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一話 ホタル

霧の夜になると忽然と現れる謎のスナックがあるという。そこには心を癒してくれる人たちがいるというが、そのスナックに入店して帰ってきた人は誰もいないらしい。それなら、その噂は誰が言っているのだろうとなるが、噂というのはそんなものだろう。これは、そんな何処にでもあるような噂話だった。

 野上順一は車を走らせていた。ブラウンの初代日産スタンザ。もう旧車といっていい古いセダンだ。順一は最近の同じようなデザインの車が好きになれず、この角ばったデザインの古い車を未だに走らせていた。

 もう時間は深夜に近い。急な見積り依頼があり、それに対応していたらこんな時間になってしまった。


・・・明日、事業部の担当と交渉して値引き貰った方が良いな ・・・


 結構厳しい取引先なので、見積り一発でOKとなる事はない。その為の値引きを確保しておく必要がある。順一は事業部の担当者・宮園の顔を思い浮かべた。メーカーの担当にしては腰が低いが、自分が納得出来ないものには頑として首を縦に振らない男でもあった。順一はどんな作戦でいこうかと思案を巡らせながら運転していた。

 古いセダンで変速機は当然4速マニュアルだ。カーブが近付き順一はクラッチを踏んで3速にギアを落としてカーブに入った。カーブを抜けると、急に霧が出てきた。間欠ワイパーのスイッチを入れ、フロントガラスに付いた水滴を落とす。この辺りは霧がよくでる。何時もの事で何の不安もなかった。カーステレオからは順一の好きな古いフォークソングが流れている。順一はふんふんと曲に合わせを鼻唄を歌いながら、一定間隔で水滴を拭き取るワイパー越しに前方を見つめていた。


・・・何時もより霧が濃いな ・・・


 白い霧はどんどん濃くなり、ヘッドライトの光が白い帯となって見える。順一は十分に速度を落とし車を走らせるが、視界はどんどん悪くなってきた。


・・・何処かに停車して霧が晴れるのを待った方が良いかもしれない ・・・


 順一は車を停める場所を探しながら運転していると前方左側に店舗の看板が見えてきた。群青の背景に白い文字で店名が書いてある。


・・・スナック、フォギーレイン? ・・・


 看板の下には”P”と書いて矢印も書かれている。


・・・こんな所に店があったかな ・・・


 順一は首を傾げながらも、砂利を敷いた駐車場に車を入れた。車の前に店舗がある。黒い窓のない壁に白い文字で”フォギーレイン”と書かれ、同じく窓のない黒いドアに営業中の札が掛かっている。

順一は何故かこの店に興味が湧いてきた。


・・・車は代行を頼めばいいか ・・・


 車から降りた順一は、ザッザッと砂利を踏んでスナックの入り口まで歩いて行った。そして、カランとドアを引く。


「いらっしゃいませ 」


 店の奥から男女の声が響いてきたが、他のお客様の姿は見えず店内はがらんとしBGMの音楽だけが流れていた。


・・・大丈夫かな? ・・・


 順一は一瞬不安になり足を止めたが、こんな田舎の店ではそんなにぼったくらないだろうと店内に足を進めカウンター席に腰を降ろした。


「初めてですね 私はホタル よろしくね 」


 すぐに若い女性がお絞りとお通しを持ち、人懐こい笑顔で隣に座ってくる。今どき珍しい体のラインをピタリと出すボディコンシャスな黒い服、ミニスカートからすらりと伸びる黒いストッキングを穿いた脚に順一はドキリとする。そのホタルが肌が触れるか触れないかの絶妙の位置にいる。


「僕は野上 この前の通りはよく通るけど、この店には気付かなかったよ 」


 順一はお絞りで顔を拭きながら答えた。


「マスターが気紛れで店を開けるからね 気付かない人も多いですよ 何、飲みます? 」


「じゃあ、最初はビールとあたりめを 」


 まず最初はビールと決めている順一は迷いなく注文すると、カウンターのなかから初老のマスターが瓶とグラスを出してくれる。ホタルはすかさずグラスにビールを注ぎ順一の前に置いた。順一も慣れたもので、もう一つのグラスにビールを注ぐとホタルの前に置く。そして、マスターに声をかける。


