相談役
ワイシャツの上に羽織った制服は、手に持った時とは違いズッシリと重く感じた。
「お前は〜何を着ても可愛いなぁ〜!!」
美剣はそう言いながら、更衣室から出てきた愛夢の周りをグルグルと回る。
「美剣さんと、お揃いになれて嬉しいです」
「・・・一日の可愛さ放出量でギネス取る気か?」
「取れません」
そんなくだらない雑談をしながら二人で長い通路を歩いていると、三つの自動扉の前に差し掛かる。
立ち止まった美剣は、真剣な顔で愛夢に見つめた。
「この右の扉には絶対に一人で入るなよ。何があっても!絶対にだ!約束してくれ!」
「分かりました。入ってはいけない部屋なんですね」
「そうだ・・・。入らなきゃならない時は、オレが一緒に行くから」
その迫力にその部屋に何があるのか、何をする部屋なのかは聞けなかった。
美剣は愛夢が頷いたのを確認すると左の扉へ入っていった。
先程まで歩いていた通路と同じく真っ白な壁と床が続く。邪魔にならないように置かれているストレッチャーや畳まれた車椅子、すれ違う白衣を着た男性を見た愛夢は、ここが何をする場所なのかを察した。
「ここは医療チームがいる棟だ。オレらが怪我した時の治療とか、月一で受けてるメディカルチェックとかをやってくれる」
「美剣さんが怪我をした時も、ここにいたんですか?」
「いたぞー!体調悪い時とか、ここを遠慮なく使えよ」
愛夢は、美剣の命を救ってくれた職員たちに頭を下げていく。だが全員が返す会釈は、どこかよそよそしかった。
「よーし!今からここを指揮ってる美しき女神に御挨拶に行くぞー!」
医療機関であっても美剣の声量は変わらない。
愛夢は今度は申し訳なさから皆に頭を下げた。
「こちらが月歌さんだ!我らLETの女神であらせられる!ちなみに、お前は天使だぞ!」
「貴女が噂の西宮ちゃんね。美剣君が熱心にスカウトしたってって聞いてるわ」
美剣の紹介に訂正を入れるのを忘れてしまう。それ程に月歌と呼ばれた女性が美しかったからだ。
瞳の輝き、鼻の高さ、細く美しい髪、陶器のような白い肌、その全てが日本人離れしていた。美剣の言う通り、女神と呼ぶに相応しい美貌であった。
愛夢の中で最も美しい女性はマリアだった。
だが目の前の女性の美しさも、それに並ぶ。
どちらが美しいか選べと言われても選びようがない。それは、薔薇と百合の美しさを競わせるようなものだった。
「はじめまして、天海月歌です」
「西宮愛夢です。よろしくお願いします」
目の前に立ち握手を求める月歌に愛夢は応えた。
「早速なんだけど採血させてくれる?」
近くの看護師は目配せされただけでテキパキと採血の準備をしていく。
愛夢の腕に針が刺されると、後ろで見ていた美剣が「痛いか!?大丈夫か!?手握ってやろうか!?」「そんなに取るのか!?」と慌てふためく。
採血をしている看護師に睨まれた事で美剣はようやく黙った。
「この血は西宮ちゃんの健康状態のチェックとメテウスの研究の為に使われます。美剣君だって、これ以上に血液を提供してるじゃない」
「オレは良いんですよぉ〜!頼むから、これで最後にしてやってください」
「・・・善処するわ」
試験管五本に血が貯まった所で採血は終了した。
立ち上がろうとした瞬間、愛夢の目の前は真っ暗になる。
酷い目眩から立っていられなくなり、その場で蹲る事しか出来ない。
美剣が自分を呼ぶ声が聞こえ身体が浮く感覚を最後に愛夢は意識を手放した。
気がつくとベッドの上で足を高くして寝かされていた。愛夢は美剣の声がする方へ首を動かす。
「本っ当に大丈夫なんですよね!?ヤベェ病気とかじゃないですよね!?もう一回診てやってください!」
「本当に大丈夫だから、落ち着いて」
