11話 「あなたは私に何を見ていましたか」
馬車が揺れている。アランは閉じていた目を開けた。
「あれ……いつの間に進んで……」
「アラン様、お目覚めですか」
向かい側にはエリエントが座っている。膝の上にはいつものように鞘に納まった剣がある。
アランが長椅子に横になっていた体を起こすと、ブランケットが落ちた。
「アラン様が気持ち良さそうに寝ているもので、起こすのも忍びなく……」
「そんなこと気にせず起こしてくれれば良かったのに」
アランも座り、ブランケットを畳んで横に置く。馬車の中には旅の荷物が随分と増えていた。
(そういえば昨日の夜、エリエントが変だったけど……)
改めてエリエントを見るが、いつもと変わりないように見える。昨夜のあれは何だったのだろうか。
「なあ、昨日の夜のことなんだけど……」
「何かありましたか?」
「ほら、お前変だったじゃん。いきなり訳分かんねぇこと言い出してさ」
「そんなことありましたか?」
エリエントは首を傾げた。
(隠してる……?隠されてもそんなに困りはしないけど……)
アランが訝しげにエリエントを見ると、彼は申し訳なさそうに口を開いた。
「英雄譚の話をした後、アラン様はすぐお休みになられましたが……その後に何かありましたか?」
彼がそこまで言うのだから、本当にそうなのだろうか。
「ええと……ごめん、夢だったのかな」
自分で言って、そうだったかもしれないと思い直す。その方が、昨夜の彼の様子のおかしさに納得がいった。
「申し訳ございません、アラン様。あなた様の仰ることが分からないなどと……!」
「そこまで責任感じなくていいから!夢だよあれは!俺が見た夢!」
「アラン様が見た夢の中に私が……?」
エリエントは、いつものよく分からない喜びを感じているようだ。アランは「うん、そうだよ」と呆れ気味に返した。
馬車は軽やかに駆けて行く。窓からは関所が見えた。今アランたちがいる場所は、ガルニエ公爵領だ。革命の時に倒されたガルニエ公爵の甥御が、今はその爵位を継いでいる。穏健派で、実の叔父を殺したアランたちを責めなかった人だ。さらに、彼は特例貴族の排除に疑問呈していた者だった。彼が公爵を継いだ意味は大きい。ガルニエ公爵領とベルトラン領はわずかに隣接していた。
関所にはベルトラン家の私兵が二人立っている。ブランシェ家の馬車を見ると、すぐに退いてくれた。関所をくぐる間際、馬車が停まる。馬車の窓を開けて、アランが顔を出す。
「ベルトラン家の方が、何故ブランシェ家の馬車に!?」
「馬鹿お前、そりゃいつものお忍びの帰りだろうよ」
「ああ……」
私兵たちがぼんやりと遠くを見る。彼らも苦労しているようだ。
「ブランシェ領には徒歩で行かれたんですか?」
「関所を飛び越えてですか?それとも川の流れに乗って?」
「いや、徒歩で」
アランは嘘偽りなく答えた。私兵は腰に手を当て、疲れきったように言った。
「これからはちゃんと関所を通ってくださいね!いくらベルトラン家の方とはいえ……!」
ベルトラン家の者はどれだけ彼らに迷惑をかけたのだろう。アランの口から乾いた笑いが出た。
ふと、私兵の一人が首を傾げる。
「ん?でも見たことない顔ですね。最近ベルトラン家に来られた方ですか?」
「うん」
背中には冷や汗が流れた。だがアランの心配は杞憂で、私兵たちは「そうですか」と納得し、関所を通してくれた。馬車が進み、アランは窓を閉め、椅子に深く座る。
「バ、バレたかと思った……」
「ベルトラン家の方は、いったいどのようなことをしているのでしょうか……」
エリエントは垣間見えたベルトラン家の行動に困惑しているようだった。それもそうだ。お忍びとはいえ、関所を飛び越えるどころか川の流れに乗って関所を抜ける貴族がどこにいるというのか。このベルトラン領にいるわけだが。
「あー……ベルトラン家って、ほとんどそうだから」
「どういうことですか……」
「ほら、ブランシェ領に入る関所でもさ、あそこの私兵が言ってただろ。身一つで遊びに来るベルトラン家の人もいたって。そういうのがゴロゴロいんだよ、ベルトラン家って」
「貴族ですよね?」
「特例のな」
エリエントはまだ信じられないようだったが、こればかりは実際に会ってみないと分からないかもしれない。しかし、彼の姉リリアンはベルトラン家の者だったはずだ。そして、彼女もなかなかにベルトラン家らしい言動の女性だった。アランは不思議に思って、エリエントに尋ねた。
「リリアンは違ったのか?」