「マスター、もうひとつグラスください 」


 あたりめを焼いていたマスターがグラスを持ってくると、そのグラスにもビールを注いだ順一は3人で乾杯しましょうと言い、グラスを持った。


「乾杯 」


 3つのグラスがカチンと触れ合う。マスターも穏やかな笑顔を見せながらグラスに口をつけた。順一とホタルは一気にグラスのビールを飲み干していた。ホタルはすぐに順一のグラスにビールを注ぐ。順一もホタルにビールを注いであげた。ビール瓶はあっという間に空になる。


「えっと、バーボンはありますか? 」


 どちらかというと日本酒よりも洋酒が好きな順一は、洋酒の中でもバーボンウヰスキーが好みだった。マスターは、もちろんございますと明るく答える。順一はこの店が気に入ってきた。穏やかなマスターに、人懐こく可愛いホタル。それにバーボンまで置いてある。もし、このバーボンがあるならこの店にまた来よう。順一は恐る恐るマスターに尋ねる。


「ワイルドターキーはありますか? 」


 もちろんですとマスターは大きく頷いた。


「では、ターキーをダブル、ロックで 」


 注文しながら順一は興奮していた。洋酒を豊富に揃えているショットバーとかならまだしも、失礼だがこんな田舎のスナックにターキーが置いてあるとは思わなかった。良い店を発見したのではと嬉しくなってくる。


「こんな時間までお仕事ですか? 」


「そうなんだ 急な仕事が入ってね 珍しい事じゃないけど それより、君も何か飲むかい? 」


 もうビールのグラスは空になっているホタルを見て順一は言った。


「じゃあ、私も同じもので良いですか? 」


「えっ、バーボンを飲むの 」


 順一は驚いていた。大体、女性でバーボンを飲む人を順一はあまり知らなかった。こういう場合、ブランデーを頼む女性が多かった。もっとも最近はジムビームのテレビコマーシャルが盛んに流されているのでバーボンを飲む女性も増えたのかと納得した。


