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フェリロジカ  作者: 小林月春
物語
10/24

10話 「あなたに光を見ていました」

「さあさあ、入ってちょうだいな」

 年老いた修道女に案内され、アランとリシャールは裏口から教会の中に入った。表の入口から入る時とは違い、そこは光があまり差さない物置だった。

「裏から来たということは、何か理由があるのでしょう」

 アランは喉に手を押し当て、「えっと……」と口を開いた。その声は普段のものではなく、力の籠らない裏声だった。修道女はアランに近づいて、気遣わしげに言う。

「あなた、喉を痛めているの?」

「妹は昔、風邪を拗らせたせいで、今でも少し喉が上手く使えないんです」

「まあ、そうなの……」

 修道女の視線が優しすぎて痛い。アランは眉を下げて、体を縮こませた。

「あ、あの……っ」

 アランは裏声を張り上げた。

「お、わ、私たち……ここの、教会に入りたいんです……!」

 事前にリシャールに指示されていた通りの言葉を言う。修道女は少々の驚きを見せたが、すぐに頷きを返してくれた。

「ソリエールの導きがあったのね。司祭様のところに案内します。ついてきて」

 修道女が背を向け、ゆっくりと歩き出す。アランがリシャールを見ると、彼は満足そうに口角を上げていた。

 物置を出て、いくつかの部屋と廊下を渡り、アランたちは二階へと辿り着いた。質素な扉を修道女が叩くと、中から人の声があって、修道女と二、三言話すと、扉は内側から開かれた。

「さあ、ここからはあなたたちだけよ」

 修道女に背中を押されて、先にアランが部屋に入る。続けてリシャールが悠然と歩いて入り、扉は閉められた。

 部屋の中は狭かった。紙が積まれた書斎机と椅子、本が納められた棚と簡易的なベッドがあるだけでもかなりの圧迫感がある。椅子には一人の老人が座っていて、その傍らにはアランたちと同じくらいの少女が立っていた。

 老人は柔和な顔つきで、長いベールが付いた黒い帽子を被り、司祭服を纏っている。少女は三白眼で一見怖そうに見える。彼女は短いベールの付いた黒い帽子を被り、助祭服を纏っていた。

「おや、商家の兄妹ですかね。ははあ、珍しい」

「ナタン様、承認の儀はここでよろしいのですか?」

「ええ。イネス、灰を用意してください」

 司祭の方はナタン、助祭の方はイネスというらしい。イネスは軽く頭を下げると、灰を取りに行くため部屋から去った。

「彼女が灰を持ってくるまで、少し待っていてくださいね」

 ナタンの言葉に、二人は揃って「はい」と返した。

 ソリエール教の教会に入るには、司祭以上の承認が必要となる。リシャールが立てた作戦は、教会に入ると偽って司祭に接触し、協力を要請するというものだった。

『ラクスの教会にいる司祭ナタンは、人望の厚い方だ』

 本拠地を出発する前にリシャールに言われた言葉を思い出す。

『普通、平民出身の者は助祭止まりだ。だが彼は平民出身でありながら、その人望から司祭に登りつめた。この意味は分かるよね、アラン?』

『そのナタンってのに協力してもらえれば、教会がこっちにつくのか?』

『そうなれば嬉しいけど、教会全体が、とはいかないだろうね。でも、司祭ナタンがこちらにつけば、油も供給も再開するだろうし、兵士たちの不安も取り除ける。教会の人間が手を貸したとなれば、それだけでこちらに流れ込む人も増えるんだ』

『で、どうやって協力を頼むんだ?いきなり、革命軍です、よろしくお願いしますって?』

『それが出来たら苦労はしないだろうね。まあ、今回主に苦労するのは君だけど』

『え?』

 今思い出してもムカつく。前線には出さないと言いつつ、交渉の前線には出すではないか。

(しかも俺に女装までさせやがるし……。俺が女装の似合わない奴だったらどうするつもりだったんだ)

 勿論この女装にも意味がある。リシャール曰く、「君がいくら子どもみたいな容姿だったとしても、男であるのには変わりない。相手の懐に潜り込む時は女性の方が何かと便利なんだよ」だそうだ。

(まあいいけど……!英雄ダミアンは、女装をしたら絶世の美女になって、その姿で相手を油断させぶちのめしたって話だってある……!)