するとエリエントは少しの間を置き、「さあ……」と言った。
「さあってなんだよ」
「アラン様は、姉には会ったことがあるんですよね?」
「うん。かなり前だけど」
「その時、私の話は聞きましたか?」
「……ううん、聞いてない。兄と弟がいるってのは聞いてたけど。聞いてたら、お前がリリアンの弟だとか、リリアンがアンベール侯爵家の生まれだってすぐ分かったのにな」
「そうですよね……」
エリエントは目を伏せた。
「私と姉は、あまり会うことがありませんでしたから」
「えっ、でも、姉弟だろ?それとも貴族ってそういうもんなのか?」
「普通の貴族の姉弟よりも会っていませんでしたよ。姉は母に連れられて、よくベルトラン領に行っていましたから。一年のほとんどをベルトラン領に行くこともありましたし、姉が社交界に入って少し経った頃には、母の意向もあって、姉はアンベール家からベルトラン家へと居を移しましたから」
そういえば、とアランは思い出す。リリアンも似たようなことを言っていた。
『数年前からはベルトラン家の本邸に住んでるから』
『何で実家出たんだ?』
『お母様がそうしろって。拒否権は無し』
別に良いけどね、あたしも望んでたし。
そう言って、彼女は明るく笑った。
「ですから、私はあまり姉のことをよく知らないんです。姉もそうでしょう」
「そっ、か……。その、ごめん」
「あなた様が謝る必要はありません!」
エリエントは慌てて言った。
「それに、私はこういうものだと受け入れていますから」
それはそれで悲しいものがあった。アランは再び謝りそうになる口を気合いで抑えて、「そっか」とだけ返した。
しばしの沈黙が落ちる。それを破ったのは、意外にもエリエントだった。
「……その、アラン様。差し支えなければですが」
「うん?」
「普通の姉弟は、どのようなものなのでしょうか」
アランはエリエントの質問を心の中で反芻した。そして彼が姉との距離感に寂しがっているのではないかと思い至った。
「普通の姉弟なぁ。どのようなって、まず、あまり会わないなんてことはないよ」
アランはミレーヌとの優しい思い出を手繰り寄せながらエリエントに話した。
「基本的に弟は姉の言いなり。姉がやれって言ったらやるしかない。ネズミ退治も夕飯の鳥狩りも。姉が今日は一緒に眠るって言ったら、その日は一緒に眠るしかないし、姉が髪紐を直せと夜に言ったら、その夜のうちに直さなきゃならない」
「アラン様がそのようなことを……!?」
「一応俺は英雄ってことになってるけどな、その前は普通の平民の子だったんだよ。ネズミ退治でもなんだって、やんなきゃいけなかった。ああ、蝙蝠退治もさせられたっけ」
エリエントは衝撃で震えていた。よほど驚いたのだろう。彼はアランを崇拝している。崇拝するアランが害獣大事など考えもしなかったに違いない。
「でも、ちゃんとやったら褒めてくれるんだ。さすがよアラン、あんたは偉いって」
今はもう無い手の感触を頭に感じた気がした。アランは寂しくなって、傍らに置いていた剣を抱きしめた。
「俺が少しでも様子が変だとすぐに気づいて、何があったか聞いてくれるんだ。俺が泣きそうになってた時なんか、誰にやられたんだ、ぶん殴ってやるって怒ってさ。……姉ちゃんは、いつも俺を守ってくれたんだ」
「アラン様……」
「もう居ないけど……俺は姉ちゃんに胸を張れるような王じゃ無かったけど……でもそれでも、俺にとっては姉ちゃんは大事な人で、誰よりも幸せになってほしかった人なんだ」
ミレーヌの顔が思い出せない。垂れ目だったはずだが、霞がかかったようだった。もう十年以上が経つのだから当然だった。
「顔も声も、もう忘れちまった。でも、俺は姉ちゃんがいたことを絶対に忘れない。あの人が俺にしてくれたことを、絶対、絶対に忘れないんだ」
彼女がいてのアランがある。アランは優しい思い出を抱きしめて、瞼の裏にあの日の光を見た。アランに光を齎してくれたのは、ミレーヌだった。
「……って、湿っぽくなっちまった。こんなつもりじゃなかったのに」
鼻を啜り、アランは誤魔化すように横髪を整えた。エリエントは「いえ」と囁くように言う。
「あなた様がお姉様を慕う気持ちを、よく理解できました」
「そう?何か恥ずかしいな……」
「恥ずかしがるものではありません。羨ましいです。私は、凄く羨ましい」
姉を慕う気持ちがだろうか。それとも姉との距離が近かったからだろうか。
エリエントは切なげだった目を細めると、窓の外を見た。
