第8章 少しずつ
「今日、カフェ行く?」
昼休み、教室の隅で美咲がノートを閉じると、隣の席から悠馬が声をかけた。
「あ、うん」
軽くうなずきながら、美咲はマスク越しに微笑んだ。
悠馬は、そんな美咲の表情を、目元だけで察したように小さく笑った。
最近外で話すときや2人でいる時、悠馬はマスクをポケットにしまっていることが増えた。
それを見て、美咲もとくに何も思わないふりをしていた。
自分にはまだ、無理だ。
そう思う気持ちはどこかにあったけれど、
悠馬が強制するようなそぶりを見せなかったから、自然と隣にいられた。
──カフェのテラス席。
美咲はストローをマスクの下から口に運びコーヒーを呑もうとした。
そのとき、マスクの端が少しだけずれて、すぐに指先で直した。
恥ずかしさのあまり笑ってごまかす美咲に、悠馬は「大丈夫」とだけ言った。
特別な顔もせず、気にする素振りもなく。
それが、ありがたかった。
ストローで飲み物をすする音だけが、ふたりの間に静かに流れる。
心地いい沈黙だった。
ふと、美咲は思った。
昔の自分なら、こんな風に誰かと自然に過ごすなんて、想像もできなかったかもしれない。
少しずつ。
本当に少しずつだけど、世界が変わっていくのを感じていた。