 そう考えると、英雄譚をなぞるようで少し面白いかもしれない。それに、似合わなければそれまでの話だったが、似合ってしまったのだからしょうがない。アランは一人で己を納得させた。

「それにしても」

 ナタンがゆっくりと口を開いた。

「そちらのお嬢さんはそういう趣味で?」

「へ?」

 アランは首を傾げた。ナタンは柔和な顔のままアランを見ている。彼の言葉の意味が分からず、アランは助けを求めるようにリシャールを見た。

 リシャールはアランと一度目を合わせると、観念したように息を吐いた。

「やはり司祭ナタンには分かりますか」

「これでも六十間近ですからね。人を見る目は、若造よりもあるつもりですよ」

「……と、いうわけだアラン。君、男だって彼にバレてるよ」

「え……はあああ!?」

 アランの絶叫に隠れて、リシャールは「完璧だと思ったんだけどな」と呟いた。アランは裏声を止めて、いつもの声でリシャールに詰め寄る。

「俺、ただ恥ずかしい思いしただけ!?意味ねぇじゃん!何だったの!?」

「趣味の幅が広がって良かったね」

「広がってねぇわ!バカ!」

 リシャールの背中を叩こうとすると、さっと避けられてしまう。アランは怒りで顔を真っ赤にした。

「お前といると調子狂う!返せ、俺のかっこいい印象!」

「客観力に欠ける、と。まあ分かっていたことだけどね」

「お前絶対泣かす……!何が導くだ、俺を変な方向に導きやがって!」

 リシャールは明らかにアランの反応を楽しんでいた。馬鹿にされているようで、何故彼の手を取ってしまったのかと思った──まさかそこに後悔が含まれていないなど、自分でも無自覚だった。

「賑やかなのは結構なことですがね」

 ナタンの声が二人の掛け合いに割って入る。二人は揃ってナタンの方を見た。

「ここには何が目的でいらっしゃったのですか?」

 彼の表情は変わらず柔和で、声も優しい。雑談の最中のような雰囲気があった。

 リシャールがアランの背を軽く押した。アランに一気に緊張が走る。喉が乾き、唾を飲み込む。アランはナタンと向かい合って、すっと息を吸い込んだ。

「まず、一つ訂正させてくれ」

 ナタンは「はいはい」と軽い相槌を打った。

「俺は女装の趣味なんて一切無い。こっちの方が警戒心を持たれず近づき易いだろうって、こいつが提案した」

 そう言って、アランはリシャールを指さした。リシャールは悪びれのない顔でそこに立っている。

「効果があったかは知らん」

「いいえ、効果はあったと思いますよ。イネス……今、灰を取りに行ってもらっている助祭は、非常に警戒心の高い子で、あの子が会うことを拒否すれば、私もあなたたちをここに入れる気はありませんでしたからね。明日になればこの教会に司教も来ますし、承認の儀はそちらにやってもらえばいいわけですから」

「教会に入りたいって奴を拒否?」

「ええ。何せ、最近は食べることに困って、教会に入ろうとする者が多い。中には敬虔なソリエール教の信徒もいますが、ただ食べ物を求めただけの粗暴者もいるのですよ。そして、そういった者は基本的に男です。同じ男として悲しいですよ」

 いやあ、困りますよねぇ。

 話している内容に反し、天気の話をしているような口ぶりだ。彼は相当な曲者だと察する。

「……その粗暴者たちをどうにかしたい気持ちはあるのか?」

「私も慈悲深きソリエール教の信徒ですからね。当然その気持ちはありますとも」

 それからナタンは机の上で手を組んで、アランを一見柔らかな目つきで見た。

「あなたは反乱軍の遣いの子ですか?」

 アランが動揺したのを見ると、彼は「やはりね」と笑った。

「な、なんで分かった?」

「この流れで分からなければ愚鈍でしょう。なぜ分かったなど、それは私を馬鹿にする物言いですよ」

「……リ、リシャール!」

 アランはリシャールに小声で言った。

「あいつ、なんか怖い……!地味に怖い……!まじで俺が交渉すんの……!?」

 リシャールも小声で返す。

「僕が見ているから大丈夫だよ、心配しないで」

 心配しかない。アランは改めてナタンに向き直って、体の横でぎゅっと拳を握った。

「……まあ、その……とりあえず、もう一つ訂正させてくれ」

「はいはい」

「俺たちは反乱軍じゃない。革命軍だ」

「ほお」

 ナタンはここで初めて表情を変えた。

「それはそれは……革命ですか」

「……この国に不満があるからただ乱を起こすわけじゃない。俺たちは王を倒し、この国を変えたい──いや、本当のセネテーラ王国にしたい」

 語るうち、アランの声は芯が通った強いものとなり、先ほどの動揺や緊張に震える姿とは全く別のものとなっていた。

 語りながら浮かぶのは、姉の姿だ。ミレーヌはこの国のことを思っていた。彼女は正義感の溢れた、本当に間違えない人だった。あの時彼女に賛同して、一緒に反乱軍に向かっていれば、きっと横にはリシャールだけじゃなく、彼女もいただろう。彼女に、そしてアランよりも先に散っていったシリルに、仲間たちに、両親に胸を張れる国に。今もアプリクスにいるアレクシが、安心して生きられる国にしなければならない。この命に代えてでも。