「──アラン様、ベルトラン家の迎賓館はどの町にあるのでしたか」
話題を変えた。これ以上は触れて欲しくないのだと思って、アランはその話題に乗ることにした。
「ソムニウムって町だよ。ブランシェ家の時より関所から近いから、遅く行っても明日には着くだろ。俺たち、今は馬車だし、もしかしたら夜までには着くかも」
「そうですか。やはり馬車は速いですね」
「だなー。お前の財布を頼って、ブランシェ領の関所で馬車を貸してもらえば良かったな。そしたら、ディディエと入れ違いにならなかったかも」
「そのおかげでアラン様と長く居られると思うと、私は徒歩でも良かったと思いますが」
「お前……またか……」
アランがため息を吐くと、エリエントはきょとんとした。
馬車の振動とブランケットの暖かさが睡魔を呼び寄せる。夕日が沈む頃、アランは夢を見た。ベルトラン領にいるからだろうか、懐かしい夢だった。
夢の中で、アランは革命軍の軍主だった。あと数ヶ月で十七歳になる、初夏の頃だ。アランはリシャールと数名の革命軍兵士とともにベルトラン領はソムニウムの町に入った。
「ここにベルトラン家の迎賓館があるってことだけど……ん、あれか」
城門から入ってすぐ、真っ直ぐ伸びた大通りの終着点に、薄らと屋敷が見えた。普通の貴族の屋敷にしては小さく、普通の貴族の迎賓館にしては大きかった。アランは屋敷の見た目がブランシェ家の迎賓館とほんど同じだと気づいた。
「とりあえず、迎賓館だな。で、そこから俺が本邸に向かう」
「……本当に君ひとりだけ?心配でしかないけれど」
リシャールがアランを見下ろす。アランは唇を尖らせた。
「子ども扱いすんな。俺はあと数ヶ月で十七歳だ」
「君が僕より二ヶ月年上なんて信じられないな」
「俺の見る光を信じると言ったのはどの口だ」
「光は信じても歳は信じてないから」
「誰かこいつを縛れ!叩いてやる!」
「落ち着きなよ。人に聞かれでもしたらどうするんだい」
「この、この、お前ぇ……っ」
兵士たちはアランを痛まし気に見た。中には同情して「リシャール殿が悪いですよ……」と呟く者もいたが、リシャールは気にせずに、「そんなことより」と話を変えた。
「迎賓館だろう。さっさと行くよ」
先ほどのことがあって頷くのも癪だったので、アランは無言で先を歩き始めた。リシャールはすぐに追いついた。
ソムニウムはブランシェ領の町同様に美しく整えられ、長閑な時間が流れる町だった。ただ、町行く人の視線が痛い。敵意が無いのは分かるのだが、自分の子どもを見守るような目が居た堪れなかった。
「アラン、君、見られてるね」
「……知ってる」
関所には未だ王国軍人がいたが、革命軍兵士たちが倒して先へ進み、途中どこにも寄らずにソムニウムへと着いた。そのため、ベルトラン領民の目にアランの姿が触れるのはここが初だった。
(やっぱり知られてんだろうな、ベルトラン家の色ってやつ)
だが、それで何故このような目を向けられるかが分からない。アランに似たベルトラン家の誰かがこの町では有名なのだろうか。
迎賓館に着くと、そこには門番がいなかった。ブランシェ家の迎賓館もそうだった。リシャールと兵士たちは困惑していた。
「ここもいないのか」
「ここもって、アラン、どういうことだい?」
「ブランシェ家の迎賓館もこうだったから」
「そういえば、行ったことがあるんだったね。どうする?町の人に何か──アラン!?」
アランは門を押した。すると、門は音を立てて開いた。
「うわ、本当に鍵かかってねぇ」
これもブランシェ家のものと同じだ。
「どうする、入るかい?」
「さすがになんか申し訳な──」
「わっ!!」
「わあっ!?」
アランが喋っている途中で、門の影から一人の少女が飛び出して来た。彼女の声に驚いて、アランは叫んで一歩退いた。
「な、何なんだよ……!」
「あははは!驚き方が普通過ぎてつまらないわ!」
長い猫毛を揺らして少女は笑う。少女はアランよりも幼く見えた。十一歳くらいだろうか。あどけない彼女に、兵士たちもリシャールも目を丸くしていた。しかし、アランの目は彼らとは違い、彼女の髪と目の色に向いている。少女は黒い髪と青色の目を持っていた。
少女は笑うのを止めて、アランの姿をつま先から頭まで見た。そして口を開く。
「初めまして!君がアランくんだね」
少女はにこりと笑みを浮かべた。
「あたしはリリアン。マエリスから手紙をもらって、君を待ってたよ」