「乾杯っ! 」


 ホタルはロックグラスをカチンと触れてくる。順一はいつもより早く良い気持ちになっていた。


・・・なんだろう もう酔ったのか ・・・


 まだビールとロックを一杯だ。酔うにしては早い。でも、このふわふわした心地よい感じは何だろう?順一は自問自答しながら、チビチビとバーボンを飲んでいた。


「眠そうだね 歌でも歌って目を醒ましたら 」


 ホタルがカラオケの端末を持ってきた。こんな店なのにカラオケの機器は最新のものが入っていた。


「カラオケかぁ でも僕の好きな曲ってカラオケにないんだよな 」


「どんな曲ですか? うちは通信なので大概ありますよ 」


「新しい曲ならそうかもね でも僕の好きなのは古いフォークソングだから 」


「古いフォークソング? いちご白書とか学生街ならありますよ 」


「ああ、それはどっちもヒットソングだからね 僕が歌いたいのはアルバム曲なんだよ 前に行った通信のカラオケボックスでもなかったから 」


「そうですか 因みになんて曲ですか 」


「NSPの”避暑地にて”という曲だよ 」


 ホタルは端末を操作していたが、嬉しそうに顔を上げる。


「ありましたよ 今、いれますね 」


 順一は驚愕していた。スピーカーからイントロが流れ始めると、間違いなく順一がリクエストした曲だ。本当にあったんだ。ステージに上がると順一は気持ちよくシャウトした。


「いい曲ですね 夏の終わりの寂しさがでていますね 」


 ホタルがお絞りを順一に渡しながら笑顔をみせる。順一も気分が良かった。


「じゃあ、この曲も有るかな 太田裕美の”遠い夏休み” 」


「はい、ありました 」


 それから順一は時間も忘れてカラオケを歌いまくっていた。順一の好きな曲が何でもある。今までにないことだった。


「マスター バーボン、おかわり そうだ、ターキーの30年もの有るかな あったら、そっちで 」


 バーボンのロックを数杯飲み干しカラオケを歌いまくった順一は、すっかり良い気分になっていた。


「もちろん、ございますよ 」


 マスターから渡されたグラスを口に含んだ順一は感激した。今までのターキーより、さらにまろやかで飲みやすくなっている。以前、海外に行った時に買ってきて飲んだターキーの30年と同じだ。高価で置いてある所も少ないため久しぶりに味わった順一は、ホタルにも是非飲んでみてと薦めていた。


 まさに桃源郷だ。順一は時間の経つのも忘れていた。その時、スマートフォンがメッセージの着信を知らせる振動を伝えてきた。


・・・こんな時間に何だろう? ・・・


 せっかくの楽しい気分を邪魔されたようで順一は不快に思いながらもスマートフォンの画面を確認した。事業部の宮園からだった。


・・・宮園さんも、こんな時間まで仕事しているのか ・・・


 順一はメッセージを表示させると、退社する前に順一が送っておいたメールを確認してくれたようで、それに対する返答だった。現状ではこれ以上の値引きは難しいとの回答だった。


・・・参ったな この案件はなんとか通したいのに ・・・


 すっかり酔いが醒めた順一にホタルが次は何を歌いますと腕を握ってくる。はじめは微妙な距離にいたホタルだったが、今は順一にベッタリとくっついていた。そのホタルの顔を見ながら順一は、ふと違和感に気付いた。初めに見たホタルの顔よりも、今のホタルの顔の方が可愛く感じるのだ。体つきもスレンダーな感じだったが、少し肉がつきふっくらとした感じで、胸の膨らみも大きくなったような気がする。自分の好みの女性に変化しているようだった。


・・・何か、おかしい ・・・


 順一は、ふと背筋に寒気を感じた。お酒もカラオケも普通ないものが全てある。順一が難しい顔をしていると、ホタルが早く歌いましょうよと体をつけてくる。順一の腕にホタルの胸の膨らみの感触があった。


「あ、ああ、ごめん し、仕事の連絡があってもう帰らないといけなくなった マスター、お勘定お願いします 」


 ホタルは寂しそうな顔で順一を見つめている。順一はそのホタルの顔を見ると、まだ良いかと思ってしまいそうになるが、ここに居たらいけないという思いの方が勝っていた。


「はい、、おあいそです 」


 マスターから渡された勘定書の料金は良心的だった。順一は電子マネーで支払い、席を立つとホタルが先に立ちドアを開けてくれた。順一が外に出る直前、ホタルは順一に後ろから抱きつくと、また来てねと囁き、順一の頬にキスをした。背中にもホタルの胸の感触が伝わり順一はドキッとしたが、そのまま振り切るように外に出ると、車のシートに座りシートを倒して横になった。ホタルのキスと胸の感触で急にまた酔いがまわってきたようだった。




 しばらくして順一はハッと気が付き目を開けた。どうやら眠ってしまったようだ。シートを起こすと霧はすっかり晴れ、きれいな夜空が見えていたが、目の前にある筈のスナック・フォギーレインは消えていた。車が止まっている先には暗い森が広がっているだけで、そこに何かあった痕跡もなかった。


・・・夢だったのか ・・・


 順一は、それなら楽しい夢だったなと思ったが、車内のバックミラーに映る自分の顔を見てギョッとする。順一の右の頬に赤い口紅の跡がはっきりと付いていた……。




お読みくださりありがとうございます。

私も古いアルバム曲、歌いたいのですがなかなか無いですね。それでも通信になって以前よりはマイナーな曲もあるので嬉しい限りです。

感想いただけると嬉しいです。

よろしくお願い致します。


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