「本当のセネテーラ王国、ですか」

 ナタンはアランの言葉を反芻した。

「……なるほど、言い得て妙ですね。確かに今の王朝は、ウェントース皇国の皇家の傍系で、同盟関係にはあるものの、属国のようなものだ。……だからこそ、セルジュ四世陛下のお言葉に胸を打たれた国民もいた」

 アランは「え」と乾いた声を漏らした。セルジュ四世の言葉のどこに胸が打たれるのか分からない。むしろ、あの言葉のせいで同盟にヒビが入り、食糧の輸入が止まったというのに。

「かつて我が国の都はウェントース皇国にあったが、皇位継承の争いがあって、真に継ぐべき皇位継承権第一位がセネテーラに逃れ、ウェントースに戻るまでの仮の王国を築いた。現在のウェントース皇国ならば、正常な判断も出来よう。正当なる皇位継承者を迎え入れろ」

 ナタンがセルジュ四世の言葉を諳んじる。

「新聞で何度も見かけた言葉です。属国扱いだった我が国が、皇国に牙を剥く──我が国は好戦的な人々が多いですからね、支持は一定数ありましたとも。お二人は若いから知らないでしょうがね」

 知らなかった。アランはそんなこと考えもつかなかった。頷こうとした時、隣から返事があった。

「いいや、知っていますとも」

 リシャールが悠然として答えた。彼は後ろ手に手を組んだ。

「あまり僕らを舐めないでいただきたい。……支持はあった。ただその支持者も、輸入が止まって数を減らした。今残る支持者は何も考えられない馬鹿か、皇国に責任転嫁している馬鹿。それか、そうすることでどこかで美味い蜜を吸おうとしている有り得ない馬鹿くらいだ」

「若いと言葉の棘が甘いですねぇ」

 どこが甘いのかアランには分からなかったが、リシャールは「自分でもそう思います」と返した。

「この馬鹿っていうのは、貴族だけでなく、意外なことに平民にも多い。余裕が無いからこそ、上手く思考が出来ないんだ」

「見たところ十八歳くらいでしょう。よくそこまで考えられたものだ」

「失礼。僕、これでも十六歳なんですよ」

「これはまた。この国の未来も明るいというものですよ」

 好反応だ。このまま交渉をリシャールに任せれば良い。アランはそう思って、完全に聞き役に徹していた。

「傲って聞こえることを承知で言えば、僕みたいな人間だらけであったなら、この国は賢くあれたでしょうね。けれど、それでは大国に飲み込まれたでしょう。僕は人々が無事に生存できるなら、あらゆる手を尽くして、大国に占領されるのではなく元から一部であったような扱いになるようにした」

 そこでリシャールは一度言葉を区切ると、アランへと目を移した。

「だけど、反乱軍に彼が入った」

「……え、俺?」

 聞き役という観客席から、いきなり舞台に引っ張り上げられてしまった。リシャールはアランを見たまま言う。

「このままなら反乱軍は壊滅する。だから僕はいつでも逃げ出せる準備をしてた。けれど彼は弓一つで戦況を変えていった。冷静なはずの軍師ディランがまともに思考できなくなるほど鮮やかに」

「噂には聞いていますよ。反乱軍には、化け物がいると」

 化け物という言葉がアランの胸に刺さる。だが、その鋭利な言葉を、リシャールが取り払う。

「そうだ。彼は化け物だ。凄いだろう。この国を変えるために、ソリエールが彼をそうした」

「リシャール……?」

「全てには必然性があるとは、教会の言葉でしたよね。必然性があるのはソリエールが全てを導くからだ。だから、彼がこうであるのも必然だ。彼は神にそうであるよう望まれたんだ。彼を否定するのは、神ソリエールを否定するのも同じですよ、司祭ナタン」

 リシャールはナタンへと視線を戻した。

「教義を持ち出されると、こちらも何も言えなくなりますよ」

 ナタンは「やれやれ」と首を横に振った。

「リシャールさんといいましたね。それで、彼……アランさんを持ち上げて、あなたは何をしたいのですか。先ほど彼が言っていたように、革命ですか。この国の古くから根付くウェントース皇国の血を根こそぎ枯らすのですか」