リシャールと兵士たちも、マエリスという知った名前を聞き、彼女が何者かと疑った。見るからに幼い少女が何故待つのか、責任のある大人がいるのではないか──どうせそんなところだろうとアランは考える。
彼女はどこからどう見てもベルトラン家の者、つまりは眷族だ。こう見て成人間近か、既に成人している可能性があった。
「そう、俺がアランだ。後ろのやつは──」
「反乱軍の人達だね?ああ、今は革命軍か。まあとにかく入って。お菓子用意してあるからさ!」
リリアンが中へと招き入れる。兵士たちは明らかに困惑して顔を見合せていたが、アランは平然と入り、それに続いてリシャールも入ると、彼らも後に続いた。
迎賓館の造りは中もブランシェ家のものと同じだった。置かれた調度品や壁の色が違うくらいだ。匂いに関して言えば、あちらが華やかな匂いがどこでも漂っていたのに対して、こちらはほんのりと甘い匂いが漂っていた。一つの扉を開けて、リリアンが「こっち!」と言う。彼女に続いて中に入ると、そこにはテーブルと、それを囲む二人掛けのソファーが四つあった。
「座って座って」
「と、いうことだ。アラン、座りなよ」
リシャールがアランにソファーを勧める。するとリリアンが口を挟む。
「何言ってるの?みんなだよ。君も、君も、そこの君も、とにかくみんな。立ったままなんて疲れるよ」
「し、しかし、我らは一介の兵士ですので」
兵士の一人が言うと、リリアンは頬を膨らませた。
「だから身分にはうるさいって?それじゃあ言うよ。あたしが座れと言っています、座りなさい」
兵士たちが縋るようにアランを見た。アランは彼らを見返す。
「んじゃ、座るか」
「えええっ!?良いんですかアラン様!」
「良いだろ。ここで断った方が失礼だろ。な、リシャール」
アランはソファに座り、横に腰を下ろしたリシャールに声をかけた。リシャールは頷きを返した。
「君たちも座りなよ」
「は、はぁ……」
リリアンがアランとリシャールの向かいに座ると、空いたソファーに兵士たちは座った。彼らは初めて座る柔らかいソファーに驚いていた。
「これ、マエリスが持ってきた手紙。……マチルドさんが書いたものだ」
アランはリリアンに手紙を渡した。リリアンは受け取ると、目を伏せた。
「……マチルド様……」
口を動かし、何かを囁く。誰にも聞こえなかったが、死者のための祈りの言葉だったのかもしれない。彼女は封を破り、手紙を読んだ。そして「……やっぱりね」と呟くと、手紙を膝の上に置くとぱっと顔を上げた。
「お菓子はあと少しで来るから待っててね。君が来るって聞いて、あたし奮発しちゃった。料理長も頑張ってくれたよ」
「砂糖を買ったのか?財力どうなってるんだ……」
「少し前まではもう少し安かったんだけどね、困っちゃうよね。だから革命軍には頑張ってもらいたいわけだよ。お菓子のためにもね」
リシャールが「お菓子のためね……」と呟く声がした。
「協力を取り付けに来たんでしょ?手紙に書いてあったよ。まあ、手紙なんて無くてもあたしたちの答えは決まってるよ。良かったね。あたしたちベルトラン家は君たち革命軍に協力するよ」
「本当か!?」
「嘘なんてつかないよ。それに、元々協力はしてたんだよ?ブランシェ家経由でね。さすがのあたし達もガルニエ公爵が怖くて、さすがに表立ってはできなかったけど」
ベルトラン領はガルニエ公爵領と地続きだ。その判断は間違っていない。
「良かったよ、彼を倒してくれて。そうそう、彼の甥っ子がなかなか優しい子でね。もし次の公爵の爵位継承で揉めることがあったら、甥っ子の方を推してあげてね」
リリアンはリシャールの方を見て言った。
「……何故、それを僕に?」
「あれ、違った?君、そういうの込みで革命やってるんじゃないの?アランくんの方は革命までって感じだよね?」
首を傾げたリリアンを、リシャールは真顔で見ていた。そこにいつもの悠然さは無い。兵士たちにも緊張が走った。
「アランが革命までっていうのは?」
リシャールが静かに尋ねる。リリアンはあどけない顔のまま返した。
「だって、そうでしょ。彼、革命後まで立ち続けたら、きっと大変だよ」
「どうしてそう言える?」
「彼、ベルトラン家の子だもの」
「アランはベルトラン家の人間じゃない。彼の姓はペリエだ。君たちとは関係無い」
普段のリシャールとはかけ離れた必死さを、アランは意外に思って見ていた。何をそんなに必死になっているのだろう。
それに、リリアンの言葉はアランも頷けるものだった。アランは自分でも分かっていた。彼女の言った通り、自分ができるのは革命までで、その後のことは関われない。関わるつもりも無かった。それがベルトラン家とどう関係があるかは分からないが、そういう特性があるのかもしれない。
