を抱き締め、その肩を叩いただろうと思った。それだけでも、彼の心は少しは救われたかもしれないから。

「だから私は兄と姉に劣等感を抱き、二人から離れるために、そして王となったあなた様に仕えるために王国軍に入ったのです。でももう少しちゃんと話していたら……何かが違ったかもしれません。兄はいつも優しく、今日話した姉も、優しい人だったから」

 エリエントの独白が終わる。彼は目の前に立つアランを見た。背に月明かりを受け、その姿は輝いていた。エリエントには神々しく見え、祈りの手を組みそうになる。だがそれを理性で留め、その姿を網膜にただただ焼き付けた。

 エリエントは再び口を開いた。

「申し訳ございません。この様な話を」

「いいよ。吐き出した方が楽な時ってあるだろ」

 アランが言うと、エリエントは「そうですね」と肯定してから、「アラン様もですよ」と囁いた。

「え?」

「アラン様も、吐き出したい時に吐き出してください。あなた様は、飲み込んでしまうことばかりです」

「そんなことは無いよ。勝手にエリエントがそう思ってるだけだ。俺、結構言いたいことばっかり言ってるだろ」

 エリエントは困ったように笑みを浮かべた。

「自覚が無いのですね」

「はぁ?」

「不躾なことを申しました。ですが、謝罪は致しません」

「別に不躾だなんて思ってねぇよ」

「ありがとうございます」

 エリエントが小さく頭を下げる。誰かに何度頭を下げられても、アランはそれになかなか慣れなかった。

「アラン様。もう夜も遅いですから、お休みになられては」

「まだ起きていられるよ」

「今日も色々ありました。アラン様がご自身で思う以上に、疲労が溜まっていると思います」

「お前って本当、すぐ俺を休めようとしてくるよな。俺、そんなにやわじゃねぇし、革命軍の時ですら疲労で倒れるなんてこと無かったんだぜ」

「アラン様、どうぞお休みください」

 黙って従うのも嫌で、アランは腕を組んでエリエントをじろりと見た。エリエントは眉尻を下げる。どちらも譲らず、結局アランが折れる形で終わった。

「分かった。寝る寝る、寝るわ」

「窓辺より離れたベッドでお願いします。未だ朝と夜の窓辺は冷えますから」

「はーい」

 アランはマルの隣のベッドに飛び込んだ。エリエントが微かに笑う声がする。アランは潜り込むと、自分の体温でゆっくりと温かくなる厚いブランケットに包まって、目をエリエントへと移そうとして止めた。目が合ったら恥ずかしい。アランは目を瞑り、眠りの中へと落ちていった。

 しばらくして、健やかな寝息が立てられる。エリエントは服装も変えないまま、そっとアランの眠るベッドに近寄った。あどけない寝顔は、まるで不幸を知らないようなのに、現実で彼は常に苦しみ続けた。

 本当は全てを言いたかった。でも言えなかった。決まった言葉を言うことしか出来なかった。そういう制約だ。こうしてここで書き記すことすら、本当は許されないことなのだ。自分は恵まれている。こうして機会を与えられたのだから。

 ペンは止まらない。書き終えるまであと少しだ。この長い旅路ももうすぐ終わる。今度こそ、あなたを生かし、幸せに導くのだ。

 こんな「私」でも、そばにいることは許されますか。


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