「利用できそうなものは残しておきますよ。できなさそうなら枯らす。僕も自分の命までは失いたくないですから」

「それはどういう意味でしょう。あなたも貴族でしたか?」

 リシャールは「違いますよ」と返す。

「僕は商家の五男坊です。だけど、どうにもアルノー王家の血を引いてるらしい」

 アランは目を見開いた。リシャールがアルノー王家の血を引いている?あの憎き王と同じ血が?しかし、それを知っても、アランは彼を憎む気になどなれなかった。

 リシャールは何でもないことのように言い、ナタンに言葉を続ける。

「遠い血だから、ほぼ無いようなものです。利用できるなら利用しますがね」

「……なるほど。少しですが、あなたという人間が見えてきましたよ」

 ナタンは喉の奥でくつりと笑った。

「あなたは上に立つ人間ではないが、下にいるべき人間でもない。反乱軍では軍師か……いえ、軍師ディランがいたのでしたか。ならば、副軍師辺りなのでは?」

「さすが司祭ナタン。よく分かりましたね……と、これもあなたを馬鹿にする物言いになりますか?」

「なりますね。非常に腹が立ちましたとも」

 柔和な顔で返すのが、アランには怖かった。

「そう、僕は副軍師だ。そして、アランを見つけ、アランを重宝するように軍師ディランに進言した。そして、ディランはアランを重宝し、最終的に彼頼りの作戦ばかり立てるようになった。気づいた時には、軍主シリルが死んでしまった」

「そう聞いています。彼の遺体は、火葬も許されず、罪人の丘に埋められたと」

 シリルが土葬された──アランはあまりの惨さに肩を震わせた。あの時崖から落ちずに弓を放ち続けていれば何か変わったかもしれない。少なくともシリルが逃げる時間稼ぎくらいはできたかもしれない。落ち着かないアランの肩をリシャールが優しく叩く。アランが知らずうちに下げていた顔を上げると、リシャールは優しい目でアランを見ていた。

「シリルのことは……色々思うことはあるけれど、ここで語るべきことじゃない。王国軍の駐屯地の襲撃をした後、反乱軍は壊走することになった。そして、軍主の座が空いて、残った反乱軍は数少ない。そこに、死んだと思われていたアランが戻ってきた。彼は崖から落ちてもなお、生きていたらしい」

「それはまた、素晴らしいお導きがあったものだ」

 ナタンの目がリシャールからアランへと移る。肌の奥まで探るような目だ。居心地が悪い。

(お導きなんかじゃない。俺は眷族の力で死ねなかったんだ……。化け物なんだ……。でも、リシャールはそれで良いって言ってくれた。凄いだろうって)

「アランは壊走して集まっていた反乱軍の残党たちと、報告を聞いてやって来た軍師ディランたちを立ち上がらせた。この十三歳にしか見えないアランがだ」

(……こいつに感謝すべきか怒鳴るべきか分かんねぇ)

 アランの気持ちも知らず、リシャールはまるで我がことのように自信を持って言った。

「アランは彼らに光を見せたんだ。そして反乱軍は革命軍になった。アランは見た目通りだから難しい言葉なんて使えない。だからこそ、常に言葉を飾らず、本質を突く」

 ナタンはふっと口角を緩める。力を抜いたように見えた。

「英雄の半分は少年だとは、よく知られる話です」

 彼は目を伏せる。

「昔から人気のある英雄たちは、皆少年です。英雄フェリックスも少年ですね。なるほど、あなたたち革命軍は、その光にやられて、このアランさんを軍主にしたわけだ」

「光にやられた?それは違う」

 リシャールは後ろ手で組んでいた手を解いた。

「皆は彼に光を見た。そして僕は、彼の見る光を信じたんだ」

 彼の見る光は、僕の見る光とよく似ている。

 リシャールはまたアランの背中を押した。一歩前に出されて、アランの視界にはナタンしか映らなくなり、ナタンもまたそうなった。

「アランさん。あなたの見る光とは、どのようなものですか」

 座るナタンが立つアランを見上げて尋ねる。アランはここで全てが決まると理解した。ここを外せば、教会の協力は得られない。

 アランは一度目を伏せ、心臓を落ち着かせた。そして目を開き、ナタンの黒い目を射抜くように見つめる。

「この国を、セネテーラ王国民の国にする。誰の顔色も気にしない、誰も明日に怯えない、誰もが胸を張れる国にする」

 アランは息を吸った。大丈夫、まだ落ち着いている。

「そのためには教会の力が必要だ。教会は俺たちの心の拠り所で、教えを与える場所だから。そしてきっと、俺たちが間違えれば、あなたたちは正してくれる。教会はそういう場所だ」

 ナタンの表情が変わる。仮面を外したように、彼は真顔になった。アランは恐ろしいとは思わなかった。それこそが彼の本当の顔なのだろう。

「俺たちを正すために、力を貸してくれ」

 ナタンは沈黙した。彼はアランを見つめ続けた。だがアランは動揺もせずに立ち続けた。その姿に、何かを感じ取ったのだろう。ナタンは深々と頷くと立ち上がった。年老いていても、彼は腰も曲がらず、真っ直ぐに背を伸ばしていた。アランと同じくらいの身長で、もう一度頷く。