「……関係無い?それはちょっと悲しいな。同族だってことを否定されるなんて」
「同族……?」
「君たちに教えるつもりは無いよ。ただ、彼はベルトラン家の子だよ。それだけは分かってよ」
リシャールが勢い良く立ち上がり、テーブルを「ばん!」と叩いて手をついた。
「だから彼はペリエだと何度言えば!」
「ベルトラン家だよ」
声が一段低くなった。リリアンは膝の上に肘をつき、手を組んだ上に顎を乗せる。リシャールの口が閉じた。
「彼の髪の色は?目の色は?黒と青だよね?」
リシャールと兵士たちの目が一斉にアランの方へと向く。特にリシャールは食い入るようにアランを見ていた。アランは肩を縮こませ、批難するようにリリアンを睨んだ。するとリリアンは笑って、アランにだけ「ごめんね」と小さく言った。
「この色はね、ベルトラン家の色なの。普通は持ち得ない色。アランくんはあたしたちと同じベルトラン家の子。だから本邸まで彼を連れて行ってあげるんだよ」
彼女はにこりと笑みを浮かべた。
「お菓子が来たみたい。お菓子食べて落ち着こっか」
それと同時に扉が叩かれる。リリアンが「入っていいよー」と言うと、メイドがお菓子の乗った皿と人数分のお茶を持って入ってきた。テーブルの上に皿とお茶を置くと、メイドは頭を下げて静かに戻って行った。
優しく甘い匂いが全員の鼻をつつく。アランは数年ぶりのお菓子──クッキーに目を奪われた。
「ソリエールに感謝して食べていいよ」
リリアンがそう言ったのを聞いて、アランはソリエールに感謝の言葉を捧げると、すぐさまクッキーを一枚手に取った。
「アラン!」
「なんだよ、良いだろ一枚くらい」
「警戒心は無いのか!」
「警戒心なんて抱いたところで、じゃね?見ろよ、リリアンだって食べてる」
アランが示す先では、既にリリアンがクッキーを両手に持って、片方のクッキーを口に含んでいるところだった。見られていることに気づくと、リリアンは口の中のものを飲み込んだ。
「毒なんて入ってないよ。それとも銀食器が無いと落ち着かないかな?あたし、あまり銀食器好きじゃないからここに置いてないんだけど」
「ほら、毒無いって」
「……だとしても……!」
「リシャール」
アランは一口齧ってリシャールの名を呼んだ。リシャールは一瞬の隙にクッキーを齧ったアランを、信じられないもののように見た。
「協力を頼みに来たのに、そんなことでどうすんだ」
リシャールの口が開く。クッキーの甘みで頬が緩むアランを見て、リシャールはよろよろとソファーに腰を落とした。
「そうそう。あたしたちは協力するんだから、仲良くしていかなきゃね?そのためのお菓子だよ。ほら、他の子たちも食べてよ」
彼女に見られて、兵士たちはぎこちなくクッキーに手を伸ばした。それぞれクッキーを齧り、目を輝かせる。リリアンは嬉しそうに笑った。
「うん、やっぱりお菓子は良いね。お茶も美味しいから飲んでね」
「リシャールも食えよ」
アランは二枚目を手に取った。片手にはリシャールの分のクッキーを一枚取り、「はい」と差し出す。リシャールはアランの目をじっと見つめた後、大きなため息を吐いてそれを受け取った。クッキーを一口で食べ、リシャールはぽつりと呟く。
「……同じ特例貴族だっていうのに、ブランシェ家の人達と違い過ぎる」
「あっちはちょっとお堅いからねー。律儀に色々守りすぎてるんだよ。関所越えるためにわざわざ申請書を作ってさ。中央の言いなりになり過ぎてるよね」
リリアンは既に五枚目を手に取っていた。
「関所なんて、ちょっと工夫すればすぐ出られるのに。王国軍がいても、あんな壁、いつでも乗り越えられるよ」
「え?」
リシャールが聞き返した。アランは横で三枚目を頬張っていた。
「君も頭がお堅い方?」
「普通だが」
「そう。じゃあお堅いね。それじゃダメだ。革命は成功しても、君じゃあ国は運用できないだろうね」
「な、なんてことを……!」
兵士の一人がリリアンを批難したが、リリアンは気にしていなかった。
「君は精々宰相止まりってところかな。……ん?ああ、それは自覚してるんだ?」──リシャールの目を見てリリアンは続ける。「でもだからってさ、ベルトラン家の子を巻き込まないでよね。どうせ担ぎ上げたくなっちゃってるんでしょ?君たちがよく口にする光っていうの、見ちゃったんでしょ?」