美剣は、物凄い剣幕で月歌と看護師に詰め寄っていた。大丈夫だと伝えたくて愛夢は美剣の名を呼ぶが、声は小さく掠れてしまう。
だが美剣は、すぐに気付いて振り向いてくれた。
「大丈夫か?苦しいのか?どっか痛くないか?」
「ごめんなさい・・・。平気です」
月歌は愛夢の首元に触れながら「貧血よ。ちゃんとご飯食べてるの?」と微笑む。
愛夢は小さく頷く。
たったあれだけの採血で倒れしまう自分が情けなかった。いくらでも己の血でも骨髄でも差し出すと大見得を切った。だがこの有り様だ。
不甲斐無さから目に涙が溢れる。
「美剣さんっ・・・!迷惑をかけて、ごめんなさい!」
「泣かんで良い。謝る必要も無い」
美剣は涙を拭ってくれた。
ようやく美剣に触れてもらえた事で愛夢は落ち着きを取り戻していく。
「私、もう平気です」
そう言い立ちあがろうとするが美剣に止められてしまう。
「駄目だ!大事をとって一週間は、ここで休め!」
素人の愛夢から見ても美剣の見立ては大袈裟だった。愛夢は月歌に視線で助けを求める。
「もう完璧に処置は終わっているわ。美剣君は私の腕が信じられないのかしら?」
「そういう訳じゃないですけど・・・」
弱々しく月歌に食い下がる美剣は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
月歌と話す美剣も愛夢の見た事の無い美剣だった。
そんな美剣を可愛いらしいと思ってしまう。
「本当にもう平気です。楽になりました」
言い終わると同時に再び身体が浮く。
美剣は愛夢を横に抱いた。
「ヤバそうだったら、また連れて来ますから!」
「はいはい」
「ちゃんと緊急に備えててくださいね!?」
「いつも備えてるわよ」
呆れ笑いの月歌は「じゃあ西宮ちゃん、またね」と手を振って愛夢と美剣を見送ってくれた。
真ん中の扉を行くと思っていたが美剣は来た道を戻って行く。
「どこに向かっているんですか?」
「食堂だ!」
長い通路を右へ逸れた美剣は大きな扉を足で開けた。
「姐さんーー!!」
長机とパイプ椅子が置かれた食堂は30人ほどが入れる程の広さで、時間的にも今は食事の準備中なのか食堂に座っている人間は誰もいなかった。
「何?そんなに大きな声でいきなり」
美剣の叫びに反応して奥から出てきたのは、白髪をお洒落に染めた笑い皺が可愛い高年の女性だった。だが勿体無い事に、今は困惑の表情を浮かべている。
「すぐにコイツに飯食わせてやってくれ!貧血で倒れたんだ!」
「あらぁ!大変ねー!・・・ところで、こんな可愛いお嬢さんを何処から誘拐してきたの?」
「聞いてねぇのか?今日から来た新人だよ!早くしてやってくれよー!」
「ウチの人が言ってた子ね!クリスマスにケーキをくれた子でしょ?」
急かす美剣を女性は「挨拶くらいさせなさいな」と叱った。
「はじめまして、西宮愛夢です」
愛夢は美剣の腕の中で頭を下げる。
「丸山の家内でございます。その節はどうもー!」
あの優しく強い丸山の妻に相応しい朗らかな女性は、愛夢を椅子に勧めた。
「貧血には栄養だ!とにかく食え!」
そう言った美剣は愛夢を優しく椅子に座らせる。
「食事に即効性は無いよ。コツコツ地道に治していこうね?」
目の前に優しく置かれたトレイには、揚げたてのアジフライを主菜とした見事な栄養バランスの定食が乗っている。
これには空いていないはずの愛夢の腹も歓迎と言わんばかりに動き始める。
「お昼にはちょっと早いけど召し上がれ」
「いただきます!」
サクサクのアジフライとシャキシャキのキャベツの千切り、炊き立てのご飯は柔らかく甘い。
最高に美味しい定食に愛夢は箸を止められなかった。
「美味しそうに食べてくれるね!作った甲斐があるわ」
「全部すっごく美味しいです!」
丸山の妻が作ってくれた食事は、身体だけでなく心まで満たしてくれた。