「あなたのその心が変わらぬ限り、力を尽くしましょう。教会は求める手を振り払わないのです。どれだけの粗暴者であってもね」

 アランが手を差し出すと、ナタンの皺だらけの手が握り返す。硬く荒れた手だった。

 どちらともなく手を離すと、ナタンが扉の方に声をかけた。

「イネス、もう入ってきても大丈夫ですよ」

「え?」

 よく見ると、扉は薄らと開いていた。ナタンの言葉で、扉が音を立てて開かれる。現れたのは灰を取りに行っていたはずのイネスだ。彼女はナタンではなくアランを見ており、その手に灰は無く、メイスが握られていた。

「イネス、珍しいですね。あなたがそのような表情をするのは」

 アランには彼女がただの無表情のようにしか見えなかったが、ナタンには違うように見えているらしい。イネスはアランを無言で見つめている。

「何でメイス?灰じゃねぇの?」

 アランが疑問を呟くと、ナタンが「ほっほっ」と笑った。

「承認の儀に灰なんて使いませんよ。勿体ない」

「……おかしいと思ったんだ」

 リシャールが腕を組んで肩を上げた。

「承認の儀に灰なんて、今までどの文献を見ても載ってた試しが無い」

「は!?」

「隠語ですよ。メイスを持って外で待機するようにというね。イネスは貴族出身ですから、配られたメイスも丈夫で痛いですよぉ」

「え!?」

「教会も身分で差があるね。革命が成功したらその辺もどうにか変えたいけど、それは司祭ナタンに任せよう」

「寿命が尽きなければそうしましょう。さてイネス、準備をしなさい。革命軍の本拠地にお引越しですよ」

 イネスがようやくアランから視線を外す。

「しかし、ナタン様。明日には司教が戻られます。どうしますか」

「あんな高慢ちきな若造は放っておきなさい」

「いえ、彼が戻ってきた時、もぬけの殻だと怪しまれるかと思いまして」

「全員連れて行く気でしたね?……あなたがそう言うのなら、その方が良いかもしれませんね」

 ナタンは棚から本を取り出し始めた。

「イネス、皆に準備するように声掛けを。私も準備しなくては」

「油と灰はどうしますか。荷馬車を出しますか」

「ええ、そうしましょう。荷馬車ごとお引越しです」

 イネスは頷き、アランをちらりと見た後、部屋の外へと駆けて行った。

「久しぶりですよ。教会をあのように見てくれる人というのは」

 本を数冊重ねて書斎机に置いて、ナタンが言う。

「教会は国と民の中立を謡っていますが、国の圧力に負け、国の言いなりになっておりましたから」

「じゃあ、シリルが協力を求めた時断ったのは……」

「それとこれとは別です。彼は前科がありすぎた。……と、当時彼と話をしたという方に聞いておりますね」

 ナタンが小物を集め始める。リシャールが窓から太陽の位置を確認し、口を開く。

「そろそろ時間かな。司祭ナタン、男爵領の廃城と言えば分かりますか」

「反乱軍の本拠地と有名な場所ですからね、分かりますよ。夜には着きます。盛大にもてなしてくださいね。かなりの人数がそちらに行きますから。それと……」

 ナタンは壁の奥に立てかけてあったメイスを持ち上げた。

「教会の者らしく、メイスでしか戦いませんが、その辺はご了承くださいね」

「戦っていただけるとは思いませんでしたよ。よろしくお願いします」

 リシャールが頭を下げたのを見て、アランも頭を下げた。

「じゃあアラン、僕たちは先に行こう。馬も待ちくたびれてるし、ディランも怒ってる」

「え、何で怒ってんだよ。思ったより遅かったから?」

「いいや?」

 リシャールがニヤリと笑って、アランは嫌な予感がした。

「ディランがこの作戦を認めたって言ったけど、あれ、嘘だから」

「……は?」

「戻ったら、どこに行っていたのかって色々言われるだろうけど、頑張って耐えようね」

「はああああっ!?」

 アランの声は、教会の中に木霊した。




 それから、アランたち革命軍の士気は高まった。油も手に入り、表立って協力しないまでもナタンがいることで裏から手を貸してくれる者も増えた。本拠地である廃城はもはや廃城ではなく、立派な城となっていた。皆余裕が無く道徳心や倫理観が低迷していたが、ナタンたちの指導により、再び規律を守るようになり、そのおかげで革命軍を敬遠していた者も集まるようになった。副軍主のブリュノはそれを見て去って行ってしまったが、シリルが生きていた頃よりも、この軍は大きく、強くなっていた。