「何が分かる?何を分かったつもりになっているんだ!君はそもそも何様のつもりなんだ!?」
「今回はベルトラン家の当主代行としてここにいるよ。ベルトラン家ではそこそこの地位なんだよね」
「しかし君はどう見たって未成年じゃないか!」
「……へえ?」
リリアンから笑顔が消え、室内の温度が下がった気がした。
「あ、あのさ、そろそろその辺にしないか?リリアンもどうしてそんな喧嘩腰なんだよ。リシャール、お前もだぞ。いつものお前はどうしたんだよ」
アランが止めに入ると、リシャールがぐわりとアランを見た。その表情に、思わずアランの肩も跳ねる。
「アラン、これは君に関わる話だよ?何で君はそんなに平然としていられるんだ!」
「別に平然としてないけど!?」
口の端にクッキーのカスをつけながらアランは言い返した。
「喧嘩腰じゃないよ。あたしはただ、アランくんを心配してるだけ。ねえアランくん、革命が終わったら本邸に来なよ。その方が君には会ってる」
「いや、俺はアプリクスに──」
「アランの将来を君が決めないでくれるかな?」
リシャールの低い声で、アランだけでなく兵士の肩も跳ねた。リリアンだけが平然と座り、「ん?」と小首を傾げる。
「それじゃあ、君もアランくんの将来を決めないでね」
「僕は決めていない」
「そう?その言葉、信じちゃおうかな。もし将来、君がアランくんの将来を決めて、そこに縛り付けて、アランくんが破滅したら、その時はあたし直々に君を叩き斬りに行くからね」
それから彼女はアランへと目を向けた。
「アランくん、それでいい?」
「俺を置いてけぼりにしておいて!?今ここで話に入れて来んな!訳分かんねぇよ!」
「んー、じゃあアランくんは承認したってことにしておこう」
「は!?」
「アランの意志を歪めないでくれないかな」
「君に言われたくないな」
二人の視線がバチリと音を立ててぶつかり合う。部屋の空気は先程よりも冷たくなっていた。アランは温かいお茶に逃げた。
(こいつらやばい……相性最悪過ぎんだろ……)
それから、リリアンとリシャールは無言を貫いた。兵士たちとアランは二人の空気に怯えながら、この奇妙なお茶会を終えたのだった。
「さて」
テーブルの上から物が片付けられると、リリアンが口を開いた。またリシャールと言い合いになるのではと思ったが──実際、リシャールの目は鋭くなった──そんなことはなかった。
「君たちはこのままここに留まると良いよ。協力する上で必要な契約書を用意したから、それを読んで名前を書いておいてね。大丈夫、君たちに有利な契約書だよ」
「契約書?」
アランが復唱すると、リリアンが説明をしてくれた。
「そうだよ。この革命において物資を支援する。あたしたちの私兵も二割は寄越す。だけど、革命後はこちらに頼らないでねっていうのをみんなに合わせて堅苦しく書いたやつ」
「必要なのか?」
「必要だよ。革命はこの国のためとは分かっているけれど、あたしたち特例貴族は直轄領だから他の領とは少し違う。だから他とは少しやり方を変えさせてもらうの。何か問題あるかな?」
リリアンがリシャールに尋ねる。リシャールは「いや」と小さく返した。
「ならいいね。じゃあ君たちはここにいてね。案内の子が来てくれるから。さあ、アランくん。君はあたしに着いて来てね」
立ち上がって、リリアンがアランに言う。
「本邸に行こう。もしかしたらそこで、さらなる協力が得られるかもよ?」
「……分かった。マエリスも、俺が本邸に行くみたいなことは言ってたし」
「うんうん、話が早くて助かるな」
アランも立ち上がると、リシャールがアランを見上げる。
「アラン、本当に大丈夫なのかい」
「大丈夫だろ」
「もしも君に何かあったら」
「無いよ。そんなもしもなんて」
それはリリアンの言葉だった。
「安心しなよ。ここはベルトラン領。王国軍はいない。中央の人間もいない。ここにいれば、アランくんはどこにいるよりも安全だよ。それに、護衛の私兵も何人かいるから」
リリアンはにこりと笑った。
「大丈夫。君の大事なアランくんは、決して傷一つつけないから」
リシャールは十秒程黙った。それから立ち上がって、アランの肩を両手で掴む。
「変な人にはついて行かないこと。地面に落ちている食べ物は食べないこと。お腹を出して寝ないこと。いいね」
「俺を何だと思ってやがんだ!!」
「アランだよ」
「覚えとけよ、絶対お前のこと縛り上げて叩きまくってやるからな!」
リリアンがクスクスと笑う。アランはリシャールに舌を出すと、リリアンと一緒に部屋を出た。