さっきまでの倦怠感は嘘のように無くなっていく。
「姐さん、月歌さんと相談してコイツ専用の食事メニュー作ってやってくれ」
「分かりましたよ。腕がなるわ」
「ご馳走様でした。とっても美味しかったです」
愛夢は立ち上がってトレイを片付けようとするが、丸山の妻に奪われてしまう。
「自衛隊の子達と同じくらい綺麗に食べてくれたわね!嬉しいわ!でも、明日からは元気な状態で、お昼にいらっしゃいね」
ヒレまでサクサクだったアジフライ定食の皿は何一つ残っていない。
「お手数をおかけしました・・・」
「いいのよ!あんなに美味しいケーキを貰ったんだもの。バリバリの健康体になれるご飯作っちゃうわよ」
張り切る丸山の妻は夫と同じようにパワフルだった。愛夢はクリスマスから今日まで間に気になっていた事を聞いた。
「あの・・・ケーキは丸山さんのお口に入りましたか?」
「勿論よ。あの人ったら「オレがいつもチョコ味を食べてるから今日は、お前にやる」って言ってくれてね。私、感動しちゃって半分にして一緒に食べたのよ」
「そんなんですね」
「二つとも、すごく美味しいケーキだったわ〜!本当にありがとうね」
「え・・・?二つ?」
愛夢の記憶では箱にはケーキが三つあった。小箱に分ける際に漁火がチョコレートが好きな丸山に配慮していた事を、はっきりと覚えていた。
一つは誰か他の者に食べさせたのだろうと結論付けた所で、慌てた美剣が愛夢と丸山の妻の間に立つ。
「さぁて、飯も食ったし!挨拶回り再開するぞ!」
だが時は既に遅かった。
美剣は食堂を去ろうと愛夢を促すが「お待ちなさい」と言う冷たい声に止められる。
何故だか分からないが、その声で室温が下がった気がした。
「ケーキって何個頂いたのかしら?卑しい質問でごめんなさいね。でも、大切な質問なの」
丸山の妻の切実な願いに愛夢は嘘をつけなかった。
「三つです。漁火さんと一緒に選びました」
「・・・そう。正直に答えてくれて、ありがとう」
愛夢の答えを聞いた丸山の妻の瞳には、薄っすらと涙が浮かぶ。
「あの人ね、昔は自衛官だったんだけど、今は退役してるの。でもその頃から体重が10キロ以上増えてしまって・・・」
そう涙ながらに語られ、愛夢は胸がキュッと痛んだ。美剣も同じ思いなのか、床に正座で座り辛そうな顔で話を聞いている。
「健康で長生きしてほしいから血糖値、血圧、コレステロール、全部に気をつけて食事を作っているのに当の本人は知らん顔。挙げ句の果てには嘘をついて隠れて盗み食い!・・・酷いわ!」
丸山の妻は、ついには身に付けたエプロンで顔を覆う。嘆きは、まだ止まらない。
「・・・美剣君も知っていたのに私に黙っていたのよね?そうやって私だけを悪者にしているんだわ!」
あの優しい美剣が、愛する夫の身を案じる妻にそんな仕打ちをする筈がない。愛夢には確信があった。
「美剣さんは、そんな事しません」
「・・・どうかしら?」
二人は床に座る美剣を見下ろした。
「これからは、ちゃんと報告するから」
項垂れる美剣は、まるで切腹前の侍だった。
「間食をしていたら逐一報告!口止めされても報告よ!この子の前で誓いなさい!」
美剣の頭上で叫ぶ丸山の妻の声は、泣いていた時の潮らしさはカケラも無い。
「姐さんの仰せのままに!」
「ならば行って良し!」
丸山の妻の迫力は、夫に引けを取っていなかった。
ようやく退室の許可を貰い愛夢は美剣と共に食堂を後にした。
ひどく疲れた様子で「あれはズルい」と嘆く美剣に連れて来られた部屋は、射撃訓練場だった。
映像の中でしか見た事のない光景に、目は四方八方へと動き回ってしまう。
訓練をしている者は誰もいないが、部屋の中央には一人の隊服を着た女性が待機している。