 アランは時折りリシャールの手により女装をさせられ、軍主の仕事から連れ出された。もう女装にも慣れたもので、自分がどうすれば相手に良く見えるのかも熟知し始めていた。女装で向かう先は、大抵が革命軍に引き入れれば好転するような人間の前や家だった。最初こそリシャールの言葉によって説き伏せられたところに、アランがとどめの言葉を出すというのが定石だったが、次第にアランの言葉のみで協力に頷いてくれる者が増えた。リシャールは「さすがだね」と褒め、アランも少しばかり調子に乗っていた。

 革命軍は軍を整えると、再びその足をガルニエ公爵領へと向けた。あの壊走から半年が過ぎていた。

 アランは決して戦いの前線には出されなかった。後方にて待機し、必要とあれば弓を引いた。アランが積極的に弓を持たなくとも、大きく育った革命軍は敵を蹴散らすことができた。

 ガルニエ公爵領最南の町を通過する。その時に、覚えのある酒屋が、税金のせいで潰れたことを噂で聞いた。

(革命を成功させなきゃ……じゃなきゃ、皆不幸になる……)

 アランは決意をさらに固めた。

 革命軍が通れば、平民たちは彼らを讃えた。革命軍を応援するような歌まで作られたという。おかげで、革命軍の士気はさらに高まった。

 そしてついに、ガルニエ公爵家の本邸がある領都へと、革命軍は辿り着いたのだった。

「ようやくここまで来たか……」

 アランは感慨深く呟いた。領都を囲む城壁が薄らと見えるところに革命軍が並び、アランはその後方にディランとリシャールに挟まれて立っていた。

「この日をどれだけ待ちわびたことか」

 マチルドがうっそりと笑う。彼女の横にいるマエリスは祖母の様子に苦しげに眉根を寄せた。

 普段は本拠地にいるはずのマチルドとマエリスがいるのは、ガルニエ公爵を討つその時をマチルドが見たいと言ったからだ。彼女の狂気は、誰が見ても明らかだった。

「あちらの軍は三千。こちらは四千。あの城門さえ開けばこちらのものです」

 軍主となったアランに、ディランは敬語を使った。彼はアランに尋ねる。

「いかがなさいますか」

「待つ時間なんてあるか?」

 アランは早まる鼓動を自覚しながら言った。

「行こう。国のために」

「はっ!」

 ディランはその言葉を聞いて、進軍を指示する。ガルニエ領都の攻略戦が始まった。

 城壁の上から弓矢が降る。アランやマチルド、マエリスのもとには決して届かないそれは、他の者の頭上には等しく降り落ちる。だが、こちらは既に製鉄技術を持つ工房連合の協力を得ていた。前線に立つ鎧兵の急所に、弓矢は突き刺さらなかった。

 城壁の上は、同じく弓兵たちが狙う。他の者は弓矢を無視して城門に突撃する。城門は大きいため、石ではなく木でできている。鎧兵たちは、鎧の中に大事に持っていた油を塗りたくった。まさか、ガルニエ公爵の私兵も王国軍も、貴重な油を、聖なる油を、そう使うとは思わなかっただろう。

『国のための聖なる戦いというならば、ソリエールはお許しになりますとも』

 こちらは司祭ナタンのお墨付きだ。兵士の誰一人、この行為の善悪を疑うものなどいなかった。

 鎧兵たちが城門から離れると、弓兵の一人が城門に火矢を放つ。あっという間に燃え広がり、白煙は大きな黒煙へと変わる。城門の上が混乱し始めた。丸太で燃える門を破り、ついに革命軍が領都へと入り込んだ。

 報告を聞き、アランは息を吐いた。良かった、まだ大丈夫だ。壊滅的なことにはなっていない。

「アラン、心配し過ぎだ。革命軍はもう、王国軍よりも強いんだよ。ガルニエ公爵の私兵なんか足もとにも及ばない」

 リシャールが言うが、アランは頷けなかった。

「何が起こるか分かんねぇ。……前だって、勝てると思ったら、黎明の傭兵団が出たし……」

「その黎明の傭兵団は、今は王都を守っている。ガルニエ公爵はね、実質、王に見捨てられたんだよ。しかも彼の私兵はこれまでの町に配置され、それを僕たちが潰してきた。これ以上援軍が来ることも無い」