部屋の扉が閉まり、玄関まで続く廊下を並んで歩く。リリアンは後ろ手に手を組み、鼻歌を歌っていた。
「……何でリシャールとあんなに険悪になったんだよ」
鼻歌を止めて、リリアンはそれに答えた。
「勘ってやつかな。みんなのためにって動いているのに、実際は一人のためにしか動いていなくて、でもその裏では、その一人のために動く自分のためにだけ動いているの。そういう風に見えちゃって、勝手に口が動いていたの」
「……よく分かんねぇ。それがリシャールだって?」
「勘だけどね。でも、あたしはそういう人を一人知ってるから」
リリアンの足が少しだけ遅くなった。
「でもその人に比べたら、リシャールくんはちゃんと周りを見てる方。ううん、ちゃんと見ることが出来てる。だから本当はアランくんをリシャールくんに預けたままでも良いんだろうけど……でも、こっちも勘かな。なんかダメそうって思っちゃってね」
玄関に辿り着く。そこには既にメイドがいて、二人のために扉を開けてくれた。
「あたし一人だけで出迎えたいって言って、入る時はいなかったの。気づいた?」
「気づいたって言われてもな」
「ふふ、君はベルトランの子ではあるけど、ちょっとお堅い方かもしれないね」
外に出ると、馬車が停まっていた。側面にはベルトラン家の紋章が描かれている。御者が馬車の扉を開け、リリアンが乗り込む。
「ほら、アランくんも来なよ」
「うん」
アランも入ると、扉が外から閉められる。馬車が走り出して、いつの間にか馬に乗ったベルトラン家の私兵たちが馬車に並走していた。
二人は向かい合って座っていた。アランが最後に馬車に乗ったのは、アレクシの実家にペリエ家で行ったその帰りだった。あの頃は今よりも豊かで、平和で、まさか数年後にこうなるとは想像もつかなかった。
「ねえ、アランくん」
リリアンがアランに話し掛ける。
「君は野良の子だって聞いてるよ。でも、マエリスに、眷族のこととか始祖様のことは教えてもらったんだよね」
「……うん。あまり飲み込めなかったけど」
「野良の子はいつもそうだよ。君だけじゃない」
彼女は膝の上で重ねていた手を、ぎゅっと握りしめた。
「あたしは眷族で、生まれた時からそれは知ってた。お母様が眷族だったからね。眷族教育のために実家から何度もベルトラン家の本邸に通わされたし、数年前からはベルトラン家の本邸に住んでるから」
「何で実家出たんだ?」
「お母様がそうしろって。拒否権は無し。別に良いけどね、あたしも望んでたし」
そう言って、彼女は明るく笑った。
「おかげで、あたしは今、生きるのが楽なの」
笑顔の下で、彼女の手は少し震えていた。
「君は生きづらくない?さっき、明らさまに子どもみたいな扱いを受けていたけど、苦しくなかった?」
「あいつのあれはいつものことだから、別に。……その、あまり、言わないことっつーか、ちょっと変かもしれないんだけど……」
アランの声がだんだんと小さくなる。
「あの扱い、そりゃ最初はかなりムカついたし、今でもムカつく時あるけど、でも、凄く嫌いってわけじゃない」
リリアンは黙って聞いている。
「姉ちゃんがいた頃や、両親がいた頃を思い出すんだ。大事にされてるっていうのかな。そういうのが、嬉しい」
アランの顔が綻ぶ。クッキーを食べた時よりも柔らかなものだった。
しばらくして、リリアンは肩を竦めた。
「……君って、かなり甘えたなのかもね」
「う……」
「でも、それでいいんだと思う。君がそれを喜べるなら、それでいいんだよ。誰にも否定できない、君の幸せの一つだ」
「幸せって、んな大袈裟な」
「嬉しいは良いことでしょ。良いことがあるのは幸せでしょ。そういうこと」
「はあ」
リリアンは「いいね、素敵だよ」と返すと、窓の外を見た。
「本邸まで、案外すぐだよ。それまで、あたしの話し相手をお願いね」
「逆に俺で大丈夫?話し相手に向くかな」
「ふふふ、向くよ。何を心配してるんだか。なんだかアランくんって、弟気質だよね」
「否定はしない」
アランがきっぱり言い切ると、リリアンは声を上げて笑った。
「ははは!いっぱいお姉ちゃんたちに愛されて来たんだね」
「まあな。リリアンは兄弟とかいないの?」
「いるよ。兄が一人、弟が一人。でもね、どっちも眷族じゃない。人間なんだ」
リリアンの目が伏せられる。
「あたしだけが成長遅くて、弟にすら身長を抜かされて、悔しくて堪らなくて、自分が眷族だからって分かってても嫌で嫌で仕方なくてさ。それをお母様は見抜いていたんだね。ベルトラン家の本邸に引越しさせてくれたの」