その人へ向かい美剣は真っ直ぐに歩みを進める。
愛夢たちに気付いた女性もこちらへ向かってきた。
「さっきの食堂と、この場所は自衛隊の施設と繋がっている。LETに配属されている隊員が使う訓練場だが、特別にお前も使って良いそうだ」
「・・・銃」
その恐ろしい単語にゾクリと鳥肌が立つ。それは、自分が持って良い物ではないと思ったからだ。
「んな不安そうな顔するな。自衛の為に使い方を覚える程度で良い。ちゃんと、お前の練習を見てくれる人もいるから」
「お疲れ様です!」
対峙した女性は、非の打ち所が無い完璧な敬礼を愛夢と美剣にしてみせた。
広い射撃訓練場の中央に強く凛々しい声が響く。
直毛の黒髪をベリーショートヘアにしたその女性は、リスのような円な瞳をした女性だった。歳は愛夢よりも幾つか上なのだろうが、顔は童顔ではあるが、しっかりと厚みのある身体をしている。それが顔に似合わない声量を生み出しているのだろう。
「遅くなってすいません。ちょっとバタバタしてたもんで」
謝る美剣に女性は微笑んだ。
「問題ありません。メディカルスタッフより連絡は受けております。西宮さんの体調が万全でないのであれば、御挨拶は後日でも構いません」
美剣に答えた女性の声は先程とは違い優しい。だがたしかな力強さと威厳があった。
「あの・・・私は、もう平気です」
愛夢は美剣の横に立ち女性を見た。
彼女の身長は少し踵のあるパンプスを履いた愛夢よりも高かった。
「本人もこう言っている事だし、自己紹介しちゃってくれるか?」
完璧な敬礼と共に「はい!」と答えた女性は、声高らかに名乗りをあげた。
「本年度よりLETに配属されました、新田であります。階級は士長です。宜しくお願いします!」
「西宮愛夢です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「追弔中は、こちらの新田さんが、お前を守ってくれる。それから射撃の訓練も見てくれるそうだ」
ただでさえ少ない貴重な人員を自分の為に割いてくれる事に愛夢は申し訳ない思いで一杯になる。
「すみません。早く強くなれるように頑張ります」
本来であれば愛夢は新田を守れるくらい強くなくてはならない。そうでなければアスピオンを追弔する事など出来る筈がないのだ。
「いいえ!謝られる事は何一つありません!追弔の支援を許される精鋭の一員になれた事。そして西宮さんの護衛という大役を仰せつかった事を、私は光栄に思っています」
ハキハキとした凛々しい新田は、愛夢がこれまで関わった事が無いタイプの人間だった。
苦手と言える程ではないが、住む世界が違っている。だからなのか上手くやっていける気はしない。愛夢が新田に抱いた印象はソレだった。
新田と別れた愛夢たちは、真ん中の扉へ向かう。
「ここから先がオレらフロウティス部隊に与えられてる仕事場だ。入る前に言っておく事がある」
ようやく三人に挨拶が出来ると愛夢は浮き足立つが、扉の前に立つ美剣は違っていた。
「もし悩みとかがあるなら、さっきの三人の内の誰かに話してみるといい。力になってくれる筈だ」
そう言った美剣は、まるで腫れ物に触るようにオドオドとしていた。
紹介された三人は、皆が女性であった。優しい美剣は愛夢の為に、相談し易い相手を選んで紹介してくれたのだろう。
その気遣いに嬉しさで喉が詰まり、愛夢は何も言えなくなる。
「もし、それで悩みが解決しなくて困った時には、オレに相談しろ。絶対に助けてやるから」
ハッキリと言い切った美剣の顔は、真剣な表情をしていた。
今度は愛夢の欲しい言葉をくれる美剣だった。
だが、あの日のように美剣の胸に飛び込んで泣く事は、もう許されない。
だから涙を堪えて頷いた。
それだけで愛夢は精一杯だった。