「……そうかな」

「そうだよ。上に立つ君がそんなんでどうする」

「そう、だよな……。ごめん、なんか、気弱になってた。ガルニエ公爵領ってだけで、どうも前のことが……」

 ディランが苦虫を噛み潰したような表情になる。アランは小さく「ごめん」と謝った。

「いえ。……あれがあったから、今があるのだと思いますから」

 焦げた臭いは後方まで届いた。黒い灰が、風に乗って目の前を過ぎる。

「すぐに落ちますね……」

 マチルドが数歩前に出て呟いた。かつてはきっちりと纏められていた髪は、今はところどころ解れ、目は窪み、皺は深くなっていた。眷族は成長が遅く、歳を重ねるにつれて実年齢より極端に若く見られるようになるが、彼女は実年齢相応、いや、それよりも老けて見えた。

「ガルニエ……。嗚呼、本当に憎たらしい……。エトワールを何故嫁がせてしまったのか……」

「お祖母様、座りましょう。疲れちゃうわ。ね?」

「マエリス、ほらよくご覧なさい。あなたの叔母上と従姉妹を殺した連中の都が落ちますよ」

「お祖母様……」

 マエリスの目には涙が浮かんでいた。おそらく彼女だけが正常だった。

 やがて、領都が落ちる。革命軍は、奥に聳える大きな屋敷へと踏み入った。ガルニエ公爵家の本邸だ。

 ガルニエ公爵は呆気なく捕らえられた──彼の妻子とともに。

 城門の外にいるアランたちの前に、ガルニエ公爵と彼の妻子が引き摺り出された。彼らの煌びやかな服は、革命軍の誰がやったのか襤褸になっていた。子どもだけは妻が守ったのかマシな服ではあった。ガルニエ公爵は黒い髪に黒い目と、決してミレーヌと同じ色を持ってはいない。彼は眷族では無いのだからそれは当然だ。だが、その目の形は、ミレーヌにそっくりな垂れたものだった。

 アランは身を焦がす激情を隠し、彼に声を投げた。

「お前がガルニエ公爵か」

 跪かされていたガルニエ公爵が顔を上げる。煤に汚れた顔は、頬に腫れがあった。

「……後妻を迎え入れていたのか。子どもまでこさえて」

「前妻とその間に生まれた娘は死したのでな」

 まるで自分は関わっていないような口ぶりに、アランは激情を隠しきれなかった。

「……お前が依頼を出したんだろうが!!」

 ガルニエ公爵はふっと笑った。

「漏れていたか。はて、どこで漏れたのか」

「何故殺した!!何故依頼を出した!!」

「何故?……おかしなことを言う」

 ガルニエ公爵の表情が変わる。彼は憎悪に満ちた目で、アランと、その後方に立つマチルドとマエリスを睨みつけた。

「化け物どもに国を盗られる前に排除した!それまでのことだ!!」

「お前──!!」

「王に知らされなければ、私は今もあの化け物とともに、化け物の間にできたおぞましいやつを娘を育てていたのかと思うと吐き気がする!!私は人間だ。人間の嫁をもらい、人間の子どもを作る。それの何が悪いというのだ!?」

 アランが剣を抜こうとするより早く、ガルニエ公爵の首に剣が当てられた。剣身を辿って見ると、そこには表情の無いマチルドがいた。彼女の後ろでは、あのマエリスまでも表情を無くしている。

「エトワールはブランシェ領に向かう途中の森で、馬車にいる中で襲われたと報告を受けています。これもあなたの依頼によるものですね」

「あの傭兵たちはよくやってくれたよ。だが、娘の方は取り逃していたらしい。アプリクスでお前が一人の少女に接触したと報告があって、居場所を知ることができた。その点だけは感謝しよう!」

 ガルニエ公爵は笑っていた。マチルドの手が震え、彼の首に赤い線が走ろうとも。

「あの顔が壊滅的になっているのは、大変満足がいった!傭兵たちには報酬を弾んだよ」

「……そう」

「今頃は鳥の腹か、嗚呼、糞になって、大地の一部になっているだろうな?何せ、あれから一年近く経つ!多くの者に踏み固められていることだろう!」

 マチルドの手の震えが一際大きくなった。

「私が接触したから……そう、そうですか。なるほど、分かりました」

 彼女は大きく息を吸った。

「最期に聞かせてあげましょう。……化け物ですって?この国の土地を汚すお前たちの方が化け物ですよ」

 剣が一気に横に振られた。老女とは思えない強い力によって、ガルニエ公爵の首が刎ね飛ぶ。子どもと女の悲鳴が響いた。直にその悲鳴も、兵士たちによって消えるだろう。

 マチルドは剣に付いた血を払い、鞘へと納める。彼女は踵を返した。

「お祖母様」

「帰ります。ブランシェ領に」

 そして顔だけをアランに向ける。

「ごめんなさいね」

「マチルドさん……?」

 兵士がガルニエ公爵の首を掴み、それを槍先に刺して城門の中へと入っていく。少しして歓声が響いてきた。だがアランは、去っていくマチルドの背中を見続けた。

 ガルニエ公爵領都の攻略戦が終わって革命軍が本拠地に戻り、しばらくして、マエリスは手紙を携えてブランシェ領から戻ってきた。

 軍主の部屋にマエリスがやって来る。彼女は全く表情が無く、亡霊のように佇んでいた。

「アラン。お祖母様は亡くなられたわ」

 アランは椅子に座ったまま口を開けるしかなかった。

(マチルドさんが、死んだ?……なんで?)