「良いお母さんだな」
「……そこだけ見ればね」
リリアンは瞼を上げた。
「ねえ、アランくん。君とあたしは初対面だよね?」
「う、うん。そのはずだけど」
「不思議。同族だからかな。それとも、アランくんは眷族の血が濃いのかな。ふふふ。君といると、ネーレス様の前にいるみたいに、何でも話したくなっちゃう」
彼女の繊細な睫毛がふるりと震えた。
「ねえ、だから、聞いてくれる?……誰にも言えなかった話」
拒絶することも出来た。初対面なのに重い話なんて普通はごめんだ。だが、アランは同じ色を持つ彼女の話を聞くことにした。彼女の手は、ずっと震えたままだった。
「あたしのお母様ね、人を殺したの。それも何人も、罪の無い人を」
アランの息が詰まった。
「あの人、あたしには優しいけど、他の人には怖いの。ううん、お兄様にも優しいかな。お兄様はお母様の自慢だから。お母様は、あたしが同じ眷族だから優しいんだと思う。でも、あたしたち以外にはいつも金切り声を上げるの。お父様が浮気性で、色んな女の人を家の中にいれて、家に住まわせるとね、そりゃあもう凄い怒り様で、鞭と剣を持ってその人の部屋に行くの。一年くらい前かな、久しぶりに実家に帰ったら、お母様ったらまたやってて。でもお父様も馬鹿じゃないから、愛人の部屋の扉を凄く丈夫な鍵付きのものにしてて、お母様がずっと扉を斬り付けてるの。ずっとだよ、ずっと。日が沈んでもずっと」
リリアンの声は震えている。彼女はこれを誰にも言えず、一人で抱え込んでいたのだ。初めて会った時の明るさとは正反対の傷を、彼女は持っていた。
「少し経った時に、エトワール様のふりをしてお父様に近づいた女がいたから嬲り殺してやったなんて言われて、あたし、もう、お母様の顔が見れなくて。手が見れなくて。本邸に連れて行ってくれたあの手が、こ、怖くて……っ」
リリアンの目から涙が零れ落ちた。
「あたし、すぐ本邸に帰ってきたの。お兄様と弟に一度も会わずに。二人も、こ、怖かっただろうに、あたしだけ、逃げたの。お母様のこと、どうして誰も罰してくれないんだろう。罰してくれたら、お母様はどこかへ行ってくれるのに。貴族だから?貴族だからなのかな。お父様ったら本当何をしてるんだろう。人殺しを野放しなんて……はは、は……」
彼女は両手で顔を覆うと、「……いいなぁ」と小さな声で言った。
「いいなぁ、アランくん。あたしも暖かい記憶が欲しいなぁ。帰りたいって思える実家が欲しかった」
「リリアン……」
「ごめんね。本当は話すつもり無かったの。無かったのに……。君って不思議。君のことを光だのなんだの言う人の気持ちが、多分少し分かるよ。きっと他の人たちのあたしのそれは違うけど、でも、うん、分かっちゃうな」
鼻を啜る音がした。
「君は、誰からも愛されてきたんだね。だから、君になら縋っても振り落とされないって思っちゃう。君には迷惑な話だけどね。ああ、そうか、だからネーレス様の前にいる時みたいなんだ。あの方も誰からも愛されてきたから……」
袖で静かに目もとを拭いて、リリアンは顔を上げた。目にはまだ涙の膜が張っていた。
「アランくん、これは勘なんだけどね」
「……うん」
「君はきっと色んな人から縋られるよ。そしてきっとそれは重しになって、君は体勢を崩す。そしたら、もう酷いことになるよ。誰からも愛されてきたからこそ、誰からも憎まれる素質だってある。だからさ」
リリアンはドレスで手を拭くと、身を乗り出して、アランの頭を撫でた。
「そうなったら、いつでもいいからベルトラン家の本邸に来なね。君がベルトランの子だっていうのもあるけれど、君がこうして静かに重い話まで聞いてくれたお礼だよ。それだけじゃきっと足りないから、そもそも君が苦しくならないように、あたしたちの方でも精一杯やらせてもらうけどね」
「それは……ありがとう?」
「うん、ありがとうでいいんだよ」
リリアンがそう言うので、アランは改めて「ありがとう」と彼女に言った。リリアンは泣き腫らした目で笑った。
「こんな話よりも、もっと明るい話をしようか。好きなことは何?」
アランの向かいにリリアンは座り直した。
「好きなこと?そりゃもちろん英雄譚だな」
「ふふふっ。それはみんな好きだよね。じゃあその話をしよっか」
それから二人は、ベルトラン家の本邸に着くまで、英雄譚を語り合った。着いた頃には、リリアンの目に涙は無かった。
それとも「私」など見ていませんでしたか。




