第3章 出会い
講義の終わった午後、美咲は構内のベンチでひと息ついていた。
人通りの少ない場所を選び、イヤホンで音楽を流しながらスマホを眺める。誰かとつながっているようでいて、実際には誰とも話していない。そんな時間が、美咲にとってはちょうどよかった。
「ここ、隣いいかしら?」
突然、静かな声がすぐ近くから聞こえた。
顔を上げると、そこにいたのは――あの赤いコートの女性だった。
黒髪ロング。白い立体マスク。あの時の、印象的な人。
「……あ、はい。どうぞ」
思わず声が出た。反射的に返しただけなのに、自分でも驚いた。
彼女は小さくうなずくと、少し距離を取ってベンチに腰を下ろした。
それきり、女性は何も話さずに、ただ静かにスマホをいじっていた。
美咲もまた視線を戻し、スマホの画面をぼんやり眺める。
それでも、どこか落ち着かなかった。
――なんでここに?
聞きたい気持ちはあったけれど、口に出すほどの理由もない。
彼女がただの通りすがりで、偶然ここを選んだだけかもしれない。
しばらくして、女性がふいに声を発した。
「そのマスク、似合ってるわ」
美咲は息を呑んだ。
思ってもいなかった言葉だった。
誰かにマスクを褒められるなんて、初めてだった。
「……ありがとうございます」
そう答えた自分の声が、どこか上ずっている気がした。
それを隠すように、美咲はうつむいてカフェラテに口をつけた。
ストローをマスクの下から差し込んで、そっと飲む。
「飲みにくくない?」
女性が問いかける。
「……いえ。もう慣れましたから」
それは嘘じゃない。
けれど、“だから平気”というわけでもなかった。
「そう。慣れるって、強さよね」
ふとした言葉。
けれど、その一言が、美咲の胸に静かに残った。
強さ、というには少し違う気がしたけれど。
それでも、肯定された気がした。
彼女が何者なのかは、まだ知らない。
でも、美咲はどこかで、もう少し話してみたいと思っていた。