 マエリスは淡々と事実だけを述べていく。

「朝、首を括っていたの。足もとには私へのこれからの指示が書かれた紙と、私が当主になることへの承認の紙。そしてこれがあった」

 持っていた手紙を渡される。開けられた痕は無い。

「まだ開けないでね。お祖母様からの最後の指示よ。これを持って、ベルトラン家の本邸に行くの。でも本邸に入れるのは君だけよ」

「……ベルトラン家の本邸……」

「王都を攻めるなら、北からの支援も必要でしょう?ガルニエ公爵領を突破出来たんだもの、ベルトラン領まで行けるわよ。関所の王国軍だって逃げ出してるわ」

「……マエリスは、どうするんだ」

「当主が長く領地を開けてるのは異例だわ。だからこの後戻る。でも、必ず全てが終わる時にはまた来るわ。……お祖母様とミレーヌの代わりに、私が君の行く末を見届ける」

 マエリスはようやく微笑みを見せた。マチルドを思い出す、静かな笑みだった。

「……ねえ、アラン。ガルニエ公爵は私たちを化け物だって言ったわね」

「そう、だな」

「人間じゃないって、そんなに悪いことかしら」

「それは……」

 アランは「悪い」と言いかけてしまった。自分が眷族という化け物であることを嫌悪するのは、今も変わらなかった。それは長い間人間として育ち、人間と信じて疑わなかったからだ。だがマエリスは違う。彼女は眷族として育ち、眷族であることに誇りを持っていた。

「ふふ。やっぱり、野良の子って中途半端ね」

 彼女はアランに背を向けて、本拠地を去って行った。アランは彼女の背を見ることが出来なかった。

 時間を置き、落ち着きを取り戻すと、アランはまずリシャールのもとに手紙のことを伝えに行った。リシャールはディランとともに作戦を立てている途中だった。

 話を聞き終わると、二人はまず、マチルドの転生を祈った。その後に本題に入る。

「ベルトラン家ですか。この革命にはブランシェ家を通じて支援はしてくれましたが……」

 ディランが何枚かの手紙を取り出す。全てベルトラン家から出された手紙で、送った物資の詳細が載っている事務的なものだった。

「本格的な協力を求めるのですね?」

「そのために必要な親書がそれというわけか」

 リシャールがアランの持つ手紙を示す。

「中身を確認したいけど、親書となるとね」

「この封蝋を綺麗に剥がしてもダメ?」

「封蝋のところにブランシェ家の紋章が施されてるから無理だね」

 改めて封蝋を見ると、確かにブランシェ家の紋章が押されていた。

「ベルトラン家の本邸に、アラン様も向かうおつもりですか」

 ディランが尋ねる。アランは「ああ」と頷いた。

「俺しか入れねぇし」

「……それはどういう意味ですか?それもマチルド様の遺言とやらですか」

「あ……いや……」

 アランは視線を泳がせた。そこにリシャールが助け舟を出した。

「特例貴族は、普通じゃない迎賓館を持つと聞いている。本邸に外の人間は近づけないためにね。でも今回は革命を起こすわけだし、君は革命軍の軍主だ。特別に……ということかな」

「う、ん。マエリスが……そうだって……」

 嘘をつくのは心苦しかった。アランは逸らしそうになる視線をディランへと固定した。ディランは「なるほど」と呟く。

「他にも何かある気はしますが」──アランはわざとらしく笑みを浮かべた。完全に誤魔化すための笑みだ。「まあいいでしょう。そのための軍を編成しましょう」

「ベルトラン領か。僕も気になるな」

「……お前も行くつもりか、リシャール」

 ディランに横目で睨まれても、リシャールは平気そうだった。

「軍師殿は本拠地から動けないだろう。その間軍主殿を支えるのは、副軍師の僕が最適だと思わないかい?」

「まあ、お前なら大丈夫か……」

 ディランはため息ひとつを吐き、許可を出した。

 その数日後、アランとリシャールは、少人数を引き連れて、ベルトラン領へと旅立った。


 あなたはあなたの光を否定します。「私」はそれを否定します。でも、もう、それも難しいでしょうか。

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